上 下
6 / 6

4 ヴィンセントの後悔(2)

しおりを挟む
「あの子、もしかして子供が欲しくないって言ってヴィンセント様を困らせているのではありませんか?」



 何故そんな話になったのか、分からない。

 暫く話した後で、メリッサが何気なく言った。



 その言葉に、ヴィンセントは社交用の表情も忘れて固まった。



 ルイーゼとの新婚生活は順調だった。中々ヴィンセントに振り向いてくれなかったルイーゼだが、結婚してからはヴィンセントによく尽くし、時折ヴィンセントの母親に教えを請いながらも、侯爵家の女主人としての役目をしっかり果たしてくれている。夜の営みもきちんとある。

 高位貴族の女性にありがちな浪費や散財もなく、性格も穏やかで両親は勿論、使用人からの評判も良い。

 ふたりの結婚はこれ以上ない程上手くいっている。何も問題はない。



 ――ただひとつを除いては。



 見ない振りをして、心の奥底にしまい込んでいた箱を突然こじ開けられ凍り付くヴィンセントを、その表情に付随する感情を、メリッサは見逃さなかった。



「やっぱり……」



 わざとらしく目を伏せると、ヴィンセントに身体を寄せそっと囁く。



「ごめんなさい。こんな場所で話すにはデリケートな話でしたね。気遣いが足りませんでしたわ」

「ルイーゼは君に……何か言っているのか」

「それは……」



 いかにも何か知っています、という思わせぶりな態度に、いつも通りのヴィンセントなら冷静にあしらい、その場を離れていただろう。

 けれどルイーゼのこととなるとヴィンセントは平常心ではいられなかった。



「あの、今更ですけど、こんな場所でする話ではないので……別室に移動しませんか?」



 メリッサが周囲を見渡す。会場にはまだ沢山の貴族が残っている。さり気無くヴィンセントたちに視線を送る者もちらほら見受けられる。

 良くない選択だと分かってはいたが、ヴィンセントはどうしても知りたかった。ヴィンセントの知らないルイーゼを、メリッサは知っているのだろうと思った。

 だから、常ならば決して乗らないメリッサの誘いに乗ってしまった。



「ああ、わかった。移動しよう」



 そうして移動した、休憩室として用意されているいくつかの部屋の一室で、ふたりは向き合っていた。ぽつりぽつりと話す内に酔い覚ましに飲んでいたはずの紅茶がいつしか再びアルコールに変わり、その頃にはヴィンセントは胸につかえていたことをぺろりと吐き出してしまっていた。



 ルイーゼとの夜の生活に不満があるわけじゃない。

 数々の女性と浮名を流して来たヴィンセントと、汚れを知らない無垢なルイーゼ。

 ふたりの間には圧倒的な経験値の差という溝が横たわっていたが、慣れないながらも懸命にヴィンセントに応えようとする様は本当に愛しい。

 明らかに自分しか男を知らないルイーゼがゆっくりと花開いていくのは楽しみであり、歓びであった。



 けれど気になることがひとつ。

 結婚してから半年――ルイーゼは未だに避妊薬を飲み続けている。「いずれは跡取りを産まなければいけないけれど、もう暫くはふたりだけの生活を楽しみたい」と。



 出会いから結婚まで、強引に勧めた自覚はある。

 二人だけで暫く楽しみたいという気持ちもわかる。

 それが本当に本心ならば、何も問題はない。



 けれど――ルイーゼが告げた言葉は嘘ではないだろうが、どうも他にも理由があるのではと思わずにいられない。



 ルイーゼの身体は手に入れた。では心は?

 ルイーゼの心は本当に自分に向いているのか?

 いずれは俺に、俺と同じように『愛』を向けてくれるのか?



 仲睦まじい自分たちの様子を見て、両親も孫の誕生を心待ちにしている。

 自分の子供を産んでほしい。

 自分とルイーゼの『愛』の証が欲しい。

 そうして初めて、ルイーゼと真の家族になれるような気がする。



 アルコールの力も相まってか、心情を吐露したヴィンセントにメリッサは言った。


「ヴィンセント様には酷だけれど……あの子、昔からずっと言っていたんです。子供なんて欲しくない。例え貴族としての義務でも、愛している人の子供しか生みたくない。でも私は『愛』がよくわからないから、きっとずっとこの気持ちのまま生きていくのね、って」


 実を言えば、メリッサが口にした言葉は随分前、それこそルイーゼがヴィンセントに見初められるよりも前に一度だけ零した言葉をを加えたものだったが、そんなことは知らないヴィンセントは、頭を殴られたような衝撃に襲われた。
 愛している人の子供しか生みたくない……?

