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身代わり王女は、死ぬまでに引退したい

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 前略、お母様。

 ご機嫌いかがですか。
 私はたいそう不機嫌です。

 明日の午後、リトリス王女が私のお金をくすねて、お母様の下へと向かいます。何でも『庶民を知らずして王女ならず』との事ですが、いつもの気まぐれです。これが庶民の味だと言って虫を食わせてやって下さい。ご迷惑をお掛けします。


◇ ◆ ◆ ◆


「――――アホ王女の身代わりより……と」

 何通目か分からない手紙に封をした。これを鳩に括り付けて、実家へと飛ばす……だなんてロマンチックな事もなく、メイドに渡して速達で出してもらう。


「……鳩になりたいわね」

 王女とは、想像以上に地味で忙しい。

 王家が批判を浴びたり、揉め事でわちゃわちゃとした時に、『うふふ、大丈夫ですわ』だなんて顔を出し、空気を濁すだけの簡単なお仕事だと思っていた。


 だが、このフランドール王家は違う。
 そんな甘い世界ではない。

 王女の執務室のドアが、バンと開かれた。


「リトリス姫様! こちらでしたか!」
「姫様! 関税の穴が見つかりました!」
「それよりも姫様! 水路の増設に関して、近隣の村々から水源の利権についての問い合わせが殺到しております!」

 まず、私の名前はリトリスでは無い。


 本名はアネット。
 またの名をリトリス・フランドール。

 この国の王女リトリス姫にただ似ているだけの、しがない農家の田舎娘だ。私が身代わりだという事は、王族の関係者にしか知られていない。


「では、この国をミント畑にしましょう」
「無茶言わないで下さいよ姫様! さぁさぁ、書類は全てご用意しましたぞ!!」
「皆、早く姫様の肩を揉むのだ!」

 この役人達は、私を自分達の上司か何かと勘違いをしている。というか待って、このドレス肩が出てて地肌だから揉むな。暗殺者がいたらどうする気……あ、これ私引退できるんじゃない?

「……この中に、暗殺者がおります!」
「はっはっは、姫様は推理小説が大好きですな……おいもっと強く肩を揉め、このくそったれ暗殺者どもが!!」
「姫様、演技はいいですからハンコを!」
「ああぁ、早く村に連絡をしないと!」
「急げ、急げ!!」

 それどころじゃないようだ。
 役人達が慌てているのには、訳がある。


 事の発端は、王家に届いたとある一通の殺人予告状だった。


 『フランドールの血を一滴残らず滅ぼす』


 祖国自慢のつもりではないが、このフランドールは農村を中心とした、とにかく平和な国家だ。争いとは無縁で、隣国が戦中であっても『また何かやってるわぁ』程度の認識しかなかった。王家も庶民も分け隔てなく皆が仲良し。良い意味でも悪い意味でも、全員がお花畑なのだ。

 そんな中で王家に届いたこの手紙。お金も資源も何もない、ちっぽけなこの国に対する唐突な殺人予告に、王家の温度は一気に低くなった。

『やれやれどうしよう』
『怖い、分からない』
『少しだけ隠れよう』

 この平和な国に暗部など存在しない。他国の諜報員なと入り放題だ。そのため、予告状は誰が送りつけたのか、子供の悪戯なのかどうかすらも分からない。

 だが信じられない事に、王家は執務を家臣達に放り投げ、呆気なく城から去って行った。実際に心当たりがあったのかもしれないが、私に知る手段は無い。


 その結果――。


「よせ、リトリスが困っているではないか。半分よこせ、俺が処理する」
「じ、ジラルド殿下!?」


 このジラルド殿下、もとい、リトリスの兄ジラルド・フランドール第一王子以外の全員が身代わりとなる、身代わり国家が出来上がった。

 『儂らが追放されたんじゃの、わっはっは!!』という国王の言葉を私は忘れない。あの王は今、悠々自適にジャガイモを作っている。田舎の恐ろしさを伝えるために、いつかミントをばら撒きに行こうと心に決めている。


 そんな状況から、何と2年が経過した。

「ありがとうございます、ジラルド様」
「構わん。お前の兄だ、一応な。やるぞ」
「……はい、お兄様」


 当初、なぜあのぐうたらなリトリス姫が急に王政を執り行う事になったのか、周囲はさぞ疑問に思った事だろう。


 その原因は、私が下手を打った事。
 うちの実家の近くの水路問題を、知っている知識で解決してしまったのだ。

 他の身代わりの人達は、こう言っては何だがサボりだらけだ。『リトリス姫には先見の明がある、彼女を成長させてやってくれ』と、さも良さげな教育を施したかのように言い続け、私は次第に面倒事の集積所のようになっていった。

