冥合奇譚

月島 成生

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第二章

2.違和感

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 三時限目の家庭科で、まず準備はエプロンと三角巾をつけることだった。
 エプロンはともかく、三角巾がなんとも似合わない。かといって鏡を見ながら丹念に形を整えるのも性に合わず、適当に頭に巻いた。

 こういうのは女子の方が似合うなと、同じ班の二人を見て思う。
 仲がいいからお揃いにしているのだろう、黒地に白い猫の絵の入ったエプロンも、それぞれ印象が違った。長身の香織はシュッとしてどこかスタイリッシュなのに対し、小柄な胡桃には可愛らしさがある。

 ちなみに、聞けば胡桃だけでなく、香織も家庭科の時間くらいしか調理経験はないらしい。ついでにもうひとりの男子、健人けんとも同じ状態らしく、克海がある程度できるのを知っているからこそペアを申し込んできた状況だった。

 端から克海に任せるつもりだった三人だけれど、もちろんそこまで甘くない。授業なのだからちゃんとやりなさいと、まるで教師のような説教をしてやった。
 幸いにも、ミネストローネとポテトサラダ、ペペロンチーノと失敗の少ないメニューだった。ちゃんと火さえ通っていれば、多少形が不ぞろいでも大丈夫だろう。
 胡桃と香織にはミネストローネのために野菜を切ってもらい、克海と健人はポテトサラダ用のジャガイモの皮むきから始めた。

「えぇっと……どう切ったらいいの?」

 皮をむくのが香織、切るのが胡桃と分担したらしいが、包丁を右手にまな板の前で固まっている。問われた香織も、さぁと首を捻っていたので、見かねて克海が答えた。

「とにかく適当に、ひと口大で切ってくれればいいよ」
「はーい」

 返事はいいものの、本当に大丈夫なのかと心配になる。
 まな板の上ににんじんを乗せ、戸惑ったようにそれをじっと見つめたかと思うと、軽く嘆息した。
 見ていても切られるわけもなく、克海が代わる気配もないので、諦めたのかもしれない。
 右手に持っていた包丁を左手に持ち替えると、トントンとにんじんを切り始めた。
 まったく危なげなく、小気味のいいリズムで刻む手つきは、料理が苦手という自己申告からはまったく予測できないものだった。

 あれは、ただの謙遜だったのか。
 あまりに手つきがおぼつかないようであれば手伝うつもりだったので、少し拍子抜けの気分である。
 とはいえ、安心して任せられるならそれに越したことはない。
 香織も同様に思ったのか、ジャガイモやたまねぎなど皮だけむいて、胡桃に渡している。
 渡される端から調子よく野菜を刻み、鍋に入れた。あとはトマトピューレーを入れて煮込むだけだ。
 そこで、香織の手が止まった。
 トマトピューレーのビンの蓋を開けようとしているのだけれど、できないようだった。確かに、硬くて女子には難しいだろう。

「貸してみな」

 克海が手伝いを申し出るよりも胡桃の方が早かった。野菜を切り終わり、拭いていた手を香織へと伸ばす。
 どこか男っぽい口調もさることながら、その行動自体が意外だった。
 胡桃はか弱そうに見えるのだが、実際は違うのだろうか。

「えっ、うん、ありがとう」
「――えっ」

 手を伸ばされればもちろん渡す。しかも開けてくれるのだから礼を言うのも当然だった。
 なのに、手渡すときに香織は驚いたような顔を見せていたし、胡桃もきょとんと彼女を見返したのはなぜだろう。
 手元のビンと香織に何度か視線を交互させ、あ、と小さく声を上げた。
 まるで今、状況を把握したという様子が、奇妙といえば奇妙だった。
 うーんと声すら上げながら頬に朱がさすほどに力を入れているようだが、蓋が動く気配はまったくない。
 かたん、と胡桃が首を傾げる。

「開かない?」
「じゃあ最初から言うなよ」

 だよな、という気はするけれど、思わずツッコミを入れてしまう。
 ビンを受け取り、蓋を回すとぽこんと音がして開いた。

「すごーい。そんな力入れた感じもなかったのに、軽く開けちゃった」

 開けられなかったのをごまかすためもあるのか、胡桃がパチパチと拍手した。つられたのか、香織も一緒に手を叩く。
 男なら当然のことではあるけれどと、わずかに苦笑する。

