春 かすか

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第二部

とらわれたこまどり

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 ⚠︎閲覧自己責任・性的描写あり

 快晴、太陽の光が眩しく、青空が広がる空をぼくは部屋の窓から眺めていた。この屋敷に来て早半年。先日、ヨナと屋敷から脱走を試みたが。ーー失敗に終わった。

 ぼくの無事とは引き換えに、ヨナの心と自由は主人、ゆきに奪われたのだ。あれからヨナとは会っていない。今、ヨナがどうしているのかが分からなかった。

「……かすか、いるかい?」

「ーーはい」

 ノック音と共に主人から呼ばれたぼくは、事務的に返事をすると、部屋の扉が開いた。そこには、ゆきと見知らぬ青髪の少女が立っている。大人しく控えめそうな雰囲気を纏う、少女を見たぼくは、ヨナとは正反対の印象を受けた。

「ーーこの子は、チェルシーと言うんだ。かすかと同い年だよ。昨日、此処に来たんだけど、かすか。チェルシーに屋敷を案内してくれないかい?」

「分かりました」

「ありがとう。チェルシー、かすかの事は。ーーノルンと呼ぶんだよ」

 ゆきは、そう手短に伝えると部屋から退室した。何故、自分で屋敷を案内しないのかが分からなかったが、もしかしたら、急な仕事が入ったのかもしれない。

 ぼくとチェルシーと呼ばれた少女、二人きりの空間になった。数分後、口を閉ざしていた少女はぽつりと蚊の鳴くような声で呟く。

「あの……」

「ーーはい?」

「貴方も……。ーー此処に誘拐されて来たの?」

「……」

 ぼくは黙って肯定の意を含めた眼差しでチェルシーを見つめ返す。チェルシーは、ぼくの意を把握すると、涙混じりの声でぼくに詰め寄った。

「昨日、私、学校の帰り道に、知らないおじいさんに声を掛けられて、車の後ろの座席に突然、詰め込まれたの。変な機械で動けなくされた……」

 変な機械というのは、恐らく、スタンガンの事だろうと思った。チェルシーは、涙を零しながら濡れた頬を袖で拭う。

「ーー本当の名前は何と言うんですか?」

「……えりか」

「ぼくは、先程、聞いたと思いますけど。ーーかすかと言います」

「かすか君……は、お家に帰りたくはないの? あのゆきって人は、かすか君が、此処に半年いるって言ってた……」

「……」

 無論、家には帰りたかった。先日、屋敷から脱走した記憶が蘇る。ぼくは口を噤んだ。えりかがヨナと同様に。ーー屋敷から脱出しようと提案すると思ったからである。

「ねえ、かすか君……」

「ーーかすかでいいです」

「……かすか……は、どうして、此処に連れて来られて来たの?」

「分かりません……。ーーぼくは、誘拐される前、あの人と特に接点はありませんでした」

「じゃあ、何で……?」

「ーーえりかは、あの人と接点はあったんですか?」

「私も……ない。昨日の夜、このお屋敷に連れて来られて、初めてあの人に会ったの」

 嗚咽を漏らしながら、さめざめと泣くえりかを見て、ぼくはハンカチを手渡した。気休めの慰めにしかならないと思ったが、えりかは黙ってハンカチを受け取ってくれた。

「……ありがとう」

「……いえ、えりかは、アンジュを飲まされましたか?」

「ーー何それ……?」

「赤い液体の甘いジュースみたいな飲み物の事です」

「……昨日の晩、あの人との会食で飲んだ。今まで飲んだ事のない味のジュースだった」

 既にえりかは、手遅れだという事を知り、ぼくは黙り込む。ヨナの件があるからなのか、ゆきは慎重にえりかの自由を奪っていると思った。

 アンジュの正体を知ったのは、ヴィクトリアから知らされずに飲まされた後、ゆきが歌うようにぼくに伝えたからだ。

 ヴィクトリアに初めての貞操を奪われた、あの昼下がり、結果的にヴィクトリアの悪戯が、ゆきにばれたが、ゆきは特にヴィクトリアに何かを言う事はなく、想定内だというような素振りを見せたのだ。ヴィクトリアの気性をゆきは、把握済みだったのだろう。

