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【Ⅰ 《神眼の創造主と改変の破壊者》】 [紅き:前編 第一部 第一章 前日談]
5話 「Cランク冒険者の失態」
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日が沈み始めると、歓楽街ガロン内に設置された街灯から橙色の明かりが点灯し、外へ出掛けていた幼い子供達が自身の家へと帰っていく姿が見える。
街中は相変わらず大勢の人々で溢れており、人気の飲食店は長蛇の列が出来る程賑わっていた。
そして歓楽街ガロンの守衛門を抜けた先では夜行性の魔物達が次々と活発化し、熟練冒険者達による夜の魔物狩りが始まろうとしていた。
その頃。テクト達は第二冒険者組合クレムへと到着し、巨大な大広間には数十名程の見慣れない冒険者達の姿が見えた。
彼らは魔物討伐を本業として活動する冒険者達で、少年心を擽る様なファンタジー世界特有の格好良い装備を身に付けており、そんな彼らの装備に興味津々なテクトはいつの間にか見惚れてしまっていた。
すると中央の窓口から金髪ロングヘアの受付嬢――レーネルの声が聞こえた。
「テクト君。こっちよ!」
レーネルの声に気付いたテクトは我に返ると、隣にいたモルタは何処か不機嫌そうな表情を浮かべてテクトを見つめていた。
それはモルタがテクトの服の裾を引っ張って目線をこちらに向かせようと必死に頑張っていたが、テクトは冒険者達の装備に夢中でモルタには全く気付かなかったからだ。
だからこそレーネルの第一声でテクトが我に返ったので、モルタとしては当然腑に落ちなかったようだ。
「……? 何だよ?」
「……ん。何でもない」
モルタは一言伝え終わると一方的にテクトを無視する。
そんなモルタの反応にテクトは溜め息を吐くと、モルタの頭に手を伸ばして優しく撫でた。
それから数分後。機嫌を取り直したモルタを連れてテクトは中央の窓口へ着くと、レーネルに挨拶を交わした。
「こんばんは」
「こんばんは。それで初めての依頼はどうだった? 二件くらいは達成出来たでしょ?」
レーネルは何事もなくニヤニヤと微笑んでいると、その様子を遠くで観察していた数名程の他の受付嬢達がテクト達に対して軽く嘲笑っていた。
それもその筈。依頼の掛け持ちは確かに効率的だが、計画的に達成出来ない愚か者達のお陰で冒険者組合との信頼関係に泥を塗りかねない。
冒険者組合の受付嬢達がテクト達を嘲笑う時点で、クレムで依頼する冒険者の信頼度は既に壊滅的なのだろう。
――だがテクト達は全く動じなかった。
何故ならレーネル以外の受付嬢は全員、他人として認識していたからだ。
テクトは木製の長杖とラドの名前が書かれた依頼書を、そしてモルタは木製で作られた玩具の剣をレーネルに差し出した。
するとレーネルは何とも平然とした立ち振る舞いでテクト達が達成した依頼の処理を始め、他の受付嬢にその情報を流して共有させた。
その情報を先に目を通した受付嬢の主任がテクト達に対して軽く微笑むといきなり席を立ち、遠くでテクト達を嘲笑っていた受付嬢達に笑顔で制裁を下していた。
その様子を陰ながら見ていたレーネルがクスッと笑っていたのは言うまでもない。
「ふーん。あのお爺さんの依頼も達成したんだ? 何か話は聞かされなかった?」
「いいえ――何も……。何かあったんですか?」
「ごめんなさい。私も詳しくは知らないわ。ギルドマスターだったら何か知ってるかもね」
「そうですか……」
(冒険者組合全員が知ってる訳ではないのか……)
神眼によって明かされた武器屋バリクと〈セントラル協会〉の接点は理解したが、冒険者組合が武器屋バリクとの関係を持たなかった理由はまだ判明されていない。
冒険者組合も一応ギルドとして機能する為、ギルドマスターが意図的に内部情報を遮断していると考えた方が良さそうだ。
勿論。真実を知りたければ神眼で視る事は可能だが、第三者のテクト達がそこまで深入りする必要はないだろう。
「そう言えば、あの鶏は見つかったの?」
「――いいえ。色々と依頼をやってたら、忘れちゃいまして……」
「そう……。何か依頼で困った事があれば、私にも相談してね」
「お気遣いありがとうございます」
「依頼達成数は三件ね。これは報酬の三千円よ」
「ありがとうございます」
テクト達はレーネルから報酬の三千円を手に入れた。
これでテクト達が格安の宿屋に泊まる事さえ出来れば、今日は大丈夫だろう。
「そう言えばレーネルさんにお聞きしたい事があって」
「なに?」
「財布の依頼主って、誰か知ってますか?」
「ああ。知ってるわ。少し待っててね?」
レーネルは窓口から席を外し、ブレザーのポケットから携帯電話を取り出すと財布の依頼主へ電話を掛けた。
その一連の行動にテクトは携帯電話の必要さが充分に実感するが、まずテクト達は大金を稼がないと携帯電話を手に入る事は出来ないだろう。
九重明人みたいに賭博で大金を手に入れる方法もあるが、神眼は賭け事に全く向いていなければ使用出来なかったという過去もある。
それに斎藤ユウタは金遣いが荒い為、金運に全く縁がなかった。
その為。さっき報酬で手に入れた三千円は全てモルタが管理している。
それから数分後。電話を終えたレーネルが窓口の席へ戻ると、テクトに唐突な話を持ち掛けた。
「もう少しで来るそうよ」
「え? えっと……。あの財布の依頼って、そんなに急ぐ様な話だったんですか?」
「それは本人次第よ」
「それもそうですけど……」
レーネルの話では財布の依頼主に電話を掛けた途端に、依頼主が慌て出して第二冒険者組合クレムまで態々急いで向かっているようだ。
一応レーネルは外が暗い為明日でも構わないと説明したものの――依頼主は断固拒否したらしい。
物には人それぞれの思い出がある。
