奥様はとても献身的

埴輪

文字の大きさ
上 下
148 / 148
≪現在③≫

エピローグ

しおりを挟む

 文香は穏やかな気持ちで庭を眺めていた。
 
「はい、お茶」

 さくらが文香のためにお茶を淹れるようになったのはいつ頃からだろう。

「そりゃあね。君、もうおばあちゃんだし」

 白髪だらけの髪をさくらは丁寧に梳かす。
 足腰が弱まり、今では一人で立ち上がる事すら困難になっていた。
 それは体力のせいだけではない。
 文香はもう自分が長くないことを知っている。

「結構、長く生きたけどね」

 死への恐怖がまったくないのは、いつもこうしてさくらが手を握ってくれるからだ。
 もう、まともにセックスすることもできない自分を。
 こんな皺くちゃになった老婆に、あの頃と変わらず若々しく美しいさくらは愛し気に微笑む。

「できるよ? ふみちゃんが望むなら、布団敷こうか」

 相変わらずなさくららしい返答に、文香は小さく擦れた笑い声を零す。

 思えば、色々あった。
 随分と遠くまでさくらと来てしまった。

「あ、葉書が来てる。兄弟からだ…… 今、南極にいるんだってさ」

 小鳥が時折囀り、緑豊かな草や花が美しく咲き誇る小さな庭。
 文香はこの庭を眺めるのが好きだ。
 庭を整えるために真っ黒なジャージを着るさくらを見ると、ついつい笑いたくなる。
 愛しさがまた、今日も溢れて来る。

 幸せだ。

「桜の奴…… またあいつと喧嘩したってさ。ほら、君に愚痴を聞いて欲しいみたい」

 年代もののケータイ電話をさくらが文香の耳に当てる。
 おばさまと、鈴の音のような可憐な声が親し気に伝わって来た。

「本当、君によく懐いているね」

 人生とはままならない。

「まぁ、僕と同じサクラだしね」

 良いことも悪いことも。
 時には驚くようなことも。

「まだ言ってる。君、毎回それ言うよね。そんな衝撃だった?」

 さくらは呆れながら文香のために毎回律儀に届く葉書や手紙を整理する。

「確かにあの男が桜の結婚式で号泣していたのは笑えたけど」

 結婚式といえば、逆に驚かせてしまったこともあった。

「君の後輩だっけ? 失礼な女だよ。僕が君の旦那だって言ってもちっとも信じない。騙されてるって…… 既婚者にブーケ投げたって意味ないのに」

 さくらは記憶力がいい。
 時折文香の断片的な記憶を補完してくれる。

「あれが僕らのキューピッドだなんて……」

 はあーっと溜息をつくさくらに文香は音を立てずに笑った。
 笑うことすら、今はちょっと辛い。

「ふみちゃん? もう寝る?」

 うとうとする時間が増えた。
 そんな文香にさくらは無言で布団に潜り込む。
 さくらが毎日丹念にクリームを塗った文香のしわしわの唇にキスをする。

「ふみちゃんはどこまで気づいているの?」

 文香はもう寝てしまった。



* 
 

 なんとなく、文香は気づいているのだと思う。

 自分の寿命。
 そして、その寿命が尽きるとき、さくらもまた消えることを。

 きっと、まだ出会った頃の文香であればそんなさくらを許さなかった。
 
「ふみちゃんも…… 漸く僕の奥さんらしくなったね」

 悪魔の妻なら、欲望に素直でなければならない。

「楽しみだなぁー 来世の君をどう調教するか」

 温もりが消えかかった文香の身体をさくらは優しく抱きしめる。

 寒いのなら、さくらが温めてやればいい。
 奪うのではなく、与える。

 それは文香に教えてもらった愛の形だ。

「好きだよ、ふみちゃん……」

 これからも、永遠に一緒だ。
 死んだって、離さない。

 白髪だらけの文香の髪を撫でる。
 薄くなった頭髪にキスをすると、さくらにしか聞き取れない寝言が小さく耳に入って来た。


「……わたしも、よ」


 それはさくらの都合の良い夢ではない。
 さくらは淫魔だ。
 正しくは淫魔っぽいもの。
 俗にいう悪魔なのだから。

 聞き間違えるはずがない。
 さくらが文香の言葉を聞き間違えるはずがないのだ。

「私も…… あいしてる、わ」

 ゆらゆらと水面をほんの僅か揺らすぐらい、声にすらなっていない文香の言葉。
 だが、この世で一番さくらの心を掻き乱す。
 嵐すら届かない、人外であるさくらに。

「ふみちゃん…… ねぇ、ふみちゃん…… もう、寝ちゃった?」

 一瞬の熱情の後に訪れるじんわりと温かい幸福感には未だ慣れない。
 きっと、今世は永遠は慣れないだろう。

「……愛してるよ、ふみちゃん」

 もう文香の言葉は返ってこない。
 それがとても残念で哀しくて寂しくて、愛しい。
 
 さくらは自分の全てがじわじわと満たされていくのを感じた。

「ふみちゃん、」

 さくらは穏やかな幸福に、微睡んだ。

「……おやすみ」

 その姿はまったく悪魔らしくない。





























 微睡むさくらは気づかない。

「あいしてる」

 さくらの意識が完全に沈み、そして美しい唇が緩やかに動いたことを。

「俺も愛してるよ、文香」

 どこまでも穏やかで、爽やかな微笑みを浮かべるは、文香の乾いた頬を愛し気に撫でた。


「来世こそ、ずっと一緒だ」
  
 
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(3件)