 そして国民にもそんな話が広まり、私に逃げ場は無くなった。それが2年間だ。私ももう25歳、婚期は逃したくない。

 正直なところ、実家に帰りたかった。


「……お兄様、本当にありがとうございます」

 ジラルド殿下がいなかったら、王家は間違いなく滅んでいる。私の心も激務に負けて滅んでいたと思う。私はこの人がいるから、今まで何とかやっていけていた。

「手を動かせ。これが終わったら謁見式、その後は例の件で集合だ。急ごう」
「はい」

 このお方は昔から困っている時にフォローをしてくださった。

 輝く金色の髪に青い瞳。そして誰に対しても分け隔てなく接し、見返りも求めず、仕事熱心だ。眉目秀麗で頭脳明晰なジラルド殿下は、それはそれはおモテになられる。


 私は他の女性達と同様に、すぐに恋に落ちた。ジラルド殿下の見た目も性格も、何もかもが好きになってしまったのだ。

 だが、今はその淡い心を取り去った。

 田舎娘の私とは決して結ばれる事は無い。それに、今の私はリトリス姫の身代わりだ。この仕事を全うする事が、ジラルド殿下に恩返しできる唯一の方法だと考えた。だから、この人の為に私の人生のいくらかを捧げたい。自分勝手で、厚かましい願いだ。

 そして、そんな間抜けな私にもようやく恋の機会が訪れたらしい。


 私の机の上に、昨日届いた予告状が一通。

『明日の夜、麗しきリトリス姫の唇を奪う』


◆ ◇ ◆ ◆


 私はリトリス姫に少し似ているだけの、農家の田舎娘だ。だが、周囲はそう捉えてはくれない。

 女性達は姫の新たな恋の予感に色めき立ち、男性達は怒りをあらわにして兵士を揃えた。国の宝として扱われる事は嬉しいが、実態は身代わりだ。田舎娘の唇一つにこれだけの税金が動くとなると、税金を動かす立場として頭を抱えてしまう。

 問題だったのは、今回の予告状の筆跡が暗殺者と同じだったという事だ。そのため、私の唇が奪われた瞬間に私がぽっくり逝く事を家臣達は危惧した。

 兵士がずらりと並べられ、商人や役人の検閲が強化され、王城には余計な仕事がどさりと振ってきた。唇泥棒からすると、さぞ滑稽な光景だろう。ぽっくり逝く前に溜まった仕事を終わらせたいと、私の元に役人が殺到していたのだ。


 そして今。
 暗殺者に備え、王家の人間達(身代わり)が会議室に詰め込まれていた。


「久しぶりだねぇ、アネットちゃん」
「すみません、ラヴェルさん。何だか妙な事件に巻き込んでしまいまして」

 ラヴェルさんは王兄の身代わりを務めている人物で、うちの実家の近所で豚を飼っていたおじちゃんだ。

「儂はいいんだよ。アネットちゃんこそ大丈夫かい?」
「……はい」

 私のお母様も含め、身代わりを務めている者の家族は、王宮の奥の院というこの国でも安全な場所で過ごしている。面会許可は毎月限られているが、今晩を無事にやり過ごせたら、すぐにでも会いに行きたい。

 私の隣に、この部屋でただ一人の王族であるジラルド殿下がやってきた。

「お母様は手紙で何と?」
「『あんたはジャガイモの毒でも死ななかったから平気平気』だと」
「それは、笑っていいのかどうか……」

 気を遣ってくれている。

「笑ってやって下さい。何なら、唇泥棒に芽の生えたジャガイモをたっぷりと口移ししてやりますよ」
「そうはさせん。君は身代わりなんだ、そんな責務を負う必要は無い。暗殺者は、何としても俺が始末する」

 ジラルド殿下は、強い口調でそう告げた。

 むしろ、これは身代わりこそが負うべき仕事だと私は思っていた。私の唇など、本物のリトリス姫よりもはるかに安い。だけど……殿下の優しい気遣いに心がじんわりと温かくなってきた。

「ありがとうございます、ジラルド様」


 こんな些事に時間を割いてはいけない。
 この方を解放し、早く仕事に戻らなければ。
 茶番はもう終わりだ。

 私は立ち上がり、円卓を見回した。


「――お集まりの身代わりの皆様、国王陛下が趣味で育てている野菜を、あちらの兵士にこっそりと伝えて下さい」


◆ ◆ ◇ ◆


 あれは、国王陛下の暗号だった。

 『もし身代わり同士で何かあった場合、お互いを証明するための鍵となる合図が必要です』私が国王にそう告げると、ジャガイモを作りたいと言ってきたのだ。まさかこんな形で使う事になるとは、思いも寄らなかった。

