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第十章

挑発

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 ミリクスの訴えから発覚した暗殺計画は、想定以上の広がりを見せた。
 拷問の道具を見せると、ナタリスはそれだけであっさりと罪を告白した。スカエヴィヌスも彼が白状したのを知ると、観念したのか、仲間の名を次々と上げたのだ。

 首謀者は、カルプルニウス・ピソ。
 その人物を、ルキウスはよく知っていた。詩の才能はルキウスが羨む程で、有力な貴族、また品行方正で知られる、ずっと目をかけてきた人物だった。
 それだけではない。次期執政官に決まっていたプラトゥス・ラテラヌス、司令官のファミウス・ルフスと、いずれ劣らぬ名士達が名を連ねていた。

 その上、一味の中にはセネカの名も挙がっていた。

 幼い頃には家庭教師を、皇帝になってからも傅育官として傍にいた、かつての師。
 性格には多少問題があったけれど、それでも今のルキウスがあるのは、彼が与えてくれた知識が影響していることは否定できない。
 己を形作る重要な部分を担ってくれた人が、裏切った。衝撃は少なくはない。

 もっとも、セネカが現在の境遇に不満を覚えていることはわかっていた。彼が自ら身を引いた形にはなっているが、ルキウスに追いつめられたと考え、逆恨みしているだろうことも予測はできる。
 だが、それでも、最後の弟子を殺そうとするとは、さすがに思っていなかった。

 皇帝暗殺は、ローマにおいて最も重い罪悪だ。彼らには余すことなく、死刑の宣告がなされた。

 ルキウスの心労は頂点に達していた。
 大火による死者、負傷者の多さ。
 その後、責任を取る形で処刑した、クリストゥス信仰者達への迫害行為――そして今回の、陰謀事件。
 これらの中で命を落とした人間は、百を下らなかった。

 それらすべての人間が、ルキウスを呪っている気がする。
 枕元に入れ代わり立ち代わり、怨霊が現れているのではないかと、夜も眠れなかった。
 復讐の女神、フリアエ達の幻聴にもまた、悩まされる日々が続いていた。

 ガイウスとの逢瀬も、ただただ罪悪感に拍車をかける。罪を重ねているようにしか思えず、心が痛い。

 後はもう、慰めにもならぬ酒に溺れるだけだった。毎夜、浴びるように飲んでは寝台に倒れ込む。
 悪夢にうなされ、充分に休めるはずもなかったが、それでも体が要求するままに睡眠を貪れた。
 今夜もまた酒に頼り、ソファに体を投げ出していたルキウスは不意に目を覚ます。

「――ポッパエア」

 目を開けた時、視界に飛び込んできたのは不自然に体を寄せてくる彼女の姿だった。
 常であればきっと、飛び起きる。けれど酒で朦朧とした意識の中、ぼんやりと名を呼ぶだけにとどまった。

 ルキウスが一人で杯を傾けるのは、オクタヴィアと過ごした宮殿、あの私室だった。今夜も例外ではない。
 否、最近ではポッパエアの住む宮殿には公務のために赴くだけで、真っ直ぐここへ戻ってくる事の方が多い。
 だからそもそも、この場所にポッパエアがいることはあり得ないのだ。

 何か、急用でもあるのだろうか。
 しかし、悠長に体を寄せてきたりしている所を見ると、緊急事態とも思えない。
 浮かべられたポッパエアの微笑みが無性に腹立たしくて、不機嫌を隠しもせずに片手で彼女を押しのける。

「何故君がここにいる」

 言外に、出て行けと言っているつもりだった。
 わからないはずもないのに、ポッパエアは相も変わらずただ、妖艶な笑みを刻んでいる。

「あなたの慰めになりたくて」

 体を起こしたルキウスの首に、ポッパエアの腕が絡みついてくる。
 何を言いたいのか――何を欲しているのか。
 悟ると、込み上げてくる嫌悪感を隠しきれなかった。
 彼女の腕を振り払い、立ち上がる。

「以前にも言ったはずだ。私が愛している女性は、オクタヴィアだけだ。彼女以外の女を抱くことなど、あり得ない」

 事実とは、少し違う。ルキウスがオクタヴィアを抱いたことなど、一度もなかった。
 同時に、真実でもあった。同性でありながら、ルキウスは確かにオクタヴィアに惹かれていた。
 それは彼女が女だからではない。オクタヴィアだったからだ。
 オクタヴィア以外の同性に恋心を抱くなど、到底考えられなかった。

 ポッパエアが、ぎり、と唇を噛みしめる。

「オクタヴィアは――あなたの先妻は、私以上に美しかったと?」
「いや。君以上に見目麗しい女性を見たことはない」
「だとしたら――」
「オクタヴィアは特別だ。彼女の美しさは容姿だけではない。その心の優しさこそが、私の中で彼女を唯一の存在とした」

 自らの口で語りながら、オクタヴィアの面影を脳裏に描く。
 最後は自分が殺したに等しい彼女――それでも愛しさが消えたことはない。

 ポッパエアが、チッと舌打ちをする。

「女は彼女だけでも、男は誰でもいいのね、あなたは」

 吐き捨てられた言葉に、ぴくりと片眉を跳ね上げる。

「どういう意味だ?」
「そのままよ。マルクスに始まり、今はあのペトロニウスと関係している。女を抱くのは苦手でも、男に抱かれるのは得意なようね。情けないわ、一国の皇帝ともあろう者が、男に組み敷かれるなんて――」

 マルクス。一瞬誰のことかと思ったが、オトのファーストネームだった。
 なるほど、元妻であるポッパエアがそう呼ぶのは自然だった。
 そう思う程には、まだ冷静さは残っていた。

 ポッパエアの挑発は、無駄だった。
 一国の皇帝が情けない、そう言われればルキウスがむきになるとでも思ったのだろう。食ってかかれば、ならば抱いてみろとでもけしかけるつもりなのは目に見えている。

 ――ご苦労なことだ、私が女とも知らずに。

「好きに言うがいい」

 嘲笑を浮かべる余裕すら出てくる。

 そもそも、ポッパエアから非難を受ける理由はない。ルキウスは確かに言ったはずだ、この結婚は形ばかりの茶番にすぎないと。
 ただ彼女が過信していただけだ。自分程の美貌に、世の男が靡かないはずがない。名実共に皇后の地位と名誉を手に入れられると。

 なのに一向に振り向かず、冷淡に扱うルキウスの態度が気に入らないのだろう。女としての誇りなのか、意地なのか――どちらにせよ、応えてやる義理はない。

「――ばからしい」

 ハッ、と吐き捨てて、ばさりと髪をかき上げる。

「このようなことになるのなら、皇后になどならなければよかった。妻を男に寝取られる間抜けな皇帝なんて」

 発せられる悪態は、ルキウスに対してだけではない。だからこそ腹が立つ。

「寝取られたわけではない。オクタヴィアはそのような女ではないのだから。――君と違ってね。何も知らないのに、彼女を侮辱しないでほしい」
「知っているわ」

 はん、と鼻を鳴らす仕草は、とてもではないが皇后としては落第点だった。
 やはり、取るに足らぬ女だ。
 嘲りの感情は、次のポッパエアの言葉で驚愕へと変わった。

「――マルクスでしょう?」

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