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4 ヴィンセントの後悔(2)
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「あの子、もしかして子供が欲しくないって言ってヴィンセント様を困らせているのではありませんか?」
何故そんな話になったのか、分からない。
暫く話した後で、メリッサが何気なく言った。
その言葉に、ヴィンセントは社交用の表情も忘れて固まった。
ルイーゼとの新婚生活は順調だった。中々ヴィンセントに振り向いてくれなかったルイーゼだが、結婚してからはヴィンセントによく尽くし、時折ヴィンセントの母親に教えを請いながらも、侯爵家の女主人としての役目をしっかり果たしてくれている。夜の営みもきちんとある。
高位貴族の女性にありがちな浪費や散財もなく、性格も穏やかで両親は勿論、使用人からの評判も良い。
ふたりの結婚はこれ以上ない程上手くいっている。何も問題はない。
――ただひとつを除いては。
見ない振りをして、心の奥底にしまい込んでいた箱を突然こじ開けられ凍り付くヴィンセントを、その表情に付随する感情を、メリッサは見逃さなかった。
「やっぱり……」
わざとらしく目を伏せると、ヴィンセントに身体を寄せそっと囁く。
「ごめんなさい。こんな場所で話すにはデリケートな話でしたね。気遣いが足りませんでしたわ」
「ルイーゼは君に……何か言っているのか」
「それは……」
いかにも何か知っています、という思わせぶりな態度に、いつも通りのヴィンセントなら冷静にあしらい、その場を離れていただろう。
けれどルイーゼのこととなるとヴィンセントは平常心ではいられなかった。
「あの、今更ですけど、こんな場所でする話ではないので……別室に移動しませんか?」
メリッサが周囲を見渡す。会場にはまだ沢山の貴族が残っている。さり気無くヴィンセントたちに視線を送る者もちらほら見受けられる。
良くない選択だと分かってはいたが、ヴィンセントはどうしても知りたかった。ヴィンセントの知らないルイーゼを、メリッサは知っているのだろうと思った。
だから、常ならば決して乗らないメリッサの誘いに乗ってしまった。
「ああ、わかった。移動しよう」
そうして移動した、休憩室として用意されているいくつかの部屋の一室で、ふたりは向き合っていた。ぽつりぽつりと話す内に酔い覚ましに飲んでいたはずの紅茶がいつしか再びアルコールに変わり、その頃にはヴィンセントは胸につかえていたことをぺろりと吐き出してしまっていた。
ルイーゼとの夜の生活に不満があるわけじゃない。
数々の女性と浮名を流して来たヴィンセントと、汚れを知らない無垢なルイーゼ。
ふたりの間には圧倒的な経験値の差という溝が横たわっていたが、慣れないながらも懸命にヴィンセントに応えようとする様は本当に愛しい。
明らかに自分しか男を知らないルイーゼがゆっくりと花開いていくのは楽しみであり、歓びであった。
けれど気になることがひとつ。
結婚してから半年――ルイーゼは未だに避妊薬を飲み続けている。「いずれは跡取りを産まなければいけないけれど、もう暫くはふたりだけの生活を楽しみたい」と。
出会いから結婚まで、強引に勧めた自覚はある。
二人だけで暫く楽しみたいという気持ちもわかる。
それが本当に本心ならば、何も問題はない。
けれど――ルイーゼが告げた言葉は嘘ではないだろうが、どうも他にも理由があるのではと思わずにいられない。
ルイーゼの身体は手に入れた。では心は?
ルイーゼの心は本当に自分に向いているのか?
いずれは俺に、俺と同じように『愛』を向けてくれるのか?
