奥様はとても献身的

埴輪

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≪過去①≫

2 君のことを考えると心が満ちて腹が減った

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 自覚した途端、優は文香のことが気になって気になって仕方がなかった。
 それは結構あからさまだったらしく、気づけばクラスの大半が優の気持ちに気づいてしまった。
 文香が不愉快な思いをするのではないかと焦ったが、日々は平穏に過ぎて行った。
 優を知る者はみんなだったからだ。

「優って趣味悪い」
「他に可愛い子いるのにな」

 今日も短い休憩時間に飽きることなく文香に話しかけている優を見て、彼の友人達はなんとも不本意そうな顔をした。

「なんで、なんだろう」

 優本人にも何度か聞いたが、その理由はどれもこれも曖昧なものだ。
 文香は別にブスではなかったし、性格はきつい所があるが誰かに意地悪をするようなものではない。
 言っていることは正しいし、普通に親しい友人と笑いあったりもする。
 むしろ、顔だけ見れば可愛い方だとは思う。
 実際にクラスの男子達の秘密のアンケートでもそこそこ上位に入る。
 ただし、付き合いたいとか彼女にしたいと思っているのは優のみだ。

「……なんか、色気ねぇんだよな、あいつ」

 文香を見てドキっとする男子は優だけだった。






 なんだかんだあって、結果的に優と文香は交際することになった。
 優の押せ押せなアプローチに文香が折れたというよりも、初めから文香もまた優に対して好意めいたものを持っていたからだ。
 だが、自分が男子受けが悪いことも、性格がややキツイことも承知していた文香はなかなか踏み切れなかったのだ。

 文化祭の最後の日。
 高揚した気分に後押しされながら優は文香に告白した。
 そのときの文香の慌てようはとても可愛らしいものに思えたし、躊躇いながらも了承してくれたときはまさに天に上るような気分だった。
 優ほど純粋に喜べない文香も、優の満面の笑みには思わず笑い、二人の初々しい交際がスタートしたのだ。

 意外にもあっさりと付き合いだした二人は、お互いが初めての恋人ということで手探りの状態で距離間を計り合った。
 傍から見ると二人は喧嘩することもなく、静かながらもゆっくりと親密な関係を築き上げているように見えた。
 冷やかされながらも、手を握り合って帰る二人の姿を見て、今更何か言う者はさすがにいなかった。

「え。お前らってまだヤってないの?」

 ある日の放課後。
 たまたま彼女持ちがその場に集まったということで、何故か話がそっち方面に行ってしまった。

「いや…… 俺ら、まだ高校生だし……」

 どういう流れでそういう話になったのかは覚えていない。

「馬鹿っ 普通、彼女いたらヤるだろ」
「付き合ってまだ三か月目とかって言うなら分かるけどよ。お前ら、もう一年じゃん?」

 呆れたような視線に晒され、優は居心地悪そうに身じろいだ。

「……変、かな?」
「変ってか、よく我慢できるなーって思う」
「普通にヤりたくなんないの? ムラムラしたりとか」

 明け透けな猥談は正直得意ではなかった。
 エロ本もAVも、それこそネットで簡単に見れるような性的な画像動画全てに興味関心が湧かないのだ。

「そういや、優ってエロ話とか乗って来ないよなー」
「オナニーとかもしなさそう」

 だからこそ、ありえないとばかりに騒ぐ友人達を見て、優は自分が少し可笑しいのかと不安になった。

(ムラムラか……)

 優とてムラムラしたりはする。
 自慰もする。
 ただ、そういった性欲はすぐに消えてしまうほど薄く、成長期のせいか食べても食べても腹が減る優はぶっちゃけ性欲よりも食欲にこの所悩まされていた。
 どれだけ食べてもすぐに腹が鳴り、それでいて背だけが高くなってちっとも肉がつかずひょろひょろのままなのだ。

(ムラムラよりも、めっちゃ腹減った……)

 下ネタを連発する友人達の話を聞き流しながら、優は自分の腹が小さく鳴るのが分かった。
 なんだか無性に文香に会いたかった。
 ついこの間、バレンタインチョコを文香から貰った。
 どこか焦げたような複雑な味のするチョコが、文香が手作りしたチョコが無性に食べたくなったのだ。

