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第一章 驚異の少女(ガール・ワンダー)誕生?
#2 仮面のヒーロー現る
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K県浜波市。
舞翔市の北隣に位置する、総人口三七〇万人、K県最大の都市にして県庁所在地だ。
千穂実の自宅は扇高校と同じく舞翔市の北東にあり、明急線の特急電車を利用すれば二〇分かそこらで浜波の商業中心地である西区へ到着する。
四月下旬のある日。
西区から約一〇キロメートル北に位置する港北区の屋外型ショッピングモールで、ナイフを持った男が暴れ、七人の買い物客に重軽傷を負わせた。加害者は三〇代後半の独身の男で、逮捕後の供述によると、二年前に職場を解雇され世間に強い恨みを抱いており、数箇月前から頭の中で声が聞こえるようになったので、その声に従って事件を起こしたのだという。
当初は、加害者の生い立ち──幼い時に両親が離婚、ほとんど祖父母が面倒を見ていた──や、人柄──特に問題を起こすような子ではなかった、道ですれ違えば挨拶してくれた、友達は少なく中学時代は引き籠りがちだった──などばかりが取り上げられ、現代社会の闇だの何だのと、テレビ画面の向こうでコメンテーターや犯罪心理学の専門家が議論し合い、ネットでは加害者に対しての過激な言葉が飛び交った。
しかし、注目の対象が加害者からある人物へと変わってゆくのに、そう時間は掛からなかった。
「もし〝彼〟がいなかったら、被害者は七人じゃ済まなかったかもしれないわ。死人だって出ていたでしょうよ」
事件当日に現場に居合わせた六〇代の女性は、某ワイドショーのインタビューに興奮気味にそう語った。また、ネットに目撃者による文章や写真、動画の投稿が相次ぎ、瞬く間に拡散された。
〝仮面を着けた黒ずくめの人が現れて、次の瞬間には犯人が倒れてた! マジだよ、この目で見た!〟
〝あたしの友達が、犯人倒した人の後ろ姿だけ見たらしい。多分男だと思うって〟
〝ヤバイヤバイ、マジでカッコイイんだけど!? でも仮面がちょい不気味www〟
〝スーパーヒーローじゃん!〟
〝浜波に仮面のヒーロー現る!!〟
加害者は七人目を切り付けた後、蜘蛛の子を散らしたように逃げてゆく買い物客たちには目もくれず、その場をうろうろと歩き回り、時折わけのわからない事を呟いたり叫んでいたが、逃げ遅れた四、五歳程の男児が泣きじゃくっているのに気付くと、半笑いを浮かべながら近付いていった。
距離にして僅か三〇メートル。男児から一番近いパン屋の中に逃げ込んでいた四〇代の女性は、ドアを半分開けると、早くこちらに逃げて来るよう大声で男児を呼んだ。パン屋の隣の雑貨屋の店長が店を飛び出し、男児を助けに行こうとしたが、加害者はそれに反応したのか急に走り出し、男児との距離をあっという間に縮め、ナイフを振り上げた。
何人もの買い物客たちの悲鳴が響き渡った。その中には、はぐれた小さな一人息子を探していた若い母親の分もあった。雑貨屋の店長は手を伸ばしながら、やめろと絶叫した。パン屋にいた主婦は、堪らず顔を背けた──……。
次の瞬間に何が起こったのかは、目撃者たちだけでなく、加害者にも理解するのに少々時間が掛かった。
黒い大きな何かが加害者のすぐ後ろに落ちて来ると、背中を蹴飛ばして地に這わせ、そのまま乗り掛かったのだった。
よく見れば、黒い何かは人間の男性だった。栗色の短髪に、銀色の蔦のような模様が描かれた、目元以外を覆う白地のシンプルなフルフェイスマスク。服装は漆黒のボディスーツにマント、ブーツにグローブという、ショッピングモールには到底似つかわしくない、暗闇の中以外なら何処にいても目立つ姿だ。
加害者は、自分の上に乗り掛かっている人間から逃がれようと、喚きながら手足をバタバタさせていた。ナイフは手から離れ、届かない位置に落ちていた。仮面の男性は乗り掛かったまま加害者の首元を圧迫し、やがて加害者が完全に伸びたのを確認すると、呆気に取られている男児や人々には目もくれず、その場でグラップルガンを発射し一番高い建物の屋根まで素早く移動すると、姿を消したのだった。
幸いにも男児は無傷で、また重軽症を負った七人も、現在は順調に回復しているという報道だ。
男児の両親や警察は、勇気あるヒーローに是非とも名乗り出てほしいと呼び掛けたが、大方の予想通り、〝彼〟が名乗り出る事はなかった。
