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#079 『大将軍』

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 90年代の末頃のこと。

 当時、佐賀市内に在住していた主婦の光恵さんは、大学の夏休みを利用して帰郷した息子・隆義くんの様子に、計り知れない不安を抱いていた。

「隆義は、県外の・・・そこそこ有名な工業大学に通って居たんですけれど、久しぶりに会ってみたら、何というかソノ・・・」

 豹変していた、という。
 もう少し絞らなきゃ彼女も出来ないわよ、と高校時代の頃は冗談めかして言っていたくらいのぽっちゃりさんだったのに、今では頬がこけるくらいにゲッソリしている。
 一方、視線だけはギラギラと殺気走ったように鋭く、「この子、もしかしてクスリをやってるんじゃ・・・」と本気で心配に思ったそうだ。

「そんなんじゃねぇよ」
「向こうの土地柄が、ちょっと肌に合わずに疲れた」
「心配しないで。変なことはやってないから」

 とは言うものの、明らかにその挙動・言動がおかしい。

「ここの近所の人はみんな嘘つきだ。影ではうちの悪口ばかり言ってるよ」
「高校で習ったことは大学で何の役にも立たなかった。きっと大学で学んだことも、社会では何の役にも立たないに違いない」
「今日?今日は一日中部屋で体育座りしてたよ。 いつも通りだよ・・・」
「夕方の5時頃、いきなり叫びたくなったけど 迷惑だろうから我慢してやった」

 ――ストレスだろうか。鬱病?少なくともノイローゼではあるようだが。
 時に話の辻褄が合わないくらいに隆義くんの言動は混乱を見せ、特に夕飯時、家族が揃って食卓につくと いっそうおかしなことを言い出した。

「ねぇ、本当のことを言ってよ。俺の本当の父親は、隣ん家のオッサンなんだろ。母さんが若い頃に不倫して俺を作ったんだろ。え?」

 脈絡もなく そんなことを言い出した為、遂に父親がキレて、掴み合いの親子喧嘩に発展しかけたこともあった。


「――おい、お前。あの子はこのまま 大学に戻さない方がいいんじゃないか・・・」

 その日の夜中。思い詰めた表情のお父さんがアルコールの力を借りて呟いたその一言に、光恵さんは思わずぽろぽろと涙を流して泣いた。
 場合によっては心療クリニックの力を借りねばならないとも考えたが、『世間体』『親としての責任』『息子を信じたい』という様々な気持ちが心の中で交錯し、結局 判断を下すことは出来なかった。

  ※   ※   ※   ※ 

 そんな心を絞るような日々がしばし続いたある日。
 近所のデパートへ買い物に行きたい、と隆義くんが言うので、光恵さんは自らも同行を決意した。
 この年で親と買い物かよ・・・ 隆義くんは難色を示したが、光恵さんは自分の息子を、もはや一人で行動させることすら危うく感じはじめていたのだ。

 光恵さん運転の車でデパートに着くや、隆義くんはスタスタスタスタ、これでもかと言うくらいの早足で進み始めた。
 どうやら文房具コーナーに用があるらしいが、何故そんなに急ぐのか。そのスピードは光恵さんが後を付いていくのがやっとだ。何度か人にぶつかりそうになったが、隆義くんはまったく意に介さない様子で真っ直ぐに歩き続ける。
 そして。お目当ての文房具コーナーに到着すると、バラ売りのHB黒鉛筆を一本だけ買って、直ぐに「帰る」と一言。ハイスピードで車の方まで戻り始めたのである。


 ああ、この子、本当に普通じゃなくなったのかも。

 こっちに帰って来る前の電話では、いつもと変わらない様子だったのに・・・

 神様。仏様。誰でもいいから、この子を救って下さい・・・!!

 光恵さんがまた 涙ぐみそうになった その刹那、


「――おや! そこの坊ちゃん、ちょっと、坊ちゃん!!」


 隆義くんが、一人の女性に呼び止められた。
 ・・・誰? と、声の方向を見てみると、光恵さん曰く「女優の市原悦子さんにそっくりな顔と声」の中年女性であったそうだ。
 品の良い和服を着ているが、どことなく気さくな印象で、彼女の座った机の上には『手相・姓名 拝見致します』と書かれた木の札が立っている。
 どうやら、このデパートの中で小さな露店のような窓口を設けて占いをしている 手相見のおばさんのようだ。

「自分でも困ってるんでしょ。わかるわよ。さ、おばちゃんとお話しましょうね」

 と。隆義くんの脚が止まった。
 どう考えても おばさんの声が聞こえるとは思えないほど前の方を進んでいたにも関わらず、隆義くんはゆっくり後ろを振り向き、とぼとぼした足取りでこちらへ戻って来るや、手相見の席のお客様側の椅子に ポツン、と座った。