仲睦まじい自分たちの様子を見て、両親も孫の誕生を心待ちにしている。
自分の子供を産んでほしい。
自分とルイーゼの『愛』の証が欲しい。
そうして初めて、ルイーゼと真の家族になれるような気がする。
アルコールの力も相まってか、心情を吐露したヴィンセントにメリッサは言った。
「ヴィンセント様には酷だけれど……あの子、昔からずっと言っていたんです。子供なんて欲しくない。例え貴族としての義務でも、愛している人の子供しか生みたくない。でも私は『愛』がよくわからないから、きっとずっとこの気持ちのまま生きていくのね、って」
実を言えば、メリッサが口にした言葉は随分前、それこそルイーゼがヴィンセントに見初められるよりも前に一度だけ零した言葉をメリッサなりの解釈を加えたものだったが、そんなことは知らないヴィンセントは、頭を殴られたような衝撃に襲われた。
愛している人の子供しか生みたくない……?
だからルイーゼは避妊薬を飲むのをやめないのか?俺のことを愛せないから……?
ヴィンセントは毎日、何度もルイーゼに愛の言葉を伝えている。
「愛している」と囁くヴィンセントにルイーゼは決まってこう返す。「私も好きよ、ヴィンセント」と。
「愛している」に対しての答えが「好き」。
ルイーゼは出会った夜に「『愛』を知らない」と言った。それを証明するかのように、決して軽々しく『愛』を口にすることはしない。
彼女は嘘が嫌いだから。
ヴィンセントに正直でいることを求めたように、自分自身にもそれを課している。
そんな妙に生真面目なところも、好ましく思っていた。けれど――。
今なら何故、ルイーゼの姿が視界に入る度、『愛』を囁かずにいられなかったのか分かる。
不安だったのだ。
ルイーゼを愛している。
ルイーゼだけを愛している。
だから、ルイーゼにも同じように愛されたかった。
気付けば茫然とするヴィンセントにメリッサが擦り寄り、しなだれかかっていた。
メリッサは未婚の令嬢だ。一度ある令息と婚約を結んだものの上手くいかず婚約が解消されて以降、新しい婚約者はまだいないと聞いていた。
密室に二人きりになるわけにはいかないと、メリッサについてきた侍女が部屋の隅に待機していたはずだと思い、振り返るといつの間にか侍女の姿はなく、扉は完全に閉められ室内はメリッサとヴィンセント二人きりになっていた。
「ねえ、ヴィンセント様、本当は色々我慢しているんじゃありません?」
咄嗟に距離を取ろうとしたヴィンセントの腕を胸の間にしっかりと挟むと、メリッサはねっとりした口調で言った。
「私、ヴィンセント様になら何をされても構いませんわ。ルイーゼに出来ないことも、私となら出来るのではなくて?」
メリッサがヴィンセントの太腿を指先でなぞった。メリッサの青みがかった瞳の中に、ルイーゼのペリドットの輝きが煌めいたように見えた。
そこから先は殆ど記憶にない。気付けば裸同然のメリッサをソファに押し倒し、獣のように腰を振っていた。
一度関係を持ってしまえば、そこから先は箍が外れたように何度も関係を持った。
後から思えば、メリッサの侍女にあの時飲んだ紅茶か酒に、理性を緩めるような効果のある薬を盛られていた可能性が高い。酒をどれだけ飲もうが、あんな風に理性を失ってなし崩しに関係を持つことは今まで一度もなかった。記憶の飛び方もおかしい。
けれど、その後のことは言い訳の仕様もない。
ルイーゼに触れる時、ヴィンセントはいつも壊れ物に触れるかのように扱った。
身体の内側にはいつも、マグマのような熱情が滾っていたが、決してそれを悟られないようルイーゼの反応を見ながら、壊れないように、怖がらないように、優しく、そっと触れ合った。
理性を失うことは決してなかった。
だが内側の熱が消えることもなかったのである。
メリッサと関係を持った後、ルイーゼに触れる度感じていた、あの抑圧された荒れ狂う欲が、砂漠に水を撒くような焦燥感が収まっていることに気が付いた。
