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第十章
12 新年親睦会 新年のご挨拶
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新年初の親睦会は光輝さんのスピーチから始まった。
開始時間1時間前まで、チャペルで過ごして、一旦部屋に戻り、メイクを直して、せっかく綺麗に結ってもらった髪をそのままに、わたしは振り袖を着た。
真竹流の振り袖の中でも展覧会に出された振り袖なので、かなり華やかだ。
着物に負けてしまいそうな気がする。
金銀も豊富に使われた美しい着物だ。
この着物も、後二度ほどしか着られない。
振り袖は高いが、あまり着る機会がない。
成人式は行くつもりはなかったが、着物を着て出かける為に出席で手紙を出した。
中学生の同窓会も同時に行われるそうだ。
小、中学校で虐めに遭っていたわたしが行けば、またターゲットにされてしまうかもしれない。光輝さんにその事を話したら、式が終わったらドライブに出かけようと誘われた。
光輝さんと振り袖デートができるなら、わたしはいつまでも振り袖を着ていられる。
着物は苦ではないけれど、人に会うのが、特に同い年の級友などに会いたくはない。
高校生の時は、レベルの高い高校に入ったので、底辺にいたいじめっ子達とは離れる事はできたけれど、わたしを知る人はクラスにもいて、その子達が中学の噂を流して、結局、友人はできなかった。
高校時代、大学に進学するためにわたしはすごく勉強した。
だから、母校から同じ大学に進学できたのは、数人だった。
その数人は頭も良かったし、学部も違ったので、大学内で顔を合わすこともなく、平穏な生活がやっとやって来た。
初めて恵と友人になった。
初めての友達は、姉の彼女だったけれど、わたしは恵の事は好きだ。
成人式には実家に帰るそうだ。
後で、振り袖姿を見せ合おう。
綺麗に着つけした姿を、光輝さんが写真に残してくれた。
わたしのスマホでも写してくれた。
わたしは振り袖を汚さないように気をつけながら、光輝さんにエスコートされて、わたし達の席に座った。
部屋で散々、わたしの振り袖姿を写真に収めていた光輝さんだが、まだ写真を撮り足りないらしい。
「なんと美しいんだ」
「最上級の着物だもの」
「美緒にとても似合っている」
「姉の方が似合っていたのよ」
姉は着物のモデルをしていた。
それほど美しい顔立ちとスタイルをしていた。けれど、姉は男になりたいらしい。
勿体ない話だ。
きっとモテたと思うし、わたしの理想の姉だった。
顔立ちもスタイルも頭のできも、全て、わたしの理想の塊だった。
けれど、イカレた家で、生き残れた姉だから、これからは姉の好きな生き方をすればいいと思う。
美人なら、美人の男性になれるはずだ。
ただ、無理はして欲しくはない。
無理な手術で綺麗な体を傷つけて欲しくはない。
「総帥、新年の冊子に奥様とのツーショットをお願いします」
広報部の男性が、声を掛けてきた。
「美緒、少しいいか?会社の広報に載せる写真を撮りたいそうだ」
「……はい」
わたしは着物の着崩れがないか確かめてから、光輝さんの隣に立った。
「できれば、仲睦まじく見えるようにしていただけると助かります」
「文句が多い」
光輝さんは文句を言いながら、わたしの肩を抱き寄せて寄り添った。
「奥様、笑顔をお願いします」
難しい注文だ。光輝さんを見上げると、光輝さんはわたしの前髪にキスをした。
心臓が激しく鳴り、顔が紅潮してくる。
光輝さんが頭に触れると、まるでわたしが光輝さんに凭れ掛かっているように見えてくるようなきがした。
カメラマンは、全て連射で撮って、満足したのか、「ありがとうございました」と頭を下げた。
「写真のデーターを送ってくれ」
「わかりました」
広報部の男性は、立ち去って行った。
席に座ると、酔っ払った桜子さんが椅子に座った。
「貧乏人の結婚式だったわね。総帥ともあろう者が、親睦会で簡略結婚式をするとは、みっともないわね。恥を知りなさい。披露宴もしなくて、ドレスも特注ではなくレンタルで、お召し替えもないなんて、円城寺家の恥ね」
今日はいつもに増して毒舌だ。
「この時間から酔っているのか?有喜はどうした?部屋に戻った方がいいだろう?」
桜子さんはフンと鼻を鳴らして、わたしをじっと見る。
欠点を探しているようで、知らぬ間に緊張してくる。
「馬子にも衣装ね。いい振り袖を買ってもらったのね?」
「この和服は、美緒の姉から美緒に贈られた物だ。俺はなんの援助もしていない」
「貧乏人の姉はお嬢様だったのね?それは知らなかったわ。それなら、光輝は美緒の姉と結婚すれば良かったのに」
桜子さんは、文句を言いたいだけだと思う。
そんなに何が気に入らないのだろうか?
