●鬼巌島●

喧騒の花婿

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第三噺『付けてはならぬ』

二【足枷か、希望か】

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「おっと、忘れるところだった。呉葉のことなんだが」


 小声になった天邪鬼先生に春日童子は眉を潜め、耳を欹てる。



「あいつ、最近夜に出歩いているようだぜ。何をしているか知らないが、危険だから注意してやれ」


 春日童子は腕を組んで唸った。



「なんと、天邪鬼先生までが知っているとは驚きですよ。姉は昔からそうだからなあ。神出鬼没なんですよ。ふらふらと散歩するのが好きなんだって。父もそんな姉のことを特に咎めないんです」


「本当かよ。変わっているな」


 苦笑した天邪鬼先生を見ながら、そういえば彼は姉の担任だったと思い出した。



「何故姉の夜遊びを知っているんですか? 天邪鬼先生も夜遊び歩いているんですか?」


「まあ、先生だからな」


 全然理解出来ない理屈を言い、天邪鬼先生は肩を竦めた。



「それと、言いにくいんだが学校で浮いているようだぜ。あの派手な格好は控えたほうが良いと忠告してやれ」


「それ、姉も天邪鬼先生にだけは言われたくないと思います」


 全然言いづらそうでなく、ずばりと言って退けた天邪鬼先生を、春日童子は頭の先から足の先まで眺めながら応戦した。



「あいつ学校でも群れずに一匹でいるぜ。だからそういう類の鬼に目を付けられやすい」


 春日童子は頷いた。恐らく遠回しにいじめを受けていると伝えてくれているのだろう。彼の配慮に感謝しつつ、春日童子は口を開く。



「先程の天邪鬼先生の話じゃないですけれど、姉は諦めの境地に入っているのだと思います。諦めの同義は無関心なんでしょ。他の鬼に対して執着心がまるでないようですからね。一匹でいたほうが楽そうに見えます」


 天邪鬼先生は呆れたように笑うと、再び懐から煙管を取り出して吹かし始めた。中毒になっているようだ。



「今は楽だけで済むことも、将来困るようになるぜ。多少社交的な方が仕事をする際楽なんだがな」


「姉はわりと人間贔屓なんですよ。人間を傷付ける仕事は、恐らく依頼がきても請け負わないでしょうね」


 少し顔を綻ばせて頷く天邪鬼先生を見て、春日童子は不思議そうに首を傾げた。何か面白いことでも言っただろうか。


「まあ僕も気にして見ていてやるよ。つらそうであれば僕が手を出す。それでいいか?」


「構いません」


 天邪鬼先生は何を考えているのか時々わからない鬼だが、責任感を自分に課す部分が好きだった。



「とにかくこれからは解決策を講じるし、呉葉のことは注意深く見守っていることにするから、お前も弟として何か気になることがあったら僕に報告してくれ」


 それを聞いて、春日童子は慌てて手を振った。



「大事になってしまうのは、姉の本意ではないんですよね。我慢して済むことならば、ことを荒立てて欲しくないと強く言われているんですよ。姉はいじめられることに対して精神の重きを置いていないようなので、ボクたち家族も静観しているか、くらいの気持ちでいるんですが」


 平然と言い切った春日童子を驚いたような目で見た天邪鬼先生は、ため息と同時に煙管の煙をはき出した。



「心配じゃないのか?」


 春日童子は少し考えてから言葉を選んで答える。



「外傷を受けたらボクも黙っていませんが、姉は何故か昔から鬼に対しての関心が薄いというか、軽んじている部分があるのは事実です。だから行動するにも一匹で平気だし、群れることも好まない。我が姉ながら強いと思います。協調性という部分に欠けることは、家族全員が認めるところですけどね」


 苦笑した春日童子と同じように、天邪鬼先生も苦笑を返す。



「血を分けた姉がいじめに遭っている事実を知りながら、何もしないとは何ともはや。いじめに気付かなかった僕が言えた義理じゃねえけどさ」



「精神の置き場をどう捉えるかじゃないですか? 群れていた者が突然の孤独になったら不安になるでしょうが、姉は元々一匹で行動することを厭わない鬼でしたから、彼女は寧ろ群れに飛び込んで行く方が苦痛なのかな、と最近ボクは思うわけですよ」


