怨嗟の誓約

シノヤン

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4章:果てなき焔

第139話 悪魔の取引 ②

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 その日の夜、少年は即席で作られたリミグロン兵の幕舎へと招かれる。

「遠慮はしないでくれたまえ」

 シャツとズボンの私服姿になっているキユロが言った。少年と彼は小さなテーブルに向かい合っており、卓上には明らかに二人で食べるためとは思えない量の食事が積まれていた。兵士達も穏やかな手つきで少年の肩を叩き、ゆっくりとテーブルへエスコートする。昼に見せた捕虜への仕打ちとは明らかに一線を画しており、いかに子供と言えど、その不自然さに気付かない程に純粋というわけではなかった。

「おや、疑っているようだね。無理もない。では私から頂こう。少し失礼だが手づかみで…よっと、うん、美味い」

 キユロがじっくりと焼かれた鶏の脚を掴み、かぶりついて頷きながら少年を見る。完全に疑心を捨てきれるわけでは無いが、ひとまずは警戒心を緩める事にした少年はは、恐る恐る近くの更に盛られていたリソルを頂く。まろやかな甘さのイチジクが入っていた。

 肉、干し魚、果物…どれもが香辛料や見た事もないハーブで味付けされており、庶民という言葉すら欺瞞に感じる惨めな暮らしを経験してきている少年にとっては、身に余る贅沢であった。

「我々の給仕班…ああいや、料理人たちの腕はどうだね。今夜は客人が来ると知って随分と張り切っていた。君の様な友好的な態度を取ってくれる人間は珍しいからね」
「でも村の人達は怖がってる。女の人達を連れ攫われたって」
「ああそれについてだが、謝らなければならないな」

 キユロが目くばせをすると、部下の兵士達が幕舎から出て行く。少ししてから戻って来た彼らだが、連れ攫われた女性たちが一緒にやってきた。顔なじみである少年がリミグロンの拠点にいる事に彼女達も驚いており、彼女達の元気そうな姿に少年もまた戸惑いを隠せない。

「昼間の件は申し訳なかった」

 キユロが頭を下げる。

「戦というのは、どうも人間を豹変させる魔力があるようだ。一部の兵士達が狼藉を働こうとしていたところを、直属の部下が見つけてね。すぐに取り押さえた上で彼女達は保護をさせてもらったんだ。反抗したのならともかく、何もしてない人間をいたぶるほど我々も鬼畜ではない。勿論、問題を起こした兵士達は別の場所で拘束している」
「本当よ ! 危なかったけど、すぐに止めに入ってくれたの」
「分かっただろう。敵意を見せさえしなければ、我々も人道的に、尚且つ手厚く君達を守る。征服ではなく、共存をしていきたいのだよ」

 キユロはリミグロン側の考えと民への望みを口にする。助けた女性たちの証言もあってか、その考えが偽りではないと証明できたと思っているのだろう。えらく誇らしげだった。

「でも…掴みかかったり、舌打ちした人たちも殺した」
「それについても、すまなかったと思っている。だが不穏な動きを見せてきた者を放置しておくというのは、我々の活動に支障をきたす可能性がある。戦とはほんのわずかな可能性さえも疑い、恐れ、潰す。その作業を入念に出来た者が勝ち上がれるんだ。どうか分かってくれ。それに…ジェトワ皇国では、そのような理不尽な動機で殺されるような事は無いと、そう思っているかね ?」

 少年はそれでも尚彼らの持つ残忍さを罵るが、キユロはそれをどうとも思っていないようだった。あまつさえ、ジェトワ皇国に住んでいる様な人間が、一丁前に道理を説くなと言っているようにも聞こえる。その反論と呼ぶには脆すぎる主張に対し、少年は黙るしかなかった。思い当たる節がありすぎて、返す言葉が見つからないのだ。

