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第十二章
終焉
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「久しぶりだな――オト」
そこに居たのはもう何年も前に別れた、かつての親友。オクタヴィアを汚し、ルキウスに不幸の種を植え付けた張本人だった。
久しぶりに見た顔は、年月を刻み、以前よりもさらに逞しくなっているような気がした。
相変わらず整ったその顔立ちに、ふっと笑みが洩れる。
燃え上がっていたはずの憎しみは、姿を見せなかった。
代わりに現れたのは、懐かしさと不思議な心地よさだけである。
オトの顔にも、笑みが浮かぶ。歩み寄ってくる姿が、優雅だった。
すぅっと、右手が差し出される。
「やっと見つけた――良かった、ずっとお前を探していたんだ」
懐かしさにほだされて、忘れたわけではない。彼が今では、敵となっている現実を。
オトに捕らえられ、生き恥を晒す自分の姿が脳裏に浮かんだ。
女と知られて処刑され、歴史からも名を消される、最悪の事態が。
そうは、させない。
ルキウスは、オトが自分の元に辿り着くよりも早く、腰に吊るした短剣を握りしめると、自らの喉に突き立てた。
突然のことに反応できなかったのだろう。制止の声すら上げられず、愕然とした表情を晒すオトが、おかしかった。
喜ぶのにも、時間がかかるのだろうか。それとも、彼も私と同じように、反逆しながらも複雑な想いを抱えてくれていたのか。
――あの懐かしい日々を、少しは思い出してくれたのだろうか。
どさりと、思っていたよりも重い音と共に、地面に倒れる衝撃を覚えた。
息が、苦しくなっていく。
――当然だ。流れる血潮と共に、もうすぐ生命を失うのだから。
けれど、その前に言っておかなければならないことがある。かつて自分に寄せてくれた好意が、今でも少しは残っていることを願いながら。
「オ……ト、頼みが――」
口から洩れたのは、掠れた声だった。ヒューヒューと、濁った嫌な音も混じる。
我に返ったのか、慌てた様子でオトが駆け寄ってきた。抱き起こされ、首の傷を覆うように長衣がかけられる。
これが、彼の優しさか。せめてもの憐憫か。
ならばきっと、大丈夫。安堵が、胸に沸く。
「頼む、私が、死んだら……この体を、焼いてくれ。すぐに、だ。誰の目にも、触れさせないで――」
「わかった。必ず――約束する」
オトが、ルキウスの手をぐっと握りしめてくれる。
冷たくなっていく指先に、彼の手は非常に温かかった。その体温が、力を失いつつある身体に染み入ってくる。
死に塗れた自分の最期としては、上出来だった。
「ありがとう――オト」
口にしたけれど、声になっていたかどうかは自信はない。せめて気持ちが、彼に伝わればいいのだけれど。
表情を確かめたくて、かすむ視界の中、オトを見上げる。月を背負った彼の姿は、影のように見えた。
蒼く輝く月、溢れた血液の温かさ――そして、影の男。
ガイウスと出会ったあの瞬間を彷彿とさせる絵に、知らず笑みを刻む。あの頃は幸せだったと、ゆっくりと瞼を下した。
――ああ、ガイウス、オクタヴィア。
今から行く。やっと会える。やっとこの、長い悪夢から解放される。
胸いっぱいの安堵と共に、ルキウスの瞳に最後に映った光景は、オトが流した、月明かりに輝く涙の一滴だった。
「――莫迦が」
ルキウスの息が途絶えたのを知り、オトは吐き捨てる。
肩が震えた。涙が溢れ、隠しきれない嗚咽が口をついて出る。
「言ったはずだ。おれはいつでも、お前の味方だと――」
ルキウスの耳に届くことはない。
わかっている、魂は体を離れ、死出の旅路へと向かったのだと――浮かべられた穏やかな微笑みから、死こそが安らぎであったのだろうと。
