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第4章

第31話 無様な悪あがき

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 振りかざした丸鋸が地面に激突すると、鋭い唸りと共に回転し、敷き詰められた大理石を両断していく。石の破片を飛び散らせ、土煙やらが立ち込めそうになると、ホーランスは丸鋸を引き上げた。休ませる間もなく、すぐさまジーナと間合いを詰め、丸鋸のついた特製のロッドを振り回し猛る。リーチによる差もあってか、ジーナは迂闊に近寄ることはせず、彼がどういう攻撃の仕方をするのかただただ観察することに徹した。

 ホーランスは恍惚としながら、ずんずんとジーナに詰め寄る。正直な話、開けた場所であるため、すぐにでも背を向けて逃げてしまった方が楽である事にジーナは気づいていた。しかし、下手に他の面々の元へ逃げれば居所を掴ませてしまうだけでなく、危害が及ぶかもしれないという可能性が頭をよぎる。それならばここで自分が倒してしまわなければならないという奇妙な義務感が、彼女の足をとどまらせ続けていた。

 ジーナが手を出せずに様子見を続けていると、ホーランスはじれったそうに身を少し悶えさせた。

「どうした?これじゃあ満足できない。もっと…もっと立ち向かってきてくれ。サッチさんにした時と同じように」

 ホーランスがサッチを引き合いに出しながら言うと、ジーナは少し気持ち悪がった。その名を口にしている時の彼の顔が気色悪かったからである。

「さっきからずっとそんなこと言ってるけど、あんたとサッチって人は…その…恋人か何か?気持ち悪いわよ」

 ジーナがとうとう苦言を呈すと、ホーランスは少し不機嫌になったのか、眉間に皺が寄った。

「気持ちが悪い?失礼な。憧れてるんだよ、あの人に。強い奴を叩きのめす事が大好きだっていう共通点もある。君だって彼と拳を交えたんだ。尚更あんな風になりたいと思うのは当たり前だと思わないのか?」
「いや、全く」

 早口で反論するホーランスを尚更ジーナは強く否定した。ホーランスは渋い顔で再び武器を強く握りしめながら彼女に近づいていく。

「そう言えば一つ言って置きたかったんだけど――」

 彼女が言い終える前に、ホーランスは大きく一歩踏み込みながら薙ぎ払う様に丸鋸を振った。だが次の瞬間、ジーナはそれに合わせるように全力で丸鋸へ拳を放った。一瞬目が眩んでしまいそうな程の火花が散ったが、後に残ったのはカウンターによって粉々に丸鋸が破壊されてしまったロッドであった。何が起きたのか呆然としているホーランスはジーナが目の前に迫っていた事に気づくが、その時には既に彼女の拳が自身の左頬に大きくめり込んでいた

「攻撃が単調すぎるんだよデブ!!!」

 彼女のそんな声が聞こえた方と思うと、衝撃のあまり地面に叩きつけられた。しばらくそのまま動かなかったのを見計らってジーナがどこかへ行こうとすると、体を震わせながらホーランスが立ち上がった。口や鼻が血だらけになりながら、こちらを睨みつけている。

「…よくも…ぶち殺してやるアバズレが…!!」

 ホーランスは歩きながら、使い物にならなくなった柄をへし折った。へし折った柄を両手に携えてこちらへ歩いてくるのを見たジーナは、いきなり笑い出した。

「あ…?」
「強い奴が好きだなんて言うから、ちょっと本気で一発殴っただけよ?なのにそんな顔するもんだから、つい可笑しくって…」

 戸惑うホーランスに対して、ジーナは揶揄う様に喋り出す。当然だが単なる挑発であり、嘘であった。少し本気で殴ったという部分を除いては。

「あんたは結局偉そうなことを言っておいて、弱い者虐めがしたかっただけ。だからやり返されただけでそんなに怒る。少なくともアイツは殴られるのも含めて楽しんでたわよ?サッチ…もさぞかし心外でしょうね。あんたみたいな不細工な小物と一緒にされるなんて」

 調子づいて来たのか、ジーナはさらに捲し立てた。ホーランスはとうとう限界が来たのか両手に携えた得物と共に彼女に襲い掛かる。ジーナは「救えない」と呟き、お望み通りホーランスとの間合いに踏み込んでいった。無我夢中で攻撃してくるホーランスの攻撃をジーナは籠手で防ぎ、隙を見計らってボディブローを叩きこんだ。

 息が出来なくなり、足が止まりかける。遂には両手に持っていた得物を落としてしまった。ミュルメクスによって身体能力を上げてるとはいえ、人体である以上急所が無くなったわけでは無かった。辛うじて踏ん張ったとはいえ、ホーランスは自身にとっての勝機など、とっくに無くなっている事を薄々理解し始めていく。

 どうにか踏ん張ろうと呻いていたホーランスに対して追い討ちをかけるように、ジーナはドロップキックを顔面に放った。吹き飛ばされたホーランスの体は噴水に激突し、装飾された設備を破壊した後に水の中へ沈んで行く。ジーナは「じゃあね」と吐き捨てるように言い、仲間との合流を急いで行った。