「まぁ、鍛えてるから」
「そうなの?」

 香織が首を傾げれば、胡桃がそういえば、と応じる。

「草野くんってなんとなく、格闘家、みたいなイメージあるかも」
「正解」

 だから鍛えてるというのに納得できる、と言いたげな胡桃に、口を挟んだのは健人だった。

「こいつ、小さい頃から空手してるから、格闘家って言えばそうじゃない?」

 にこにこと愛想のいい健人の言葉に、そんな大げさなものじゃないけど、と笑うしかなかった。
 そもそも、克海が空手を始めたのは、いとこの影響だった。例の、心療内科医である。
 空手や心理学に限らず、今の克海を語るのに彼の存在は外せない。

「そっか、だからかな?」

 ぽんと手を打ちそうな勢いで、胡桃が言った。

「うちの弟も空手してて。そこで知った人にね、なんとなーく似てる気がしてたの。同じスポーツしてるからかな?」

 同じスポーツをしていれば、自ずと鍛えるカ所は同じになる。筋肉の付き方が似れば背格好も似るから、印象が似てくるのも当然だった。

「ヤだ胡桃ってば、ちゃんと言わないと!」

 くすくす笑いながら、香織が肘で胡桃をつつく。

「そこで知った、憧れの人に、でしょ?」
「なっ!」

 からかう気満載の香織に、胡桃が真っ赤になる。

「だって、さんざん聞かされたもの! すっごいかっこいい人見つけちゃったーって。その人に似てるなら、当然……ね?」
「えっ、って、もしかして広瀬さん、克海のこと好きなの!?」

 香織が放つ意味深長な台詞は、確かにそうとしか思えない。健人が驚きの声を上げる。

「違う違う! 香織ちゃんの勘違いだってば!」

 ドキリとする間もなく、全力で否定される。
 まぁそれはそうだよなと思うのと同時、もし胡桃が克海に気があっても、この場面で「うんそうなの」とは言わないだろう。
 ――否、あるいは胡桃なら言うかもしれない。
 そう考えるとやはり、香織の勘違い説が有力だった。

「確かにその人に憧れてるし、草野くんに似てるし、草野くんのことは好きだけど、そんな意味じゃないもんっ」

 ほらな。赤面のままに言いつのる胡桃に、思わず苦笑する。
 誤解を解きたいなら、この場面で「好き」なんて単語は使わない方がいい。なのに言ってしまうから、勘違いはさらに助長される。
 この調子できっと、思いこまれたんだな。そう冷静に判断できてしまう自分が、少しだけ寂しい。
 当然のことながら、香織と健人は、やっぱり好きなんだ! と反応する。その様子に、ようやく失敗に気づいたらしいところが、いかにも彼女らしかった。

「違うから、ね?」

 念を押すための言葉も、可愛らしい上目遣いでは説得力はない。これが克海でなければきっと、自惚れていただろう。

「はいはい、わかってるから」

 ただの相談員でしょ、と続けなかったのは、卑屈に思えたからだ。
 それを嫌だとは感じていない。役に立てることが嬉しいので、別に強がりでもなかった。

「照れ隠しだよ」

 胡桃は小柄で、頭が克海の肩にも届かない。対して香織は、たぶん一七0センチ近いので、顔の位置は近くなる。
 おそらく、胡桃には聞こえないようにするためだ。より顔を近づけて、低く囁かれた声にドキッとする。
 すぐ間近で女子の顔を見たこともあり、同時に向けられたイタズラな笑みのせいでもあり――また、その言葉のせいでもあった。
 否定が胡桃の照れ隠しで、本当は克海のことを、というのならば。
 「違うのにー」とゆるく言いながら、赤く染まった胡桃の横顔を見る。

 ――うん、悪い気は……しない。

 ついゆるみかけた口元を片手で隠すも、自分の頬もわずかに赤くなっているような気がした。
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