冥合奇譚

月島 成生

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第一章

2.明晰夢

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 眠気をこらえながら、胡桃は電車に乗りこんだ。
 始業二日目なのでまだ、朝課外はない。それにしては早い時間なので、車内は随分と空いていた。
 四人掛けのボックス席に腰を下ろし、窓枠にもたれるように頬杖をつく。

 あれからは、とてもではないが眠れなかった。

 部屋にいるのも怖くて、タオルケット一枚を掴んで、リビングへと行く。
 ソファで半ば横になりながら、気を紛らわせようと携帯端末のアプリでちまちまと遊んでみるも、もちろん集中などできなかった。

 やっぱり眠ろうと頭までタオルケットで覆ってはみても、今度は周囲が気になる。
 様子を窺うために顔を覗かせては、やはり怖くなって潜りこみ――それをくり返しているうちに朝になってしまった。

 いつもは目覚ましが鳴ってもすぐには動かず、布団の中でうだうだすることが多い。
 その時間も踏まえて目覚ましをセットしているのだが、今日はすぐに準備を始めた。当然身支度も早く終わる。
 家にいてもすることはないしと、早めに家を出たのだ。

 けれど、最寄り駅に着いた頃から、やけに眠くなってきた。二夜続けて睡眠不足だったから仕方ないのだけれど、電車に乗ると揺れの心地よさも手伝って、さらなる眠気に襲われる。

 とうとう我慢できなくなって、ふわぁあと大きなあくびを洩らした、ちょうどそのときだった。

「おはよう、広瀬」

 笑み含みの声が、頭上から降ってくる。驚いて目を上げると、見知った顔があった。

「草野くん! おはよ」
「そんなに眠いなら、もっと遅い電車にすればよかったのに」
「あははー、やっぱり見られてた」

 もっともな指摘に、苦笑せざるを得なかった。

「なんか、夢見が悪くて。どうせ眠れないなら、早く行ってお散歩がてら遠回りしようかなって思ったんだけど」
「夢見が悪い?」

 斜め向かいに腰かけながら、克海が首を傾げる。
 どんな夢かと言外に問われた気がして、えっとねと話し始めた。

「あたしが、いろんな人になってるの。服が違ったり、体格が違ったり、見える風景もバラバラで、国や時代も違うみたいで」

 昨夜に観た男の人は、古い時代の中国のようだった。けれど前日、木の上にいた自分は日本の着物を纏っていた気がする。

「でね、男の子にもなってたから、絶対に自分じゃないでしょ? だからこれは夢なんだなってわかって」
「夢の中で?」

 問われて、首肯する。持っていた本をカバンにしまう克海を、なんとなく眺めながら続けた。

「全体的に悲しい感じだったな。火事だと思うけど、火の中であたしを庇ってくれた人が倒れたり。でもね、たぶん同じ人だと思うけど、その人に首を絞められたりもして」
「殺されたってこと?」
「たぶん。途中で意識が薄れた、っていうか、目が覚めたから、本当に死んじゃったかはわからないんだけど」

 死という単語に、一昨日の夢が思い出された。

「逆にね、知らない女の子が倒れてる夢も見たの。抱え起こしたら、血がべったりと手について――」

 見たこともな出血の量だった。あれではきっと、助からない。
 ふと、倒れた少女の重さ、血の感触が甦る錯覚に襲われて、そっと両手を握りしめる。

「質問」

 真摯な顔で聴いていた克海が、口元に当てていた手を軽く挙げた。

「もしかして夢の中で触ったものとか、現実っぽくなかった? たとえばその女の子の、血に濡れた感じとか匂いとか」
「えっ!?」

 思わず上げた声は、上ずった素っ頓狂なものだった。
 まさにその通りではあるが、今までの会話を思い返してみても話した記憶はない。

「草野くん、読心術ができるの!?」
「できないできない」

 パタパタと片手を振る顔には、困ったような笑みが刻まれていた。

「そういう事象があるのを知ってるだけ。明晰夢めいせきむって聞いたことない?」

 まったく耳馴染みのない言葉だった。素直に、首を左右する。

「夢の中で、これは夢だってわかると大抵の人はそこで目が覚めるんだ。でも、そうじゃないときもある。――今回の広瀬みたいにね。で、そういうときは、眠ってはいるけど大脳の一部は起きてる状態なんだ」
「眠ってるのに起きてるの?」

