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第一章 姿の見えない座敷わらし
5 図面はわりと無い
しおりを挟む三人はキッチンに集まった。シンクの隣には紅茶の葉を入れようと準備したままのグラスティーポットが置いてある。楢村はその傍に立つと真剣に状況を説明を始めた。楢村が足元を指す。
「ここで、お茶の準備をしていたんです。」
お茶菓子に出そうと思い、今朝買ってシンクの側に置きっ放しにしていたカステラが今見ると見当たらなくなっていた。不思議に思い棚を探していると、何の前触れも無く頭上で物音がしたそうだ。
床が擦れる音、その後にトトト、と明らかに大人の足音では無い小走りで走り回る音。得体の知れない恐怖でその場から動けなかった。しかし、10秒もしないうちに足音は鳴り止んだそうだ。そう説明しながら楢村は天井を見上げる。「二階?」と匠が訊ねると、楢村は頷いた。
「しかし、今日は私達以外誰も居ません。ただ三時頃に奥様がお稽古から帰ってくる予定です。お二人にお会いするために、仕事は休まれたようです。」
腕時計を確認するとまだ二時半だった。
「二階は何の部屋なんですか?」
「旦那様の書斎です。」
今度は東屋の質問に楢村が答えた。キッチンに沈黙が流れる。
……確か、五十嵐氏が座敷童子の声を聞いたと言うのもその部屋では無かったか。
匠が呟く。
「天井裏にネズミがいるのかもな。」
「カステラ好きな」と付け加えた。
「車から脚立を持ってくる」と匠は踵を返して、部屋を出て行ってしまった。クロス貼りの天井を見渡すと換気扇の近くに点検口が一つあった。
姿の見えない座敷童子……
昔テレビで見た座敷童子のイメージはおかっぱ頭に着物をきた女の子だった。座敷童子は古い家に棲み付き、イタズラ好き。座敷童子を見たものは幸運が訪れるとか……。しかし、害は無いと分かっていても、得体の知れないものが屋敷にいるのは気味が悪い。
匠が戻って来るまでの間、東屋は手帳を取り出し状況をメモする。天井裏を確認した後は、すぐにでも二階も確認しに行きたい。建物は古いが、手入れが行き届いており、ネズミがいるとも思えない。
「あの」と自信なさげに楢村が東屋に声をかける。
「もし、匠くんがいうようにネズミだったら申し訳ありません。ひょっとすると私の思い違いかも……」
「大丈夫ですよ。後で二階も見せて頂いてよろしいですか?それと、この屋敷の図面はありますか。」
「えぇ、旦那様と奥様にお貸ししたいと伝えてあります。たぶん、奥様が用意しているはず……」
ガチャ、とキッチンの扉が開く。その音に僅かに楢村の肩が跳ねた。
入ってきたのは六尺の脚立を担いだ匠と背後に小柄な女性が立っていた。
「奥様!おかえりなさいませ。」
楢村が安心したような声をあげたことから、この女性が五十嵐氏の妻だと分かった。年齢は五十歳前後だろうか、赤の口紅が似合う美人だった。
「ただいま。いらっしゃい建築士さん。」
「車庫に行ったらちょうど一緒になった」と匠が説明しながら点検口の下に脚立を立てる。東屋は夫人に軽いお辞儀をして近づいた。
「初めまして、高梁一級建築事務所の東屋ありかです。あ、これは社長の高梁の名刺です。」
胸ポケットから二枚名刺を取り出して女性に渡す。女性は棚にハンドバッグを置いて、和かに微笑むとそれを受け取る。
「ありがとうございます。妻の暁美といいます。」
暁美が頬に手を当て、申し訳無さそうな顔をする。
「お忙しいのにすみませんね。うちの旦那の戯言に付き合って頂いて・・・あの人、頑固で一度言い出すと聞かなくて、はぁ・・・あの、言ってくださいね。お仕事料はちゃんとお払い致しますから。」
東屋は慌てて頭を振る。
「いいえ!営業みたいなものですから!お金は要りません。」
暁美が声を上げて笑う。匠の溜息が背後で聞こえる。
「あなた、正直者なのね。」
笑われて顔が熱くなる。図面は描くことは好きだが、営業となるとどうしても高梁の様に上手くできない。慌てて話題を変える。
「あ、あの、今日、図面をお借りしたいのですが…!」
しかし、暁美は困ったような顔をした。
「この建物は私達が建てたものじゃないの…人から譲って頂いて、引越しの時に内装を綺麗にしてから移ったの。」
風が窓に当たり、がたがたとなった。
「御免なさい。金庫や倉庫を旦那と手分けして探したんだけど…図面らしい資料は一つも見当たらなかったわ。」
「そう…なんですね。」
この仕事をしていると割とよく言われる言葉だ。一応予想はしていたが、少なからずガッカリしてしまう。表情に出てしまわないように平静を取り繕う。
「東屋、見るか?」
匠に声を掛けられ我に帰る。
そうだ、まずは天井裏…。匠と入れ替わりで脚立に登る。懐中電灯を受け取り、跨ぐ格好で立つと小さな天井点検口に頭を突っ込み中を見る。やはり、前回の改修で綺麗にしたのか天井裏は蜘蛛一匹いない。懐は約六〇センチといったところか、二階の木梁と断熱材が見える。勿論、この懐の高さでは人は入れない。というか、天井が落ちてしまうだろう。一応記録として写真を数枚撮ってから脚立から降りた。匠が再び脚立に上がり十円玉を出すと、点検口の扉を閉めて元の状態にした。
となると、やはり怪しいのは五十嵐氏の書斎…。
図面さえあれば、色々な憶測が可能なのだが無いものねだりしても仕方ない。
図面のない建物を例えるなら、カルテがない患者と同じだ。建物は喋らないので一つずつ自分で調べ上げていくしかない。東屋はキッチンにいる三人の顔を見渡した。どうやらこの問題、一筋縄では行かないようだ。
「二階へ行きましょう。」
私は、座敷童子に試されているのかもしれない。
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