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五章:混沌からの産声
第32話 スプリング・ヒールド・ジャック
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「死因は鋭利な刃物による外傷です。現場にあった三名の死体すべてに同じような損傷が見られました」
本部に戻った二人に司法解剖を担当した臨床医が結果を伝えた。
「風の魔法であれば鎌鼬を発生させる事も出来ると言ったな。やはり犯人は魔術師か」
「それにしては切断面が綺麗すぎる。魔法によるものであれば程度はあるが、千切られたような切り口になる筈だ。おまけに動機が分からない。人体を切断できる程の威力を扱える者なら、かなり高い実力の魔術師だと考えられる…なぜそんな奴が一介の労働者を?」
魔術師による犯行を疑い続けるイゾウは推理を導き出そうと自分の知る限りの知識で結び付けてみる。しかし、クリスは自分の経験則を根拠にして結論を急いではいけないと彼を差し止めた。
「随分と慎重だな。それとも元同胞を庇いたくなったか?」
「結論を急いで見落としがあったら困るだろ。そんな事も分からないのか。それより被害者と彼らの知り合いが務めている職場ってのはどこだ?」
「…事件が起きた宿舎から遠くない紡績工場だ。この後向かう」
イゾウは意地悪く揶揄うが、クリスに言い返されるとバツが悪そうに訪れる予定になっている場所について語った。二人が向かった紡績工場では、老若男女問わず機械を弄り、蓄積された疲労に困窮しつつも働く労働者達の姿があった。
「ようこそ御出でくださいました。工場の管理を一任されているケイネス・ジョーゼンバーグです…以降お見知りおきを」
無駄に肥えた体を揺らして、工場のオーナーが二人を出迎えた。事件についての取り調べをするついでに工場の様子を見たいと申し出た事から、揚々とケイネスは客人達を案内する。
「しかし、従業員が殺されたというのに通常通りに稼働しているとはな」
「言葉を選ばずに言えば、人材が豊富なのです。現在の産業は買い手市場、ほんの少し他所よりも良い条件をチラつかせるだけで誰もが飛びついてくれます。それに此処で我々が仕事を止めてしまえば、誰が商品を生産できます?そうなれば困るのはこの国に住む人々です。労働者達には悪いと思ってますがね」
疑問を呈したクリスに対して、ケイネスは僅かばかりの申し訳なさも含ませて説明した。彼の口からは語られる労働者の様子や資本家との関係性についての説明に二人が耳を傾けていると、イゾウは本題に移りたくなったのか話を切り出してくる。
「殺された被害者と同居していた他の者達について知りたい。どこにいる?」
「それでしたら私のオフィスに呼び寄せましょう。どうぞこちらへ」
機械達を通り過ぎ、二人が案内されたのはケイネスが仕事で使っているという事務室であった。この後連れて来るという労働者のためか、ご丁寧に椅子も用意されている。
「どうぞそちらのソファでお待ちください……おい、あいつらを連れてこい」
「しかし、彼らに抜けられてしまうと穴埋めが――」
「ならその分の仕事を他の連中に回せ。ついでにあいつらに伝えておけ、この時間分の給料は引かせてもらうとな」
部屋を出たかと思うと、打って変わって乱暴な口調で話すケイネスの声と困ったらしい部下の声がクリスの耳に聞こえる。
「こんな場所では死んでも働きたくない…まあ、死なないが」
「尚更うってつけだな」
クリスが毛嫌いしながら工場に文句を言うと、イゾウが揶揄ってきた。
「それよりだ。取り調べをするのは俺一人で良い」
「ほう、魔術師を庇うような怪しい奴は除け者ってわけか」
「馬鹿、そうじゃない。メリッサから話を聞いた。魔術師は集中する事で普通の人間には聞き取れない様な音や気配も分かるそうだな。心拍数や呼吸を調べて欲しい。嘘をつけば必ず何か変化がある」
