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第2章 精霊条約書

魔道竜(第2章、14)

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「………ぅ………ッ」


手首と足首に激しい痛みがはしった。


薄ぼんやりと形をなしていく現実は想像を絶するものだった。


セイラは目を疑う。



「…………ぇ?」



我が身におこった異変に一瞬言葉をうしなった。



縛りあげられているのだ。それも木に巻き付いたかのように。


がんじがらめ、首はおろか指先を動かすことすらままならない。


しかも眼下には溶岩の大河が流れている。


赤々としてまばゆい光に目がくらんだ。


凄まじい熱気にあてられ、額といわず頬、首筋をつたい、したたり落ちゆく玉の汗。ぬぐおうにも両腕の自由はうばわれそれもかなわない。僧衣のなかは湿気がこもり、ぐっしょりと濡れた肌に下着が張りついて不快だ。


セイラは不快感から顔を歪め、目にしたばかりの状況を総合してみる。



洞窟らしき地底、溶岩の大河、木に巻き付いたように縄で縛られ拘束。


どれもあばら屋の女主人から聞いた状況そのものではないか。


そして、はた、と気づく。



彼女を守りきれたのだろうか?


どうか無事であってほしい。


だがこうしてセイラの方が捕らえられているこの状況からして、彼女は無事でいる可能性は高い。


朝陽が昇るまでの辛抱だ。そう自身に言い聞かせる。


夜明けはまだか。月も星もなくて時間を推し測るためのすべはない。だが感覚的に夜が明けてないことだけはわかる。


おそらくここはデスマウンテンの最下層にあるという伝説の洞窟。


そこへ向かったはずのティアヌやセルティガ。


きっとこの洞窟内のどこかにいるはずだ。



そう思うだけでも心強い。



実際ティアヌは強い。まさしく彼女は現代の禁断の魔道士。後にも先にもティアヌ以上の使い手は現れないのではないか。



今この世で邪蛇に対抗できる魔道士はティアヌをおいて他にはいないだろう。



だからこれから我が身に襲うだろう恐怖も、すこしは和らげることができた。



「…………」



そういえば刺客は、他の誰かの娘を差し出さないと自分の娘がニエにされる……とか何とか、言っていなかったか?


我が娘を守るためなら、親はどんな犠牲をも厭わない。


なんて愚かしい愛情なのだろう。それが愛情なのだと何の疑問すらも抱かずに。この世に無償の愛など存在しないというのに。


……そう少し前のセイラなら、偽善としか感じなかった。


ティアヌたちと出会うまでは。



誰かの身代わりに?   まぁそれも悪くない。誰かの役に立てることは、思っていたより悪くなかったから。


頼られ、誰かを助け。また誰かに頼り、助けられる。


それは互いに信用しあえるだけの関係性を構築できていなければ出来ないことだから。



とはいえ、身代わりとされるセイラはたまったものではない。



情状酌量の余地ならくみとるが。


「…………」



遠いあの日、セイラにも慈しんでくれた家族がいた。


しかし今となれば天涯孤独の身の上、人生の転換期というものがアレならば、間違いなくあの時だったのかもしれない。


セイラは自嘲し、ふっと顔をゆがめる。



「お笑い草ね。捨てた過去を今さら懐かしく思い出すなんて」



そんなセイラを現実に引き戻す男の声が響きわたる。


「どうやら気付いたようです。娘の代わりのニエを連れてきました。これで娘をニエとして差し出さなくてもよろしい……ですよね?」


「さぁ?」


うそぶく女の声。それに態とらしいぐらい動揺する男の声。どちらも聞き覚えがある。


「さぁ……って、約束と違います!  他の女を代わりにしてもよい、そうおっしゃったではありませんか」


「約束?」


そう問い返したその声は、数時間前までよく耳にしていた。



ちょっ……この声……って、まさか!?



セイラは自ずと真相を受け入れはじめた。



ツッと顔をあげる。




「どうやら私たちは、まんまと一杯食わされていたようね」



ついに真の黒幕がセイラの前に現れた。


セイラは苦笑を浮かべずにはいられなかった。



ティアヌが決して黒幕について口にしたがらなかった理由。


すでにあの時にはとっくに目星がついていただろうに。


「確かに言えないわよねぇ。言えるわけないもの」



ククッとこみあげる薄ら笑いをセイラはとめようともしなかった。



「そう。あなただったのね、真の首謀者は」
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