 そうだな、と呟いた克海が、考える素振りを見せる。

「大ざっぱに言うと、体は眠ってるのに頭は起きてるって感じかな。頭の中は起きてるのと同じ状態だから、慣れてくるとコントロールもできるらしい」
「えー、でもコントロールなんてできなかったよ? できるなら、あんな夢、見たくないもん」
「慣れてるわけでも、まして訓練してるわけでもないから、そううまくはいかないって」

 顔にも不満が表われていたのか、苦笑が返ってくる。

「ここからが肝心なとこだけど――明晰夢って、すごいリアルに感じられるらしいんだ。風に吹かれた感触とかも、現実の経験と同じにしか思えないくらいなんだって」
「それ!」

 胡桃が体験した状況、そのものだった。
 思わず指をさすと、「そういうこと」と応じてくれる。
 なるほど、これを確かめるために、夢の中で夢だとわかったのかと質問されたのか。

「それに、夢の内容自体もそんな、悪いものじゃないと思う。人が死ぬとか殺されるとか、総じて吉夢だって言われてるし」
「えっ、そうなの?」

 首を絞められる苦しさもさることながら、倒れた女の子を抱えた絶望感を思い出すと、「いい夢」と言われてもとてもではないが信じられない。

「専門家じゃないし、おれもそんなに詳しいわけじゃないけど――夢診断的にはそういうことらしい」
「夢診断……夢占いって言葉は聞いたことあるけど」
「占いよりはちょっと、科学寄りかな? 心理学者が提唱してるヤツだから。フロイトとかユングとか」
「ふろいととかゆんぐ」

 人名なのだろうとは思うが、聞いたことのない名前だった。
 有名なのだろうかと首を傾げていたら、克海が軽く笑う。

「まぁとにかく、夢は深層心理の表れっていう研究してる人たちがいるの。夢の中に出てきたシンボルなんかを複合的に読み解くことで、その人の心理状況を知ろうっていう研究な」

 具体的な人名は置いておくとして、そういう人たちがいるのは理解できた。

「まず、いろんな人物になってるってことだけど、素直に考えると変身願望ってヤツじゃないかな」
「変身? 特撮ヒーローみたいな?」
「うん、違う。そしてやらなくていいから」

 座ったままでそれらしい「変身ポーズ」をして見せると、笑顔のままあっさりと否定された。

「今の自分とは違う誰かになってみたいとか。もっとこんな風になりたいとか」
「うーん、そんなこと、考えたことないかなぁ?」

 自覚はないが、弟や友人にはよく、天然だとからかわれる。だからといって治したいとか変わりたいなどとは、思ったこともない。

「深層心理からの訴えってヤツだから、自覚のあるなしは関係なくて……ああいや、それよりも」

 途中でなにか思いついたのか、声を上げる。

「広瀬の場合、最近引っ越したんだよな? そういう環境の変化が夢に現れたのかもしれない」
「あっ、それなら」

 変身願望と言われるよりは、納得できた。思い当たる節もある。

「お引越ししてからなんだよね、変な夢見るの」
「昨日だけじゃないの?」
「うん、はっきりと覚えてるのは昨日と一昨日だけど……その前から、なんとなーく変な夢を見てる、ような気がするの。内容とかは全然わからないんだけど、なんていうか、起きたときにもやってする感じ」
「なるほどな」

 たまにあるよな、と笑顔を向けられて、安堵する。自分だけじゃない、珍しいことではないと思えば、不安も軽くなった。

「それに、見知らぬ誰かを殺すとか、自分が殺されるとかも、変化の兆しがあるときによく見られる夢だって。それも、いい方向に向かってるときが多いらしい」
「そうなの?」
「まぁ、気持ちのいい夢じゃないだろうけど」

 死にはどうしても、負のイメージがつきまとう。しかもそれが他殺であれば、なおさらだった。
 問い返す声に心境が表われてでもいたのか、克海が眉をハの字に歪めて笑う。

「今までの自分からの脱却というか……なんて言うんだろ。新しい自分への期待みたいな? とにかく、引っ越しっていう環境の変化が、無意識のうちに作用したんじゃないかな。それもきっと、前向きな感覚で」

