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第2章 精霊条約書

魔道竜(第2章、54)

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        ★



ティアヌが急いでその場を離れようとした矢先のことだった。


先程まであった巨大な老木がいつの間にやら消え、そこに明滅する赤い光が収束し、ゆらゆらと一つの形を結んだ。



ーーーー竜?



焔をまとった赤眼の竜の神像だ。老木など初めからなく、ずっとそこに鎮座していたかのように威風堂々とそこにある。厳かなる気を放ち、うてなの上に納まっていた。



「これがバルバダイの神像……」



金、銀、いやそのどれでもない。材質は不明だが明らかに鉱物的な印象をうける。鱗の一つ一つにまで超絶技巧をこらした繊細な細工がほどこされていた。



「細かっ……」



驚愕のあまりそれ以上の言葉が見つからなかった。


感嘆の息を漏らすと喉の奥にピリッと小さな痛みが走った。


コホッと咳をはらいながら……ツッと辺りを見回した。



「このあとどうすれば……」



途方にくれかけたその時、神像を取り巻く焔が高々と燃え上がった。



「唄? 何故唄なんて……どこから?」



それはいずこよりともなく語りかけてきた。



【正しき道を求める人の子よ】



それが目の前の神像から発せられているということに、気づくまでさほど時間をようさなかった。


声帯をふるわせ発せられているものではなく脳に直接語りかけてくる。まるで讃美歌のように耳心地がよく、気づけばじっと耳を傾けていた。



【これより汝をポントワトン、聖域へと導かん。そこで汝、精霊条約書を手にいれ、再び吾が神像の前で調印の儀を行え。さすれば吾、汝の声に耳を傾けよう】



「……うっ」



神像の輝きがいっそう増した。熱気と熱風が舞い上がり腕でガード。喉がぴりぴりと焼ける。


水が欲しい、そう思った。



「道?」



一頻り吹いた風がおさまるとそこには一本の道が溶岩を割いて出現していた。更にその道の先には金色に輝く歪みが生じている。目視できる限りを考慮するとおそらく時空を超越した何か。別の空間へとつづく歪みと思われた。



【行け。正しき道を求める者よ、汝の道は開かれた】



それを最後にバルバダイの神像からは唄が途絶えた。



「どうやらこのまま進めってことみたいね。さてもどうしたものかしら」



出来たばかりの道はおよそ道らしからぬ様相を呈しており、高熱を帯び、道に敷いたばかりのアスファルトさながら白煙をあげていた。



「立ち止まったら瞬きする間もなく一瞬で黒焦げね」



正直このまま突き進むことに迷いがないと言えば嘘になる。



人としての一生をまっとうすることはこの流れからしても無理だろう。精霊となり、生きとし生ける者すべてのために救世主の道を歩む、それがティアヌの運命?



いや、その答えはセントワームを発つと決めた時点でだされていたではないか。



迷うことなんて何もない。



ティアヌは駆け出した。



「…………」




ーーーー 母さま、ごめんね。最後の願いを叶えてあげられない親不孝な娘で。



一歩を蹴るたびゴムの焼け焦げる異臭が撒き散らされ鼻を衝いた。



靴底には特殊な材質が用いられてはいるが溶岩で熱せられた固い岩盤に対し果たしてどれだけ耐えられるのだろう。



「これが入り口?」



肩で荒い息を吐き、呼吸が整うのをゆっくり待った。額といわず全身から大粒の汗が滴りおちる。それを手袋の甲で拭うも手袋は熱気にあてられ熱を帯び擦るたびにピリッと肌を焼いた。


手の中には邪蛇から託された目映いばかりに輝く金色のリンゴがにぎられている。


それを震える指が口元へと誘う。


躊躇する唇が口にすることを拒み、引き結ばれる。脳がこれを食べてはならないものと認識した証しだ。



『クス。これが飴リンゴだったらよかったのに……て言っても仕方がないか、ならイメージよ』



小さく息を吐くと目をきつく閉じ、ごく普通のリンゴを脳裏に描いた。



空想の中で真っ赤によく熟れたリンゴはティアヌが口にするのを待っている。


口を押し開くとガブリと歯をたてた。



食感はごく普通のリンゴと大差なくこの時期としては歯触りがいい。だが味わうのはどうかと思い軽い咀嚼のあとそれを咽頭へ運んだ。



ごっくん、ゆっくりと呑む。


食道を通過した途端、喉が焼ける感覚に襲われた。



「……うっ!? ……ぅぅ」



心臓の鼓動、全身の血脈という血脈が激しく脈打つ。やがてトクンと脈打ったのが最後、心肺が停止した。



「…………」



手のひらからリンゴがこぼれ落ち、ティアヌの体が地面に打ち付けられた。



ーーーー私このまま死ぬのかしら?



どん、と重い音が鳴り響く。


痛みさえも感じない。体を打った衝撃さえも。だが意識はちゃんとある。



『私死んだんじゃ……』



むくりと顔をあげた。



『やだ私体が透けて?』



普通の感覚とは違う。なのにこの違和感を開放的なものに感じていた。ふわりと軽い体は空も翔べそうで、立ち上がってみると歩く足の感覚もあるし、手と手を打てば痛みさえも感じられた。



踵をかえしたその時、コン、と足先に触れた。



『私!?』



足元にはティアヌの体が転がっていた。



『私だってこうして見ると可愛いじゃない。セルティガってば女を見る目まるでなしね』



これで人ではなくなってしまったのか。


今ティアヌは一度確かに死んだ。だがそれは一瞬のことですぐに蘇生した。



ーーーーいや、生まれ変わった? 別の何かに。



『…………』



だとしても黄金のリンゴは人としての心までは奪えなかった。要は心のもちようだ。



『よし! 行きますか、ポントワトンまで』



開き直れば考え方も違ってくる。方向転換することによって新しい道も開けるというもの。今やるべきはっきりとした明確な目的があるのなら突き進むまで。



『えぃ!!』



ティアヌは時空の歪みに身を投じた。



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