有喜さんと結婚したばかりなのに、今は幸せなはずだ。けれど、まだ心の中に光輝さんがいるなら、光輝さんと一緒にいたいのかもしれない。
それに、桜子さんの今日のお召し物は、わたしと一緒に選んで買った真竹流の着物だった。
高価な物だと分かるが、今日のわたしの振り袖と並べたら、格も落ちて見えてしまう。それも気に入らないのだと思う。
「桜子、俺の妻は美緒だ。美緒の姉は関係ない。桜子は俺や美緒に指図する権限はない。そろそろ、どこかに行きなさい。歩けないのなら、有喜を呼ぶか?」
「歩けるわよ、馬鹿にしないで」
桜子さんは立ち上がったけれど、千鳥足だ。
光輝さんはため息を付くと、桜子さんを椅子に座らせて、光輝さんの後ろに控えている男性に声を掛けた。
「武実、有喜を呼んでくれ」
「はい」
武実という男性は、光輝さんの秘書の一人だと教わった。毎日、秘書が交代する。
彼も円城寺家の者だと教わった。
端正な顔で、背丈も光輝さんと変わらない。
年齢は光輝さんより年上に見える。
武実さんは、小型のマイクとイヤホンを着けている。それで、司会者と繋がっているようだ。
『有喜君、1番に来てください』
司会者の声がした。
集合場所はどうやら数字で決められているようだ。
今まで司会者が名前を指名して呼んだことがなかったので、気付かなかった。
「もう、みっともないわね。どうして呼んだりするの?わたくしは自分の事は自分でできるわ」
「自分の限界も分からず、酒を飲むな」
「全く光輝はガミガミうるさくて、ウンザリよ」
桜子さんは、光輝さんの前に置いてあるグラスを掴むと、それを一気に飲んだ。
わたしは、光輝さんを見た。
表情は冷たい。酷く冷めた目で桜子さんを見ている。
グラスにはシャンパンが入っていた。
既に酔っているのに、お酒を飲んで大丈夫なのか心配になる。
「光輝の馬鹿!大嫌い!女垂らし!嘘つき!裏切り者!」
「他にないのか?言いたいことがあれば、全部言っておけ」
目を潤ませた桜子さんの言葉は、全て裏返しだと思う。
未練があるのだと思う。
「……大好きなの、今でも」
「その好意には応えられない。有喜と仲良くしなさい」
「……分かっているわ」
桜子さんは、両手を握りしめて俯いてしまった。
なんだか切ない。
実らない恋。想い続けた恋が砕け散っていく。
わたしだけを見てくれると約束してくれた光輝さんは、少しも同情をした表情は浮かべていない。
わたしは自分の指輪の嵌まっている左手を右手で握った。
桜子さんに見せたくはなかった。
二人で誓い合った指輪だ。結婚式も挙げて、たくさんの人の前で永遠を誓った。
わたしには桜子さんに掛ける言葉は浮かばないし、掛ける言葉もない。
光輝さんを譲ることはできない。
「総帥、桜子がご迷惑を掛けました」
有喜さんは、走ってやってきた。
「桜子、迷惑をかけては駄目だ。自分の席に戻ろう」
「有喜、桜子はかなり酔っているようだ。部屋で休ませた方がいいだろう」
「すみません、うちの妹夫妻と飲んでいたので、挨拶に回っていたのですが、そんなに飲んでいるなんて。本当に申し訳ございません」
「なんで迎えに来るのよ。あっちに行ってよ」
「駄々をこねるなら、他で聞きますから、行きますよ」
「やだー!有喜も光輝も大嫌い!」
有喜さんは桜子さんを立たせて、支えながら頭を下げた。
「やだー、もっと飲むのよ」
「それなら部屋で飲みましょう」
桜子さんは叫びながら、会場から連れ出されて行く。
「いつまで経っても困った奴だ」
「それほど、光輝さんを好きだったのでしょう?」
恋愛は初めてだし、光輝さんに見初められてだんだん好きになったわたしは、光輝さんしか知らないけれど、今、光輝さんと別れることを考えると、とても寂しい。
光輝さんに裏切られたと思った時も、とても辛かった。
この寂しく感じる気持ちや辛かった気持ちが大きくなった物が失恋なのだと思う。
心の整理や気持ちの整理は簡単にできないものだと、知っている。
光輝さんは、わたしの元に戻ってきてくれたから、今は幸せを噛みしめているけれど、一人でいたあの時間は、とても孤独だった。
どこにも出口の見当たらない暗闇では、笑顔さえも作れなくなる。