 ぼくは躊躇った。えりかに対してアンジュの説明を、本当の事を打ち明けたら。ーー彼女はきっと混乱するだろう。最悪、精神的に追い詰められて、パニック障害を起こすかもしれない。どうしても繊細なえりかに、本当の事を打ち明ける事は出来なかった。どちらにしろ、ゆきが遊び感覚でえりかに打ち明けるリスクも考えたが、今は何も言わない方が懸命だと判断したのだ。

「ーーねえ、かすか。貴方、此処から逃げた事はあるの?」

「……ありますよ。ーー屋敷は森に囲まれていて、外界から隔絶されているので、逃げる事は難しいです」

「どうしよう……。今頃、お父さんとお母さん。心配してるかもしれない。スマートフォンも取り上げられてしまったし、お部屋には、テレビもなかった。これじゃあ、私達じゃ。ーーどうする事も出来ない……」

 えりかは、声を押し殺すように泣き続ける。勇敢なヨナとは違い、一人では自発的に行動が出来ない、内向的な少女だと思った。自分の事に自信がなく、親に可愛がられて、愛情を一心に注がれて、素直に育ったら、こういう子供になりそうな、そんな要素を孕んでいた。

 ぼくとは違う、血縁関係のある、何不自由ない幸せな家族像。えりかは、今までその環境の中で身を置いて幸せに暮らして来たのかもしれない。

  ♡

 翌日の朝、ぼくは主人に食堂へ呼ばれた。長い長い白いテーブルクロスの上には朝食が三人分用意されている。えりかは、ぼくよりも先に席に着いて、今にも泣き出しそうな顔で怯えながら俯いていた。ゆきは、ぼくの入室に気付くと柔和な笑みを浮かべる。

「ーーかすか。おはよう」

「ーーおはようございます」

「先に食べてて、悪いね」

「いいえ、大丈夫です。」

「今日も急な仕事が入ってね。もうそろそろしたら、出ないといけないんだ」

「分かりました。ーーお気を付けて」

「ありがとう。……食べないのかい? ーーチェルシー?」

「……あ」

 ゆきに声を掛けられたえりかは、何も言わずにテーブルの上にある、ナイフとフォークを急いで手に取ると、目の前の料理に手をつけた。フォークを握る手は震えている。数秒後、えりかの腕は、近場にあった水差しを倒してしまう。

「あ……!」

 水差しの中身がテーブルクロスに染みを作った。白いワンピースを着たえりかの下半身にまで零れた水は広がって行く。自分の失態にゆきから叱られると思ったのか、えりかは顔面蒼白になって椅子から立ち上がった。

「ーーごめんなさい……!」

 いつもは蚊の鳴くような声で呟くのに、今の謝罪ははっきりとした声音だった。ゆきは腰掛けていた椅子から立ち上がると、えりかの元へと歩み寄る。えりかの足は恐怖でガタガタと震えていた。ゆきは、無言でえりかのワンピースの裾をめくり上げると、濡れたショーツに指を掛けてするすると、自然な所作で脱がした。

 ゆきの行動に、えりかは火が着いたように赤面し、混乱しながら涙目になった。ぼくの視線を気にして、ぼくとゆきを交互に見やる。ぼくはえりかのショーツを見てしまったけれど、直ぐ様、視線を逸らした。

「……いやぁ……っ」

「ーー大丈夫だよ。取り敢えず、濡れたワンピースも脱ぎなよ。使用人に替えの服を用意させるから」

 えりかの控えめな悲鳴に、今度は、ぼくも赤面する。ゆきの言葉で、今、えりかがどんな事をされているのか、容易に想像がついたぼくは、固唾を飲んだ。見ず知らずの男から辱めを受けている無垢な少女に対して、何も出来ないで見ているだけのぼくは、無力感に苛まれる。

「ーーかすか」

「……は……はい」

 赤面が取れないぼくは視線を逸らしながら、ゆきの問い掛けにぎこちなく答える。朝からとんでもないものを見せつけられているぼくは、複雑な心境に駆られた。

「何でそっちを向いているんだい? ーーこっちを向きなよ。……かすか」

 主人の命令にぼくは、背けていた視線を元に戻した。羞恥心といたたまれなさで縮み上がりそうになるぼく。

 えりかは、両手で目を擦りながら泣きじゃくっていた。異性に自分の肌を見られたという、年相応の反応と少女の裸体を間近にしたぼくは、何とも言えない気持ちになり、くらくらと目眩がした。