純粋に愛おしい気持ちだけで、ルイーゼに触れることが出来た。
つまるところヴィンセントには、行き場を求めた熱を、ぶつける場所が必要だったのだ。
ルイーゼにぶつけることが出来ないなら、他の誰かにぶつけるしかない。
そこに都合よくメリッサが現れた。自分から飛び込んできたのだ。
友人の旦那に擦り寄ってくるような恥知らずの女だ。それにメリッサの身体は自分が初めてでは無かった。ならば未婚の令嬢だからといって構うものか。
自分本位に手酷く扱っても、メリッサは文句ひとつ言わなかった。
それどころかはしたなく、発情期の雌犬が如くヴィンセントにもっともっととねだってくる。
どこかでやめなければ、と焦る気持ちと、ルイーゼとの円満な結婚生活のために精々この女を利用してやろうと思う気持ちがないまぜになって、自分でもわけがわからなかった。
一度ねじれた糸は解けることを知らず――そうして、あの女が侯爵家にやってきて全てが壊れた。
メリッサの急襲から二週間近く経っても、ルイーゼがヴィンセントの謝罪を受け取ることはなかった。というより、謝る事さえさせてもらえなかった。
妙な理論でヴィンセントの不実を受け入れることに決めてしまったルイーゼは、浮気が露呈した日以降も、ヴィンセントを責めることはなかった。泣きわめいたり、癇癪を起したり、無視したり、辛く当たられたりすることもない。
いつも通り朝は笑顔で挨拶してくれるし、食事も共にとる。
この一週間で何度か仕事関係で出掛けた際も、行き先や相手を根掘り葉掘り聞いてくるようなこともなかった。かといってヴィンセントに全くの無関心というわけでもない。夫と友人の裏切りなどまるで無かったかのような、これまでの結婚生活と変わらない態度だった。
ショックを受けていないわけではないだろう。
傷ついていないわけでもない。
けれど、ルイーゼは謝ることさえ許してはくれないのだ。
それはまるで――最初からヴィンセントのことなど愛していないと言われているようで、苦しかった。
ルイーゼが情事の相手にマクシミリアンを選んだことも、ヴィンセントに追い打ちをかけた。
十代の頃はそれなりに仲が良かったが、それぞれ異なる立場に立っている今、マクシミリアンとヴィンセントの間に交流はそれほどない。ルイーゼとマクシミリアンが会話したのも、結婚式の時が初めてだったはずだ。
人見知りであまり社交に興味のないルイーゼが、一度しか言葉を交わしたことのないマクシミリアンのことを覚えていたのだ。
マクシミリアンはいい男だ。高位貴族出身で王太子の側近で自身も爵位持ち。
本人は地味だと思っているようだが、整った容貌で、美形の王太子やその周囲と並んでも遜色ない。おまけにその容姿や立場から沢山の女性が寄ってきても、自分のようにあちこち食い散らかすようなことはしていない。
真面目で誠実。幼い頃から利発で、おまけに剣や体術の腕前もある。
ルイーゼは、本当はマクシミリアンのような男が好きなのではないだろうか。
浮かんだ思いを、必死に振り切る。
メリッサがやってきたあの夜以来、毎晩のようにあった夫婦の触れ合いはなくなった。
ルイーゼが拒絶したわけではない。彼女はきっと、ヴィンセントが求めれば今まで通り応じてくれるような気がする。
変わったのはきっとヴィンセントの方だ。彼女に触れるのが怖かった。あの白くて柔らかい肌に触れる度、メリッサのような阿婆擦れと関係を持ってしまったことを軽蔑されるのが怖い。
何よりルイーゼの中に自分への『愛』はあるのか、確かめるのが怖かった。
一体どこから間違ってしまったのだろうか。
拭いきれない後悔が、ヴィンセントの肩に重くのしかかっていた。
何故そんな話になったのか、分からない。
暫く話した後で、メリッサが何気なく言った。
その言葉に、ヴィンセントは社交用の表情も忘れて固まった。