でも、桜子さんには有喜さんがいる。
きちんと愛されているから、桜子さんの心は時間と共に癒やされて行くと信じている。
「期待させた事など一度もないのに」
「光輝さんは罪な男ね?」
桜子さんもだけれど、和真さんの婚約者の玲奈さんも光輝さんを想っている。
和真さんは婚約を破棄すると言っていたけれど、それだけでは終わらない気がする。
「今夜は玲奈さんはいらっしゃらないのね?」
「玲奈はもともと我が儘な姫だ。あいつが幼い頃から俺しか見てないのを知っていた。だから、敢えて遠ざけてきたにのに、和真に手を出してくるとは思わなかったよ。和真なら拒絶すると思っていたのにな」
「でも、和真さんは玲奈さんと結婚しようとしていました。断ってきたのは玲奈さんが先です」
「俺は大学に入ると共に日本に居住を移した。俺が去った後の玲奈のことは、知らない。だが、玲奈が自分勝手で我が儘な奴だと知っている。このままアメリカに素直に帰ってくれればいいのだが。玲奈が帰るまで、美緒はできるだけ俺から離れるな。俺がいないときは、卓也君と恵麻君に護衛を頼むつもりでいる。危険だと自覚して過ごして欲しい」
「はい。でも、そんなに危険な子なの?我が儘な子だとは思ったけれど」
「玲奈には金がある。権力も人脈もある。無い物は謙虚さくらいだ。何を仕掛けてきてもおかしくはない。早めに帰国してくれるといいのだが」
光輝さんは難しい顔をしている。
面会のお客が来て、テーブルの向かい側に年配の夫婦が座った。
新年のご挨拶と、今年もよろしくお願いします……と定例の挨拶をして、少し雑談をして、次のお客と代わる。
光輝さんにいい婚約者を紹介して欲しいと言ってくる親子連れもやってくる。
まるで、人で将棋を指しているようだと、思えた。
誰をどこに配置して、どう動くか想像しながら、駒を替えていく。
結婚も政略結婚を望む者も多い。
人と人、会社と会社=利益
こんな図式が脳裏に浮かんだ。
時間になりお開きになった後に、わたしは光輝さんに聞きたいことがあった。
部屋に入るなり、抱きしめられて唇を奪われた後に、思い切って質問してみた。
「光輝さんには、婚約者はいたの?」
「ああ、いたよ。幼い頃からお爺さまに言われていた」
「それは、どんなお嬢様なの?」
「真竹の孫娘と言われていた」
「長女とか次女とか指定はなかったの?」
「特になかった」
わたしでも姉でも、どちらでも良かったの?
それは初めて知った。
「会いに行ったりはしなかったの?」
「決められた時期になれば会える。前もって知ろうとは思わなかった」
「とても不細工で性格が悪かったらどうしたの?」
「そうだね、会ってみて相性が悪いと思えば破談にできる。他の婚約者も皆、そうだよ。他人に決められた結婚で、どうしても相性が悪いと思うのであれば、互いに拒絶はできる。無理に結婚しても、結婚生活を継続させることはできないだろう?」
尤もな返答に、わたしはただ頷いた。
「そうしたら、桜子さんは、有喜さんと結婚しようと思って結婚したのね?」
「そうだね。桜子がどうしても結婚を拒めば、破談にできた。けれど、桜子は自分で選んで有喜と結婚した事になるね」
桜子さんは光輝さんへの未練がたまたま決壊してしまったのかもしれない。
ちゃんと自分で有喜さんを選んだのなら、桜子さんは有喜さんと仲良くなれる。
その事を聞いて、少し安心した。
それ以上に、曖昧な婚約者なのに、わたしを選んでくれた光輝さんに感謝した。
「光輝さん、ありがとう。やっぱり光輝さんは、わたしの王子様ね」
光輝さんが笑顔で、わたしを抱きしめる。
「着物が邪魔だ。早く脱いで素肌の美緒を抱きしめたい」
「うん、早く着替えるね」
「着替えたら、一緒にお風呂に入ろう」
「うん///」
素肌を晒すことは恥ずかしいけれど、求められるのは嬉しい。
光輝さんが、わたしを愛おしんでくれているのが、触れあう素肌と素肌で伝えてくれる。
開始時間1時間前まで、チャペルで過ごして、一旦部屋に戻り、メイクを直して、せっかく綺麗に結ってもらった髪をそのままに、わたしは振り袖を着た。
真竹流の振り袖の中でも展覧会に出された振り袖なので、かなり華やかだ。
着物に負けてしまいそうな気がする。