「ゃ……いやっ……!」

 ゆきは、まだ未発達のえりかの胸に手を滑らせる。利き手で優しく撫で回しながら、もう片方の手で太腿をいやらしく、なぞった。えりかはパニックになり、控えめに拒絶している。ぼくと同い年でも、今、ゆきに自分が何をされているのかは理解している様子だった。

 ぼくは、目の前の光景に目を見開く。ゆきに制止の言葉を投げ掛けようとしたが、機嫌を損ねられた場合、どんな行動を取られるのかが予測がつかない。その事も考慮して、ぼくは、辱めを受けて泣きじゃくるえりかを。ーーただ黙って見つめる他なかった。

「んぅ……」

 えりかは悲鳴を手で押し殺してゆきの手の動きに耐えた。逆にその控えめな声音で男の理性が擽られる事を分かっていない。

 えりかの局部を撫で回すゆきの手は丁寧で、ぼくはえりかの裸体に触れるゆきの手の動きを目で追った。

 タイミング良く、ゆきの胸のポケットにあるスマホが無機質に鳴り響く。ゆきの手はぴたりと止まり、電話を取った。「ーーはい」と事務的に電話に出ると、二言三言話して電話を切る。気が済んだのか、えりかから手を離したゆきは、ぼくに向き直った。

「かすか。ーーチェルシーに新しい替えの服を用意してくれるかい?」

「……畏まりました」

「チェルシー。使用人に湯を張らせるから、お風呂に入りなよ。風邪を引いてしまうかもしれないからね。ーーそれじゃあ、かすか。仕事に行って来るよ」

「ーー行ってらっしゃいませ」

 ぼくは頭を下げて、主人を見送った。

  ♡

 シャワーの音が室内を満たしていた。磨り硝子越しに映る、えりかの体のシルエットを見て、ぼくは先程の光景が頭に焼き付いて離れなかった。目の前にある洗面台の鏡に、耳まで赤くなった赤面姿のぼくが映っている。

 えりかは泣きやんでいた。ぼくは、ゆきが部屋から去った後、自分の上着を脱いでえりかの肩にかけると、手を繋いで浴室まで案内する。人形のような無感情の瞳でえりかは、ぼくに付いて来た。ゆきから辱めを受けた事で深く深く傷ついている様子だった。

 シャワーの音がやむと、えりかは数分後、バスタオルをまとって浴室から出て来る。ぼくは、タオルでえりかの長い髪を拭いてあげた。えりかは嫌がらず、何も抵抗はしなかった。

「ーー替えの服、そこに置いておいたので、着替えて下さい」

 えりかがシャワーを浴びている間に、新しいショーツとワンピースをラックの上に置いておいた。異性のぼくに、自分の下着を用意されたえりかは、罰が悪そうだった。ぼくも敢えて、無言を貫いて何も喋らなかったが、内心、羞恥心が募り続け、この場所から彼女を残して立ち去りたい気持ちになる。

 控えめな仕草でラックからショーツを取り出すと、ショーツの穴に片足を通すえりか。ぼくはまた素早く視線を逸らした。視界に入ってしまったえりかの行動に、目をぎゅっと瞑る。

 兄弟に兄しかいないぼくは、同い年の異性の裸体を見るのは初めての事だった。忘れ去りたいのに、少女の肌の記憶が頭にこびりついて離れない。こびりついたものを懸命に頭から振り払った。

 ぼくは、えりかに意識をしていた。異性としての純粋な意識。学校のクラスメイトである女子には特に関心がなかった。気になる子や好きな子もいない。自分の年齢よりも、自分は大人びていて、同年代の女子は幼く見えるだけだった。

 異性への意識を初めて体験したぼくは、何も悪い事はしていないのに、寧ろ、ゆきからのとばっちりを喰らった被害者な筈なのに、えりかへの罪悪感で一杯となる。

「ーーかすか……。ねぇ、私……此処から出たいよ。怖い……。私……私、あの人に今度、何されるの?」

 ぼくは何も答えられず。ーー重く重く口を閉ざし、沈黙を貫いた。
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