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壱ノ章:災いを継ぐ者
第2話 リセット
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「こっちよ」
壁を乗り越えてきた先程とは違って急ぐ必要が無いのか、佐那はレインコートに打ち付けられる雨を拭いながら龍人を案内する。刑務所の外に出た時には何とも言えない清々しさを感じ、刑期を終えて釈放される気分を再び味わえた。これからどう行動すればいいのか分からない不安と、もう自分を睨みを利かせる者がいない解放感の両方が脳を蝕む。
「早くしなさい。体が冷える」
佐那が急かした。刑務所の前には彼女の愛車らしい白い車が止まっている。かなり大きめであり、特徴的なグリルとLの字に似たエンブレムがあるセダンだった。レインコートを脱ぎ、それをトランクに入れてから佐那は運転席に乗り込む。
「ふう…どうしたの ? 助手席に乗って」
「いや、あの…」
エンジンを付けながら彼女は窓を開けて龍人に言うが中々躊躇われる誘いである。自分が身に着けているのは囚人服、それも濡れてるどころか地べたにへたり込んでいたお陰で汚れも酷い。そんな自分が今から乗り込もうとする車にはあまりにも酷な仕打ちだと感じたのだ。
「大丈夫、汚れは気にしないで」
「でも、この車確か高いやつ――」
「いいから。乗りなさい」
確か最低価格でも一千万円はする代物だとうんちくを垂れそうになったが、佐那は優しい口調で遮った。あまり強気に出たくはないというどこかこちらの出方を窺うような態度である。渋々龍人はドアを開け、罪悪感を抱きながら皮製の座席に腰を下ろす。シートベルトを締めたのを確認した佐那はそのままアクセルを踏んで車を走らせた。
「何か、すんません色々…でも俺の事は警察に任せた方がいいですよ」
話題に困った結果、龍人の口から出たのは謝罪だった。命を助けてもらったどころか脱獄までさせてもらう羽目になるとは思わなかったのだ。
「いいの。どの道あなたとは明日の朝には会う手筈だった。勿論、出所して私の車に乗せるのも含めて予定に入れてる…車を掃除したばかりなのにまた汚れたのは想定外だったけど」
「それってどういう…てか、汚れたのめっちゃ根に持ってるじゃないすか…」
「今のは冗談よ。笑ってちょうだい」
「じゃあ真顔で言うのやめてくださいよ」
佐那から興味深い話題を振られたが、なぜか突っ込みたくなったのは彼女の冗談なのか本気で怒ってるのか分からない言動だった。恐らく冗談を言ったり、馬鹿話をするのに慣れてるタイプではない。恐らくお堅いタイプなのだろうと、彼女の正されたワイシャツの襟や手入れの行き届いた髪、そして余計な物を置いていない清潔感のある車内から龍人は推察する。あまり褒められたものではない生活環境と来歴のせいか、まずは物色する事から入る悪い癖が彼にはあった。
「お腹は空いた ?」
暫く無言で沿岸沿いを走っていた時、佐那が尋ねてきた。
「いや、別に…」
「私は空いた。どの道この後人と会う予定になってる…待合場所に決めてる店で食事にしましょう。質問だけどあなた小麦粉にアレルギーは ?」
「好き嫌いが無いのだけが取り柄です」
「いい心掛けね。気が向いたらあなたも何か頼めばいいわ」
今後の予定と自分の好き嫌いについて聞かれるとなぜか褒めてくれた。正直好き嫌いが無いというよりはそんな事言ってられる様な場合ではなかったというのが正しいかもしれない。物心ついた頃から、雑草の根だろうが残飯だろうが貪らなければならなかったのだ。その辺に関して言えば正直刑務所は有り難かった。
やがて道沿いにうどん屋が見えて来ると、佐那はそこで車の速度を落として店の敷地に入る。「大盛 ! 特盛 ! 値段据え置き !」という絶妙に韻を踏んだキャッコピーが店の看板に書かれている。
「おい見てんあれ、あんな車持ってる人が”とるなうどん”入っとうやん」
「車に金使い過ぎて金ないんやろ。馬鹿やん」
