冥合奇譚

月島 成生

文字の大きさ
上 下
6 / 34
第二章

2.違和感

しおりを挟む

 三時限目の家庭科で、まず準備はエプロンと三角巾をつけることだった。
 エプロンはともかく、三角巾がなんとも似合わない。かといって鏡を見ながら丹念に形を整えるのも性に合わず、適当に頭に巻いた。

 こういうのは女子の方が似合うなと、同じ班の二人を見て思う。
 仲がいいからお揃いにしているのだろう、黒地に白い猫の絵の入ったエプロンも、それぞれ印象が違った。長身の香織はシュッとしてどこかスタイリッシュなのに対し、小柄な胡桃には可愛らしさがある。

 ちなみに、聞けば胡桃だけでなく、香織も家庭科の時間くらいしか調理経験はないらしい。ついでにもうひとりの男子、健人けんとも同じ状態らしく、克海がある程度できるのを知っているからこそペアを申し込んできた状況だった。

 端から克海に任せるつもりだった三人だけれど、もちろんそこまで甘くない。授業なのだからちゃんとやりなさいと、まるで教師のような説教をしてやった。
 幸いにも、ミネストローネとポテトサラダ、ペペロンチーノと失敗の少ないメニューだった。ちゃんと火さえ通っていれば、多少形が不ぞろいでも大丈夫だろう。
 胡桃と香織にはミネストローネのために野菜を切ってもらい、克海と健人はポテトサラダ用のジャガイモの皮むきから始めた。

「えぇっと……どう切ったらいいの?」

 皮をむくのが香織、切るのが胡桃と分担したらしいが、包丁を右手にまな板の前で固まっている。問われた香織も、さぁと首を捻っていたので、見かねて克海が答えた。

「とにかく適当に、ひと口大で切ってくれればいいよ」
「はーい」

 返事はいいものの、本当に大丈夫なのかと心配になる。
 まな板の上ににんじんを乗せ、戸惑ったようにそれをじっと見つめたかと思うと、軽く嘆息した。
 見ていても切られるわけもなく、克海が代わる気配もないので、諦めたのかもしれない。
 右手に持っていた包丁を左手に持ち替えると、トントンとにんじんを切り始めた。
 まったく危なげなく、小気味のいいリズムで刻む手つきは、料理が苦手という自己申告からはまったく予測できないものだった。

 あれは、ただの謙遜だったのか。
 あまりに手つきがおぼつかないようであれば手伝うつもりだったので、少し拍子抜けの気分である。
 とはいえ、安心して任せられるならそれに越したことはない。
 香織も同様に思ったのか、ジャガイモやたまねぎなど皮だけむいて、胡桃に渡している。
 渡される端から調子よく野菜を刻み、鍋に入れた。あとはトマトピューレーを入れて煮込むだけだ。
 そこで、香織の手が止まった。
 トマトピューレーのビンの蓋を開けようとしているのだけれど、できないようだった。確かに、硬くて女子には難しいだろう。

「貸してみな」

 克海が手伝いを申し出るよりも胡桃の方が早かった。野菜を切り終わり、拭いていた手を香織へと伸ばす。
 どこか男っぽい口調もさることながら、その行動自体が意外だった。
 胡桃はか弱そうに見えるのだが、実際は違うのだろうか。

「えっ、うん、ありがとう」
「――えっ」

 手を伸ばされればもちろん渡す。しかも開けてくれるのだから礼を言うのも当然だった。
 なのに、手渡すときに香織は驚いたような顔を見せていたし、胡桃もきょとんと彼女を見返したのはなぜだろう。
 手元のビンと香織に何度か視線を交互させ、あ、と小さく声を上げた。
 まるで今、状況を把握したという様子が、奇妙といえば奇妙だった。
 うーんと声すら上げながら頬に朱がさすほどに力を入れているようだが、蓋が動く気配はまったくない。
 かたん、と胡桃が首を傾げる。

「開かない?」
「じゃあ最初から言うなよ」

 だよな、という気はするけれど、思わずツッコミを入れてしまう。
 ビンを受け取り、蓋を回すとぽこんと音がして開いた。

「すごーい。そんな力入れた感じもなかったのに、軽く開けちゃった」

 開けられなかったのをごまかすためもあるのか、胡桃がパチパチと拍手した。つられたのか、香織も一緒に手を叩く。
 男なら当然のことではあるけれどと、わずかに苦笑する。

