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第三章 箱の中の彼は秘密を造る
6 包丁女と人質
しおりを挟む『施設長は?』
高梁の声を聞いて少し落ち着いた気がする。東屋は、ゆっくり深呼吸をして冷静に施設長の状況を確認した。
二人は包丁を持った女に脅されて、エレベーターで四階に上がると、百二十床ある部屋のうちの一室に押し込められた。男性で抵抗する可能性があるだろう渡貫は、包丁を突きつけられながら、すぐに拘束されてしまった。
高梁にこの場の危険を伝えなくては。
「………女性に包丁を突き付けられて…ガムテープで手足をぐるぐる巻きにされています。」
『……は?』
「女性に包丁を突き付けられて、ガムテープで手足をぐるぐる巻きにされています!」
『…………は?』
だめだ。どうやら電波が悪いらしい。
「一度掛け直してもいいですか?」
東屋は包丁女に訊ねると、女は早くしろとばかりに睨んでくる。渡貫はガムテープで口を塞がれており唸っていた。恐怖のためか、それとも怒りのためか、ベッドの上で釣り上げたマグロの様に暴れている。
東屋は一度通話を切ると再び高梁に電話をかける。すると彼はワンコールで出た。
『は?』
いや、まだ何も言ってない。
「せんせ…」
『包丁ってなんだ?冗談じゃないだろうな?どうしてそんな事になった?!お前は?怪我はないのか?』
高梁が食い気味で東屋の言葉を遮る。
「はい、一応……心配をかけて申し訳ありません。とりあえず理事長、天野さんに代わって頂けませんか?施設長を解放して欲しければ、要求に応えてほしいそうです。」
『ふざけるな』
「先生、あの…」
『どうしてお前が人質にならないといけないんだ!』
珍しく高梁が取り乱しているようで、話が通じない。
確かに脅されるようなことはあっても、刃物を突き付けられたのは、東屋も生まれて初めての出来事だ。正直、私の方が今一番心中パニックだ。こんな悪夢のような出来事は出来れば一生経験したくは無かった。
『お前は関係ないだろ?すぐ逃げ…いや無理だな…解放してもらえないのか?』
「先生、落ち着いてください。偶然、同じエレベーターに乗り合わせてしまったんです。お願いします。どうか天野さんに代わって下さい。」
『~~~ッ!』
高梁はまだ納得していないのか嫌々と言った感じだ。高梁の声が聞こえなくなるとしばらくして『はい』と少ししゃがれた別の男性の声に変わる。
「はい、あ、初めまして東屋です。天野さんですか?」天野と言葉を交わすのはこれが初めてだ。
『……渡貫君に何かあったのかい?』
「渡貫さんが人質にされてしまいました。」
『その女性はウチの職員かね?』
東屋は女の方を見た。始めはここの職員かと思ったがよくよく見ると職員の着ている服装とは違う。
「いえ、違うと思います。」
『……何を要求しているのかね?金か?』
高梁より天野の方が落ち着いて話がスムーズだ。東屋は再び包丁女の方を向き、スマホを差し出す。
「理事長が要求は何なのか聞いています。」
しかし、女は首を振って受け取らなかった。
「あなたが交渉役だと言ったはずよ。私の言葉をそのまま伝えて!」
東屋を警戒しているのか、渡貫に突きつけていた包丁をこちらに向けてヒステリックに叫ぶ。東屋は尻餅を付いたまま部屋の隅まで後ずさりして女との距離を置いた。
幸い東屋はどこも拘束されていない。
しかし、「逃げたらこの男がどうなるか分かっているわね?」と一番最初に脅されているので逃げられないでいる。この女はだいぶ興奮しているらしい。うっかり巻き添えを喰らい、刺されてしまいたくは無いので、東屋は女を刺激しないよう素直に指示に従うことを決めた。
包丁女はベッドの縁に腰掛けて考えるそぶりをする。東屋はその様子を部屋の隅で伺っていた。年齢は四十ぐらいだろうか。黒い長い髪にウェーブがかかっていて、長い睫毛に赤い口紅を付けていた。包丁を持っていることを除けば、少し化粧が濃いが綺麗な人だ。どうしてこんな人が?
「……そうね。先ず、一番最初に言っておくけど、警察に通報でもしたらすぐにコイツを殺して私も死ぬから。」
立てこもりの犯人がよく言うセリフだ。女の隣に横たわっていた渡貫がそれを聞いてンンン!と唸り死にかけの蝉の様に暴れる。東屋は言われた通りに女の言葉をそのまま天野に伝えた。
「……それから、お腹が空いたわ。先ずは食事かしら?何か食べる物を持ってきて頂戴。」
「食事?」
「それと……」
一瞬の間があった。
「私は人を探しているの。そいつらに合わせてくれれば直ぐにここから出ていくわ。…取り敢えず、ここで働く職員の名簿を頂戴、全員のよ」
ただの人探しなら包丁は要らないと思う。
彼女の言われた通り探し出した後、その人達はどうなってしまうのか。
しかし今は反抗するべきではないと判断した東屋は、女の言葉をそのまま伝えて、天野の反応を待った。どうやら高梁達と相談している。しかも、電話越しでだいぶ揉めているらしく、時より高梁の怒声も聞こえた。
『……分かった。名簿だな。すぐに用意する。』
10分ぐらい待っただろうか。
やっと、電話から天野の声がした。
『また準備が出来次第連絡する。』
「はい、宜しくお願い致します。」
『……あぁ……少し待ってくれ』
「はい?」
『……東屋?』
通話口からまた高梁の声がする。
声からは既に疲労が伝わってきた。
『すまない……必ず何とかするから……また電話する。』
分かりました、と答えると通話が切れた。
先生なら必ず助けてくれるだろう。
「なんて言ってた?」
女が包丁の刃先をこちらに向けて訪ねる。
東屋は腕で頭を庇いながら先程の話を伝えた。
「わ、分かったって言っていました。準備してくれるそうです。」
しかし、女は納得行かなかったのか癇癪をおこす。
「それだけ?いつ?誰が?どうやってここまで持ってくるのよ?」
「そ、それは…!また、連絡をくれるそうです。もうしばらく待ってください。」
確かに動揺して受け渡しについての詳しい方法を聞いていなかった。
包丁をもった奴に直接会いにくるとは考えにくい。
「待たせないで頂戴!」
女は包丁をちらつかせて脅迫する。東屋は恐怖のため悲鳴も出せずにただ首を上下に振った。楽しみにしていた式が一変して事件現場になってしまった。
先生早く助けに来てください!
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