どこか遠くで訛りの強い口調で酔っ払いたちが店の名前を呼んでそんな会話をしていたが、佐那は意に介さず店に入って行った。龍人も後に続くが、どうやら貸し切りになっているらしく調理をしている店員以外には人気が無い。
「おーい、こっちこっち」
中年太りをしたずんぐりむっくりな男が手を振っていた。座敷で胡坐をかいてごぼ天うどんを貪っている。恐らく特盛、それも稲荷や握り飯まで付けている。
「吉田さん…あなたの食い意地のためだけにうどん屋を貸し切ってまで落ち合う羽目になる私の気持ちも考えて欲しいわね」
佐那が男に対して言った。
「呼びつけた上に一仕事させたの君なんだからいいじゃないか。それに、俺は九州に来たら必ず一回はこので食うって決めてんのよ。特盛頼んでも値段変わらないって凄くない ? これでチェーン店だろ ?」
「最近値上がりするって言ってたわよ」
「え、何それ残念…う~ん…まあ味も好きだからいいけど」
自分の正面に龍人を連れて座って来る彼女に吉田は熱弁をするが衝撃の事実を知らされて少し落ち込むように項垂れる。そして気を取り直して龍人を見た。
「初めましてだね。吉田千秋だ。これでも防衛省に務める国家公務員…”超常現象対策部調整班班長”って肩書」
吉田は龍人にそう言ってから、がっしりと手を掴んで握手をしてきた。かなりの逞しさを感じる。格闘技でもやっていたのだろうか。
「その肩書随分気に入っているのね」
「ああ。閑職で絶対人目に付かない仕事だけど、給料少し増えたからね。最近とうとう甥っ子も対策部の調査員になっちゃったんだぜ。俺が上司だって知って驚いてたよ」
「あら、それはおめでとう。生き残れると良いけど」
「縁起でもない事言うなよ…」
世間話に花を咲かせた佐那と吉田だが、気を取り直して龍人の方を見た。
「さて…もういいや、単刀直入に行こう。はい、これ上げる」
そう言うと彼はパスポートや保険証を取り出す。だが名前も生年月日も自分とは違っていた。
「これって…」
目の前に置かれたという事は自分に渡してくれたのだろう。だが、龍人にはその意図が分からなかった。そんな戸惑う彼に、吉田は陽気そうな態度を消して静かに語り掛け始める。
「こっちの世界での話だが、今日付けで霧島龍人という人物には死んでもらう」
壁を乗り越えてきた先程とは違って急ぐ必要が無いのか、佐那はレインコートに打ち付けられる雨を拭いながら龍人を案内する。刑務所の外に出た時には何とも言えない清々しさを感じ、刑期を終えて釈放される気分を再び味わえた。これからどう行動すればいいのか分からない不安と、もう自分を睨みを利かせる者がいない解放感の両方が脳を蝕む。
「早くしなさい。体が冷える」
佐那が急かした。刑務所の前には彼女の愛車らしい白い車が止まっている。かなり大きめであり、特徴的なグリルとLの字に似たエンブレムがあるセダンだった。レインコートを脱ぎ、それをトランクに入れてから佐那は運転席に乗り込む。
「ふう…どうしたの ? 助手席に乗って」
「いや、あの…」
エンジンを付けながら彼女は窓を開けて龍人に言うが中々躊躇われる誘いである。自分が身に着けているのは囚人服、それも濡れてるどころか地べたにへたり込んでいたお陰で汚れも酷い。そんな自分が今から乗り込もうとする車にはあまりにも酷な仕打ちだと感じたのだ。
「大丈夫、汚れは気にしないで」
「でも、この車確か高いやつ――」
「いいから。乗りなさい」
確か最低価格でも一千万円はする代物だとうんちくを垂れそうになったが、佐那は優しい口調で遮った。あまり強気に出たくはないというどこかこちらの出方を窺うような態度である。渋々龍人はドアを開け、罪悪感を抱きながら皮製の座席に腰を下ろす。シートベルトを締めたのを確認した佐那はそのままアクセルを踏んで車を走らせた。
「何か、すんません色々…でも俺の事は警察に任せた方がいいですよ」
話題に困った結果、龍人の口から出たのは謝罪だった。命を助けてもらったどころか脱獄までさせてもらう羽目になるとは思わなかったのだ。
「いいの。どの道あなたとは明日の朝には会う手筈だった。勿論、出所して私の車に乗せるのも含めて予定に入れてる…車を掃除したばかりなのにまた汚れたのは想定外だったけど」