「隆義?! あんた、ちょっと・・・」

 光恵さんがビックリしていると、おばさんは「あら、こちらお母様でしたか」「さぞかし ご心配でしたでしょうに」とこちらを斟酌するように柔らかく微笑み、

「お任せ下さい、お時間は取らせません」

 そう言って、隆義くんと何やら面談のようなことを開始してしまった。

 声は小さくてよく聞こえなかったが、おばさんが「~~でしょう」「~~だったのよね?」と一方的に質問し、隆義くんが「はい」「そうです」「その通りです」と これまた一方的に肯定するような、妙なやり取りであった。

 そして そんな話し合い(?)が一分ほども続いただろうか。

「よし、わかった!!」

 おばさんは力強く頷くと、手相見の席の下の方から何とも庶民的なデザインの黒いバッグを取り出し、その中をしばらくゴソゴソ探って、畳んだ扇子の様な道具を取り出した。

 そして、「ちょっと痛いけど男の子だから我慢出来るわよね」と隆義くんの耳元で尋ね、彼がコク、コクと首を縦に振ると同時、

「そぉーれっ、」

 裂帛の気合い一声、

「大将軍ッッ、大将軍ッッ、大将軍ッッ!!」


 ――いきなり大声でそう叫びながら、
 何とおばさんは、隆義くんの背中をバシバシと、その道具で力いっぱい、ぶっ叩きはじめたのだ。


(え、 あ、 う、 え・・・?!)

 あまりに突拍子も無い出来事に、光恵さんはただ呆然と 自分の息子が見知らぬおばさんに打擲されるのを、しばらく黙って見ていたという。


「大将軍ッッ、大将軍ッッ、大将軍ッッ!!」


 おばさんは、まるでお祭りの囃し声のようにそう連呼し、隆義くんを打ちに打ちまくる。
 やがて、黙って目を瞑って耐えていた隆義くんが 痛さを堪え兼ねたのか、思い切り歯を食いしばった。
 その時、はじめてハッとしたという。
 これは異常な事態だ。
 周囲を見回せば、近くを通る人が皆 好奇の視線でこちらを見ている。
 いろんな意味でカァッとなった。
 「やめて下さい、息子に何をするんです!」と二人の間に割り込もうとしたところ、

 ひくっ。

 隆義くんが、おもむろにシャックリのような声を発した。
 同時に、身体が不自然なくらい一度、 大きくエビ反った。
 そして、

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 驚くくらい 静かになった。


「おー!よしよし、よく我慢したね、偉いよー偉い偉い」

 ふぅ、とおばさんは打擲の手を止め、額に滲んだ汗を拭った。
 そして 椅子の上にガックリとうなだれるような姿勢になった隆義くんの肩をポンポン、と優しく叩き、

「ハイ、おわり!」

 うふふふ、と光恵さんの顔を見て、とてもいい笑顔を浮かべられた。


  ※   ※   ※   ※

 この時、おばさんが息子に何をしたのか。実は光恵さん、詳しく聞かされていない。

「まぁ、一般的に言う除霊、みたいなものでしょうか。ちょっと違うかな?」

 おばさんは、商売道具の拡大鏡を布で拭きながら、そう答えられただけだった。
 その場で隆義さんにも尋ねてみたが、何故か言い辛そうに下を向く。
 だがその時は既に 目がいつも通りの穏やかな眼差しに戻っており、まさに『憑き物が落ちた』かのようであったという。

「・・・・・・ま、お母様。この年頃の男の子にだって、ご両親にも言いにくいことの一つや二つ御座いますよ」

 そのうち時間が経って心の整理がついた時、坊ちゃんの口から直接お聞きになった方が宜しいです――と言い含められ、ぐうの音も出なくなった。
 私が勝手にお節介を焼いただけだから、お代はけっこう とも言われたが、それでは悪いので、とりあえず財布の中に入っていた10000円札を、押しつけるように手渡した。


「坊ちゃん。女の子にいいところを見せたかった気持ちはわかるけど、格好つけるのも ほどほどにしましょうね?」


 最後におばさんはそう言って、ニッコリ笑った。
 隆義さんは、心底恥ずかしそうに 唇を結んでコックリと頷いた。




 あれから20年あまりが経つ。
 孫も5歳になるっていうのに、まだ息子は真相を語ってくれないんですよ、と光恵さんは さもおかしげにそう零し、話を結んだ。
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