きっと依頼主にもそれが根付いているのだろう。
「あ! 見えたわ!」
レーネルが右手を大きく振っていると、テクト達はクレムの入口から中央の窓口へ全力疾走する美少女を目撃する。
何事かと周囲の冒険者達が彼女に目を向ける――だが冒険者達は彼女が誰なのかすぐに理解すると皆笑いながら誤魔化した。
その周囲の反応を見て、テクトは彼女が高ランクの冒険者だと気付く。
彼女の身長は一五六センチ程の瘦せ型で胸は小さく、白金色のショートヘアにアクアマリンの様な水色の瞳をしたツリ目の少女で、露出度の低い白いローブと腰の鞘にはソードデバイスと呼ばれる魔剣が収められていた。
すると彼女はテクト達の前に現れると同時に激しく息を切らし、粗い呼吸を吐きながら無理矢理にでも肺に空気を循環させる。
そして彼女は人差し指をテクトに差しながら話し掛けた。
「――貴方達ね。私の依頼を引き受けたのは……。私はクリス、Cランク冒険者よ」
「自分はテクト。この子はモルタ」
「……ん」
上から目線のクリスは何とも凡人そうな服装のテクトとゴシックロリータの黒色ワンピース姿のモルタを見比べると、今度は怪しそうな目付きへと変化したクリスはテクトを睨み付けながら腕を組み直した。
クリスのその生意気な態度にテクトは依頼主相手に怒り狂う様子はなかったが、テクトの頭の中ではクリスが【紅き瞳のイミ】の登場人物なのか判別出来ずに悩んでいた。
その理由はクリスの行動力が何処か見覚えのある登場人物に似ており、テクトはその登場人物の名前が全く思い出せなかったからだ。
紅色の本レガリアで確認する事は可能だが、クリスがテクトを怪しんでいる以上、迂闊な行動は全て避けた方が良さそうだ。
「それで財布は見つかったの?」
「ああ。見つける事は出来たんだけど……、クリスさんにはその件で現場に来て欲しいんだ」
「私はクリスで構わないわ。冒険者は皆呼び捨てするのが基本よ? ……良いわ。行ってあげる。もし騙したら容赦しないから」
「……ん。テクトは嘘吐かない」
「本当かしら? 男なんて女の敵じゃない?」
「モルタ。間違っても張り合うなよ? クリスも茶化すなら場所は教えなくても良いんだぞ? そもそも盗られた方が悪いんだしな……」
「……ん。それは言えてる」
「あれは仕方なかったの――!! でも今回は大目に見てあげるわ」
(何かいつもやらかしてるみたいな言い方だな……)
「それにしても……貴方、何か臭いわね??」
「ああ。さっきまで汗水流して働いてたからな」
クリスは鼻をつまみながら汚物を見る様な目でテクトを見つめる。
武器屋バリクの運搬作業によって、現在テクトの身体からは鉄と汗が混ざった異様な臭さを放っていた。
本来ならば汚い身体を洗い流す為に、テクト達は冒険者組合で報酬を受け取った後にでも格安の宿屋を探す予定だったが、依頼主本人が突然飛び入り参加して来るとは誰も予想すらしていなかったからだ。
「あと――その汚い剣は何よ?」
「これはただの貰い物だ」
クリスはテクトが持っていた白い布で巻かれた剣にそっと人差し指を差した。
この剣はラドに貰った屑鉄の魔剣だ。
最低限の配慮によって男性商人から貰ったロール状の白い布をテクトが魔剣に巻き付けた物だが、元から錆が酷いこの魔剣は布越しだろうが無条件で汚れるので、アイテムボックスと呼ばれる収納用魔道具を早急に購入した方が良さそうだ。
「貴方。ランクは?」
「Fランクだ。今日冒険者になったばかりで、この街に疎くてな。この辺で格安の宿屋を知らないか?」
「貴方――ネットで調べれば良いじゃない? 携帯は持ってないの?」
「ないな……」
「はあ!? じゃあ出身地は??」
「聖魔都ヴァルディム」
「成る程ね……。何も聞かなかった事にするわ……」
(どうやらヴァルディム内の事情を知っているみたいだな……)
「……ん。クリスこそ出身地はどこ?」
「私は秘密よ!!」
テクト達は神眼を使用した。
〝《【現在1】〈クリス〉性別:女性 出身地:不明 第二冒険者組合クレムを拠点に活動するCランク冒険者》〟
(おかしい……)
神眼は、魔法や能力によって無効化する事は出来ない。
本当に出身地が不明だとするならば、孤児から冒険者になった類だ。
その場合だと最初から出身地が決まっている【紅き瞳のイミ】の登場人物達とは接点が掛け離れているので、クリスは登場人物ではないという事が殆ど確定している様なものだ。
だがテクトは何処かクリスに違和感を感じていた。
それはクリスの性格や容姿に似た登場人物を、実際に作成した事があったからだ。
「じゃあテクト。どうせまだ暇なんでしょ? 財布の場所を教えて貰えるかしら?」
「分かったよ……。モルタはどうする?」
「……ん。私はここで待ってる」
「――分かった」
第二冒険者組合クレムにモルタを残し、テクトはクリスを連れてリグ公園へと歩き始めた。
◇ ◇ ◇
テクト達は歓楽街ガロンの裏道や細い通路を経由し、第二冒険者組合クレムから最短距離でリグ公園へと辿り着いた。
夜のリグ公園は昼間と比べて人気がなく、設置された街灯の光が周囲を明るく照らしてはいるが少し薄暗く、中央の噴水からは水音のみが静かに木霊していた。
「こんな所に公園があったなんてね。全く知らなかったわ」
「本当にCランク冒険者かよ?」
「私は魔物討伐がメインなの! それにテクトこそ怪しいじゃない? あんな裏道があるなんて、誰も気付かないわよ?」
「今日この辺を歩き回った時に見つけたんだよ。まさか今日また通るなんて、思いもしなかったけど……」
(本当はレガリアの能力なんだけど、今は隠してた方が良いだろう。相手が冒険者だとしても、どこで情報を盗まれるか分からないしな)
紅色の本レガリアによる世界地図はテクトにとって本来の性能以上の効力を発揮している。
この能力が他人に使用される事はまず有り得ない事だが、人間は楽を優先する狡賢い生き物なので、自らでその情報を秘匿する必要がある。