 だからルイーゼは避妊薬を飲むのをやめないのか?俺のことを愛せないから……?



 ヴィンセントは毎日、何度もルイーゼに愛の言葉を伝えている。

 「愛している」と囁くヴィンセントにルイーゼは決まってこう返す。「私も好きよ、ヴィンセント」と。



 「愛している」に対しての答えが「好き」。

 ルイーゼは出会った夜に「『愛』を知らない」と言った。それを証明するかのように、決して軽々しく『愛』を口にすることはしない。



 彼女は嘘が嫌いだから。

 ヴィンセントに正直でいることを求めたように、自分自身にもそれを課している。

 そんな妙に生真面目なところも、好ましく思っていた。けれど――。



 今なら何故、ルイーゼの姿が視界に入る度、『愛』を囁かずにいられなかったのか分かる。

 不安だったのだ。

 ルイーゼを愛している。

 ルイーゼだけを愛している。

 だから、ルイーゼにも同じように愛されたかった。



 気付けば茫然とするヴィンセントにメリッサが擦り寄り、しなだれかかっていた。

 メリッサは未婚の令嬢だ。一度ある令息と婚約を結んだものの上手くいかず婚約が解消されて以降、新しい婚約者はまだいないと聞いていた。

 密室に二人きりになるわけにはいかないと、メリッサについてきた侍女が部屋の隅に待機していたはずだと思い、振り返るといつの間にか侍女の姿はなく、扉は完全に閉められ室内はメリッサとヴィンセント二人きりになっていた。



「ねえ、ヴィンセント様、本当は色々我慢しているんじゃありません?」


 咄嗟に距離を取ろうとしたヴィンセントの腕を胸の間にしっかりと挟むと、メリッサはねっとりした口調で言った。


「私、ヴィンセント様になら何をされても構いませんわ。ルイーゼに出来ないことも、私となら出来るのではなくて?」


 メリッサがヴィンセントの太腿を指先でなぞった。メリッサの青みがかった瞳の中に、ルイーゼのペリドットの輝きが煌めいたように見えた。

 そこから先は殆ど記憶にない。気付けば裸同然のメリッサをソファに押し倒し、獣のように腰を振っていた。



 一度関係を持ってしまえば、そこから先は箍が外れたように何度も関係を持った。

 後から思えば、メリッサの侍女にあの時飲んだ紅茶か酒に、理性を緩めるような効果のある薬を盛られていた可能性が高い。酒をどれだけ飲もうが、あんな風に理性を失ってなし崩しに関係を持つことは今まで一度もなかった。記憶の飛び方もおかしい。


 けれど、その後のことは言い訳の仕様もない。


 ルイーゼに触れる時、ヴィンセントはいつも壊れ物に触れるかのように扱った。

 身体の内側にはいつも、マグマのような熱情が滾っていたが、決してそれを悟られないようルイーゼの反応を見ながら、壊れないように、怖がらないように、優しく、そっと触れ合った。

 理性を失うことは決してなかった。

 だが内側の熱が消えることもなかったのである。



 メリッサと関係を持った後、ルイーゼに触れる度感じていた、あの抑圧された荒れ狂う欲が、砂漠に水を撒くような焦燥感が収まっていることに気が付いた。

 純粋に愛おしい気持ちだけで、ルイーゼに触れることが出来た。


 つまるところヴィンセントには、行き場を求めた熱を、ぶつける場所が必要だったのだ。
 ルイーゼにぶつけることが出来ないなら、他の誰かにぶつけるしかない。


 そこに都合よくメリッサが現れた。自分から飛び込んできたのだ。
 友人の旦那に擦り寄ってくるような恥知らずの女だ。それにメリッサの身体は自分がでは無かった。ならば未婚の令嬢だからといって構うものか。

