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第五章   魔王様   オルビス編

5   憎悪

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 妊娠は順調でアリエーテは、時々レオンに連れられて、温室や庭園を散歩して歩いた。
 レオンはアリエーテを見てはニコニコしている。

「この子の名前は、どうするかな?」
「男の子と女の子の名前を考えてね」
「俺はもう性別は知っているぞ」

 アリエーテは、今にも話しそうなレオンの口を、人差し指を立てて、口を封じる。

「生まれるまで内緒なの」
「そうだったな」

 レオンは愛おしそうにお腹を撫でる。

「レオン、赤ちゃんが生まれても、わたしのことを好きでいてね」
「もちろん、そのつもりだよ」
「ありがとう。もし、わたしが死んでしまったら、魂はレオンが食べて。そうしたら、わたしはいつでもレオンと一緒にいられるわ」
「アリエーテ、何を考えているんだ?」
「出産にはリスクがつきものよ。レオンにわたしの赤ちゃんを託せるのが嬉しいの。1000年も魂を追いかけてくれてありがとう。もし、この魂が消滅しても、わたしの分身は残せるわ」
「アリエーテを見殺しにするつもりはないよ」

 アリエーテは美しく微笑んだ。

「今、とても幸せなの。その事をレオンに覚えていて欲しいの」
「まるで死んでしまうような言い方は止めろよ」
「うん。万が一の事が起きる前に、伝えておきたかったの」
「アリエーテを一生、守る。この後も一緒に生きて行くんだ」
「うん」

 アリエーテはレオンと手を繋いだ。並んで歩きながら、美しい庭園を見回す。

「ここはいつも綺麗な薔薇が咲いているのね」
「ああ、アリエーテは薔薇が好きだったから、薔薇の庭園を造った」
「温室にもたくさんの花が植わっていたわ」
「いつでもアリエーテに花を贈れるように、温室も造った」
「レオン、わたしは昔から、きっとレオンを好きだったわ。人間界で初めてレオンを見た時、怖くなかったの。悪魔だと言われて驚いたけれど、シスターに叩かれたときも助けてくれた。悪魔がこんなに優しいって知らなかった。この目に刻まれた魔方陣が、今ではすごく嬉しいの。わたしはレオンの物だと思えるの。一緒に過ごしている時間も宝物よ。ありがとう」
「アリエーテ、別れの言葉は聞きたくない」
「もう言わないわ。伝えたいことは、今、伝えたから」

 アリエーテはレオンに抱きついた。

「好きです。覚えていてね」
「アリエーテ、いい加減にしないと、本当に怒るぞ」
「怒られてもいいわ。すべて思い出の1ページよ」

 アリエーテは微笑んで、また一緒に歩き始めた。

「一生、こうして歩いて行きたいわ」
「その願い叶えよう」

 レオンはアリエーテの両手を握ると、向き合って、じっとアリエーテを見つめる。

「兄から、魔王を代わって欲しいと頼まれた。俺と兄は双子だ。俺は兄に魔王の座を譲った。俺が魔王になれば、その伴侶は永遠の命を授かることになる。アリエーテが死を恐れることはなくなる。俺が魔王になる事は反対か?」
「魔王になったら、一緒にいられる時間が減ってしまうのではないですか?」
「時間は永遠になる。今は平和な時代だ。魔王にそれほど仕事はないはずだ」
「お姉様は許していらっしゃるのですか?」
「ヘルメースは子供を産めと言われ続けてきた。そのプレッシャーから解放されるだろうと兄が言っていた」
「わたしを守るために魔王になるの?」
「どんな事をしても、アリエーテを守る」
「レオンがそこまで考えているなら、わたしはレオンに従います」

 レオンは微笑んだ。

「すぐに兄上に報告しよう」

 レオンはアリエーテを抱きしめたまま瞬間移動をして、魔王が住む宮殿に来た。

「オルビス」
「レオンか?」
「あの話だが、喜んで受ける」
「そうか、助かる。私は隠居生活を始めて、ヘルメースに寄り添っていようかと思う」

 オルビスの視線は、アリエーテのお腹に向けられた。
 妻と同じくらいふっくらとお腹が膨らんでいる。

「順調か?」
「ああ、順調だ」

 予定日はそろそろだ。
 アリエーテが答える前に、レオンが答えた。
 しばらく見ないうちに、ヘルメースのお腹は、元通りに臨月のお腹に戻っていた。
 まるで二人とも妊娠しているようだ。