万が一情報が漏れた場合でも代々受け継がれた能力だと誤魔化せば、天才が現れない限り納得してくれるだろう。
「それで……私の財布はどこなのよ?」
「アレだけど?」
テクトは公園内の白いベンチを指差した。
そこにはやはり黒い帽子と古臭い服装に身を包む男性が座っており、その隣には茶色の長財布が今も置かれていた。
「ちょっと待って……。あの男――誰??」
「知るかよ。自分は今日ガロンに来たばっかだぞ」
「それもそうね……。見た所お尋ね者でもなさそうね? 良いわ――行きましょう」
「って――おい……!!」
テクトは一度クリスと冷静に話し合って、作戦会議でも始めようと考えていた。
――だがクリスはこんな事の為に時間を割く必要はないと感じたのか、後先考えずに白いベンチへと歩き出した。
それを見たテクトが一歩出遅れてクリスの後を追っていく。
当然。白いベンチに座る男性もテクト達がこちらへ接近している事に気付いて目を向けた。
男性はクリスの腰にある鞘を見て冒険者だと判断し、相方のテクトに関しては弱そうな見た目からクリスの案内役だろうと考える。
実際男性はテクトの姿を昼間にも目撃しており、その時に感じたテクトの印象は妹連れの観光客か、異国の旅人にしか見えなかった。
すると男性は低い声で、テクト達よりも先に話し掛けて来た。
「お前ら何者だ? こんな夜中に何しに来たんだ?」
「私の財布を見た人がここへ案内してくれてね」
「財布?? これは俺の財布だぞ。お前の財布なんか知るかよ」
男性はクリスの子供染みた声に年端もいかない少女だと分かると、男性は軽く煽りながらクリスを挑発した。
するとクリスは男性の言葉に苛立ちを覚え、少し口元を歪ませながらクリスはその挑発に乗った。
「貴方の目の前で確認するくらいは良いんじゃないかしら。もし間違ってたら、私が謝れば済む話でしょ?」
「ダメだ。お前ら良い加減にしないと……、衛兵に突き出すぞ――!!」
男性はクリスの言葉に全く耳を傾けずに異を唱え、テクト達に物議を醸し出した。
「俺はここの住人だ。俺が衛兵に頼めば、お前らは窃盗未遂で捕まるだろうな……」
「そう……。残念だわ――」
白いベンチに置かれた茶色の長財布を諦めたのか、クリスは男性に痺れを切らして深い溜め息を吐いた。
すると何の前触れもなく、クリスは目にも留まらぬ速さで男性の頬を右拳で殴り掛かると、男性は白いベンチから見て左側へと吹き飛ばされる。
テクトは慌てて地面に倒れた男性を見れば、男性は口から泡を吹き出しながら気絶していた。
クリスは気絶した男性を無視して、白いベンチに置かれた長財布を手に取ると外見や中身を細かく確認し始めた。
「やっぱり私の財布だわ。ありがとね――おじさん。って……、もう聞こえてないか」
クリスは倒れた男性に礼を伝えようと振り向けば、やっと男性が気絶している事に気付いたようだ。
「こんなの有りかよ」
「交渉決裂なら武力行使が当たり前よ。私はただこの財布を確認したかっただけなんだしね」
「それでもな……」
クリスの発言に噓はない。
――だがテクトは気絶した哀れな男性を見て、解決策がこんな荒技で良かったのかと少し悩んでしまった。
するとテクトは昼間に話したモルタとの会話をふと思い出した。
「モルタ。あの男に事情を説明しても大丈夫か?」
「……ん。会話する余裕はないみたい……」
「――仕方ない。この依頼は一旦保留にして、あとでレーネルさんに依頼主を聞いてみるか……」
「……ん。その方が安全」
あの時モルタが何故安全だと言ったのか。
それはテクトにとって、あの男性は相性が悪い人物だったからだ。
モルタは心眼であの男性の心を覗いていたが、神眼と同じでその内容をそのまま相手に伝える事は出来ない。
そのモルタが『第二冒険者組合クレムで待つ』という選択肢を決めた時点で、テクト達の未来がこうなる運命だとモルタはあの時点から知っていたようだ。
そこまで理解した上でモルタが話したあの言葉の意味をテクトは改めて再認識すると、言葉数の少ない彼女に深く溜め息を吐いた。
(分かるかよ。ボケ……)
テクトは心の中でモルタにツッコミを入れ終わると、さっきまで解決策に悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてしまった。
それに交渉決裂で武力行使へと発展する事が当たり前だと話した脳筋なクリスを見ていると、テクトはクリスの将来が逆に心配になってくるものだ。
まるで【紅き瞳のイミ】に登場する王都フェルガントの姫様みたいだなと、テクトはクリスを見ながらそう感じた。
(まぁその姫様も第八章まで登場しなければ、重要人物でもない脇役だったから名前は忘れてしまったが……)
「今から衛兵に身柄を引き渡すわ。テクトはその男を見張るだけで構わないから、一応見てて」
「分かったよ……」
テクトは気絶した男性を監視し、その間にクリスは白いローブのポケットから携帯電話を取り出して歓楽街ガロンの衛兵を管理する管轄区域に電話を掛けた。
――だが混み合っているのか全く応答がなく、クリスは携帯電話の通話を切断してある知り合いへ電話を掛けた。
それから数分後。相手との通話を終えたクリスは白いローブのポケットに携帯電話をしまうと、気絶した男性を見張るテクトにそっと話し掛けた。
「ごめん。衛兵は来れないみたい。無限高校の生徒に依頼を任せたから、私達はここで少し待ちましょ」
「誰が来るのか分かるか?」
「確か〈ブレイドコレクター〉だったかしら。去年大規模戦線アルティナに出場した……。まぁ、誰が来るかはお楽しみね」
ブレイドコレクターとは、無限高校の生徒会長姫路可憐がクランマスターの少人数精鋭部隊のクランであり、実力は大規模戦線アルティナに出場する程だ。