「まぁ、鍛えてるから」
「そうなの?」

 香織が首を傾げれば、胡桃がそういえば、と応じる。

「草野くんってなんとなく、格闘家、みたいなイメージあるかも」
「正解」

 だから鍛えてるというのに納得できる、と言いたげな胡桃に、口を挟んだのは健人だった。

「こいつ、小さい頃から空手してるから、格闘家って言えばそうじゃない?」

 にこにこと愛想のいい健人の言葉に、そんな大げさなものじゃないけど、と笑うしかなかった。
 そもそも、克海が空手を始めたのは、いとこの影響だった。例の、心療内科医である。
 空手や心理学に限らず、今の克海を語るのに彼の存在は外せない。

「そっか、だからかな?」

 ぽんと手を打ちそうな勢いで、胡桃が言った。

「うちの弟も空手してて。そこで知った人にね、なんとなーく似てる気がしてたの。同じスポーツしてるからかな?」

 同じスポーツをしていれば、自ずと鍛えるカ所は同じになる。筋肉の付き方が似れば背格好も似るから、印象が似てくるのも当然だった。

「ヤだ胡桃ってば、ちゃんと言わないと!」

 くすくす笑いながら、香織が肘で胡桃をつつく。

「そこで知った、憧れの人に、でしょ?」
「なっ!」

 からかう気満載の香織に、胡桃が真っ赤になる。

「だって、さんざん聞かされたもの! すっごいかっこいい人見つけちゃったーって。その人に似てるなら、当然……ね?」
「えっ、って、もしかして広瀬さん、克海のこと好きなの!?」

 香織が放つ意味深長な台詞は、確かにそうとしか思えない。健人が驚きの声を上げる。

「違う違う! 香織ちゃんの勘違いだってば!」

 ドキリとする間もなく、全力で否定される。
 まぁそれはそうだよなと思うのと同時、もし胡桃が克海に気があっても、この場面で「うんそうなの」とは言わないだろう。
 ――否、あるいは胡桃なら言うかもしれない。
 そう考えるとやはり、香織の勘違い説が有力だった。

「確かにその人に憧れてるし、草野くんに似てるし、草野くんのことは好きだけど、そんな意味じゃないもんっ」

 ほらな。赤面のままに言いつのる胡桃に、思わず苦笑する。
 誤解を解きたいなら、この場面で「好き」なんて単語は使わない方がいい。なのに言ってしまうから、勘違いはさらに助長される。
 この調子できっと、思いこまれたんだな。そう冷静に判断できてしまう自分が、少しだけ寂しい。
 当然のことながら、香織と健人は、やっぱり好きなんだ! と反応する。その様子に、ようやく失敗に気づいたらしいところが、いかにも彼女らしかった。

「違うから、ね?」

 念を押すための言葉も、可愛らしい上目遣いでは説得力はない。これが克海でなければきっと、自惚れていただろう。

「はいはい、わかってるから」

 ただの相談員でしょ、と続けなかったのは、卑屈に思えたからだ。
 それを嫌だとは感じていない。役に立てることが嬉しいので、別に強がりでもなかった。

「照れ隠しだよ」

 胡桃は小柄で、頭が克海の肩にも届かない。対して香織は、たぶん一七0センチ近いので、顔の位置は近くなる。
 おそらく、胡桃には聞こえないようにするためだ。より顔を近づけて、低く囁かれた声にドキッとする。
 すぐ間近で女子の顔を見たこともあり、同時に向けられたイタズラな笑みのせいでもあり――また、その言葉のせいでもあった。
 否定が胡桃の照れ隠しで、本当は克海のことを、というのならば。
 「違うのにー」とゆるく言いながら、赤く染まった胡桃の横顔を見る。

 ――うん、悪い気は……しない。

 ついゆるみかけた口元を片手で隠すも、自分の頬もわずかに赤くなっているような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

パーフェクトアンドロイド

ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。 だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。 俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。 レアリティ学園の新入生は100名。 そのうちアンドロイドは99名。 つまり俺は、生身の人間だ。 ▶︎credit 表紙イラスト おーい

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

オタク病

雨月黛狼
キャラ文芸
オタクを公にできない窮屈な青春時代を送った人たちへ 生粋のオタクである猪尾宅也は日々、オタク活動に励んでいた。 しかし、現代では二次元に没頭している人たちを「社会性欠乏障害」通称「オタク病」という病気と診断される。 そんなオタクとして生きづらい世界で宅也は同じくオタク病の少女、久遠環に出会う。 環の手助けをしたのち、告白をされる。 環の目的はこの世界からオタクの差別をなくすこと。 それを、宅也とともに遂行してゆく。 これは、オタクが究極のフィクションを求める新感覚コメディ。 ぜひ、よろしくお願いします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...