ルイーゼとの新婚生活は順調だった。中々ヴィンセントに振り向いてくれなかったルイーゼだが、結婚してからはヴィンセントによく尽くし、時折ヴィンセントの母親に教えを請いながらも、侯爵家の女主人としての役目をしっかり果たしてくれている。夜の営みもきちんとある。
高位貴族の女性にありがちな浪費や散財もなく、性格も穏やかで両親は勿論、使用人からの評判も良い。
ふたりの結婚はこれ以上ない程上手くいっている。何も問題はない。
――ただひとつを除いては。
見ない振りをして、心の奥底にしまい込んでいた箱を突然こじ開けられ凍り付くヴィンセントを、その表情に付随する感情を、メリッサは見逃さなかった。
「やっぱり……」
わざとらしく目を伏せると、ヴィンセントに身体を寄せそっと囁く。
「ごめんなさい。こんな場所で話すにはデリケートな話でしたね。気遣いが足りませんでしたわ」
「ルイーゼは君に……何か言っているのか」
「それは……」
いかにも何か知っています、という思わせぶりな態度に、いつも通りのヴィンセントなら冷静にあしらい、その場を離れていただろう。
けれどルイーゼのこととなるとヴィンセントは平常心ではいられなかった。
「あの、今更ですけど、こんな場所でする話ではないので……別室に移動しませんか?」
メリッサが周囲を見渡す。会場にはまだ沢山の貴族が残っている。さり気無くヴィンセントたちに視線を送る者もちらほら見受けられる。
良くない選択だと分かってはいたが、ヴィンセントはどうしても知りたかった。ヴィンセントの知らないルイーゼを、メリッサは知っているのだろうと思った。
だから、常ならば決して乗らないメリッサの誘いに乗ってしまった。
「ああ、わかった。移動しよう」
そうして移動した、休憩室として用意されているいくつかの部屋の一室で、ふたりは向き合っていた。ぽつりぽつりと話す内に酔い覚ましに飲んでいたはずの紅茶がいつしか再びアルコールに変わり、その頃にはヴィンセントは胸につかえていたことをぺろりと吐き出してしまっていた。
ルイーゼとの夜の生活に不満があるわけじゃない。
数々の女性と浮名を流して来たヴィンセントと、汚れを知らない無垢なルイーゼ。
ふたりの間には圧倒的な経験値の差という溝が横たわっていたが、慣れないながらも懸命にヴィンセントに応えようとする様は本当に愛しい。
明らかに自分しか男を知らないルイーゼがゆっくりと花開いていくのは楽しみであり、歓びであった。
けれど気になることがひとつ。
結婚してから半年――ルイーゼは未だに避妊薬を飲み続けている。「いずれは跡取りを産まなければいけないけれど、もう暫くはふたりだけの生活を楽しみたい」と。
出会いから結婚まで、強引に勧めた自覚はある。
二人だけで暫く楽しみたいという気持ちもわかる。
それが本当に本心ならば、何も問題はない。
けれど――ルイーゼが告げた言葉は嘘ではないだろうが、どうも他にも理由があるのではと思わずにいられない。
ルイーゼの身体は手に入れた。では心は?
ルイーゼの心は本当に自分に向いているのか?
いずれは俺に、俺と同じように『愛』を向けてくれるのか?
仲睦まじい自分たちの様子を見て、両親も孫の誕生を心待ちにしている。
自分の子供を産んでほしい。
自分とルイーゼの『愛』の証が欲しい。
そうして初めて、ルイーゼと真の家族になれるような気がする。
アルコールの力も相まってか、心情を吐露したヴィンセントにメリッサは言った。
「ヴィンセント様には酷だけれど……あの子、昔からずっと言っていたんです。子供なんて欲しくない。例え貴族としての義務でも、愛している人の子供しか生みたくない。でも私は『愛』がよくわからないから、きっとずっとこの気持ちのまま生きていくのね、って」
実を言えば、メリッサが口にした言葉は随分前、それこそルイーゼがヴィンセントに見初められるよりも前に一度だけ零した言葉をメリッサなりの解釈を加えたものだったが、そんなことは知らないヴィンセントは、頭を殴られたような衝撃に襲われた。
愛している人の子供しか生みたくない……?