紅き瞳のイミ第一章ではクラン〈ブレイドコレクター〉は緊急招集によって全員不在となるが、現時点はまだ招集すらされていないようだ。
「それよりもありがとね。中身は入ってなかったけど、この財布は私の大切な人から貰った物なの」
「そんな大事な物を盗られるなんてな」
「私にも色々あったのよ。今って学生は春休みじゃない? だから財布が盗られた時も見つかるかどうか、本当は不安だったの」
「次は盗られるなよ?」
「――それは勿論!!」
念押しするテクトに対して、クリスは満面の笑みで微笑みながら約束を交わした。
――だがテクトはそんなクリスを見て何故か心配になったが、ただの気のせいだろうとテクトは感じた。
するとクリスは何かを思い出したのか、テクトにある質問をし始めた。
「そう言えばテクトに聞きたい事があったわ。モルタってテクトの何なの?」
「モルタは大切な仲間だよ。それがどうした?」
「大切な仲間ね……。ごめんなさい。私はてっきりテクトの妹さんかと思ったわ」
(妹ね……。実際は〝白の神〟なんだけど、まぁ良いか……)
「なぁ……クリス。貧民街で情報収集をしたいんだが、誰か信用出来そうな奴はいるか?」
「――貧民街の中ではやめた方が良いわ」
「どうして?」
「貧民街は金の為なら何でもする連中が多いわ。もしテクトが情報を入手したとしても、その情報が第三者に知れ渡るだろうから意味がないの。例えるなら、イタチごっこみたいな物ね」
「じゃあ誰に聞いたら良いんだよ? 面識のある情報屋なんて知らないぞ?」
「そうね……。そう言えばテクトは格安の宿屋を探してたわよね? レーネルの知り合いに宿屋を経営してる所があるから、その主人に相談してみたらどう? テクトが欲しい情報もその主人なら、たぶん持ってると思うから」
「その人は情報屋なのか?」
「正確に言えば元冒険者――歓楽街ガロンのね。詳しい話は本人に聞くと良いわ」
クリスの話が事実だとすれば、その情報料は比較的に入手し易い曖昧な情報源と違って遥かに高いだろう。
この世界で有名な情報系統のギルドやクランは〈支援科〉の生徒もしくは〈元支援科〉の卒業生達で構成されており、彼らは物や金などの物々交換によって第三者に有力な情報を提供している。
その情報の仕入れ先は特定出来ないが、彼らの本拠地は全世界に知れ渡っている。
その中でも暗黙の了解によって謎に包まれたギルドは無数に存在し、彼らは日常生活に紛れて活動する為、本来ならば彼らの居場所を特定する事は不可能とされている。
まさか歓楽街ガロンに情報屋がいるとは、創造主の斎藤ユウタでさえも予想出来なかった。
「ありがとう――クリス。この借りは」
「――別に必要ないわ。このぐらい大した事ないしね。ただレーネルに話すと面倒になるから、この話は内緒よ」
「……? 分かった」
テクトは不思議そうに首を横に傾げたが、クリスには一応頷いて返事を返す。
レーネルとその情報屋が知り合い同士ならば、本来は秘密にする必要性はないだろう。
――だがテクトはクリスにも何か事情があるのだろうと考え、理由については敢えて何も触れなかった。
するとリグ公園に一人――長袖の赤色のセーラー服を着用した高身長の女子生徒が訪れた。
テクト達は彼女に気付いて振り向くと、彼女もまたテクト達に気付いて静かに歩き始める。
彼女は無限高校一年〈魔剣科〉の姫路刹那。
身長は百七十六センチ程で、大きく膨らみのある胸と筋肉で引き締まった瘦せた身体は非常に美しく、背中まで伸びた青みがかった黒色の長髪をポニーテールで結び、ソーダライトの様な青色の瞳が特徴の女子生徒。
腰の鞘にはソードデバイスと呼ばれる魔剣が収められ、彼女は姉である生徒会長の姫路可憐が設立したクラン〈ブレイドコレクター〉に所属しており、【紅き瞳のイミ】の登場人物だ。
「――待たして貰って申し訳ない。依頼主のクリス様は貴方で間違いないだろうか?」
「そうよ。報酬はここで払うから、あとはお願いね」
「了解しました」
女性にしては大人びた低い声質を持つ刹那は、武者の様な堅苦しい喋り方と男勝りな性格によって女性からの支持率は非常に高い。
――だが残念な部分を挙げるならば、彼女は戦闘以外には全く興味が無ければ、親しい友人はクランメンバーのみ。
そんな彼女が戦闘にしか興味を持たない理由はただ一つ。
それは姉の背中を追う為にあらゆる修業を全力で取り組む、云わば根っからの努力家だという事だ。
その努力のお陰で姉には成し得なかった称号『剣豪』を手に入れ、刹那は〈ブレイドコレクター〉の正規メンバーとして選抜されて大規模戦線アルティナに出場した経緯があった。
彼女の背景を知るテクトは刹那に声を掛ける以前に、まずどうやって話し掛けるべきか悩んでいた。
すると刹那はテクトの視線に気付いて話し掛けて来た。
「何か?」
「なになに? テクト。私を差し置いてこの子に惚れっちゃったの?」
「そんなんじゃないって……」
「テクト? ふふ。済まない。貴方に良く似た人物を私は知っていてな」
刹那はテクトを見て微笑む。
どうやら刹那はテクトと瓜二つの九重明人を思い出したようだ。
「私は無限高校一年〈魔剣科〉の姫路刹那。貴方の名前をお聞きしても宜しいですか?」
「自分はFランク冒険者のテクト・シュヴァリエ」
「良い名前ですね。貴方の名前を知ると、何処か懐かしい気持ちがします」
「気のせいだろ」
「それもそうですね。失礼致しました。私はこれで――」
刹那はクリスとの契約を交わして報酬を受け取ると、気絶した男性を縄で頑丈に縛り付けた。
そして刹那は一度テクト達にお辞儀し、縛り付けた男性を刹那は片手で持つとその場から姿を消した。
するとクリスがテクトに近付いて来て話し掛けた。
「テクト。あの子と知り合いだったの?」
「知り合いと言うか、何って話したら良いんだろうな……。正直言って分からん」
「そう? まぁ良いわ。用事は済んだんだし、私達もクレムに戻りましょ」