そして世間の関心と興奮が冷めやらぬうちに、〝彼〟はまたしても現れた。
ショッピングモールでの事件から約二週間後、深夜二時過ぎの人気のない住宅街。
コンビニでのアルバイトを終え帰宅途中だったフリーターの女性が、サングラスにマスク、ニット帽姿といういかにも怪しい男に声を掛けられた。女性が無視して走り去ろうとすると、突然男に腕を掴まれ、近くに停まっていた軽自動車に押し込まれそうになった。そこへ仮面のヒーローが現れ、男の首根っこを掴んで強引に引き離すと、驚き慌てふためく男の腹に膝蹴りを喰らわせ、男が腹を押さえて前のめりによろめくと、今度はニット帽頭に踵落としで気絶させ、闇夜に紛れて消え去ったのだった。
その後も〝彼〟の活躍は次々に目撃・拡散された。四月から七月までの三箇月間、確定しているだけでも三〇件以上に及び、その中には舞翔市での活躍もあった。
浜波市と舞翔市は、いい意味でも悪い意味でも注目を浴びた。特に浜波市は、元々国内外問わず観光客の多い土地だったが、〝彼〟の熱狂的なファンが各地から所謂〝聖地巡礼〟に訪れ、一部のマナー違反者たちと地元住民たちとの間でトラブルが相次いだ。ネットでは熱狂的なファンと、彼らを煽る者たちが罵詈雑言を浴びせ合った。冷静な者たちの中では、ここ最近の浜波市内と舞翔市内の犯罪件数の急増を指摘し、〝彼〟を試すためにもっと大きな犯罪をしでかす人間が現れる事を懸念する声も上がっていた。
「仮面のヒーロー……最高なんだけど!」
八月中旬のある日も、千穂実はネットで拾った仮面のヒーローの画像や動画を飽きずに何度も繰り返し再生していた。〝彼〟が話題になってからはほぼ日課と化しており、ちっとも飽きそうになかった。
アメコミヒーローものが大好きな千穂実は、学校の長期休み中のアルバイト代や日頃のお小遣いをコツコツ貯め、アメコミ邦訳本を購入している。ヒーローたちが実在したらいいのに、と願ったのは数え切れない程だ。そんな千穂実の身近に本物が現れたのだから、気にならないわけがなかった。
「でも、そんな簡単に会えるわけないよね……事件に巻き込まれるのも嫌だし」
約一週間後、千穂実は仮面のヒーローと運命的な出会いを果たし、その後も深く関わってゆく事になるのだが、当然ながらこの時はまだ知らなかった。
舞翔市の北隣に位置する、総人口三七〇万人、K県最大の都市にして県庁所在地だ。
千穂実の自宅は扇高校と同じく舞翔市の北東にあり、明急線の特急電車を利用すれば二〇分かそこらで浜波の商業中心地である西区へ到着する。
四月下旬のある日。
西区から約一〇キロメートル北に位置する港北区の屋外型ショッピングモールで、ナイフを持った男が暴れ、七人の買い物客に重軽傷を負わせた。加害者は三〇代後半の独身の男で、逮捕後の供述によると、二年前に職場を解雇され世間に強い恨みを抱いており、数箇月前から頭の中で声が聞こえるようになったので、その声に従って事件を起こしたのだという。
当初は、加害者の生い立ち──幼い時に両親が離婚、ほとんど祖父母が面倒を見ていた──や、人柄──特に問題を起こすような子ではなかった、道ですれ違えば挨拶してくれた、友達は少なく中学時代は引き籠りがちだった──などばかりが取り上げられ、現代社会の闇だの何だのと、テレビ画面の向こうでコメンテーターや犯罪心理学の専門家が議論し合い、ネットでは加害者に対しての過激な言葉が飛び交った。
しかし、注目の対象が加害者からある人物へと変わってゆくのに、そう時間は掛からなかった。
「もし〝彼〟がいなかったら、被害者は七人じゃ済まなかったかもしれないわ。死人だって出ていたでしょうよ」
事件当日に現場に居合わせた六〇代の女性は、某ワイドショーのインタビューに興奮気味にそう語った。また、ネットに目撃者による文章や写真、動画の投稿が相次ぎ、瞬く間に拡散された。
〝仮面を着けた黒ずくめの人が現れて、次の瞬間には犯人が倒れてた! マジだよ、この目で見た!〟
〝あたしの友達が、犯人倒した人の後ろ姿だけ見たらしい。多分男だと思うって〟
〝ヤバイヤバイ、マジでカッコイイんだけど!? でも仮面がちょい不気味www〟
〝スーパーヒーローじゃん!〟
〝浜波に仮面のヒーロー現る!!〟
加害者は七人目を切り付けた後、蜘蛛の子を散らしたように逃げてゆく買い物客たちには目もくれず、その場をうろうろと歩き回り、時折わけのわからない事を呟いたり叫んでいたが、逃げ遅れた四、五歳程の男児が泣きじゃくっているのに気付くと、半笑いを浮かべながら近付いていった。
