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第1章

8 幼い瞳

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 扉がノックされ、アニーは扉に駆けていって、扉を開けた。

「こら、アニー。扉を開ける前に、誰か尋ねなくてはいけないよ?」

「はい、レイン辺境伯」


 アニーは頭を下げた。

 せっかくご機嫌だったのに、可哀想。

 アニーは叱られて、しょんぼりとしてしまった。

 私は立ち上がると、扉の方へと向かう。


「レイン辺境伯、アニーをそんなに叱らないで。ノックの相手を知らなければならないのなら、ノックをした者が名乗るべきですわ」


 生意気かと思ったけれど、私は思った事を口にした。


「確かにニナが言うとおりであるな。アニー、叱ったりしてすまなかった。これからは先に名乗るとしよう。だが、名乗らないのであれば、誰かを確かめてから扉を開けなさい」

「はい、分かりました」

 レイン辺境伯は、柔軟な考えの人のようだ。

 頭ごなしに、何でも怒る人は、私は好きではない。

 自分の立場をひけらかし、弱者を痛めつける貴族は意外と多い。

 レイン辺境伯は、部屋の中に入ってきて、私を見つめた。


「美しい」


 私は微笑んだ。

 第一声が『美しい』と言うお方とは、初めてお目にかかりました。


「髪に触れてもいいだろうか?」

「ええ、いいですけれど、レイン辺境伯、初対面の令嬢の髪に突然触れる事はお勧めしませんわ。我がニクス王国では、髪の長い女性が美しいと言われているので、貴族の令嬢の殆どが長く伸ばしております。髪のお手入れは、お肌のお手入れと同じほど大変でございます。髪に触れることは、肌に触れることと同じでございますわ」

「ニクス王国では、その様な決まり事があるのか?」

「古からの風習の様ですわ。私の母も髪は長いですわ。妹のように肩の上で切ってしまう破天荒者もおりますが、女性の髪は、命の長さだと言われておりますのよ」

「なるほど、命の長さか。生まれてから伸ばし始めるのだな?」

「そうでございます」

「それでも、触れてみたい」

「ええ、どうぞ」


 私の元夫は、私の髪には興味を持たなかったけれど、レイン辺境伯は、私の髪に興味があるようだ。

 先ず、頭を撫でられた。

 その手つきは優しい。

 頭を撫でると、長い髪に沿って、髪を撫でていく。

 髪を撫でられる事は、同時に身体も撫でられる事であることには、どうやら気づいていないようだ。

 私はとても恥ずかしいのですが、レイン辺境伯は、私の髪を撫で、そっとその髪に口づけをした。


「長い髪が珍しいのですか?」

「ああ、母上を思い出しておった。正確には、想像しておった。俺は母上に会った事はない。ブルーリングス王国が襲われ、散り散りに逃げ出した俺の先祖は、ニクス王国に保護されておった。血を繋ぐために、両親は同胞と結婚した。俺には兄妹はいない。母上は俺の出産の時に命を失った。父上は嘆いたが、血を残すために後妻を娶った。

血を残すために娶ったはずなのに、後妻は父以外の男と閨を供にしていた。怒った父上は、後から娶った後妻と別れた。後に生まれた子は、父の子とは認められてはいない。その者は男子であったが、市井に下りた。

ただでさえブルーリングス王国の血族が少ないというのに、情けないことだ。俺は血族を探している。俺を育ててくれた、ニクス王国の国王陛下も協力してくれている。兄弟同然に育ったニクス王国の王太子殿下、エイドリックとも仲のよい友人である。

国王陛下から、この地、辺境区をいただいた。攻められれば終わるが、俺は国王陛下からいただいたこの地を新たなブルーリングス王国としたい。小国ではあるが、安全な住みやすい国にしたいと思っておる。隣国、ブリッサ王国とも、できれば友好国になりたいと努力している所だ」

「そうでしたの?」

「だからこそ、力を借りたい。俺とブルーリングス王国の再建をしてはくれないか?ニナのこの髪と瞳は、間違いなくブルーリングス王国の王族の血の現れである。俺一人では、国は作れない。伴侶となる者が必要だ」

「レイン辺境伯は、でも、私のことは何もご存じないと思いますわ。私が不実な者の可能性を考えたことはないのですか?」

「ニナのことは、出会った後から、色々調べさせてもらった。妹のせいで、悲しい思いをしてきたことも知っておる。ニナなら俺だけを愛してくれると信じられる」

「ずいぶんな自信ですわ」

「ニナのことを調べているうちに、益々、ニナを好きになっていった。ニナの夫君が羨ましかった。もっと早く、ニナと出会いたかったと何度も思った。夫君にニナと別れて欲しいと頼みに行くか悩んでおった。子ができる前に、赴くつもりでいた。そんな時、ニナが離婚をした。たまたま中央都市に戻っておった時であった。急いで釣書を出した。だが、ニナは看護師の試験を受けた。俺に二年待てというメッセージだと思ったのだ」


 レイン辺境伯は熱烈に私を口説く。

 ふと視線が気になった。

 アニーがうっとりと、レイン辺境伯の言葉を聞き、頬を熱くしている。

 私よりも先に、返事をしてしまいそうね。


「レイン辺境伯、お食事のお時間ではなかったかしら?」

「ああ、そうだ。食事を誘いに来たのだ。話しは食事をしながら致そう」


 レイン辺境伯は、私の肩を抱いた。

 アニーが頬を染めて、両手で口をふさいでいる。

 今にも悲鳴を上げそうな顔をしている。

 私の視線にやっと気づいたレイン辺境伯は、「すまない」と謝罪をして、肩から手を離した。

 いいのですけれど、子供には刺激が強いかもしれないわね。

 レイン辺境伯は、私に触れたそうでしたけれど、食い入るように見ているアニーの視線を気にし始めました。

 何度も「すまない」と小さな声で、レイン辺境伯は囁きました。

 彼に悪気がないことは分かっています。


「いいえ、年頃ですもの」
 

 私も小さな声で囁きました。


「アニー、食事に行ってくる。アニーも休憩だ。食事をしてきなさい」

「はい、レイン辺境伯」


 アニーは礼儀正しく、お辞儀をした。

 きちんと躾の行き届いたお嬢さんだ。

 アニーはもう一度、私達にお辞儀をすると、先に部屋から出て行った。

 その頬はまだ赤く色づいている。

 足早に歩いて行く後ろ姿を見送って、私はレイン辺境伯を見やった。


「アニーは幾つですの?」

「15になったばかりだったはずだ。すまない。ニナに夢中になって、アニーの存在を忘れていた」

「15才ならば、色恋沙汰に好奇心が芽生えてくる年齢ですわ」

「子供の前で気をつけなくてはならないな」

「レイン辺境伯のお話は、とても聞きたいのですが」

「食事の後に、時間を作ろう」

「お願いします」
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