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第五段 『誤字』

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 『文字』にまつわる、こんな話を一つ。



 税理士の東野さんは、子供時代、すごい悪たれのひねくれ者だったという。
 弱い者いじめや窃盗・万引きなどの〝程度の低い悪事〟にはむしろ嫌悪感を抱いていたというが、親や教師、学校の先輩、国家権力など「目上の存在」に対しては、どうあっても歯向かわずにいられない。

 取材当時、私は東野さんが学生時代にしでかした悪事を三つ、四つほどお聞きしたのであるが、残念ながらどれも洒落にならないので、いずれもここに紹介するわけにはいかない。

 ただ、彼のそんな気性は小学生の頃から発揮されていたらしく―― 小学四年生の時、彼のクラスの担任に選ばれたある女性教諭が、「私、あの子の居るクラスなんてまとめていく自信ありません!!」と大泣きして校長に担任の変更を要求したというから、苦笑いで聞くしかない話である。

 本人曰く。「よく年少(少年院)にぶち込まれなかったもんだ」
 私は、「よく立派な税理士さんになれましたね」と返したと記憶している。


  ※   ※   ※   ※

 そんな東野少年が、ある冬休みの某日、白紙の習字用紙と向き合っていた。
 中学校の冬休みの課題で、『書き初め』というのが出たのである。
 文字は自由。自分の一年の抱負でも好きな言葉でも、何でもいいからお習字に書いて提出しなさい、というものであった。

 だが、そこは悪ガキの東野少年のこと。

「ケッ!中学生にもなって、何が書き初めだ。バッカバカしい!!」

 この上は、めちゃくちゃ反抗的な言葉でも書いて出し、先生をビックリさせてやれ、と考えた。

 最初はありがちに下ネタ系のレパートリーを頭の中に次々と思い浮かべたが、実は彼、当時既に気になる女の子がクラスに居たという。そこのところをちょいと鑑み、格好をつける為にも、いやらしい言葉は慎まねばなぁと思い直す。

 ではどうするか。


『ケンカ上等!』
 ――ちょっとパンチが弱い。

『なめんなよ!』
 ――却下。ひらがなばっかだとバカに見える。

『夜露死苦!』
 ――ダメ。『露』の字が難しすぎる。

『この支配からの卒業』
 ――影響が露骨で逆にカッコ悪い・・・


 なかなか難しいぞ、と頭を抱えた時だった。
 そうだ、外国にはえげつない歌詞を売りにしたスラッシュとかいうロックがあるって音楽雑誌に書いてあったな。
 宗教的にダメなこととかも、あえて中指立てて堂々と歌ったりするんだっけ。
 ・・・かっこいいなぁ。
 向こうだとキリスト教か。こっちは仏教だからな。
 そうするってぇと・・・!

「よぅし、これに決めた」

 ぺろりと舌を出しながら、東野少年は習字用紙に筆を躍らせた。
 そして一気呵成、こう書き出したのである。


  無


 瞬間、ビリリリリ!と音を立てて、『緑』の字の部分が十文字に破けた。


「え」


 と、驚いて固まってしまった東野少年だったが、

「あ、なーんだ。『縁』を『緑』って書いてたんだ」

 失敗、失敗。自らの間違いに気づき、直ぐ書き直した。


  無縁仏


 習字用紙全体が十文字に裂けた。


  ※   ※   ※   ※

 結局、『謹賀新年』とまじめに書き直して提出した。

「お前、意外と字が上手いな」と先生からという。

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