距離にして僅か三〇メートル。男児から一番近いパン屋の中に逃げ込んでいた四〇代の女性は、ドアを半分開けると、早くこちらに逃げて来るよう大声で男児を呼んだ。パン屋の隣の雑貨屋の店長が店を飛び出し、男児を助けに行こうとしたが、加害者はそれに反応したのか急に走り出し、男児との距離をあっという間に縮め、ナイフを振り上げた。
何人もの買い物客たちの悲鳴が響き渡った。その中には、はぐれた小さな一人息子を探していた若い母親の分もあった。雑貨屋の店長は手を伸ばしながら、やめろと絶叫した。パン屋にいた主婦は、堪らず顔を背けた──……。
次の瞬間に何が起こったのかは、目撃者たちだけでなく、加害者にも理解するのに少々時間が掛かった。
黒い大きな何かが加害者のすぐ後ろに落ちて来ると、背中を蹴飛ばして地に這わせ、そのまま乗り掛かったのだった。
よく見れば、黒い何かは人間の男性だった。栗色の短髪に、銀色の蔦のような模様が描かれた、目元以外を覆う白地のシンプルなフルフェイスマスク。服装は漆黒のボディスーツにマント、ブーツにグローブという、ショッピングモールには到底似つかわしくない、暗闇の中以外なら何処にいても目立つ姿だ。
加害者は、自分の上に乗り掛かっている人間から逃がれようと、喚きながら手足をバタバタさせていた。ナイフは手から離れ、届かない位置に落ちていた。仮面の男性は乗り掛かったまま加害者の首元を圧迫し、やがて加害者が完全に伸びたのを確認すると、呆気に取られている男児や人々には目もくれず、その場でグラップルガンを発射し一番高い建物の屋根まで素早く移動すると、姿を消したのだった。
幸いにも男児は無傷で、また重軽症を負った七人も、現在は順調に回復しているという報道だ。
男児の両親や警察は、勇気あるヒーローに是非とも名乗り出てほしいと呼び掛けたが、大方の予想通り、〝彼〟が名乗り出る事はなかった。
そして世間の関心と興奮が冷めやらぬうちに、〝彼〟はまたしても現れた。
ショッピングモールでの事件から約二週間後、深夜二時過ぎの人気のない住宅街。
コンビニでのアルバイトを終え帰宅途中だったフリーターの女性が、サングラスにマスク、ニット帽姿といういかにも怪しい男に声を掛けられた。女性が無視して走り去ろうとすると、突然男に腕を掴まれ、近くに停まっていた軽自動車に押し込まれそうになった。そこへ仮面のヒーローが現れ、男の首根っこを掴んで強引に引き離すと、驚き慌てふためく男の腹に膝蹴りを喰らわせ、男が腹を押さえて前のめりによろめくと、今度はニット帽頭に踵落としで気絶させ、闇夜に紛れて消え去ったのだった。
その後も〝彼〟の活躍は次々に目撃・拡散された。四月から七月までの三箇月間、確定しているだけでも三〇件以上に及び、その中には舞翔市での活躍もあった。
浜波市と舞翔市は、いい意味でも悪い意味でも注目を浴びた。特に浜波市は、元々国内外問わず観光客の多い土地だったが、〝彼〟の熱狂的なファンが各地から所謂〝聖地巡礼〟に訪れ、一部のマナー違反者たちと地元住民たちとの間でトラブルが相次いだ。ネットでは熱狂的なファンと、彼らを煽る者たちが罵詈雑言を浴びせ合った。冷静な者たちの中では、ここ最近の浜波市内と舞翔市内の犯罪件数の急増を指摘し、〝彼〟を試すためにもっと大きな犯罪をしでかす人間が現れる事を懸念する声も上がっていた。
「仮面のヒーロー……最高なんだけど!」
八月中旬のある日も、千穂実はネットで拾った仮面のヒーローの画像や動画を飽きずに何度も繰り返し再生していた。〝彼〟が話題になってからはほぼ日課と化しており、ちっとも飽きそうになかった。
アメコミヒーローものが大好きな千穂実は、学校の長期休み中のアルバイト代や日頃のお小遣いをコツコツ貯め、アメコミ邦訳本を購入している。ヒーローたちが実在したらいいのに、と願ったのは数え切れない程だ。そんな千穂実の身近に本物が現れたのだから、気にならないわけがなかった。
「でも、そんな簡単に会えるわけないよね……事件に巻き込まれるのも嫌だし」
約一週間後、千穂実は仮面のヒーローと運命的な出会いを果たし、その後も深く関わってゆく事になるのだが、当然ながらこの時はまだ知らなかった。
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