「自分にすら出来ていない立ち振る舞いを他人に求める…そんな面の皮の厚い人間にはなりたくあるまい。この国の状況…特にノルコア人が置かれている苦境については調べ上げたつもりだ。君も、苦労してきたのだろう ? だから名乗り出てくれた。何がったのか、教えてくれないか ?」
「…はい」

 キユロの頼みに少年がすぐ応じたのは、自分に同情してチヤホヤしてくれる人間を欲していたからなのかもしれない。身寄りもなく、貧困というある種の悪意に満ちた環境から抜け出せない人間にとって、それは麻薬的な魅力がある。やがて母が皇都へ出稼ぎに行った事、その出先で差別によって碌な職が見つからなかった事、売春に手を染める以外に方法が無かったものの、それによって病気を移された挙句、それが原因となってジェトワ人からの更なる迫害と暴力を受けて死んだ事。その全てを話した。

「誰も、母さんを助けてなんかくれなかった」

 少年の言葉を耳にした兵士達は、全員が哀れむように少年を見ている。

「”下品なノルコア人が死んだだけなんだから自業自得だ”、”これだから劣等民族はダメだ”とか言って笑って、自分達が原因を作った事すら忘れてた。村の人達が国府に掛け合っても相手にすらしてもらえなかった。なのに…アイツら、皆言うんだ。”この国に差別はない”って」
「連中が他に何を言っているかも分かるぞ。”これは差別ではなく区別であり、危険で迷惑な連中が嫌われるのは当然である”…そんな事も言われたんじゃないか ?」
「!!…な、なんでそれを」
「迫害行為に加担する人間は、根拠も倫理もかなぐり捨てた都合の良い正当性を口にするものだ。君ほどではないが、ずっと昔に私も似たような経験がある。移民だったんだよ。つくづく愚かな事だ。何をしたわけでもない人間を、特定の人種や民族だからといって虐げるなど。今時どこの国でも忌み嫌われている行為だ」
「だ、だよね。本当に ! 僕の知り合いもそうだった。皇都で商売をしようとしたら、ノルコア人は怪しいからって因縁付けられて殺されて… ! 」

 自分の言葉を否定する事無く同意してくれ、更には同じ境遇にあった仲間であると打ち明けてくれたキユロに対し、少年はどんどん饒舌になる。嬉しかったのだ。ノルコア人である自分に嫌悪感を持たない外国人と話せることが。ジェトワ皇国以外の国は皆そうだとすれば、もしかすると本当にこの国は間違っているのかもしれない。自分の母も、自分の境遇もこの国の劣悪な情勢にある。そんな気分にさせてくれた。なぜかそれがたまらなく心地良い。

「君の本音が聞けて良かったよ。あそこで勇気を出して声を上げてくれたのも納得だ。だからこそ、今一度聞かせてくれ。我々と共に、本気でこの国を変える。その覚悟はあるかね ?」

 白熱してきたその雰囲気を、キユロが一度冷めさせる。ここからが本題である。

「うん、やるよ ! どんな事でもやる ! それで皆が幸せになれるんなら !」
「よく言ってくれた。ならば明日から仕事を君に紹介しよう。なあに難しい事じゃないさ。村の代表として、村人の体調管理や仕事の進み具合を定期的に報告してくれるだけでいい。同時に私達から何か報せがあれば、君が連絡係として皆に伝えてくれ」

 キユロが少年の覚悟に感激し、彼の果たすべき役割を説明する。やがて席を立って少年の前へと向かい、椅子に座ったままの彼に対して跪く。そして右手を差し出した。

「我らは今日この場を以って同志だ。共に戦おう」

 キユロは力強い笑顔を浮かべている。少年も興奮しているかの様に力強く小さい手で握手に応じていた。その様子を見ていたリミグロン兵の内、二人が幕舎を離れてパトロールへと戻る。

「なんかよ、子供の頃の思い出が蘇ってきちまった」

 呆れた様に小さく笑い、一人が小声で喋り出す。

「へえ、どんな ?」
「虫の観察とかした事ないか ? 蟻地獄とか」
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