 だからそんなに、心配することはない。
 ゆっくりと細められた目が言っているようで、胡桃も口元をほころばせる。
 これで心配事も無事に解決――と思いかけて、問題が残っていることを思い出した。

「でもね、夢はそれで説明がつきそうなんだけど……お化けが出たの」

 夢の中でも苦しかったし、切ない気分にもなった。
 だがそれよりも怖かったのは、やはり僧侶の列だ。

「――えぇっと、今なんて?」

 聞き取れなかったのだろうか。口の端に笑みを刻んで首を傾げられ、ずいっと身を乗り出した。

「あたしのお部屋、お化けが出るの」
「ぷはっ」

 言い終わるよりも早く、盛大に吹き出された。
 たった今まで、極真剣な顔で聞いてくれていた克海の、うって変わった反応にぽかんとする。
 いけないとでも思ったのか、口元を押さえた彼を見て我に返った。

「いきなり笑うとかひどいー」
「ごめんごめん」

唇を尖らせて非難すると、くすくす笑いながらも謝ってくれる。

「おれ、そういうのまったく信じてない人だから」
「えっ」
「幽霊とか怪奇現象とかは、絶対に裏があるって思ってるんだ。UFOやUMAも、今現在未確認なだけで、科学や研究が進めばいつか、正体は判明するんじゃないかって」

 根本からの否定に、ムッとすることも忘れる。ほけーっと口を開けてしまった。

「怪奇現象信じてないのって、そんなに驚くこと?」
「ううん、そうじゃなくて、草野くん、陰陽師とか好きなんだよね? だとしたらそういう話って避けて通れないんじゃないかと」

 たしかに、幽霊話をまったく信じていないと断言する人は多くない。だが逆に、怖いとは言いつつ心底信じている人も、そう多くない気はする。
 だから「信じない」というのもけしておかしなことではないが、他でもない克海が言い切ったことに疑問符が付いたのだ。

「な、なんでおれの趣味なんて知ってるの」

 むしろお前の方が読心術ができるんじゃないのか。多少上ずった声で驚かれて、かたんと首を傾げる。

「なんでって、さっき草野くんがそんな感じの本を読んでたから」

 彼がカバンに本をしまうとき、表紙が見えた。題名までははっきり読めなかったけれど、大きく「陰陽師」の文字があったのは確かだ。

「なるほどね。でもちょっと意外」
「なにが?」
「意外に鋭いなって。広瀬って天然っていうか鈍い感じがす……や、なんでもない」

 よく言われることではあるが、改めて明言されると微妙な気分だった。
 じとりとした目に気づいたのだろう。けふんとする咳払いが、かなり胡散臭い。

「まぁ、とにかく。おれが思ってる陰陽師って、科学者なんだ」
「科学者?」
「そう。ほら、映画とか漫画とかで観る陰陽師って――って、そろそろ駅か」

 説明が始まったとき、ちょうど車内アナウンスで降りる駅の名前が流れた。
 とても気になる話題だった。けれど駅から学校までは、十分もかからない。充分な時間ではなかった。

 どうしよう。もっとお話ししたい、でもそう思っているのは胡桃だけかもしれない。
 教室についてまで話しているのも、迷惑になってしまう可能性もある。

「あー……」

 あうあうと口ごもっていると、克海がちらりと腕時計に目を落とす。

「まだ時間も早いし、学校まで少し、遠回りするか?」

 普通は皆、最短の道を通るけれど、通学路はひとつではない。気分転換も兼ねて、今日はそもそも遠回りをしようかしらと思っていた胡桃に、断る理由はなかった。

 なにより、胡桃がもっと話したがっていたことに気づき、その上で気遣ってくれたのだ。

「うん!」

 いい子だな。思えば、自然と笑みが深くなる。
 けれど――ほっこりとした気分になったのも、束の間だった。

「行こうか」

 ゆっくりとスピードを落とした電車が、ホームに入って停車する。腰を上げた克海の声と、ほぼ同時だった。


 やめろ。近づくな。


 またあの男の声も重なった――ような気がした。
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