金銀も豊富に使われた美しい着物だ。
この着物も、後二度ほどしか着られない。
振り袖は高いが、あまり着る機会がない。
成人式は行くつもりはなかったが、着物を着て出かける為に出席で手紙を出した。
中学生の同窓会も同時に行われるそうだ。
小、中学校で虐めに遭っていたわたしが行けば、またターゲットにされてしまうかもしれない。光輝さんにその事を話したら、式が終わったらドライブに出かけようと誘われた。
光輝さんと振り袖デートができるなら、わたしはいつまでも振り袖を着ていられる。
着物は苦ではないけれど、人に会うのが、特に同い年の級友などに会いたくはない。
高校生の時は、レベルの高い高校に入ったので、底辺にいたいじめっ子達とは離れる事はできたけれど、わたしを知る人はクラスにもいて、その子達が中学の噂を流して、結局、友人はできなかった。
高校時代、大学に進学するためにわたしはすごく勉強した。
だから、母校から同じ大学に進学できたのは、数人だった。
その数人は頭も良かったし、学部も違ったので、大学内で顔を合わすこともなく、平穏な生活がやっとやって来た。
初めて恵と友人になった。
初めての友達は、姉の彼女だったけれど、わたしは恵の事は好きだ。
成人式には実家に帰るそうだ。
後で、振り袖姿を見せ合おう。
綺麗に着つけした姿を、光輝さんが写真に残してくれた。
わたしのスマホでも写してくれた。
わたしは振り袖を汚さないように気をつけながら、光輝さんにエスコートされて、わたし達の席に座った。
部屋で散々、わたしの振り袖姿を写真に収めていた光輝さんだが、まだ写真を撮り足りないらしい。
「なんと美しいんだ」
「最上級の着物だもの」
「美緒にとても似合っている」
「姉の方が似合っていたのよ」
姉は着物のモデルをしていた。
それほど美しい顔立ちとスタイルをしていた。けれど、姉は男になりたいらしい。
勿体ない話だ。
きっとモテたと思うし、わたしの理想の姉だった。
顔立ちもスタイルも頭のできも、全て、わたしの理想の塊だった。
けれど、イカレた家で、生き残れた姉だから、これからは姉の好きな生き方をすればいいと思う。
美人なら、美人の男性になれるはずだ。
ただ、無理はして欲しくはない。
無理な手術で綺麗な体を傷つけて欲しくはない。
「総帥、新年の冊子に奥様とのツーショットをお願いします」
広報部の男性が、声を掛けてきた。
「美緒、少しいいか?会社の広報に載せる写真を撮りたいそうだ」
「……はい」
わたしは着物の着崩れがないか確かめてから、光輝さんの隣に立った。
「できれば、仲睦まじく見えるようにしていただけると助かります」
「文句が多い」
光輝さんは文句を言いながら、わたしの肩を抱き寄せて寄り添った。
「奥様、笑顔をお願いします」
難しい注文だ。光輝さんを見上げると、光輝さんはわたしの前髪にキスをした。
心臓が激しく鳴り、顔が紅潮してくる。
光輝さんが頭に触れると、まるでわたしが光輝さんに凭れ掛かっているように見えてくるようなきがした。
カメラマンは、全て連射で撮って、満足したのか、「ありがとうございました」と頭を下げた。
「写真のデーターを送ってくれ」
「わかりました」
広報部の男性は、立ち去って行った。
席に座ると、酔っ払った桜子さんが椅子に座った。
「貧乏人の結婚式だったわね。総帥ともあろう者が、親睦会で簡略結婚式をするとは、みっともないわね。恥を知りなさい。披露宴もしなくて、ドレスも特注ではなくレンタルで、お召し替えもないなんて、円城寺家の恥ね」
今日はいつもに増して毒舌だ。
「この時間から酔っているのか?有喜はどうした?部屋に戻った方がいいだろう?」
桜子さんはフンと鼻を鳴らして、わたしをじっと見る。
欠点を探しているようで、知らぬ間に緊張してくる。
「馬子にも衣装ね。いい振り袖を買ってもらったのね?」
「この和服は、美緒の姉から美緒に贈られた物だ。俺はなんの援助もしていない」
「貧乏人の姉はお嬢様だったのね?それは知らなかったわ。それなら、光輝は美緒の姉と結婚すれば良かったのに」
桜子さんは、文句を言いたいだけだと思う。
そんなに何が気に入らないのだろうか?