「それもそうだな……」
テクト達はリグ公園を後にして、第二冒険者組合クレムへと歩き始めた。
━━【紅色の本レガリア[紅き瞳のイミ第一章]】━━
◆九重明人 ◆姫路刹那
街中は相変わらず大勢の人々で溢れており、人気の飲食店は長蛇の列が出来る程賑わっていた。
そして歓楽街ガロンの守衛門を抜けた先では夜行性の魔物達が次々と活発化し、熟練冒険者達による夜の魔物狩りが始まろうとしていた。
その頃。テクト達は第二冒険者組合クレムへと到着し、巨大な大広間には数十名程の見慣れない冒険者達の姿が見えた。
彼らは魔物討伐を本業として活動する冒険者達で、少年心を擽る様なファンタジー世界特有の格好良い装備を身に付けており、そんな彼らの装備に興味津々なテクトはいつの間にか見惚れてしまっていた。
すると中央の窓口から金髪ロングヘアの受付嬢――レーネルの声が聞こえた。
「テクト君。こっちよ!」
レーネルの声に気付いたテクトは我に返ると、隣にいたモルタは何処か不機嫌そうな表情を浮かべてテクトを見つめていた。
それはモルタがテクトの服の裾を引っ張って目線をこちらに向かせようと必死に頑張っていたが、テクトは冒険者達の装備に夢中でモルタには全く気付かなかったからだ。
だからこそレーネルの第一声でテクトが我に返ったので、モルタとしては当然腑に落ちなかったようだ。
「……? 何だよ?」
「……ん。何でもない」
モルタは一言伝え終わると一方的にテクトを無視する。
そんなモルタの反応にテクトは溜め息を吐くと、モルタの頭に手を伸ばして優しく撫でた。
それから数分後。機嫌を取り直したモルタを連れてテクトは中央の窓口へ着くと、レーネルに挨拶を交わした。
「こんばんは」
「こんばんは。それで初めての依頼はどうだった? 二件くらいは達成出来たでしょ?」
レーネルは何事もなくニヤニヤと微笑んでいると、その様子を遠くで観察していた数名程の他の受付嬢達がテクト達に対して軽く嘲笑っていた。
それもその筈。依頼の掛け持ちは確かに効率的だが、計画的に達成出来ない愚か者達のお陰で冒険者組合との信頼関係に泥を塗りかねない。
冒険者組合の受付嬢達がテクト達を嘲笑う時点で、クレムで依頼する冒険者の信頼度は既に壊滅的なのだろう。
――だがテクト達は全く動じなかった。
何故ならレーネル以外の受付嬢は全員、他人として認識していたからだ。
テクトは木製の長杖とラドの名前が書かれた依頼書を、そしてモルタは木製で作られた玩具の剣をレーネルに差し出した。
するとレーネルは何とも平然とした立ち振る舞いでテクト達が達成した依頼の処理を始め、他の受付嬢にその情報を流して共有させた。
その情報を先に目を通した受付嬢の主任がテクト達に対して軽く微笑むといきなり席を立ち、遠くでテクト達を嘲笑っていた受付嬢達に笑顔で制裁を下していた。
その様子を陰ながら見ていたレーネルがクスッと笑っていたのは言うまでもない。
「ふーん。あのお爺さんの依頼も達成したんだ? 何か話は聞かされなかった?」
「いいえ――何も……。何かあったんですか?」
「ごめんなさい。私も詳しくは知らないわ。ギルドマスターだったら何か知ってるかもね」
「そうですか……」
(冒険者組合全員が知ってる訳ではないのか……)
神眼によって明かされた武器屋バリクと〈セントラル協会〉の接点は理解したが、冒険者組合が武器屋バリクとの関係を持たなかった理由はまだ判明されていない。
冒険者組合も一応ギルドとして機能する為、ギルドマスターが意図的に内部情報を遮断していると考えた方が良さそうだ。
勿論。真実を知りたければ神眼で視る事は可能だが、第三者のテクト達がそこまで深入りする必要はないだろう。
「そう言えば、あの鶏は見つかったの?」
「――いいえ。色々と依頼をやってたら、忘れちゃいまして……」
「そう……。何か依頼で困った事があれば、私にも相談してね」
「お気遣いありがとうございます」
「依頼達成数は三件ね。これは報酬の三千円よ」
「ありがとうございます」
テクト達はレーネルから報酬の三千円を手に入れた。
これでテクト達が格安の宿屋に泊まる事さえ出来れば、今日は大丈夫だろう。
「そう言えばレーネルさんにお聞きしたい事があって」
「なに?」
「財布の依頼主って、誰か知ってますか?」
「ああ。知ってるわ。少し待っててね?」
レーネルは窓口から席を外し、ブレザーのポケットから携帯電話を取り出すと財布の依頼主へ電話を掛けた。
その一連の行動にテクトは携帯電話の必要さが充分に実感するが、まずテクト達は大金を稼がないと携帯電話を手に入る事は出来ないだろう。
九重明人みたいに賭博で大金を手に入れる方法もあるが、神眼は賭け事に全く向いていなければ使用出来なかったという過去もある。
それに斎藤ユウタは金遣いが荒い為、金運に全く縁がなかった。
その為。さっき報酬で手に入れた三千円は全てモルタが管理している。
それから数分後。電話を終えたレーネルが窓口の席へ戻ると、テクトに唐突な話を持ち掛けた。
「もう少しで来るそうよ」
「え? えっと……。あの財布の依頼って、そんなに急ぐ様な話だったんですか?」
「それは本人次第よ」
「それもそうですけど……」
レーネルの話では財布の依頼主に電話を掛けた途端に、依頼主が慌て出して第二冒険者組合クレムまで態々急いで向かっているようだ。
一応レーネルは外が暗い為明日でも構わないと説明したものの――依頼主は断固拒否したらしい。
物には人それぞれの思い出がある。
きっと依頼主にもそれが根付いているのだろう。
「あ! 見えたわ!」
レーネルが右手を大きく振っていると、テクト達はクレムの入口から中央の窓口へ全力疾走する美少女を目撃する。
何事かと周囲の冒険者達が彼女に目を向ける――だが冒険者達は彼女が誰なのかすぐに理解すると皆笑いながら誤魔化した。