「アリエーテのせいで元通りになってしまったわ。どうして妊娠なんてしたの?私の治療が優先でしょう?」

 ヘルメースの視線が、アリエーテの膨らんだお腹に向けられている。

「ヘルメース、君の病気とアリエーテ妃の妊娠は別物だ。ヘルメースも妊娠したときは、自分の体を最優先にしたではないか?」
「1000年も昔の事なんて覚えてないわ」

 ヘルメースは部屋から出て行った。

「すまない。ずっと機嫌が悪くて、それで少しでもストレスがない方法を考えた」

 アリエーテは頷いた。

「治療はできそうもないのか?」
「子宮を取ってしまうことは可能だが、それをしたら、ヘルメースは落胆してしまいそうで。今のまま放置しているのも危険になってきている。子宮が破裂してしまったら取り返しのつかないことになるかもしれない。隠居したら、子宮の摘出の説得をしようと思っている」
「そうか」

 二人の会話は痛々しい。子供が欲しい姉が、それを承諾するだろうか?

「レオンに私と同等の魔術があって、助かった」
「元々一卵性の双子だ。育ちも同じだ。似ていてもおかしくはない」

 確かに顔立ちはそっくりだ。
 髪の分け目を変えて、オルビスは髪を伸ばして、後ろで一つに結んでいる。着ている服装は明るめだ。レオンはいつも漆黒のタキシードしか着ないが、オルビスは明るめのスーツを着ている。ぱっと見た時の印象がまったく違うので、双子だと言われなければ、気づかいないだろう。

「アリエーテ、疲れないか?」
「大丈夫よ」
「応接室に案内しよう。色々話し合いもしたい」
「子供が生まれる前に、交代をお願いしたい」
「ああ、その方が安全だ」

 兄弟二人は屋敷の中を歩いて行く。
 アリエーテはレオンと手を繋いで歩いていた。
 その時、背後から光りの矢がアリエーテを貫いて、アリエーテはレオンの手を強く握って、そのまま倒れた。

「アリエーテ」
「ヘルメース何をしたんだ?」
「泥棒猫をやっつけただけよ」
「アリエーテ」

 レオンは、アリエーテの洋服を消すと、流れる血を止める。

「兄上、手伝ってくれ。止血を頼む。その間に子供を産ます」
「わたし、やはり死ぬのね?」
「死なせるものか」

 アリエーテは涙を流すと、そのまま意識を失った。

「子宮は傷ついてはいない。わずかに逸れていたようだ。止血は終えた。治療を行う」
「出産も終えた。アリエーテを看ていてくれ」

 臍の緒を魔術で切り、レオンは生まれた赤子に魔術をかけて、心臓を動かす。
 身動き一つしていなかった赤子に呼吸が戻り、大声で産声を上げ始めた。
 緊張していた屋敷の中で、使用人達がホッと息をついたのが分かった。
 身動き一つできなかった使用人達がおくるみ代わりのバスタオルを持って来て、アリエーテのためにバスローブを持って来た。

「二人を屋敷に連れ戻したい。すまないが屋敷まで子供を送ってくれないか?」
「妻が申し訳ないことをした。謝罪で済むことではないが」
「今は、一刻も早く我が家へ」
「ああ、わかった」

 レオンはアリエーテを抱き上げると、オルビスと屋敷に戻った。
 赤子はモリーとメリーが受け取り、産湯に付けて、世話を始めた。

「本当にすまない」
「今はいい。アリエーテの命の方が優先だ」

 レオンはアリエーテをベッドに寝かせ、フルスを警護に就けた。
 一時も目を離すわけにはいけない。

「今すぐ、魔王の証を渡す」

 オルビスは、腕を切り、流れ出した血をレオンに与えた。
 血をわずかに飲んだだけで、体に力が漲る。
 これが魔王の力かとレオンは感心した。
 本来はワイングラスに入れられた血を飲むが、そんな礼儀正しい作法などしている暇はない。
 オルビスの腕を掴んで、血を吸う。
 ワイングラス一杯ほどの血を飲むと、レオンは顔を上げて、腕で口を拭う。
 オルビスも傷を治した。