有喜さんと結婚したばかりなのに、今は幸せなはずだ。けれど、まだ心の中に光輝さんがいるなら、光輝さんと一緒にいたいのかもしれない。
それに、桜子さんの今日のお召し物は、わたしと一緒に選んで買った真竹流の着物だった。
高価な物だと分かるが、今日のわたしの振り袖と並べたら、格も落ちて見えてしまう。それも気に入らないのだと思う。
「桜子、俺の妻は美緒だ。美緒の姉は関係ない。桜子は俺や美緒に指図する権限はない。そろそろ、どこかに行きなさい。歩けないのなら、有喜を呼ぶか?」
「歩けるわよ、馬鹿にしないで」
桜子さんは立ち上がったけれど、千鳥足だ。
光輝さんはため息を付くと、桜子さんを椅子に座らせて、光輝さんの後ろに控えている男性に声を掛けた。
「武実、有喜を呼んでくれ」
「はい」
武実という男性は、光輝さんの秘書の一人だと教わった。毎日、秘書が交代する。
彼も円城寺家の者だと教わった。
端正な顔で、背丈も光輝さんと変わらない。
年齢は光輝さんより年上に見える。
武実さんは、小型のマイクとイヤホンを着けている。それで、司会者と繋がっているようだ。
『有喜君、1番に来てください』
司会者の声がした。
集合場所はどうやら数字で決められているようだ。
今まで司会者が名前を指名して呼んだことがなかったので、気付かなかった。
「もう、みっともないわね。どうして呼んだりするの?わたくしは自分の事は自分でできるわ」
「自分の限界も分からず、酒を飲むな」
「全く光輝はガミガミうるさくて、ウンザリよ」
桜子さんは、光輝さんの前に置いてあるグラスを掴むと、それを一気に飲んだ。
わたしは、光輝さんを見た。
表情は冷たい。酷く冷めた目で桜子さんを見ている。
グラスにはシャンパンが入っていた。
既に酔っているのに、お酒を飲んで大丈夫なのか心配になる。
「光輝の馬鹿!大嫌い!女垂らし!嘘つき!裏切り者!」
「他にないのか?言いたいことがあれば、全部言っておけ」
目を潤ませた桜子さんの言葉は、全て裏返しだと思う。
未練があるのだと思う。
「……大好きなの、今でも」
「その好意には応えられない。有喜と仲良くしなさい」
「……分かっているわ」
桜子さんは、両手を握りしめて俯いてしまった。
なんだか切ない。
実らない恋。想い続けた恋が砕け散っていく。
わたしだけを見てくれると約束してくれた光輝さんは、少しも同情をした表情は浮かべていない。
わたしは自分の指輪の嵌まっている左手を右手で握った。
桜子さんに見せたくはなかった。
二人で誓い合った指輪だ。結婚式も挙げて、たくさんの人の前で永遠を誓った。
わたしには桜子さんに掛ける言葉は浮かばないし、掛ける言葉もない。
光輝さんを譲ることはできない。
「総帥、桜子がご迷惑を掛けました」
有喜さんは、走ってやってきた。
「桜子、迷惑をかけては駄目だ。自分の席に戻ろう」
「有喜、桜子はかなり酔っているようだ。部屋で休ませた方がいいだろう」
「すみません、うちの妹夫妻と飲んでいたので、挨拶に回っていたのですが、そんなに飲んでいるなんて。本当に申し訳ございません」
「なんで迎えに来るのよ。あっちに行ってよ」
「駄々をこねるなら、他で聞きますから、行きますよ」
「やだー!有喜も光輝も大嫌い!」
有喜さんは桜子さんを立たせて、支えながら頭を下げた。
「やだー、もっと飲むのよ」
「それなら部屋で飲みましょう」
桜子さんは叫びながら、会場から連れ出されて行く。
「いつまで経っても困った奴だ」
「それほど、光輝さんを好きだったのでしょう?」
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光輝さんに裏切られたと思った時も、とても辛かった。
この寂しく感じる気持ちや辛かった気持ちが大きくなった物が失恋なのだと思う。
心の整理や気持ちの整理は簡単にできないものだと、知っている。
光輝さんは、わたしの元に戻ってきてくれたから、今は幸せを噛みしめているけれど、一人でいたあの時間は、とても孤独だった。
どこにも出口の見当たらない暗闇では、笑顔さえも作れなくなる。