その周囲の反応を見て、テクトは彼女が高ランクの冒険者だと気付く。
彼女の身長は一五六センチ程の瘦せ型で胸は小さく、白金色のショートヘアにアクアマリンの様な水色の瞳をしたツリ目の少女で、露出度の低い白いローブと腰の鞘にはソードデバイスと呼ばれる魔剣が収められていた。
すると彼女はテクト達の前に現れると同時に激しく息を切らし、粗い呼吸を吐きながら無理矢理にでも肺に空気を循環させる。
そして彼女は人差し指をテクトに差しながら話し掛けた。
「――貴方達ね。私の依頼を引き受けたのは……。私はクリス、Cランク冒険者よ」
「自分はテクト。この子はモルタ」
「……ん」
上から目線のクリスは何とも凡人そうな服装のテクトとゴシックロリータの黒色ワンピース姿のモルタを見比べると、今度は怪しそうな目付きへと変化したクリスはテクトを睨み付けながら腕を組み直した。
クリスのその生意気な態度にテクトは依頼主相手に怒り狂う様子はなかったが、テクトの頭の中ではクリスが【紅き瞳のイミ】の登場人物なのか判別出来ずに悩んでいた。
その理由はクリスの行動力が何処か見覚えのある登場人物に似ており、テクトはその登場人物の名前が全く思い出せなかったからだ。
紅色の本レガリアで確認する事は可能だが、クリスがテクトを怪しんでいる以上、迂闊な行動は全て避けた方が良さそうだ。
「それで財布は見つかったの?」
「ああ。見つける事は出来たんだけど……、クリスさんにはその件で現場に来て欲しいんだ」
「私はクリスで構わないわ。冒険者は皆呼び捨てするのが基本よ? ……良いわ。行ってあげる。もし騙したら容赦しないから」
「……ん。テクトは嘘吐かない」
「本当かしら? 男なんて女の敵じゃない?」
「モルタ。間違っても張り合うなよ? クリスも茶化すなら場所は教えなくても良いんだぞ? そもそも盗られた方が悪いんだしな……」
「……ん。それは言えてる」
「あれは仕方なかったの――!! でも今回は大目に見てあげるわ」
(何かいつもやらかしてるみたいな言い方だな……)
「それにしても……貴方、何か臭いわね??」
「ああ。さっきまで汗水流して働いてたからな」
クリスは鼻をつまみながら汚物を見る様な目でテクトを見つめる。
武器屋バリクの運搬作業によって、現在テクトの身体からは鉄と汗が混ざった異様な臭さを放っていた。
本来ならば汚い身体を洗い流す為に、テクト達は冒険者組合で報酬を受け取った後にでも格安の宿屋を探す予定だったが、依頼主本人が突然飛び入り参加して来るとは誰も予想すらしていなかったからだ。
「あと――その汚い剣は何よ?」
「これはただの貰い物だ」
クリスはテクトが持っていた白い布で巻かれた剣にそっと人差し指を差した。
この剣はラドに貰った屑鉄の魔剣だ。
最低限の配慮によって男性商人から貰ったロール状の白い布をテクトが魔剣に巻き付けた物だが、元から錆が酷いこの魔剣は布越しだろうが無条件で汚れるので、アイテムボックスと呼ばれる収納用魔道具を早急に購入した方が良さそうだ。
「貴方。ランクは?」
「Fランクだ。今日冒険者になったばかりで、この街に疎くてな。この辺で格安の宿屋を知らないか?」
「貴方――ネットで調べれば良いじゃない? 携帯は持ってないの?」
「ないな……」
「はあ!? じゃあ出身地は??」
「聖魔都ヴァルディム」
「成る程ね……。何も聞かなかった事にするわ……」
(どうやらヴァルディム内の事情を知っているみたいだな……)
「……ん。クリスこそ出身地はどこ?」
「私は秘密よ!!」
テクト達は神眼を使用した。
〝《【現在1】〈クリス〉性別:女性 出身地:不明 第二冒険者組合クレムを拠点に活動するCランク冒険者》〟
(おかしい……)
神眼は、魔法や能力によって無効化する事は出来ない。
本当に出身地が不明だとするならば、孤児から冒険者になった類だ。
その場合だと最初から出身地が決まっている【紅き瞳のイミ】の登場人物達とは接点が掛け離れているので、クリスは登場人物ではないという事が殆ど確定している様なものだ。
だがテクトは何処かクリスに違和感を感じていた。
それはクリスの性格や容姿に似た登場人物を、実際に作成した事があったからだ。
「じゃあテクト。どうせまだ暇なんでしょ? 財布の場所を教えて貰えるかしら?」
「分かったよ……。モルタはどうする?」
「……ん。私はここで待ってる」
「――分かった」
第二冒険者組合クレムにモルタを残し、テクトはクリスを連れてリグ公園へと歩き始めた。
◇ ◇ ◇
テクト達は歓楽街ガロンの裏道や細い通路を経由し、第二冒険者組合クレムから最短距離でリグ公園へと辿り着いた。
夜のリグ公園は昼間と比べて人気がなく、設置された街灯の光が周囲を明るく照らしてはいるが少し薄暗く、中央の噴水からは水音のみが静かに木霊していた。
「こんな所に公園があったなんてね。全く知らなかったわ」
「本当にCランク冒険者かよ?」
「私は魔物討伐がメインなの! それにテクトこそ怪しいじゃない? あんな裏道があるなんて、誰も気付かないわよ?」
「今日この辺を歩き回った時に見つけたんだよ。まさか今日また通るなんて、思いもしなかったけど……」
(本当はレガリアの能力なんだけど、今は隠してた方が良いだろう。相手が冒険者だとしても、どこで情報を盗まれるか分からないしな)
紅色の本レガリアによる世界地図はテクトにとって本来の性能以上の効力を発揮している。
この能力が他人に使用される事はまず有り得ない事だが、人間は楽を優先する狡賢い生き物なので、自らでその情報を秘匿する必要がある。
万が一情報が漏れた場合でも代々受け継がれた能力だと誤魔化せば、天才が現れない限り納得してくれるだろう。
「それで……私の財布はどこなのよ?」
「アレだけど?」
テクトは公園内の白いベンチを指差した。