 ジーナが立ち去った後、ホーランスがのっそりと起き上がった。意識がもうろうとしている中、体内に流れ込んできた水を盛大に吐きだすと一息つく。そして憎しみの宿った顔と共に、ジーナの打倒という目的を胸に体を動かそうとしていたが、直後に銃弾が彼の頭を貫いた。銃弾が飛んできた方角にある集合住宅の部屋の一室から一人の兵士がスコープを覗いていたが、ホーランスが倒れたのを確認すると、満足げに撤収を始めた。


 ――――外で待ち構えている敵に警戒しすぎるあまり、シモンは思う様に身動きできずにいた。無線機をどこかに落としてしまった事で仲間との連絡も取れずに途方にくれ、仕方なく上の階へ移動しようとした時であった。何かが激突し、窓が砕け散った。窓から入り込んだそれはそのままシモンに体当たりをし、彼を柱時計に叩きつけた。

 ひしゃげた柱時計が音を立てて倒れ、室内にあった器具があちこちに飛び散った。そんな中で咳き込みながら何とかシモンは起き上がってみせた。翼を広げた女性が佇んでいる事から、窓を突き破ってぶつかって来た物の正体がようやく判明すると、シモンは溜息をつく。

「逃げられると思った?」

 無慈悲な文句と共に女性は機関銃をこちらに向けている。アルタイルは反動が強すぎるため、万全な状況でなければ撃てない。かといってライフルは床に落としてしまっており、手の届かない場所にあった。この状況で使えるのは拳銃だけであり、こんな状況で撃てば、すぐに気づかれて防がれるであろうとシモンは考える。左腕の触手で何とか出来ないかと考えていると、女性が意図に気づいたのか足元に数発程撃ち込んでくる。

「左腕を使う気?同じ手段は二度も通用しない」
「誰もこいつを使うなんて言ってないだろ…落ち着いてくれ」

 シモンが左腕をかざしながらそんな話をしている隙に、彼女の位置から見えないように触手が裂けた皮膚から湧き出て、シモンの背中を這い始めた。幸い、壊れた柱時計や散乱する家具たちを始めとした障害物が多く、また照明が壊れているせいで室内全体が暗がりであったためか、触手を少しづつ動かす程度では気づかれようも無かった。

 出来る限り障害物に隠れながら触手が向かうのは、先ほどの衝突で落としたシモンのライフルであった。シモンは何とか女性の意識が床に向かわないように話しかけて気を逸らそうとし続ける。

「なあ…そうだ取引しよう。ここで見逃してくれるんなら金を払う。ホントさ、一千万でどうだ?」
「…何言ってるの?」

 突拍子もない提案に女性は驚き、困惑した。

「お気に召さないか。なら二千万…いや二千五百万。これ以上は無理だぜ?俺にだって生活があるんだ」
「金は間に合ってる。おまけに、あなたやその仲間を殺せばそれ以上に多くの報酬が手に入る…聞くだけ無駄だったわね」

 女性が話を切り上げて銃の引き金手を掛けようとしているのが分かると、シモンは慌てて話を引き延ばそうと、開き直ったように大袈裟に手を広げながら喋り出す。

「ああ、そうかよ!殺すか!でも、いいのか?俺の連れが知ったら黙ってないぜ。きっと骨まで残らないだろうさ」
「今頃、あなたのお友達も私の仲間に殺されてる」
「ははっそれは無いな…あいつらの力量は俺も良く知っている。簡単にくたばるような奴らじゃない。返り討ちにしてるよ。賭けても良い」

 仕事仲間への絶対的な信頼感を語るシモンに対して、女性はそんなはずがないと思っていた。だが、その直後に連絡が入る。シモンに目を配りながら応答すると、ゲルトルードからによるものであった。

「ジェシカ、他の二人から連絡がない。手が空いているのなら何があったのかを調べて欲しいの。私は少しやることがある」

 連絡が終わると、女性はシモンを見た。腹の立つ得意げな顔でこちらを見ている。

「言った通りだろ?後でそいつらから俺の仕事仲間の感想聞いといてくれよ…あの世でな」

 最期の言葉を皮切りに、シモンの得意気な笑顔が真顔へと変わった次の瞬間、ガラクタの陰で何か音がする。ジェシカが見た先には触手によって操られたライフルの銃口があった。気づいた頃には銃声と共に弾丸が空を切り裂く。腹部に命中し、ジェシカは痛みと衝撃に耐えられず大きく怯んだ。彼女が行動に移る前にライフルから続けざまに銃弾が放たれ続けた。これを好機と見たシモンは右腰に備えていた拳銃を抜き、頭部や足を狙って我武者羅に撃つ。

 胴体だけでなくマスクやズボンも銃弾で血に染まり、へたり込むようにしてその場に跪いたジェシカに対して、シモンは触手を手元に戻し、アルタイルを引き抜く。そしてそのまま彼女に狙いを定めた。ジェシカはどうにか防ごうと翼で体を包んでいたが、アルタイルの前にはあまりに無力であった。特大口径の弾丸に翼ごと胸を撃ち抜かれると、ジェシカはその場に崩れ落ちた。シモンは少し顔色と機嫌を悪くしつつ、床に転がっているライフルを拾い上げた。撃ち尽くしたせいで既にクリップが飛んでいるのを確認すると、新しく弾を込め直して肩に担ぎ、少し疲れた様にその場から立ち去った。
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