でも、桜子さんには有喜さんがいる。
きちんと愛されているから、桜子さんの心は時間と共に癒やされて行くと信じている。
「期待させた事など一度もないのに」
「光輝さんは罪な男ね?」
桜子さんもだけれど、和真さんの婚約者の玲奈さんも光輝さんを想っている。
和真さんは婚約を破棄すると言っていたけれど、それだけでは終わらない気がする。
「今夜は玲奈さんはいらっしゃらないのね?」
「玲奈はもともと我が儘な姫だ。あいつが幼い頃から俺しか見てないのを知っていた。だから、敢えて遠ざけてきたにのに、和真に手を出してくるとは思わなかったよ。和真なら拒絶すると思っていたのにな」
「でも、和真さんは玲奈さんと結婚しようとしていました。断ってきたのは玲奈さんが先です」
「俺は大学に入ると共に日本に居住を移した。俺が去った後の玲奈のことは、知らない。だが、玲奈が自分勝手で我が儘な奴だと知っている。このままアメリカに素直に帰ってくれればいいのだが。玲奈が帰るまで、美緒はできるだけ俺から離れるな。俺がいないときは、卓也君と恵麻君に護衛を頼むつもりでいる。危険だと自覚して過ごして欲しい」
「はい。でも、そんなに危険な子なの?我が儘な子だとは思ったけれど」
「玲奈には金がある。権力も人脈もある。無い物は謙虚さくらいだ。何を仕掛けてきてもおかしくはない。早めに帰国してくれるといいのだが」
光輝さんは難しい顔をしている。
面会のお客が来て、テーブルの向かい側に年配の夫婦が座った。
新年のご挨拶と、今年もよろしくお願いします……と定例の挨拶をして、少し雑談をして、次のお客と代わる。
光輝さんにいい婚約者を紹介して欲しいと言ってくる親子連れもやってくる。
まるで、人で将棋を指しているようだと、思えた。
誰をどこに配置して、どう動くか想像しながら、駒を替えていく。
結婚も政略結婚を望む者も多い。
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こんな図式が脳裏に浮かんだ。
時間になりお開きになった後に、わたしは光輝さんに聞きたいことがあった。
部屋に入るなり、抱きしめられて唇を奪われた後に、思い切って質問してみた。
「光輝さんには、婚約者はいたの?」
「ああ、いたよ。幼い頃からお爺さまに言われていた」
「それは、どんなお嬢様なの?」
「真竹の孫娘と言われていた」
「長女とか次女とか指定はなかったの?」
「特になかった」
わたしでも姉でも、どちらでも良かったの?
それは初めて知った。
「会いに行ったりはしなかったの?」
「決められた時期になれば会える。前もって知ろうとは思わなかった」
「とても不細工で性格が悪かったらどうしたの?」
「そうだね、会ってみて相性が悪いと思えば破談にできる。他の婚約者も皆、そうだよ。他人に決められた結婚で、どうしても相性が悪いと思うのであれば、互いに拒絶はできる。無理に結婚しても、結婚生活を継続させることはできないだろう?」
尤もな返答に、わたしはただ頷いた。
「そうしたら、桜子さんは、有喜さんと結婚しようと思って結婚したのね?」
「そうだね。桜子がどうしても結婚を拒めば、破談にできた。けれど、桜子は自分で選んで有喜と結婚した事になるね」
桜子さんは光輝さんへの未練がたまたま決壊してしまったのかもしれない。
ちゃんと自分で有喜さんを選んだのなら、桜子さんは有喜さんと仲良くなれる。
その事を聞いて、少し安心した。
それ以上に、曖昧な婚約者なのに、わたしを選んでくれた光輝さんに感謝した。
「光輝さん、ありがとう。やっぱり光輝さんは、わたしの王子様ね」
光輝さんが笑顔で、わたしを抱きしめる。
「着物が邪魔だ。早く脱いで素肌の美緒を抱きしめたい」
「うん、早く着替えるね」
「着替えたら、一緒にお風呂に入ろう」
「うん///」
素肌を晒すことは恥ずかしいけれど、求められるのは嬉しい。
光輝さんが、わたしを愛おしんでくれているのが、触れあう素肌と素肌で伝えてくれる。
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