フロイドの鍵

守 秀斗

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第16話:時計の表示板の書き込みを見る

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 次の日の早朝。

 ミルドレッドは時計塔の部屋の中庭側の扉を開けた。今日は昨日よりは寒いなと思った。太陽が昇って来て、時計の表示板の下にある出っ張りもよく見える。一応、乗ることは出来そうだ。もうこの時間だと『灰ひろい』に出かけなくてはいけないのだが、やはり、あの書き込みが気になったミルドレッドはアレックスを起こして、例の文字が何て書いてあるか確認することにした。

 下の部屋に降りて、いびきをかいて寝ているアレックスをそっと起こす。

「ねえ、アレックス、起きて」
「う……うん、なんだよ、ミルドレッド」
「昨夜言った時計塔の表示板の書き込みの件だけど、『灰ひろい』にいく前に確認したいと思って」
「ああ、わかった。手伝うよ」

 アレックスはロープを持って、時計塔の部屋に登って来た。

「これをお前の腰のベルトに付けよう。もし、落ちそうになったら、俺が引き上げてやるよ」
「ありがとう。じゃあ、文字を見てくるね」
「うん、充分気をつけろよ」

 アレックスがミルドレッドの腰にロープを縛り付ける。ミルドレッドは扉からゆっくりと脚を出して、出っ張りに下りた。一応、人は乗れそうだ。アレックスが少しずつ命綱のロープを伸ばしていく。

 ミルドレッドはちらっと下を見た。真下は石造りの中庭。四階なので、ここから落ちたらまず助からないだろう。目が眩みそうになる。下を見ないようにドキドキしながら、出っ張り部分を慎重に横に移動していく。ちょっと強い風が吹いた。思わず時計の表示板にしがみつく。そして、何とかこの表示板の時計の文字が残っていたら数字の『5』があったであろう場所まで歩いていく。そこから背伸びをして、例の文字を読んでみた。そこには、花の名前の『ヒイラギ』と書いてあった。そして、次の行を見て、ミルドレッドは一瞬とまどった。『白いバラ』と書いてあったのだが上下が逆さまに書いてある。三行目はまた元に戻って、普通に書いてあった。花の名前で『アネモネ』とある。書いてあったのはそれだけだ。

 てっきり具体的な場所などが書いてあるのを期待していたミルドレッドは少しがっかりしたが、とにかく何が書いてあるかわかったので戻ることにした。表示板になるべく体を擦りつけるようにしながら、扉へ向かってゆっくりと移動していく。扉の近くまで行くと、上からアレックスが命綱を手繰り寄せながらミルドレッドに聞いてきた。

「何て書いてあったんだ」
「うーん、それが大した事書いてなかったわ」

 そう言った途端、出っ張りの一部が崩れた。体が落下して悲鳴を上げるミルドレッド。

「きゃあ!」

 ミルドレッドが下にずり落ちたので、命綱を掴んでいたアレックスも一緒に落ちそうになったが、なんとか踏ん張って、ミルドレッドを引き上げようとする。宙に浮いたままのミルドレッドはアレックスに助けを求めた。

「アレックス、助けて!」
「落ち着け、ミルドレッド! 今、引き上げてやるから!」

 アレックスが少し唸り声を上げながら、ロープを引っ張ってミルドレッドを少しずつ上げていく。何とか扉の縁を掴んだミルドレッドはそのまま部屋へと引っ張り込まれた。その勢いで、二人とも床にゴロゴロと転げてしまった。

「イテテ、危なかったなあ。大丈夫かよ」
「うん、大丈夫。あー、死ぬかと思ったわ。引き上げてくれてありがとう」
「いや、いいよ。それより何て書いてあったんだ」
「それが全部、花の名前なの。『ヒイラギ』『白いバラ』『アネモネ』としか書いてなかったの」

 それを聞いて、アレックスはちょっとがっかりとした表情を見せた。

「何だよ。それじゃあ、何の事かわからないじゃないか」
「そうなのよねえ。てっきり具体的に何か書いてあるかと思ったんだけど」
「やっぱりフロイドとは関係ないんじゃない。ただのいたずら書きじゃないの」

 アレックスに言われて、確かにそうかもしれないとミルドレッドは思った。ただ、あんな場所に花の名前を誰が書くだろうかとも思った。

「やれやれ。骨折り損のくたびれ儲けか」
「ごめんなさい。変な事に付き合わせて」
「まあ、いいさ。それより今日は『灰ひろい』に行かなくていいのか」
「あ、そうだった。今から走って行けば、何とか間に合うと思う。アレックスは今日も煙突掃除かしら」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、あたしは出かけるから。あ、そうだ。例の『オオバコ茶』をいくらかいただけるかしら。ハーバートさんのとこへ持って行こうと思うの」