魔術師の特技とやらの出番だとイゾウが指示をして来ると、一理あると思ったのかクリスは溜息交じりに応じる。間もなく、ケイネスが被害者の知人達を連れて来たと知らせて来た。ここからは一人ずつ話を聞きたいとして、イゾウはケイネスを含めた全員を追い出して、一人ずつ部屋へと入れる。しかし、事件が起きた当日は工場で作業を続けていたと言われ、有力な情報は中々集まらない。嘘をついている様にも見えなかった事で、捜査が仕切り直しかもしれないと半ば諦めを見せ始めていた。そんな流れが変わったのは、知人であるという最後の一人と話をしていた時である。
「名前は?」
「リ、リアムです…」
最初に現れたのは、痩せこけた中年の男であった。
「被害者たちとの面識は?」
「ええ…同じ屋根の下で暮らしてたんです。それなりには」
イゾウの質問に対して随分と弱々しく、怯えている様な声でリアムは答えた。他の者達に比べて明らかに心臓の鼓動も速まっており、何より呼吸が深くなっている。クリスはもしかすればと少しだけ期待を抱いた。
「事件が起きたとされるのは深夜だ。その時は何をしていた?」
「…」
「疑っているわけじゃないんだ、気難しく考えなくて良い。それとも他の奴らと同じように残業でもしていたのか?」
「…見たんだ、俺」
口を開かなくなったリアムを安心させようと、イゾウが比較的穏やかに語り掛けた時であった。リアムの口からこれまでの者達とは明らかに異質な回答が飛び出て来た。ようやく来たかとクリスは彼を真剣に見つめ、イゾウも顔つきが険しくなっていく。
「何を見たんだ?話してみろ」
「信じてくれないかもしれないが…たぶんアレは犯人だ…ああ、いや…人と呼んで良いのか分からないが」
――――その日、リアムは自身の体に異変を感じていた。朦朧とする意識、思わず燃え出してしまうとさえ思ってしまうほどの高熱、止めどなく込み上げる吐き気。とてもでは無いが仕事に行けそうにも無く、仲間達に工場へ伝えて欲しいと懇願した。夕方、自分達に任せて欲しいと行って出かける仲間達を見送り、良き友を持ったと感謝をしつつも眠気に勝てずにベッドで眠りにつく。
ふと目が覚めれば、月の光が部屋に差し込んでいる。壁に掛けているヒビの入った時計を見れば、時刻は深夜を回っていた。仲間達は道草を食っているのか戻っていない。体調にも回復の兆しが見え、朝に比べればかなり体が軽くなっている。喉が猛烈に乾いており、酒でも何でも飲む物がないかと部屋を動こうとしたその時、ふと窓の外に目をやったリアムは凍り付いた。
窓の外に広がる道路や町並み、そこに突如として黒い影が現れたのである。どこかの建物の上から跳躍し、舗装された道路へと降り立ったその影は、自身の乏しい人生経験の中でも、あまりに異質な物であるとリアムは感じていた。
ガチガチにベルトで固定されたペストマスクを顔に付け、非常に筋骨隆々な上半身である事が服の上からも分かるほどの体付きをしている。特に目を引いたのは脚部と両腕であった。逆関節であり、ツヤのある巨大な脚は虫を彷彿とさせていた。そして両腕には夥しい刃が備え付けられ、指も非常に鋭い爪のような形状へと変貌している。
怪人が静かにこちらを向いた。一瞬心臓が止まるかとさえ思い、ベッドの近くに身を隠してリアムは震え続ける。次の瞬間、道路を蹴るような足音が続いたと思った直後に、窓越しに衝撃音が聞こえた。跳躍して窓に飛び込んだのだと直感で分かった。続けざまに上の階の窓ガラスが割れたらしかったが、行き着く暇も無く叫び声が耳をつんざく。人がもつれ倒れる様な物音、苦痛に喘ぐ呻き声、断末魔…何が起きているかも分からない状況下で、ひたすら耳に付きまとう悍ましい騒音に耐えられなくなったリアムは、毛布に包まってひたすらに時が流れるのを目を閉じて待った。
翌朝、揺さぶられた事で目を覚ましたリアムは仲間達に具合を尋ねられ、生気が無い状態でありながら平気だと答えた。あれは風邪による悪い夢であって欲しいと思いつつも仕事へ向かおうとした時、上の階から悲鳴が上がる。昨晩見聞きした物が現実であった事を、怖いもの見たさに向かった部屋の惨状からリアムは悟った。