そこにはやはり黒い帽子と古臭い服装に身を包む男性が座っており、その隣には茶色の長財布が今も置かれていた。
「ちょっと待って……。あの男――誰??」
「知るかよ。自分は今日ガロンに来たばっかだぞ」
「それもそうね……。見た所お尋ね者でもなさそうね? 良いわ――行きましょう」
「って――おい……!!」
テクトは一度クリスと冷静に話し合って、作戦会議でも始めようと考えていた。
――だがクリスはこんな事の為に時間を割く必要はないと感じたのか、後先考えずに白いベンチへと歩き出した。
それを見たテクトが一歩出遅れてクリスの後を追っていく。
当然。白いベンチに座る男性もテクト達がこちらへ接近している事に気付いて目を向けた。
男性はクリスの腰にある鞘を見て冒険者だと判断し、相方のテクトに関しては弱そうな見た目からクリスの案内役だろうと考える。
実際男性はテクトの姿を昼間にも目撃しており、その時に感じたテクトの印象は妹連れの観光客か、異国の旅人にしか見えなかった。
すると男性は低い声で、テクト達よりも先に話し掛けて来た。
「お前ら何者だ? こんな夜中に何しに来たんだ?」
「私の財布を見た人がここへ案内してくれてね」
「財布?? これは俺の財布だぞ。お前の財布なんか知るかよ」
男性はクリスの子供染みた声に年端もいかない少女だと分かると、男性は軽く煽りながらクリスを挑発した。
するとクリスは男性の言葉に苛立ちを覚え、少し口元を歪ませながらクリスはその挑発に乗った。
「貴方の目の前で確認するくらいは良いんじゃないかしら。もし間違ってたら、私が謝れば済む話でしょ?」
「ダメだ。お前ら良い加減にしないと……、衛兵に突き出すぞ――!!」
男性はクリスの言葉に全く耳を傾けずに異を唱え、テクト達に物議を醸し出した。
「俺はここの住人だ。俺が衛兵に頼めば、お前らは窃盗未遂で捕まるだろうな……」
「そう……。残念だわ――」
白いベンチに置かれた茶色の長財布を諦めたのか、クリスは男性に痺れを切らして深い溜め息を吐いた。
すると何の前触れもなく、クリスは目にも留まらぬ速さで男性の頬を右拳で殴り掛かると、男性は白いベンチから見て左側へと吹き飛ばされる。
テクトは慌てて地面に倒れた男性を見れば、男性は口から泡を吹き出しながら気絶していた。
クリスは気絶した男性を無視して、白いベンチに置かれた長財布を手に取ると外見や中身を細かく確認し始めた。
「やっぱり私の財布だわ。ありがとね――おじさん。って……、もう聞こえてないか」
クリスは倒れた男性に礼を伝えようと振り向けば、やっと男性が気絶している事に気付いたようだ。
「こんなの有りかよ」
「交渉決裂なら武力行使が当たり前よ。私はただこの財布を確認したかっただけなんだしね」
「それでもな……」
クリスの発言に噓はない。
――だがテクトは気絶した哀れな男性を見て、解決策がこんな荒技で良かったのかと少し悩んでしまった。
するとテクトは昼間に話したモルタとの会話をふと思い出した。
「モルタ。あの男に事情を説明しても大丈夫か?」
「……ん。会話する余裕はないみたい……」
「――仕方ない。この依頼は一旦保留にして、あとでレーネルさんに依頼主を聞いてみるか……」
「……ん。その方が安全」
あの時モルタが何故安全だと言ったのか。
それはテクトにとって、あの男性は相性が悪い人物だったからだ。
モルタは心眼であの男性の心を覗いていたが、神眼と同じでその内容をそのまま相手に伝える事は出来ない。
そのモルタが『第二冒険者組合クレムで待つ』という選択肢を決めた時点で、テクト達の未来がこうなる運命だとモルタはあの時点から知っていたようだ。
そこまで理解した上でモルタが話したあの言葉の意味をテクトは改めて再認識すると、言葉数の少ない彼女に深く溜め息を吐いた。
(分かるかよ。ボケ……)
テクトは心の中でモルタにツッコミを入れ終わると、さっきまで解決策に悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてしまった。
それに交渉決裂で武力行使へと発展する事が当たり前だと話した脳筋なクリスを見ていると、テクトはクリスの将来が逆に心配になってくるものだ。
まるで【紅き瞳のイミ】に登場する王都フェルガントの姫様みたいだなと、テクトはクリスを見ながらそう感じた。
(まぁその姫様も第八章まで登場しなければ、重要人物でもない脇役だったから名前は忘れてしまったが……)
「今から衛兵に身柄を引き渡すわ。テクトはその男を見張るだけで構わないから、一応見てて」
「分かったよ……」
テクトは気絶した男性を監視し、その間にクリスは白いローブのポケットから携帯電話を取り出して歓楽街ガロンの衛兵を管理する管轄区域に電話を掛けた。
――だが混み合っているのか全く応答がなく、クリスは携帯電話の通話を切断してある知り合いへ電話を掛けた。
それから数分後。相手との通話を終えたクリスは白いローブのポケットに携帯電話をしまうと、気絶した男性を見張るテクトにそっと話し掛けた。
「ごめん。衛兵は来れないみたい。無限高校の生徒に依頼を任せたから、私達はここで少し待ちましょ」
「誰が来るのか分かるか?」
「確か〈ブレイドコレクター〉だったかしら。去年大規模戦線アルティナに出場した……。まぁ、誰が来るかはお楽しみね」
ブレイドコレクターとは、無限高校の生徒会長姫路可憐がクランマスターの少人数精鋭部隊のクランであり、実力は大規模戦線アルティナに出場する程だ。
紅き瞳のイミ第一章ではクラン〈ブレイドコレクター〉は緊急招集によって全員不在となるが、現時点はまだ招集すらされていないようだ。
「それよりもありがとね。中身は入ってなかったけど、この財布は私の大切な人から貰った物なの」
「そんな大事な物を盗られるなんてな」
「私にも色々あったのよ。今って学生は春休みじゃない? だから財布が盗られた時も見つかるかどうか、本当は不安だったの」