自分本位に手酷く扱っても、メリッサは文句ひとつ言わなかった。

 それどころかはしたなく、発情期の雌犬が如くヴィンセントにもっともっととねだってくる。



 どこかでやめなければ、と焦る気持ちと、ルイーゼとの円満な結婚生活のために精々この女を利用してやろうと思う気持ちがないまぜになって、自分でもわけがわからなかった。



 一度ねじれた糸は解けることを知らず――そうして、あの女が侯爵家にやってきて全てが壊れた。





 メリッサの急襲から二週間近く経っても、ルイーゼがヴィンセントの謝罪を受け取ることはなかった。というより、謝る事さえさせてもらえなかった。

 妙な理論でヴィンセントの不実を受け入れることに決めてしまったルイーゼは、浮気が露呈した日以降も、ヴィンセントを責めることはなかった。泣きわめいたり、癇癪を起したり、無視したり、辛く当たられたりすることもない。



 いつも通り朝は笑顔で挨拶してくれるし、食事も共にとる。

 この一週間で何度か仕事関係で出掛けた際も、行き先や相手を根掘り葉掘り聞いてくるようなこともなかった。かといってヴィンセントに全くの無関心というわけでもない。夫と友人の裏切りなどまるで無かったかのような、これまでの結婚生活と変わらない態度だった。



 ショックを受けていないわけではないだろう。

 傷ついていないわけでもない。

 けれど、ルイーゼは謝ることさえ許してはくれないのだ。

 それはまるで――最初からヴィンセントのことなど愛していないと言われているようで、苦しかった。



 ルイーゼが情事の相手にマクシミリアンを選んだことも、ヴィンセントに追い打ちをかけた。

 十代の頃はそれなりに仲が良かったが、それぞれ異なる立場に立っている今、マクシミリアンとヴィンセントの間に交流はそれほどない。ルイーゼとマクシミリアンが会話したのも、結婚式の時が初めてだったはずだ。

 人見知りであまり社交に興味のないルイーゼが、一度しか言葉を交わしたことのないマクシミリアンのことを覚えていたのだ。



 マクシミリアンはいい男だ。高位貴族出身で王太子の側近で自身も爵位持ち。

 本人は地味だと思っているようだが、整った容貌で、美形の王太子やその周囲と並んでも遜色ない。おまけにその容姿や立場から沢山の女性が寄ってきても、自分のようにあちこち食い散らかすようなことはしていない。

 真面目で誠実。幼い頃から利発で、おまけに剣や体術の腕前もある。



 ルイーゼは、本当はマクシミリアンのような男が好きなのではないだろうか。

 浮かんだ思いを、必死に振り切る。



 メリッサがやってきたあの夜以来、毎晩のようにあった夫婦の触れ合いはなくなった。

 ルイーゼが拒絶したわけではない。彼女はきっと、ヴィンセントが求めれば今まで通り応じてくれるような気がする。



 変わったのはきっとヴィンセントの方だ。彼女に触れるのが怖かった。あの白くて柔らかい肌に触れる度、メリッサのような阿婆擦れと関係を持ってしまったことを軽蔑されるのが怖い。

 何よりルイーゼの中に自分への『愛』はあるのか、確かめるのが怖かった。



 一体どこから間違ってしまったのだろうか。



 拭いきれない後悔が、ヴィンセントの肩に重くのしかかっていた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(13件)

Sugar0117
2022.10.18 Sugar0117

「初恋の〜」他にも『〜なろう』にも読み散らかしている読者です。コミックから始まり原作者を検索してただの読者専門の人間ですが…200人以上の作者様で千件以上の作品を読んでます。
とても読み進め易く、一作品は短編(長編も読むけど根気が続かなくなった初老人なんです^^;)で非常に纏まっているなぁと感心しています!
不運な出来事があり更新が進んでいない状況の様ですが、どうか一読者の願いが届きます様に‼️この作品の更新をお待ちしています♪

解除
あましょく
2022.07.17 あましょく

初恋の終わり〜からコチラに。
携帯が破損してプロットが😢という事ですが、離婚を期待してお待ちしてます。
クズな浮気男ざまあが大好きなのもありますが、主人公が中々クセモノっぽくて尚更にワクワクします。
クズ元夫(まだ離婚してないけどw)主人公に誠実でありさえすれば、いずれ主人公に深く愛されただろうに・・・
毎回ベッドインするかはともかく、キッチリ45回デートしてから離婚して元夫を地獄に突き落としてやってほしいですねぇ。

解除
どら
2022.07.06 どら

えーっ 携帯破損ですか!
プロットにメモが消えてしまうとは。。。何ともお声掛けすればいいのか…
今 騒ぎのauなど機械は便利ですけど何か不具合等が起こると大変ですよね⤵


ものを創り出すのは大変な事なので 無理しないで また 楽しく書けるようになりましたら宜しくお願いします🙏
とても気になるので ちゃんと ブックマークしたまま のんびりお待ちしてますね(=^・^=)


それと 前の感想打ち間違えてました ストーリーですm(_ _)m

あと書き忘れてた事が
ルイーゼちゃん デートは良いけど身体の関係方面は離婚してからにしてね!
浮気糞旦那に両親と同じレベルに落ちるから。



猛暑にコ ロ ナ等 お体にお気をつけて!