それでも、最後まで叶わず、伝わることさえなかった想いを告げずにはいられなかった。
そこに居たのはもう何年も前に別れた、かつての親友。オクタヴィアを汚し、ルキウスに不幸の種を植え付けた張本人だった。
久しぶりに見た顔は、年月を刻み、以前よりもさらに逞しくなっているような気がした。
相変わらず整ったその顔立ちに、ふっと笑みが洩れる。
燃え上がっていたはずの憎しみは、姿を見せなかった。
代わりに現れたのは、懐かしさと不思議な心地よさだけである。
オトの顔にも、笑みが浮かぶ。歩み寄ってくる姿が、優雅だった。
すぅっと、右手が差し出される。
「やっと見つけた――良かった、ずっとお前を探していたんだ」
懐かしさにほだされて、忘れたわけではない。彼が今では、敵となっている現実を。
オトに捕らえられ、生き恥を晒す自分の姿が脳裏に浮かんだ。
女と知られて処刑され、歴史からも名を消される、最悪の事態が。
そうは、させない。
ルキウスは、オトが自分の元に辿り着くよりも早く、腰に吊るした短剣を握りしめると、自らの喉に突き立てた。
突然のことに反応できなかったのだろう。制止の声すら上げられず、愕然とした表情を晒すオトが、おかしかった。
喜ぶのにも、時間がかかるのだろうか。それとも、彼も私と同じように、反逆しながらも複雑な想いを抱えてくれていたのか。
――あの懐かしい日々を、少しは思い出してくれたのだろうか。
どさりと、思っていたよりも重い音と共に、地面に倒れる衝撃を覚えた。
息が、苦しくなっていく。
――当然だ。流れる血潮と共に、もうすぐ生命を失うのだから。
けれど、その前に言っておかなければならないことがある。かつて自分に寄せてくれた好意が、今でも少しは残っていることを願いながら。
「オ……ト、頼みが――」
口から洩れたのは、掠れた声だった。ヒューヒューと、濁った嫌な音も混じる。
我に返ったのか、慌てた様子でオトが駆け寄ってきた。抱き起こされ、首の傷を覆うように長衣がかけられる。
これが、彼の優しさか。せめてもの憐憫か。
ならばきっと、大丈夫。安堵が、胸に沸く。
「頼む、私が、死んだら……この体を、焼いてくれ。すぐに、だ。誰の目にも、触れさせないで――」
「わかった。必ず――約束する」
オトが、ルキウスの手をぐっと握りしめてくれる。
冷たくなっていく指先に、彼の手は非常に温かかった。その体温が、力を失いつつある身体に染み入ってくる。
死に塗れた自分の最期としては、上出来だった。
「ありがとう――オト」
口にしたけれど、声になっていたかどうかは自信はない。せめて気持ちが、彼に伝わればいいのだけれど。
表情を確かめたくて、かすむ視界の中、オトを見上げる。月を背負った彼の姿は、影のように見えた。
蒼く輝く月、溢れた血液の温かさ――そして、影の男。
ガイウスと出会ったあの瞬間を彷彿とさせる絵に、知らず笑みを刻む。あの頃は幸せだったと、ゆっくりと瞼を下した。
――ああ、ガイウス、オクタヴィア。
今から行く。やっと会える。やっとこの、長い悪夢から解放される。
胸いっぱいの安堵と共に、ルキウスの瞳に最後に映った光景は、オトが流した、月明かりに輝く涙の一滴だった。
「――莫迦が」
ルキウスの息が途絶えたのを知り、オトは吐き捨てる。
肩が震えた。涙が溢れ、隠しきれない嗚咽が口をついて出る。
「言ったはずだ。おれはいつでも、お前の味方だと――」
ルキウスの耳に届くことはない。
わかっている、魂は体を離れ、死出の旅路へと向かったのだと――浮かべられた穏やかな微笑みから、死こそが安らぎであったのだろうと。
それでも、最後まで叶わず、伝わることさえなかった想いを告げずにはいられなかった。
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