「ふうん」


 同意はしかねるが、納得はしたというような発音の返事を天邪鬼先生は返してきた。それを見て春日童子は頭をかいて誤解を解こうと口を開く。



「だからといっていじめを肯定してはいません。姉をいじめる奴には、教育者である天邪鬼先生の前では口に出して言えないようなことをしてやりたいと思うことだってあります。まあでも、それは姉の本意ではないので決してしませんけど」


 春日童子の言葉に、天邪鬼先生は少し驚いたように目を見開いた。



「おいおい、それはまた過激だな」


 目の奥にある思考でも読み取ろうとしたのか、春日童子の目をじっと見つめながら言った天邪鬼先生は、やがて力を抜いてふっと笑うと左拳で春日童子の頭をこつんと叩いた。



「ただ静観しているわけでもないんだな。冷たい弟だと思ったが、そうでもないらしい」


 全ては姉の望みだからだと春日童子は頷いた。姉の望むことならば春日童子は決して邪魔をしないし、意向を重んじ行動するのが弟の役割だと思っている。



「女神のように崇拝するのもいいけどよ。僕だったらそんなに大切に思う女だったら自分の身を滅ぼしてでも救いたいと思うぜ」


 片方の口元だけにやりと上げて、いつもの癖のある笑顔を向けた天邪鬼先生は、春日童子を試すような目で見た。



「けしかけるようなことを言ったら僕も教育者として失格だな。今のは失言、忘れてくれ。くれぐれも復讐なんてするんじゃねえぞ」


 煙管を咥えながら、格好付けるように春日童子に人差し指を向けた天邪鬼先生の目は、冗談じみて笑っていた。


 彼が具体的に口にし、笑った真意を測りかねた春日童子は少し沈黙した。



「ボクが復讐なんてしたら家族が悲しむだけでしょ。ボクには家族という『足枷』があるから、そんなことはしません」


 春日童子は足枷という部分を強く発音した。


「わかってねえな、そこは『希望』だろうが」


 天邪鬼先生も鼻を鳴らしながら希望という部分を強く発音する。



「先生は鬼らしくない。ボクには眩しすぎる」


「何言ってるんだ。先生らしい完璧な言葉だろうが」


 春日童子は下を向いて少し嬉しそうに笑うと、軽くお辞儀をした。



「そろそろ行きます。今夜も仕事が入っているんですよ」


「おい、論文の再々提出がある分際で、余裕の発言してるんじゃねえよ。まあ無理せずにな」


 おかしそうに笑いながら舞うように手を振った天邪鬼先生に倣い、春日童子も職員室を出る際に同じように手を振った。

   


「春日童子、こっち」


 本日も申の刻に伽羅を迎えに行き、宴会場へと向かうことにした。


 今夜は昨日宴会をした良いおじいさんの大切な持ち物である瘤を大切に小さな箱に入れて持ち歩いていた。



「急遽天狗族から連絡がきたの。今日宴会場にくるのは『悪いおじいさん』で、昨日のおじいさんとは違う人間がくるらしいの。そこで昨日取った瘤を悪いおじいさんに付けて欲しいと言うのよ」



「急に変更になったのか?」


「ええ。とにかくこの瘤は、今日くる人間に付けろという命令よ」



 春日童子は地面を見つめて考え込んだ。神様の依頼内容というものは、どこか不可思議な印象を受ける。


 あやふやというか、見えない糸に誘導されているような、何とも言いようのないもやもやした印象だ。



「人間の身体の一部を奪ったり返還したりすることは鬼であっても許されない行為なのに、神様がこんな命令をするなんておかしな話よね」


 伽羅は大切に保管された瘤を持ちながら呟く。



「変な命令だとは思うけれど、あまり考えないほうが良さそうだぞ。神様なんて気まぐれな生き物の考えなんか、理解する方が難しい」


「そうかもね」

*続く*
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