本部に戻った二人に司法解剖を担当した臨床医が結果を伝えた。
「風の魔法であれば鎌鼬を発生させる事も出来ると言ったな。やはり犯人は魔術師か」
「それにしては切断面が綺麗すぎる。魔法によるものであれば程度はあるが、千切られたような切り口になる筈だ。おまけに動機が分からない。人体を切断できる程の威力を扱える者なら、かなり高い実力の魔術師だと考えられる…なぜそんな奴が一介の労働者を?」
魔術師による犯行を疑い続けるイゾウは推理を導き出そうと自分の知る限りの知識で結び付けてみる。しかし、クリスは自分の経験則を根拠にして結論を急いではいけないと彼を差し止めた。
「随分と慎重だな。それとも元同胞を庇いたくなったか?」
「結論を急いで見落としがあったら困るだろ。そんな事も分からないのか。それより被害者と彼らの知り合いが務めている職場ってのはどこだ?」
「…事件が起きた宿舎から遠くない紡績工場だ。この後向かう」
イゾウは意地悪く揶揄うが、クリスに言い返されるとバツが悪そうに訪れる予定になっている場所について語った。二人が向かった紡績工場では、老若男女問わず機械を弄り、蓄積された疲労に困窮しつつも働く労働者達の姿があった。
「ようこそ御出でくださいました。工場の管理を一任されているケイネス・ジョーゼンバーグです…以降お見知りおきを」
無駄に肥えた体を揺らして、工場のオーナーが二人を出迎えた。事件についての取り調べをするついでに工場の様子を見たいと申し出た事から、揚々とケイネスは客人達を案内する。
「しかし、従業員が殺されたというのに通常通りに稼働しているとはな」
「言葉を選ばずに言えば、人材が豊富なのです。現在の産業は買い手市場、ほんの少し他所よりも良い条件をチラつかせるだけで誰もが飛びついてくれます。それに此処で我々が仕事を止めてしまえば、誰が商品を生産できます?そうなれば困るのはこの国に住む人々です。労働者達には悪いと思ってますがね」
疑問を呈したクリスに対して、ケイネスは僅かばかりの申し訳なさも含ませて説明した。彼の口からは語られる労働者の様子や資本家との関係性についての説明に二人が耳を傾けていると、イゾウは本題に移りたくなったのか話を切り出してくる。
「殺された被害者と同居していた他の者達について知りたい。どこにいる?」
「それでしたら私のオフィスに呼び寄せましょう。どうぞこちらへ」
機械達を通り過ぎ、二人が案内されたのはケイネスが仕事で使っているという事務室であった。この後連れて来るという労働者のためか、ご丁寧に椅子も用意されている。
「どうぞそちらのソファでお待ちください……おい、あいつらを連れてこい」
「しかし、彼らに抜けられてしまうと穴埋めが――」
「ならその分の仕事を他の連中に回せ。ついでにあいつらに伝えておけ、この時間分の給料は引かせてもらうとな」
部屋を出たかと思うと、打って変わって乱暴な口調で話すケイネスの声と困ったらしい部下の声がクリスの耳に聞こえる。
「こんな場所では死んでも働きたくない…まあ、死なないが」
「尚更うってつけだな」
クリスが毛嫌いしながら工場に文句を言うと、イゾウが揶揄ってきた。
「それよりだ。取り調べをするのは俺一人で良い」
「ほう、魔術師を庇うような怪しい奴は除け者ってわけか」
「馬鹿、そうじゃない。メリッサから話を聞いた。魔術師は集中する事で普通の人間には聞き取れない様な音や気配も分かるそうだな。心拍数や呼吸を調べて欲しい。嘘をつけば必ず何か変化がある」