ポム
2018.03.09 ポム

軽い気持ちで読み始め、タイトルと内容の繋がりに疑問を覚え、探るように読み進めていきました。
久しぶりに個々の感情を的間に受け
それだけに、ただ、ただ、安堵に涙でした。

埴輪
2018.03.10 埴輪

胃がムカムカするような展開も多く、読む方も大変だったと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます!

解除
アリス
2018.03.04 アリス
ネタバレ含む
埴輪
2018.03.05 埴輪

自分も見てみたいです。

解除
ゴマ
2018.02.27 ゴマ

もう涙、涙です。

埴輪
2018.03.01 埴輪

感想ありがとうございます!

解除

あなたにおすすめの小説

愛がなければ生きていけない

ニノ
BL
 巻き込まれて異世界に召喚された僕には、この世界のどこにも居場所がなかった。  唯一手を差しのべてくれた優しい人にすら今では他に愛する人がいる。  何故、元の世界に帰るチャンスをふいにしてしまったんだろう……今ではそのことをとても後悔している。 ※ムーンライトさんでも投稿しています。

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

【完結】幼馴染が妹と番えますように

SKYTRICK
BL
校内で人気の美形幼馴染年上アルファ×自分に自信のない無表情オメガ ※一言でも感想嬉しいです!! オメガ性の夕生は子供の頃から幼馴染の丈に恋をしている。丈はのんびりした性格だが心には芯があり、いつだって優しかった。 だが丈は誰もが認める美貌の持ち主で、アルファだ。いつだって皆の中心にいる。俯いてばかりの夕生とはまるで違う。丈に似ているのは妹の愛海だ。彼女は夕生と同じオメガ性だが明るい性格で、容姿も一際綺麗な女の子だ。 それでも夕生は長年丈に片想いをしていた。 しかしある日、夕生は知ってしまう。丈には『好きな子』がいて、それが妹の愛海であることを。 ☆竹田のSSをXのベッターに上げてます ☆こちらは同人誌にします。詳細はXにて。

朝起きたら、隣に裸のご主人様が寝ていました。

ラフレシア
BL
 何が起きたんだ!?

召喚魔法使いの旅

ゴロヒロ
ファンタジー
転生する事になった俺は転生の時の役目である瘴気溢れる大陸にある大神殿を目指して頼れる仲間の召喚獣たちと共に旅をする カクヨムでも投稿してます

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

悩ましき騎士団長のひとりごと

きりか
BL
アシュリー王国、最強と云われる騎士団長イザーク・ケリーが、文官リュカを伴侶として得て、幸せな日々を過ごしていた。ある日、仕事の為に、騎士団に詰めることとなったリュカ。最愛の傍に居たいがため、団長の仮眠室で、副団長アルマン・マルーンを相手に飲み比べを始め…。 ヤマもタニもない、単に、イザークがやたらとアルマンに絡んで、最後は、リュカに怒られるだけの話しです。 『悩める文官のひとりごと』の攻視点です。 ムーンライト様にも掲載しております。 よろしくお願いします。

今更愛を告げられましても契約結婚は終わりでしょう?

SKYTRICK
BL
冷酷無慈悲な戦争狂α×虐げられてきたΩ令息 ユリアン・マルトリッツ(18)は男爵の父に命じられ、国で最も恐れられる冷酷無慈悲な軍人、ロドリック・エデル公爵(27)と結婚することになる。若く偉大な軍人のロドリック公爵にこれまで貴族たちが結婚を申し入れなかったのは、彼に関する噂にあった。ロドリックの顔は醜悪で性癖も異常、逆らえばすぐに殺されてしまう…。 そんなロドリックが結婚を申し入れたのがユリアン・マルトリッツだった。 しかしユリアンもまた、魔性の遊び人として名高い。 それは弟のアルノーの影響で、よなよな男達を誑かす弟の汚名を着せられた兄のユリアンは、父の命令により着の身着のままで公爵邸にやってくる。 そこでロドリックに突きつけられたのは、《契約結婚》の条件だった。 一、契約期間は二年。 二、互いの生活には干渉しない——…… 『俺たちの間に愛は必要ない』 ロドリックの冷たい言葉にも、ユリアンは歓喜せざるを得なかった。 なぜなら結婚の条件は、ユリアンの夢を叶えるものだったからだ。 ☆感想、ブクマなどとても励みになります!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。