「悪い、俺もう帰るわ。文香と約束してた」
「おー じゃあな」
「また明日なー 頑張れよー 童貞君」

 いそいそと帰りの支度をし出す優にふざけた声をかける友人達。
 これは明日も揶揄われそうだ。



* *


 優は素直な性格だ。
 気になることがあればすぐに口に出してしまう軽率さをその陽気な雰囲気で誤魔化しているところもある。

「なぁ、俺らってそろそろエッチした方がいいのかな?」
「は?」

 そして文香はそんな優に慣れていた。

 優の部屋で試験勉強をしていたときだ。
 珍しくも静かにしていたと思えば突然の爆弾発言に文香はしばらく沈黙した。

「もう、一年以上経つのに、キスもまだとかオカシイって言われた」
「何それ……」

 眉間に皺を寄せて視線を彷徨わせる文香が答えに悩んでいることを優は覚った。
 優も文香に大概慣れて来たこともあり、一見不機嫌そうな態度を見ても悠長に構えてられる。

「そもそも、優は………… したいの?」
「……わかんない」

 怒ったような顔で文香は視線を反らす。
 赤くなった耳や強く唇を噛む仕草を優はぼうっと見ていた。
 わかんないと言いつつ、恥ずかしそうに俯く文香を見て何か分かりかけた気がする。

「……ちょっとキスしてみてもいい? なんか、わかるかも」
「……バカじゃないの?」

 悪態を吐きながらも、顔を真っ赤にして目を閉じてくれる文香に優は覆いかぶさった。

 特に記念日だったとか、思い入れのある日でもなく。
 試験勉強は当然のように中止となり、優は初めて見る文香の泣き顔に大いに慌て、そして着の身着のまま慌ててドラッグストアに駆け付けたことだけはよく覚えていた。



 翌日。

「おっはよー 童貞君」
「……おはよ」
「……」

 案の定、玄関でばったり遭遇した友人はにやにやと笑いながら優を揶揄った。
 思わず微妙な顔を浮かべる優と文香。
 一緒に登校した文香が無言で上履きを取ろうとするのを見て優は先回りしてそれを取った。
 文香の外履きを靴箱にしまい、上履きを目の前に置く。

「大丈夫か? 肩、掴んでいいから」
「ちょ……!?」

 腰やその他が痛くて相当疲労が溜まっているくせに頑なに休もうとしなかった文香が心配で仕方がなかった。
 他の生徒の視線などまったく気づかず、優は片脚を立てて文香を支えようと手を伸ばし、顔を赤くしたり青くしたりしている文香に頭を叩かれた。

 だが、その後も優は懲りもせずに一日中文香の傍に張り付き、頻りに身体の心配をしたという。

 このとき、優は「手が早い」という噂が立ったのだが、幸運にも二人の耳には入らなかった。



* * *


 大学生になった。
 勉強は苦手だが、頭は悪くない優は文香という優等生の手を借りて意外にもあっさりと第一希望の大学に受かった。
 文香のスパルタには泣いたが、徹夜や泊りでの勉強を続ける内に二人の関係が親公認になったのは嬉しかった。

「文香ちゃん、本当にありがとう。あの勉強嫌いの優が、まさか大学に受かるなんて……」
「そんな、あの…… おばさん……? 何も泣かなくても……」
「もう、文香ちゃんったら~ 私のことはお義母さんって呼んでいいのに~」

 感情の起伏が激しい母に振り回される文香を見るとなんだか心が凪いでいく。
 入学祝いに実家で自分の両親に囲まれる文香を見ながら、優は心が満ち足りていくのを感じた。

(なんか、いいな)

 母の料理を手伝う文香。
 父とぎこちなく会話をする文香。
 優の視線に、はにかんだような笑みを見せる文香がとても綺麗だと思った。

「ごめんな、今日は。うちの母親は煩いし、親父は無口だし」
「ううん、楽しかったよ」

 泊って行けばいいとさんざんに引き留めていた両親を振り切って帰ろうとする文香を優は駅まで送った。

「……ありがとう。賑やかで、あったかくて、本当に楽しかった」

 改札口前で別れるときに見た文香の笑顔はたぶん今までで一番安らぎに満ちていた。
 別れの言葉を紡ぐ文香がどこか寂しそうに見えたのは優の願望かもしれない。

「……」

 肌寒い夜だった。
 こんな寒い夜に、文香と別れなければならないことがなんだか悔しかった。
 もっと一緒にいたい。
 どうしたら、もっと一緒に、文香の近くにいられるのだろうと考えた。