あんこ
2022.07.07 あんこ

感想ありがとうございます。

お優しい言葉、ありがとうございます(* > <)⁾⁾*_ _)ペコリ
歯医者に走っていく途中でこけまして、アスファルトにどーん、とやっちまいました。
なるべく早く更新したいとは思っているので、気長にお待ちいただけると嬉しいです……!

R15なので、一応身体の関係についてはまだまだ、になるかなーと思うのですが、なるべくその方向で練り直してみますね。

どら様も、体調にはお気を付けください(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚

解除

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

最近様子のおかしい夫と女の密会現場をおさえてやった

家紋武範
恋愛
 最近夫の行動が怪しく見える。ひょっとしたら浮気ではないかと、出掛ける後をつけてみると、そこには女がいた──。

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

俺の愛してる人だよ・・・浮気相手を平気で家に連れて来て離婚すると言い出す夫に怒り爆発!

白崎アイド
大衆娯楽
浮気相手の女性を家に平気で連れて来た夫に驚く。 悪びれもない態度を見せる夫に、私は心底悲しくなる。 そこで、離婚してやる代わりに、ある条件を言い渡した。

最愛の幼馴染みと親友に裏切られた俺を救ってくれたのはもう一人の幼馴染みだった

音の中
恋愛
山岸優李には、2人の幼馴染みと1人の親友がいる。 そして幼馴染みの内1人は、俺の大切で最愛の彼女だ。 4人で俺の部屋で遊んでいたときに、俺と彼女ではないもう一人の幼馴染み、美山 奏は限定ロールケーキを買いに出掛けた。ところが俺の凡ミスで急遽家に戻ると、俺の部屋から大きな音がしたので慌てて部屋に入った。するといつもと様子の違う2人が「虫が〜〜」などと言っている。能天気な俺は何も気付かなかったが、奏は敏感に違和感を感じ取っていた。 これは、俺のことを裏切った幼馴染みと親友、そして俺のことを救ってくれたもう一人の幼馴染みの物語だ。 -- 【登場人物】 山岸 優李:裏切られた主人公 美山 奏:救った幼馴染み 坂下 羽月:裏切った幼馴染みで彼女。 北島 光輝:裏切った親友 -- この物語は『NTR』と『復讐』をテーマにしています。 ですが、過激なことはしない予定なので、あまりスカッとする復讐劇にはならないかも知れません。あと、復讐はかなり後半になると思います。 人によっては不満に思うこともあるかもです。 そう感じさせてしまったら申し訳ありません。 また、ストーリー自体はテンプレだと思います。 -- 筆者はNTRが好きではなく、純愛が好きです。 なので純愛要素も盛り込んでいきたいと考えています。 小説自体描いたのはこちらが初めてなので、読みにくい箇所が散見するかも知れません。 生暖かい目で見守って頂けたら幸いです。 ちなみにNTR的な胸糞な展開は第1章で終わる予定。

夫が隣国の王女と秘密の逢瀬を重ねているようです

hana
恋愛
小国アーヴェル王国。若き領主アレクシスと結婚を果たしたイザベルは、彼の不倫現場を目撃してしまう。相手は隣国の王女フローラで、もう何回も逢瀬を重ねているよう。イザベルはアレクシスを問い詰めるが、返ってきたのは「不倫なんてしていない」という言葉で……

浮気を繰り返す彼氏とそれに疲れた私

柊 うたさ
恋愛
付き合って8年、繰り返される浮気と枯れ果てた気持ち。浮気を許すその先に幸せってあるのだろうか。 *ある意味ハッピーエンド…? *小説家になろうの方でも掲載しています    

愛されたのは私の妹

杉本凪咲
恋愛
そうですか、離婚ですか。 そんなに妹のことが大好きなんですね。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。