「それってどういう…てか、汚れたのめっちゃ根に持ってるじゃないすか…」
「今のは冗談よ。笑ってちょうだい」
「じゃあ真顔で言うのやめてくださいよ」
佐那から興味深い話題を振られたが、なぜか突っ込みたくなったのは彼女の冗談なのか本気で怒ってるのか分からない言動だった。恐らく冗談を言ったり、馬鹿話をするのに慣れてるタイプではない。恐らくお堅いタイプなのだろうと、彼女の正されたワイシャツの襟や手入れの行き届いた髪、そして余計な物を置いていない清潔感のある車内から龍人は推察する。あまり褒められたものではない生活環境と来歴のせいか、まずは物色する事から入る悪い癖が彼にはあった。
「お腹は空いた ?」
暫く無言で沿岸沿いを走っていた時、佐那が尋ねてきた。
「いや、別に…」
「私は空いた。どの道この後人と会う予定になってる…待合場所に決めてる店で食事にしましょう。質問だけどあなた小麦粉にアレルギーは ?」
「好き嫌いが無いのだけが取り柄です」
「いい心掛けね。気が向いたらあなたも何か頼めばいいわ」
今後の予定と自分の好き嫌いについて聞かれるとなぜか褒めてくれた。正直好き嫌いが無いというよりはそんな事言ってられる様な場合ではなかったというのが正しいかもしれない。物心ついた頃から、雑草の根だろうが残飯だろうが貪らなければならなかったのだ。その辺に関して言えば正直刑務所は有り難かった。
やがて道沿いにうどん屋が見えて来ると、佐那はそこで車の速度を落として店の敷地に入る。「大盛 ! 特盛 ! 値段据え置き !」という絶妙に韻を踏んだキャッコピーが店の看板に書かれている。
「おい見てんあれ、あんな車持ってる人が”とるなうどん”入っとうやん」
「車に金使い過ぎて金ないんやろ。馬鹿やん」
どこか遠くで訛りの強い口調で酔っ払いたちが店の名前を呼んでそんな会話をしていたが、佐那は意に介さず店に入って行った。龍人も後に続くが、どうやら貸し切りになっているらしく調理をしている店員以外には人気が無い。
「おーい、こっちこっち」
中年太りをしたずんぐりむっくりな男が手を振っていた。座敷で胡坐をかいてごぼ天うどんを貪っている。恐らく特盛、それも稲荷や握り飯まで付けている。
「吉田さん…あなたの食い意地のためだけにうどん屋を貸し切ってまで落ち合う羽目になる私の気持ちも考えて欲しいわね」
佐那が男に対して言った。
「呼びつけた上に一仕事させたの君なんだからいいじゃないか。それに、俺は九州に来たら必ず一回はこので食うって決めてんのよ。特盛頼んでも値段変わらないって凄くない ? これでチェーン店だろ ?」
「最近値上がりするって言ってたわよ」
「え、何それ残念…う~ん…まあ味も好きだからいいけど」
自分の正面に龍人を連れて座って来る彼女に吉田は熱弁をするが衝撃の事実を知らされて少し落ち込むように項垂れる。そして気を取り直して龍人を見た。
「初めましてだね。吉田千秋だ。これでも防衛省に務める国家公務員…”超常現象対策部調整班班長”って肩書」
吉田は龍人にそう言ってから、がっしりと手を掴んで握手をしてきた。かなりの逞しさを感じる。格闘技でもやっていたのだろうか。
「その肩書随分気に入っているのね」
「ああ。閑職で絶対人目に付かない仕事だけど、給料少し増えたからね。最近とうとう甥っ子も対策部の調査員になっちゃったんだぜ。俺が上司だって知って驚いてたよ」
「あら、それはおめでとう。生き残れると良いけど」
「縁起でもない事言うなよ…」
世間話に花を咲かせた佐那と吉田だが、気を取り直して龍人の方を見た。
「さて…もういいや、単刀直入に行こう。はい、これ上げる」
そう言うと彼はパスポートや保険証を取り出す。だが名前も生年月日も自分とは違っていた。
「これって…」
目の前に置かれたという事は自分に渡してくれたのだろう。だが、龍人にはその意図が分からなかった。そんな戸惑う彼に、吉田は陽気そうな態度を消して静かに語り掛け始める。
「こっちの世界での話だが、今日付けで霧島龍人という人物には死んでもらう」
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