「…………結婚か」

 結婚。
 そうか、結婚すればいいのかと唐突に優は思いついた。

「文香と…… 結婚……」

 言っている内にテンションが上がり、顔がにやけそうになる。
 文香と結婚する。
 自然とそういう考えが思い浮かんだことに優はなんの疑問も抱かなかった。
 むしろ、当然の流れのように思えた。

 いつか、結婚して家庭を作って子供を育てる。
 平々凡々な家庭で育った優にとっては当たり前の思考である。
 文香と別れることなど考えもしなかった当時の優は、文香と結婚することがとても自然なことに思えた。



* * * *


 文香に内緒でこそこそと結婚情報誌を買ったはいいが、大学生になり立ての優に結婚資金などあるはずもない。
 そして冷静になってみると、文香の意思の確認すらしていないのだ。
 もしも断られたらという不安とそもそも学生で婚約や結婚というのは早すぎるのでは、と悩みは尽きない。
 悩みつつも優は雑誌やネットで結婚式場や費用その他についてどんどん情報を仕入れていった。
 文香にプロポーズを断られたらという不安を抱きつつも、優は文香以外と結婚するビジョンを見出すことができなかった。
 文香が優以外の男と一緒になる姿はもっと想像がつかなかった。

 だが、制服ではなく私服に変わり、薄い化粧をして少しずつ垢抜けていく文香に優はなんだかハラハラした。 
 髪型を変えた文香は雰囲気が明るくなり、そして少しだけ社交的になった。

 それを素直に喜べない自分に悶々としながら、優は半ば愚痴るように文句を言った。

「なぁ、スカート短すぎないか?」
「普通でしょ。中はタイツだし」

 優が最近なんだかこそこそしていることに気づいていた文香の対応は素っ気なかった。

「もしも良からぬ男にナンパされたり、サークルの先輩にセクハラされたりしたら…… 不安だ……」
「……」

 文香からすると入学早々大勢の友人知人を作り、すぐに場に馴染む優の方が不安だ。
 俗にいう合コンに頻繁に誘われていることを知っている。

「何度も言うけど。私は優と違ってモテないの」
「そんなことは……」

 嘘がつけない優は咄嗟に文香から目を逸らす。
 それをジト目で見つつ、文香は溜息を吐き出した。

「そういう優の方こそ…… 最近なんか変だよ」
「えっ」
「こそこそこそこそと…… 隠れてなんか読んでるみたいだし、ネットで調べものするようになるし、何調べてるのか聞いても教えてくれないし」
「そっ、それは……」

 じりじりとにじり寄って来る文香の威圧感に優は冷や汗をかいた。

「……何、隠してるの」
「うっ」

 文香のまさかの追究に優は早々に白旗を掲げた。

「実は、結婚したいなって思って……」
「は?」

 文香とのやりとりに既視感を抱きながら、優は観念したように愛読書となっている結婚情報誌を取り出す。
 これが結構分厚く重い。
 漸く最近肉がつき始め、筋トレが愉しくなって来た優にとってはダンベルのようなものだ。
 煌びやかなウェディングドレスを着たモデルの笑顔に文香の顔が固まる。
 大学に似つかわしくない雑誌に文香は怯えたように距離を置いた。

「えっ、え? な、に、それ……?」

 ふるふると雑誌を指差す文香に優は照れたように頭をかく。

「ゼク〇ィ」

 優の答えに力なく文香は崩れた。

「……なんで、持ってんの」
「……文香と、結婚したいなーって、この間唐突に思って」
「……唐突すぎるんだけど」

 両手で顔を隠す文香の耳は真っ赤だ。

(あ、これってプロポーズになるのか?)

 優の、プロポーズは夜景の見える高級レストランにしよう!という密かな野望はこうして脆くも崩れ去った。


 二人の恋人時代は少しズレながらも甘く穏やかなものだった。

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