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第四章 仏の棺(仮題)

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「こんにちは」

 聞き覚えのある声に振り向くと、そこに居たのは先日奥山の荷物を取りに来た女性だった。名前は一度聞いただけなので忘れてしまった。どうやら今日は先日一緒にいた作業着を来た男性は居ないようだった。


「やぁ、こんにちは」


 諏訪は水やりをしていた手を止め、シャツで手を拭うと彼女の立っている玄関先へ向かった。


「先日はありがとうございました。」
「あぁ、荷物は大丈夫だったかい?」
「はい、無事届けることが出来ました。」
「奥山さんの調子はどうだい?」
「検査の結果、何も問題無く明日退院されるようです。」
「それは良かった。」


 諏訪はほっと息を吐いた。
 彼女も自分に同調するように、にこりと微笑んだ。


「今日は奥山さんの代わりに諏訪さんへ伝言を預かってきました。」
「何だい?」


 彼女は庭の松の木を見上げ、それから再び諏訪の顔を見た。その顔からは不思議と感情が読めない。


「奥山さんは退院したら市内のへ入居されるようです。」
「サコウジュ?」
「サービス付高齢者住宅のことです。介護度の低い高齢者の為の住まいのことです。」
「……つまり、このアパートを出て行くってことかい?」
「はい、私がおすすめしました。」


 彼女は一瞬の間の後、再び口を開いた。


「そのほうが奥山さんにも……諏訪さんにも良いのかな、と思って。」
「……僕にも?」


 予想もしなかったことを言われて、顔を引きつらせてしまった。息を深く吸って何とか表情を戻す。

 反対にこの暑さにも関わらず、それを感じさせない彼女の無表情。彼女は目を丸くしてじっと香川を見ていた。その大きな飴色の瞳が自分の何かを見ようとしているようで怖くなり思わず目を逸らす。


「何を言ってるんだい?僕は困るよ。奥山さんは家賃の延滞も無くて良い人だったし。寧ろ、入居者を減らしたくない。」
「その言葉は嘘では無さそうですね。」
「どう言う意味だね?」


 彼女の言い方に少し腹が立ったが、あくまで冷静に聞き返した。彼女は「確認したいことが有ります。」と前置きをした。


「どうして奥山さんを幼稚園に移動させたんですか?」
「は……」


 諏訪は頭が真っ白になり言葉を失う。この女は確信を持って聞いてきた。


「僕は何もやってない。殴ってなんかいない。言いがかりはやめてくれ」
「私は『殴った』何て言ってませんよ?アパートで倒れていた奥山さんを諏訪さんが幼稚園に移動させたんじゃないか?と聞いているんです。」
「なんだと」


 彼女は手に持っていた鞄から黒革の手帳を取り出した。


「あの後、アパートを測らせて貰いました。ただ、部屋の中は殆ど荒れた様子は無く、恐らく奥山さんが怪我をされたのはアパートの玄関。彼女は沓摺くつずりで躓いて、上がり框の角で頭を打ったのでしょう。」
「沓摺?」
「えぇ、玄関扉の下にある一~二センチ程の段差です。私達には普段何ともない段差ですが、高齢者にはその様な僅かな段差ほど見落しやすく躓きやすいのです。」


 彼女が手帳の頁を見ながら説明をする。沓摺だけが原因じゃ無い。きっと、炎天下の中での草刈りや園が抱える問題やら、疲れやストレスからくる注意力の低下も怪我の要因だろう。


「しかも、その沓摺から上がり框までの距離が丁度140センチ。倒れた時に奥山さんの額が丁度当たる位置になります。奥山さんは倒れた時に上手く受け身を取れず、上がり框に頭を打って出血したのでしょう。框は後から拭いたのか綺麗でしたが、土間のタイルとタイルの目地の間に赤黒い血の後が少し残っていました。奥山さんは幼稚園では無く、あのアパートで怪我をしていたんですよね?」
「……。」

 
 彼女は手帳から視線を外して諏訪の顔を見た。


「諏訪さんも、どうして転んだのかは目撃していなくても、いつもの時間に庭へ水を撒きながら音を聞いていたのでは無いのですか?202号室の佐々木さんの話によると、相当な音がしていたようです。玄関を見ても草刈り用のスコップや箒、バケツが散らかっていましたから。

 しかも此処からだとアパート二階の廊下が見えます。音を聞きつけた貴方は、佐々木さんが電話をしてくるより先に、すぐさま奥山さんの所まで向かったのではありませんか?しかし、貴方は玄関で倒れている彼女を見ても、救急車を呼ばすに車で彼女を幼稚園まで運んだ……。」
「そんなこと憶測でしかないだろ。そもそも僕がそんなことをする動機が無い。」
「動機は私がこうして貴方に会いに来てる理由と一緒です。」
「一緒?」

 諏訪は顔を引きつらせた。

「私はあの遊戯室を事故物件にしたくありません。……貴方もこのアパートを事故物件にしたくなかったんです。貴方は血を流して動かなくなった彼女を見て不安に思った筈です。『死んでしまったらどうしよう』と」
 
 彼女は手帳を畳むとそれを仕舞った。

「救急車を待っている間にしても、車で病院まで連れて行くにしても、もし途中で彼女が死んでしまったら、その部屋は『死人が出た部屋』になってしまう。するとアパート全体のイメージやその部屋の価値が下がってしまう。それを貴方は一番恐れた。

 ともかく、貴方は彼女を別の場所へ移動させたかった。自分では無く『他の人』に『他の場所』で見つけてもらう必要があった。そこで彼女が働いている幼稚園まで連れて行き、偶然目に入った換気中でドアが開放された幼稚園の遊戯室に気を失った彼女を運んだんです。

 ひょっとすると彼女を知った誰かが介抱してくれると思ったから。だから、私達が遊戯室に入って来た時、ワザと開け放しておいた両扉を閉めて音を立てたんですね。」
「……。」


 段々と日が高くなり気温が上がっていく。彼女のこめかみから流れた汗が頬から首へと伝わり消えていくのが見えた。


「最後に……アパートの201号室には東側に出窓が有ります。間取りからして、101号室と201号室にしか無い窓です。貴方は自分の過失では無いと油断をしていたのか、バレる事はないと絶対の自信が有ったからなのか。良かれと思って幼稚園の仏壇に『ノウゼンカズラ』を供えた。地上からだと見えませんが奥山さんの部屋の出窓からは、諏訪さん家の裏庭の隅にオレンジ色の花が咲いているのがよく見えますよ。」

 反論はしなかった。
 これ以上嘘を重ねると天罰が下ると思ったからだ。

「……そうだよ。君が大体正しいよ。もっとも僕は相当動揺して完全に彼女が死んでしまったと思っていたからね。今となっては馬鹿なことをしたと思っている。彼女が無事と聞いて神様に感謝したよ。……いや、仏様か。」

 諏訪が力無く笑う。

「アパートの二階から花が見えるって知らなかった。気にもしていなかった。ってことは、奥山さんは僕がやったって気付いているんだな。……それなのに、どうして彼女は僕に話を合わせたりなんかして、真実を話さないのだろうか。」

 諏訪の独り言のような疑問に答える代わりに彼女は僕の知らない話をした。

「奥山さんは諏訪さんに感謝していると言っていました。『行き場もなく、老い先の短い私を嫌な顔せずに住まわせてくれた。』…と。奥山さんが真実を語ることがない限り、私もそれ以上貴方を追求するつもりはありません。」

 真実ではなく奥山さんの供述をこの一連の結末にします。

 彼女はそう言うと諏訪に会釈をしてその場を後にした。
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