だからルイーゼは避妊薬を飲むのをやめないのか?俺のことを愛せないから……?
ヴィンセントは毎日、何度もルイーゼに愛の言葉を伝えている。
「愛している」と囁くヴィンセントにルイーゼは決まってこう返す。「私も好きよ、ヴィンセント」と。
「愛している」に対しての答えが「好き」。
ルイーゼは出会った夜に「『愛』を知らない」と言った。それを証明するかのように、決して軽々しく『愛』を口にすることはしない。
彼女は嘘が嫌いだから。
ヴィンセントに正直でいることを求めたように、自分自身にもそれを課している。
そんな妙に生真面目なところも、好ましく思っていた。けれど――。
今なら何故、ルイーゼの姿が視界に入る度、『愛』を囁かずにいられなかったのか分かる。
不安だったのだ。
ルイーゼを愛している。
ルイーゼだけを愛している。
だから、ルイーゼにも同じように愛されたかった。
気付けば茫然とするヴィンセントにメリッサが擦り寄り、しなだれかかっていた。
メリッサは未婚の令嬢だ。一度ある令息と婚約を結んだものの上手くいかず婚約が解消されて以降、新しい婚約者はまだいないと聞いていた。
密室に二人きりになるわけにはいかないと、メリッサについてきた侍女が部屋の隅に待機していたはずだと思い、振り返るといつの間にか侍女の姿はなく、扉は完全に閉められ室内はメリッサとヴィンセント二人きりになっていた。
「ねえ、ヴィンセント様、本当は色々我慢しているんじゃありません?」
咄嗟に距離を取ろうとしたヴィンセントの腕を胸の間にしっかりと挟むと、メリッサはねっとりした口調で言った。
「私、ヴィンセント様になら何をされても構いませんわ。ルイーゼに出来ないことも、私となら出来るのではなくて?」
メリッサがヴィンセントの太腿を指先でなぞった。メリッサの青みがかった瞳の中に、ルイーゼのペリドットの輝きが煌めいたように見えた。
そこから先は殆ど記憶にない。気付けば裸同然のメリッサをソファに押し倒し、獣のように腰を振っていた。
一度関係を持ってしまえば、そこから先は箍が外れたように何度も関係を持った。
後から思えば、メリッサの侍女にあの時飲んだ紅茶か酒に、理性を緩めるような効果のある薬を盛られていた可能性が高い。酒をどれだけ飲もうが、あんな風に理性を失ってなし崩しに関係を持つことは今まで一度もなかった。記憶の飛び方もおかしい。
けれど、その後のことは言い訳の仕様もない。
ルイーゼに触れる時、ヴィンセントはいつも壊れ物に触れるかのように扱った。
身体の内側にはいつも、マグマのような熱情が滾っていたが、決してそれを悟られないようルイーゼの反応を見ながら、壊れないように、怖がらないように、優しく、そっと触れ合った。
理性を失うことは決してなかった。
だが内側の熱が消えることもなかったのである。
メリッサと関係を持った後、ルイーゼに触れる度感じていた、あの抑圧された荒れ狂う欲が、砂漠に水を撒くような焦燥感が収まっていることに気が付いた。
純粋に愛おしい気持ちだけで、ルイーゼに触れることが出来た。
つまるところヴィンセントには、行き場を求めた熱を、ぶつける場所が必要だったのだ。
ルイーゼにぶつけることが出来ないなら、他の誰かにぶつけるしかない。
そこに都合よくメリッサが現れた。自分から飛び込んできたのだ。
友人の旦那に擦り寄ってくるような恥知らずの女だ。それにメリッサの身体は自分が初めてでは無かった。ならば未婚の令嬢だからといって構うものか。
自分本位に手酷く扱っても、メリッサは文句ひとつ言わなかった。
それどころかはしたなく、発情期の雌犬が如くヴィンセントにもっともっととねだってくる。