「次は盗られるなよ?」
「――それは勿論!!」
念押しするテクトに対して、クリスは満面の笑みで微笑みながら約束を交わした。
――だがテクトはそんなクリスを見て何故か心配になったが、ただの気のせいだろうとテクトは感じた。
するとクリスは何かを思い出したのか、テクトにある質問をし始めた。
「そう言えばテクトに聞きたい事があったわ。モルタってテクトの何なの?」
「モルタは大切な仲間だよ。それがどうした?」
「大切な仲間ね……。ごめんなさい。私はてっきりテクトの妹さんかと思ったわ」
(妹ね……。実際は〝白の神〟なんだけど、まぁ良いか……)
「なぁ……クリス。貧民街で情報収集をしたいんだが、誰か信用出来そうな奴はいるか?」
「――貧民街の中ではやめた方が良いわ」
「どうして?」
「貧民街は金の為なら何でもする連中が多いわ。もしテクトが情報を入手したとしても、その情報が第三者に知れ渡るだろうから意味がないの。例えるなら、イタチごっこみたいな物ね」
「じゃあ誰に聞いたら良いんだよ? 面識のある情報屋なんて知らないぞ?」
「そうね……。そう言えばテクトは格安の宿屋を探してたわよね? レーネルの知り合いに宿屋を経営してる所があるから、その主人に相談してみたらどう? テクトが欲しい情報もその主人なら、たぶん持ってると思うから」
「その人は情報屋なのか?」
「正確に言えば元冒険者――歓楽街ガロンのね。詳しい話は本人に聞くと良いわ」
クリスの話が事実だとすれば、その情報料は比較的に入手し易い曖昧な情報源と違って遥かに高いだろう。
この世界で有名な情報系統のギルドやクランは〈支援科〉の生徒もしくは〈元支援科〉の卒業生達で構成されており、彼らは物や金などの物々交換によって第三者に有力な情報を提供している。
その情報の仕入れ先は特定出来ないが、彼らの本拠地は全世界に知れ渡っている。
その中でも暗黙の了解によって謎に包まれたギルドは無数に存在し、彼らは日常生活に紛れて活動する為、本来ならば彼らの居場所を特定する事は不可能とされている。
まさか歓楽街ガロンに情報屋がいるとは、創造主の斎藤ユウタでさえも予想出来なかった。
「ありがとう――クリス。この借りは」
「――別に必要ないわ。このぐらい大した事ないしね。ただレーネルに話すと面倒になるから、この話は内緒よ」
「……? 分かった」
テクトは不思議そうに首を横に傾げたが、クリスには一応頷いて返事を返す。
レーネルとその情報屋が知り合い同士ならば、本来は秘密にする必要性はないだろう。
――だがテクトはクリスにも何か事情があるのだろうと考え、理由については敢えて何も触れなかった。
するとリグ公園に一人――長袖の赤色のセーラー服を着用した高身長の女子生徒が訪れた。
テクト達は彼女に気付いて振り向くと、彼女もまたテクト達に気付いて静かに歩き始める。
彼女は無限高校一年〈魔剣科〉の姫路刹那。
身長は百七十六センチ程で、大きく膨らみのある胸と筋肉で引き締まった瘦せた身体は非常に美しく、背中まで伸びた青みがかった黒色の長髪をポニーテールで結び、ソーダライトの様な青色の瞳が特徴の女子生徒。
腰の鞘にはソードデバイスと呼ばれる魔剣が収められ、彼女は姉である生徒会長の姫路可憐が設立したクラン〈ブレイドコレクター〉に所属しており、【紅き瞳のイミ】の登場人物だ。
「――待たして貰って申し訳ない。依頼主のクリス様は貴方で間違いないだろうか?」
「そうよ。報酬はここで払うから、あとはお願いね」
「了解しました」
女性にしては大人びた低い声質を持つ刹那は、武者の様な堅苦しい喋り方と男勝りな性格によって女性からの支持率は非常に高い。
――だが残念な部分を挙げるならば、彼女は戦闘以外には全く興味が無ければ、親しい友人はクランメンバーのみ。
そんな彼女が戦闘にしか興味を持たない理由はただ一つ。
それは姉の背中を追う為にあらゆる修業を全力で取り組む、云わば根っからの努力家だという事だ。
その努力のお陰で姉には成し得なかった称号『剣豪』を手に入れ、刹那は〈ブレイドコレクター〉の正規メンバーとして選抜されて大規模戦線アルティナに出場した経緯があった。
彼女の背景を知るテクトは刹那に声を掛ける以前に、まずどうやって話し掛けるべきか悩んでいた。
すると刹那はテクトの視線に気付いて話し掛けて来た。
「何か?」
「なになに? テクト。私を差し置いてこの子に惚れっちゃったの?」
「そんなんじゃないって……」
「テクト? ふふ。済まない。貴方に良く似た人物を私は知っていてな」
刹那はテクトを見て微笑む。
どうやら刹那はテクトと瓜二つの九重明人を思い出したようだ。
「私は無限高校一年〈魔剣科〉の姫路刹那。貴方の名前をお聞きしても宜しいですか?」
「自分はFランク冒険者のテクト・シュヴァリエ」
「良い名前ですね。貴方の名前を知ると、何処か懐かしい気持ちがします」
「気のせいだろ」
「それもそうですね。失礼致しました。私はこれで――」
刹那はクリスとの契約を交わして報酬を受け取ると、気絶した男性を縄で頑丈に縛り付けた。
そして刹那は一度テクト達にお辞儀し、縛り付けた男性を刹那は片手で持つとその場から姿を消した。
するとクリスがテクトに近付いて来て話し掛けた。
「テクト。あの子と知り合いだったの?」
「知り合いと言うか、何って話したら良いんだろうな……。正直言って分からん」
「そう? まぁ良いわ。用事は済んだんだし、私達もクレムに戻りましょ」
「それもそうだな……」
テクト達はリグ公園を後にして、第二冒険者組合クレムへと歩き始めた。
━━【紅色の本レガリア[紅き瞳のイミ第一章]】━━
◆九重明人 ◆姫路刹那
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