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家主の距離が近すぎる

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食事の後、トーマスは明日の朝食の仕込みとお昼ご飯のお弁当を作る。オレはシャワールームの掃除をする。あとはほとんどフリータイム。趣味のことをしたり、仕事を進めたり。用事がある時以外は余計な干渉をしない。

リビングから流れてくるギターの演奏とトーマスの歌声とをBGMにして、ペンを動かす。デバイス越しに聞いていたあの歌声を毎日生で聞けるなんて最高だ。

「ヘンリー、コーヒーはいかが?」
「ありがとう」

優しいし、料理の腕は良いし、生活力は高いし……現金な目で見たら最高の男なのだが、直してほしいのはノックをしないで部屋に侵入してくるところだ。

「トーマス、ノックを忘れてる」
「手が塞がっていたからつい。気を付けるよ。それで、今は何をしているの?」

干渉しないってのは撤回する。少なくともオレは、って話だった。
トーマスは時折、この手口でオレの部屋に乗り込んできては、作業の進捗を確認したり、いまだトーマスの私服保管庫になっているクローゼットを整理したりしている。尚、服は一向に量が減らない。

「トーマス、悪いけどきみの依頼だけに集中するわけにもいかないんだ」
「あー、うん。急いだっていいものができないことは私もよくわかっているよ。急かしているわけではないんだ。きみのペースで進めてくれて構わない。ただ、少し……ね? 息抜きに、私に構ってくれてもいいんじゃないかなと思って」
「息抜きに?」
「私たちはパートナーだろう?」
「う、うん?」

パートナー。唐突に飛び出した単語に、オレは硬直して、すぐさま脳を働かせる。とりあえず受け取ったコーヒーを飲んで、と。

それで、パートナーとは?
ルームシェア(ほとんど居候)していることをパートナーといえばそう言えなくもないし、楽曲作成と動画作成とで組み始めた今、クリエイターとしてのパートナーとも言えなくもない。
つまり、オレとシルヴィオはパートナーってことで相違ない?
……ような気もする。

「……うん、そうだね。オレたちはパートナーだ」

オレがやたらはっきり言い切ると、トーマスはあからさまにほっとした表情をして、オレの腕を軽く引っ張った。

「休憩だよ。きみの仕事への姿勢は尊敬するけれど、朝から晩まで趣味と仕事の曖昧なラインを漂うのは危険だから」
「わ、わかったよ。言う通りにするよ」

トーマスの言う通り、いまオレがしていることは依頼された仕事であって趣味で描いているものじゃない。趣味を仕事にして、嫌になってしまうというのは格好の例だから。

トーマスはオレをソファに座らせて、太腿がくっついてしまうくらいの距離に隣り合った。

「や、あの、トーマス……近すぎるよ」
「これくらいなんともないさ」

な、なにが? なにがなんともないんだ。

あうあうと言い淀んでいる間に、トーマスは相棒のアコースティックギターを抱き込んで優しく弦を弾いた。
深みのある音だ。ギターに関する知識は持っていないため、名匠が作った至高の一品だとか、そういったことはまったくわからないが、体の芯に響く低い音はシルヴィオの歌声と相性が抜群だ。

「きみはギターを弾いたことがある?」
「握ったこともないよ」
「なるほど、じゃあほら、座って」
「も、もう座ってるよ……めちゃくちゃ近くに」

見れば見るほどカッコイイ顔だ。
骨格がハリウッドスターだし、大柄な体格に反して優し気な垂れ目。事実ものすごく誠実で温厚だし。吸い込まれるような青い瞳に、見つめられると同性なのに緊張してしまう。

節くれ立った指がオレの腕を引いて、ソファの、トーマスの股の間に腰を下ろさせる。オレの背を支える厚い胸板。トーマスは気にせず、オレにギターを抱かせて、弦の弾き方を教えてくれる。

「上から下にね、優しく弾いてごらん」
「あ、あぁ……」

背後にトーマス、腕にギターと板挟みで、半ば押しつぶされているオレに、トーマスの言葉は右から左へと流れていく。

ち、近すぎる。良い匂いがする。吐息がダイレクトに……。

パニックになって震える親指で、ビンと張った弦を上から下へ渡る。
上面を撫でるように滑らせると、掠れた音が鳴った。脳に響く音だ。

「優しすぎるよ、ヘンリー」
「だって怖いじゃないか……壊したら」
「壊したら? もし壊れたら何かしら言ってしまうかもしれないね、きみの腕力では不可能だけど」
「わ、笑えないこと言わないでよ」
「ハハハ。ほら、コードは私が押さえるよ。リズムに合わせて、ゆっくり」

足でリズムをとって、トーマスのそのリズムに乗せて弦を弾く。
遅いと音がバラバラになるし、速すぎると荒っぽい。
力加減を教わりながら懸命について行くと、どこか聞いたことのあるメロディにトーマスの顔をうかがう。
パチッとウィンクを返して、なだらかで穏やかな川のような低音が流れ出す。
ビートルズの『Let it be』はオレの好きな曲のひとつだ。

テンポは遅いし、オレの弾き方が上から下へ同じリズムで指を滑らせているだけだから、違和感はあるけれど、オレたちは人が少ないカフェにいるかのような心地で歌う。
今まさにこの瞬間、英語を多少話せてよかったと思う。だからこそトーマスといまこうして穏やかな時間を過ごせている。

「できるじゃないか、ヘンリー」
「これはできたって言わないよ」
「そんなことはないさ」

明るく囁いたトーマスが一緒に支えていたギターから手を離したものだから、オレは驚いてギターを抱き直した。すると、トーマスの腕がお腹のあたりの隙間に入り込んで、これはもはや、バックハグと言ってもいい。
弛緩した空気が一気に締め上げられたような心地がして、オレは息をのむ。
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