「謹んで承りました」

 寝室で簡素な魔王の交代の儀式が行われた。

「すぐにアリエーテ嬢に、レオンの血を飲ませろ」

 オリビスも焦っている。
 レオンが想い続けた命を亡くすわけにはいかない。

「ああ」

 気を失っているアリエーテを少し起こすと、レオンは指先を切り、それをアリエーテの口の中に入れた。
 コクンと喉が動く。
 レオンは緊張で体が震える。
 アリエーテが口にしていた遺言のような別れの言葉が、頭の中で再生される。

「もう大丈夫だろう」

 震えるレオンの肩にオルビスは触れる。

「本当に大丈夫なんだろうな?アリエーテには、後がない。大切に守ってきたのに、失うわけにいかない」
「今流れている血で、宝石を作っておくといい。魔王の血は万能薬だ。いつも身につけさせるようにするとお守りになると先代から聞いた」
「まだ目を覚まさない」

 レオンは指の傷を魔術でもっと深く傷つけ、流れる血の量を増やした。
 コクンコクンと喉が動く。
 アリエーテが血を飲んでいる証拠だ。
 ぼんやりとアリエーテは意識を取り戻した。

「……アリエーテ」
「……レオン」

 レオンはアリエーテの口から指を出すと、アリエーテを抱きしめた。

「赤ちゃんは?」
「ああ、無事だ」
「……良かったわ」

 オルビスは流れるレオンの血を止めると、姿を消した。

「今、魔王の血を飲ませた。死ぬことはないだろう。傷も治した」
「何かがお腹を貫いたの」
「ああ、吃驚したな」
「急にお腹が痛くなって、血が流れて……」

 つーっとアリエーテの頬に涙が流れていく。

「オルビスが傷を治している間に、赤ちゃんを産ませた。意識のないときに産ませてしまってすまない」
「助かったのなら、良かったわ」

 しきりに涙を拭いながら、アリエーテは一生懸命笑顔を作ろうとしている。
 その時、フルスがモリーとメリーを寝室に連れて来た。

「奥様、赤ちゃんですよ」

 モリーが産着を着た赤ちゃんを抱かせてくれる。
 泣いていたアリエーテに笑顔が浮かんだ。

「男の子かしら?女の子かしら?」

 すやすや眠っている、標準より少し小さな赤ちゃんを見つめる。

「モリーがおしめを外してくれた」
「まあ、女の子ですね」
「可愛い姫だ」

 ツンツンと頬を突くと、目が開いた。
 アリエーテが微笑んだ。

「青い瞳だわ」
「アリエーテ、そっくりな姫だ。少し小さく産まれてしまったが、大丈夫だろう」
「良かったわ、わたしに何かあっても、レオンに寂しい想いはさせないわね?」
「アリエーテ、もう不死の身だ。死ぬことはない」
「実感がないの」
「アリエーテは王妃だ。落ちついたら戴冠式が行われるだろう」
「お姉様は大丈夫かしら?王妃であることに誇りを持っていらしたから」
「今は何も心配せずに、休んでくれ。産後の体だ」
「はい」

 赤ちゃんはモリーが連れていった。

「名前は何ですか?」
「アンジュだ。俺とアリエーテの天使だ」
「悪魔なのに天使なのね」
「おかしいか?」
「可愛いわ」

 アリエーテはレオンの手を握ると、目を閉じた。

「産後の痛みを取ってやろう」
「うん」

 レオンのもう片手が、優しく背中をさする。
 生まれてきてくれてありがとう。二人はそう思いながら、アリエーテは眠りに落ちていった。人間から悪魔になり魔王の妻になった。体が変化していく。
 

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