どこかでやめなければ、と焦る気持ちと、ルイーゼとの円満な結婚生活のために精々この女を利用してやろうと思う気持ちがないまぜになって、自分でもわけがわからなかった。
一度ねじれた糸は解けることを知らず――そうして、あの女が侯爵家にやってきて全てが壊れた。
メリッサの急襲から二週間近く経っても、ルイーゼがヴィンセントの謝罪を受け取ることはなかった。というより、謝る事さえさせてもらえなかった。
妙な理論でヴィンセントの不実を受け入れることに決めてしまったルイーゼは、浮気が露呈した日以降も、ヴィンセントを責めることはなかった。泣きわめいたり、癇癪を起したり、無視したり、辛く当たられたりすることもない。
いつも通り朝は笑顔で挨拶してくれるし、食事も共にとる。
この一週間で何度か仕事関係で出掛けた際も、行き先や相手を根掘り葉掘り聞いてくるようなこともなかった。かといってヴィンセントに全くの無関心というわけでもない。夫と友人の裏切りなどまるで無かったかのような、これまでの結婚生活と変わらない態度だった。
ショックを受けていないわけではないだろう。
傷ついていないわけでもない。
けれど、ルイーゼは謝ることさえ許してはくれないのだ。
それはまるで――最初からヴィンセントのことなど愛していないと言われているようで、苦しかった。
ルイーゼが情事の相手にマクシミリアンを選んだことも、ヴィンセントに追い打ちをかけた。
十代の頃はそれなりに仲が良かったが、それぞれ異なる立場に立っている今、マクシミリアンとヴィンセントの間に交流はそれほどない。ルイーゼとマクシミリアンが会話したのも、結婚式の時が初めてだったはずだ。
人見知りであまり社交に興味のないルイーゼが、一度しか言葉を交わしたことのないマクシミリアンのことを覚えていたのだ。
マクシミリアンはいい男だ。高位貴族出身で王太子の側近で自身も爵位持ち。
本人は地味だと思っているようだが、整った容貌で、美形の王太子やその周囲と並んでも遜色ない。おまけにその容姿や立場から沢山の女性が寄ってきても、自分のようにあちこち食い散らかすようなことはしていない。
真面目で誠実。幼い頃から利発で、おまけに剣や体術の腕前もある。
ルイーゼは、本当はマクシミリアンのような男が好きなのではないだろうか。
浮かんだ思いを、必死に振り切る。
メリッサがやってきたあの夜以来、毎晩のようにあった夫婦の触れ合いはなくなった。
ルイーゼが拒絶したわけではない。彼女はきっと、ヴィンセントが求めれば今まで通り応じてくれるような気がする。
変わったのはきっとヴィンセントの方だ。彼女に触れるのが怖かった。あの白くて柔らかい肌に触れる度、メリッサのような阿婆擦れと関係を持ってしまったことを軽蔑されるのが怖い。
何よりルイーゼの中に自分への『愛』はあるのか、確かめるのが怖かった。
一体どこから間違ってしまったのだろうか。
拭いきれない後悔が、ヴィンセントの肩に重くのしかかっていた。
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お優しい言葉、ありがとうございます(* > <)⁾⁾*_ _)ペコリ
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なるべく早く更新したいとは思っているので、気長にお待ちいただけると嬉しいです……!
R15なので、一応身体の関係についてはまだまだ、になるかなーと思うのですが、なるべくその方向で練り直してみますね。
どら様も、体調にはお気を付けください(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