 そして、この集会は予告状を読んだ私がジラルド殿下と共に急遽仕掛けた罠だ。『身代わりの中に裏切者がいる』。この平和な国で何を言うのかと思ったが、唯一の王族であるジラルド殿下の言葉だ。


 全ての身代わり達が告げた後、最後にジラルド殿下が兵士の元に向かう。

 そして、再び全員が円卓に着席した。
 ジラルド殿下が右手を掲げ、言い放った。


「ラヴェルを捕えろ!!」


 その瞬間、ラヴェルさんが勢いよく立ち上がり、逃げようと試みた。しかし、すぐに兵士達に囲まれて身動きが取れなくなる。

 本当にいたんだ、唇泥棒。
 しかも、ラヴェルさん……。

「糞が! フランドールは腐ってんだよ!! 分かってんのか兵士さんよぉ!?」
「連行しろ!」
「てめぇだよ、アネットオオォ!!」

 ラヴェルさんはすれ違いざまに私を睨み、捕らえられたまま去って行った。そしてラヴェルさんに続くように、他の身代わり達も部屋から去って行った。

 そして兵士達も居なくなった。部屋に残されたのは、私とジラルド殿下だけ。私も部屋に戻ろうとした時、ジラルド殿下が口を開いた。


「リトリス姫。いや、アネット。もう安全だ」
「じ、ジラルド様。暗殺者と唇泥棒の正体はラヴェルさんなんでしょうか?」

 私がそう尋ねると、ジラルド殿下はポカンとした表情になり、笑い出した。

「……ふ、ふっふっふ! あのな、アネット。実は諸々の悪事の黒幕としてラヴェルに目星がついていてな。本来ならば、今日この場で俺が裁くつもりだった」


 ジラルド殿下はそう言って、壁の本棚から証拠らしき書類の束をいくつか取り出し、机の上に並べた始めた。

 その表紙に記されていたのは、西部水路計画における水源の移動、関税の中抜き、無駄な堀工事の発注……これ全部、厄介事として私に回ってきたやつだ。

「奴の後ろ盾が多すぎてな、奴を含めて一網打尽にする機会が今日しかなかった。だが、まさかアネットが何かを言い始めるとは予想外だったよ、ふっふっふ!」
「そんな……では、唇泥棒というのは?」
「私が真似て書いた嘘だ」

「…………ええぇ!!?」

 そう言ってジラルド殿下はふっと笑い、私の目をじっと見つめた。

 私は思わず目を背けた。私は単純なんだ。ジラルド殿下がわざとやっていると分かっていても、その容姿と性格に簡単に乗せられてしまう。

 ジラルド殿下はその様子が嬉しかったのか、優しく微笑んで口を開いた。

「アネット。ついさっき、法律を変えてきた」
「ほ、法律?」

 ジラルド殿下は1枚の紙を取り出し、それを広げて読み上げた。


「『フランドールにおいて、王族は王族同士で婚姻を結んでもよいものとする。ただし、その場合はどちらかが病に伏せるまで業務を務め上げる事』」


 そして、再び私の顔を見た。

「実はな、俺も身代わりなんだ」
「……ジラルド様、また嘘でしょうか?」
「嘘じゃない――アネット、心から愛してる」

「えっ……あ……!」


 突然の告白。

 そして、それは一瞬だった。
 ジラルド殿下がふわりと近付き。


 彼の唇が、私の唇と重なり合った。


 ほんの数秒、触れただけ。
 味なんて分からない。
 だけど、顔が熱い。

 私の想いなんて、最初からバレバレだった。


「二人でこの国を乗っ取らないか?」
「……私は……でも…………」
「アネット、この国をミント畑にするぞ」

 ジラルド殿下は私の手を握り、体を引き寄せ、その優しい腕で私を包み込んだ。


 だめだ。
 この人には、絶対に勝てない。


「愛してる」

「……はい、ジラルド様」




◆ ◆ ◆ ◇


 前略、お母様。

 ご機嫌いかがですか。
 私はたいそうご機嫌です。

 これから国を乗っ取ります。国王陛下の畑にミントをばらまくぞと言ったらやってみろと言われたので、やる事にしました。

 暗殺者らしき人もいましたが、腐ったジャガイモで脅したら降参してくれました。今日もこのお城はいつも通り平和で、いつも通り慌ただしく動き続けています。多分、私は死ぬまでには引退できるでしょう。


 それと、結婚しました。

 ―アネット―
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