魔術師の特技とやらの出番だとイゾウが指示をして来ると、一理あると思ったのかクリスは溜息交じりに応じる。間もなく、ケイネスが被害者の知人達を連れて来たと知らせて来た。ここからは一人ずつ話を聞きたいとして、イゾウはケイネスを含めた全員を追い出して、一人ずつ部屋へと入れる。しかし、事件が起きた当日は工場で作業を続けていたと言われ、有力な情報は中々集まらない。嘘をついている様にも見えなかった事で、捜査が仕切り直しかもしれないと半ば諦めを見せ始めていた。そんな流れが変わったのは、知人であるという最後の一人と話をしていた時である。
「名前は?」
「リ、リアムです…」
最初に現れたのは、痩せこけた中年の男であった。
「被害者たちとの面識は?」
「ええ…同じ屋根の下で暮らしてたんです。それなりには」
イゾウの質問に対して随分と弱々しく、怯えている様な声でリアムは答えた。他の者達に比べて明らかに心臓の鼓動も速まっており、何より呼吸が深くなっている。クリスはもしかすればと少しだけ期待を抱いた。
「事件が起きたとされるのは深夜だ。その時は何をしていた?」
「…」
「疑っているわけじゃないんだ、気難しく考えなくて良い。それとも他の奴らと同じように残業でもしていたのか?」
「…見たんだ、俺」
口を開かなくなったリアムを安心させようと、イゾウが比較的穏やかに語り掛けた時であった。リアムの口からこれまでの者達とは明らかに異質な回答が飛び出て来た。ようやく来たかとクリスは彼を真剣に見つめ、イゾウも顔つきが険しくなっていく。
「何を見たんだ?話してみろ」
「信じてくれないかもしれないが…たぶんアレは犯人だ…ああ、いや…人と呼んで良いのか分からないが」
――――その日、リアムは自身の体に異変を感じていた。朦朧とする意識、思わず燃え出してしまうとさえ思ってしまうほどの高熱、止めどなく込み上げる吐き気。とてもでは無いが仕事に行けそうにも無く、仲間達に工場へ伝えて欲しいと懇願した。夕方、自分達に任せて欲しいと行って出かける仲間達を見送り、良き友を持ったと感謝をしつつも眠気に勝てずにベッドで眠りにつく。
ふと目が覚めれば、月の光が部屋に差し込んでいる。壁に掛けているヒビの入った時計を見れば、時刻は深夜を回っていた。仲間達は道草を食っているのか戻っていない。体調にも回復の兆しが見え、朝に比べればかなり体が軽くなっている。喉が猛烈に乾いており、酒でも何でも飲む物がないかと部屋を動こうとしたその時、ふと窓の外に目をやったリアムは凍り付いた。
窓の外に広がる道路や町並み、そこに突如として黒い影が現れたのである。どこかの建物の上から跳躍し、舗装された道路へと降り立ったその影は、自身の乏しい人生経験の中でも、あまりに異質な物であるとリアムは感じていた。
ガチガチにベルトで固定されたペストマスクを顔に付け、非常に筋骨隆々な上半身である事が服の上からも分かるほどの体付きをしている。特に目を引いたのは脚部と両腕であった。逆関節であり、ツヤのある巨大な脚は虫を彷彿とさせていた。そして両腕には夥しい刃が備え付けられ、指も非常に鋭い爪のような形状へと変貌している。
怪人が静かにこちらを向いた。一瞬心臓が止まるかとさえ思い、ベッドの近くに身を隠してリアムは震え続ける。次の瞬間、道路を蹴るような足音が続いたと思った直後に、窓越しに衝撃音が聞こえた。跳躍して窓に飛び込んだのだと直感で分かった。続けざまに上の階の窓ガラスが割れたらしかったが、行き着く暇も無く叫び声が耳をつんざく。人がもつれ倒れる様な物音、苦痛に喘ぐ呻き声、断末魔…何が起きているかも分からない状況下で、ひたすら耳に付きまとう悍ましい騒音に耐えられなくなったリアムは、毛布に包まってひたすらに時が流れるのを目を閉じて待った。
翌朝、揺さぶられた事で目を覚ましたリアムは仲間達に具合を尋ねられ、生気が無い状態でありながら平気だと答えた。あれは風邪による悪い夢であって欲しいと思いつつも仕事へ向かおうとした時、上の階から悲鳴が上がる。昨晩見聞きした物が現実であった事を、怖いもの見たさに向かった部屋の惨状からリアムは悟った。
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