 ミルドレッドは慌てて、下の部屋に降りてカバンに戸棚から出した『オオバコ茶』の小瓶をいくつかカバンに入れていると、リリアンやポーラがすでに起きているのに気づいた。リリアンが少し微笑みながらミルドレッドに聞いてきた。

「上の時計塔の部屋で二人で何してたの」
「ちょっと表示板に気になる文字が書いてあったんです。それを読もうとしてアレックスに力を借りました。すみません、急ぐので、後はアレックスに聞いてください」

 ポーラもニコニコしながら、見送ってくれる。

「ミルドレッドお姉さん、お仕事頑張ってね」
「うん、ポーラもね」

 階段を駆け下りると、ミルドレッドは西棟まで走って、地下一階に下りる。ハーバートの部屋を訪ねた。扉を叩くと、ハーバート老人が出てきた。

「すみません、こんな朝早くに。昨日、頼まれた『オオバコ茶』を持ってきました」
「おお、悪いね。ありがとう」

『オオバコ茶』を受け取ると、小銭をハーバート老人から受け取る。

「貧乏でさ、これくらいしか出せないけど」
「ええ、充分です。ところで、ハーバートさんは今日は『灰ひろい』には行かないんですか」
「ちょっと、疲れてね。まあ、今日のところは休むよ。あんたは行くのか」
「はい」
「そうか、頑張ってな」

 ハーバート老人の部屋から地上へ上がって、貧民街を駆け抜けて、ゴミ回収場までミルドレッドは走っていく。今日は黒い霧で道がよく見えないほどだ。路上で寝転がっている浮浪者をうっかり踏んでしまった。

「痛い、気をつけろよ」
「すみません」
 
 全く、この工場からの排煙、どうにかならなかいと思いながら、ミルドレッドは労働者登録に間に合った。が、朝食を食べていないことに気づいてしまった。パンも貰ってくるのも忘れていた。何か食べないと元気が出ない。仕方なく、ミルドレッドは労働者たちが待機している近くの屋台で、温かいスープとパンを一枚買った。

 それを食べながら、屋台の横に置いてある新聞の表紙を読んでみた。昨日と同じく、連続殺人鬼オールストンの話がかなり載っていた。それを読むと、殺した人数が三十人に増えている。ミルドレッドはこのオールストンという男は嘘つきではないかと思った。実際に何人かは殺したのだろうが、後は警察のいうがまま自白しているのではないだろうか。

 自分も警察の取り調べを受けたが、かなり強引な感じがした。最近は、事件が多すぎて市民から警察はかなり非難を受けている。ひょっとして、もう未解決事件は全部このオールストンに押し付けるつもりじゃないのだろうか。

 そこまで考えて、ミルドレッドは黒いコートの男のことをまた思い出してしまった。前髪に付けている『フロイドの鍵』。この髪留めを狙って、自分も襲われるのではないのだろうか。思わず、前髪から外して捨ててしまおうとも思ったが、あのお婆さんはこの『フロイドの鍵』を持ってないにもかかわらず殺されてしまった。

 最近、自分の周辺でちらつく男の影。もう自分は目をつけられている気がしてきた。自分のカバンだけ盗まれたのも、この鍵のせいなのだろうか。この髪留めを捨てたところで、お婆さん同様殺されてしまうのではないか。ミルドレッドは不安になってしまった。なるべく人気のない場所には行かない方がいいと思った。

 午前中の作業が始まった。ゴミ回収馬車が次々と広場に入ってきては、ゴミを下ろしていく。それをふるいにかける単純作業を続けながら、ミルドレッドは警察に相談しようかと考えたが、やはり相手にしてくれないだろうと思った。それより、何とかこの『フロイドの鍵』の謎を解明すればいいのではないか、そうすれば警察も少しは興味を持つかもしれない。いったい人を殺してまで欲しがる理由はなんだろうか。怪盗フロイドの財宝とやらがやはり関係あるのだろうか。

 そんなことを考えながら、作業を続けていると昼食の時間になった。また、屋台で何か買おうかと近づくと、いつの間にかアレックスがいる。

「あれ、アレックス、煙突掃除の方はどうしたの」
「今日はもう午前中で終わったよ。それで、今日、お前が朝食持って行かないで、慌てて出て行ったのを思い出してさあ、パンを持ってきてやったよ。後、水筒と携帯ランプ。今日は黒い霧がひどいんで、帰る時必要かと思ってね」
「ありがとう、パンだけじゃあ、足りないのでジャガイモを屋台で買うわ、アレックスもまだ昼食はとってないんでしょ」
「ああ、まだ食ってない」
「じゃあ、一緒に食べましょうよ。後、相談したいことがあるの」
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