【改稿版】骨の十字架

園村マリノ

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第二章

#2-5-3 莉緒華③

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「莉緒華、せめてお父さんにちゃんと謝るべきよ。仕事を辞めたのはもう仕方ないとして、いつまでこんな状態を続けるつもり?」

「うるさいな。ほっといてよ」

「何処行くの」

「何処だって構わないでしょ!」

 莉緒華は母の顔をほとんど見ずに家を出た。
 辞表を提出したその日の夜、莉緒華は両親に退職した旨とその理由を説明した。案の定、一悶着どころか二悶着も三悶着もあった。父がこの家を出て行けと怒鳴ると、莉緒華は売り言葉に買い言葉で荷物を纏めたが、母に泣きながら止められたため家出計画は一旦保留となった。
 それから三日が経過し、父とは冷戦状態が続いているが、莉緒華は死んでも自分からは謝罪しないと心に誓っている。父は機嫌を悪くすると、その原因── 莉緒華か母しかいないが──を空気扱いし、数日から数週間は口を利かなくなる。かつての莉緒華は、そんな状況に耐え切れず、たとえ自分に非がなくとも謝罪して許しを得ていたが、そんな屈辱はもううんざりだった。

 ──今日も東京に行こうかな。

 もう一度あのベーカリーカフェでランチをしようか。いや、せっかくならまだ行った事のない店の方がもっと楽しめるかもしれない。
 莉緒華は当分の間は働かず、のんびり羽を伸ばすつもりだった。いずれ現実に向き合わねばならない時は来るが、とりあえず今は隅に追いやっておきたかった。

 ──少しでも絵に関わる仕事をしたいな。

 JR線磨陣駅。ホームの掲示板をぼんやり眺めながら電車を待っていると、あるポスターが目に入った。
 六堂大道芸。ピエロ姿のパフォーマー数名と、曜日毎のトークショーのゲストである芸能人の顔写真が掲載されている。莉緒華は生まれも育ちも磨陣市だが、過去に見物した記憶は一度もなかった。

 ──ピエロ。

 四日前の夜、自室に突然ピエロが現れた。ピエロは大河内には自分で死んでもらったと語り、彼女のものだという血の付いた指を見せてきて、莉緒華の意識は遠のいた。
 次に気付いた時にはベッドの中で、六時を過ぎていた。恐ろしい夢を見たものだと思ったが、果たしてあれは本当にただの夢だったのだろうか。

 ──もし……あれが現実だったとしたら?

「畑野莉緒華さん?」

 突然名前を呼ばれ、莉緒華は飛び上がりそうになった。

「……はい!?」

 横を向くと、一五五センチの莉緒華より二、三センチ高いかどうかという小柄な中年男性と、対照的に一八〇センチはありそうな三〇代半ばくらいの男性がいた。どちらも紺色のスーツ姿で、鞄などは手にしていない。

「畑野莉緒華さんで間違いはありませんか」

 背の低い方にもう一度尋ねられ、莉緒華は恐る恐る頷いた。
 二人の男性は、それぞれ懐から濃い焦げ茶色の手帳のようなものを取り出し、上に開いてみせた。上部に持ち主の上半身の写真、下部に金属のバッジが付いている。

 ──あ……。

「K県警の古田ふるたと申します」

「同じく春山はるやま

 莉緒華の心臓が激しく脈打った。周囲の利用客の視線が突き刺さる。
 何故刑事が自分に用があるのか。説明されるまでもなく、莉緒華はすぐに理解した。


「K県磨陣市南森みなみもりのマンションの一室で、この部屋に住む会社員、大河内真紀子さんが死亡しているのが発見された事件で、大河内さんの体には五〇箇所以上の刺し傷や切り傷があった事がわかりました」

 テレビ画面越しに女性ニュースキャスターが淡々と告げるのを耳にしながら、茶織はリビングで牛肉ステーキを頬張っていた。特に何の記念日でもないが、少々奮発してスーパーで和牛を購入した。

 ──我ながらいい具合に焼けたわ。

「一〇月三一日午後五時頃、大河内さんが血を流し仰向けで倒れているのを、訪れた友人が発見。駆け付けた警察により、その場で死亡が確認されました。
 その後の捜査関係者への取材で、大河内さんは死後三、四日が経過しており、遺体の傷は首や胸、腹など五〇箇所以上に及び、更に左手の小指が切断されていた事や、司法解剖の結果、心臓の刺し傷が致命傷だった事がわかりました。
 大河内さんは一人暮らし。遺体の側に凶器と見られるナイフが発見されたものの、室内に争った形跡はなく、警視庁は、自殺と他殺の両面で慎重に調査を進めています」

 数秒の間の後に、女性キャスターの隣に座る男性キャスターの笑顔が映し出された。

「さて、続いては特集です。今日は東京郊外の隠された名店を──……」

 ──綾兄にも食べさせてあげたかったな。

「いやはや物騒ですなあ」

 約二〇〇〇円の素晴らしい味と食感が台無しになりそうな男の声に、茶織の手が止まった。

「自殺ってのは無理があるよね。絶対殺しだよ殺し。どうしてこう人間ってのは、同じ人間を簡単にあの世に送っちゃうんだろうねっ。あ、何それ美味しそう」

 茶織はナイフとフォークを構え直して声のする方へ振り向き、

「あんたも送られたいの? サムディ」

「ヒョエッ! ここにも物騒なお嬢ちゃんマドモワゼルが──」

「呼んでもないのに勝手に出て来るなっつったわよね……これで何回目? え!?」

「わわわ、落ち着いてくんろ! ワシだってねえ、何の用事もなく現れたわけじゃないんですよーだ」

「じゃあ何だっていうのよ。内容次第じゃタダじゃ済まさないわよ」

「あのね」サムディは茶織の正面に回り込んだ。「さっきから視線と気配を感じてたんだけどね、サオリと話している間に消えちゃった」

「……何処から」

 サムディは玄関の方を指差した。

「ドアのすぐ向こう?」茶織は声を落とした。

「うんにゃ、ちょっと離れた所から。ああ、あの道化師クラウンではなかったな。ワシの知らない奴」

「……そんな事言って、わたしが外に出ている隙にステーキをつまみ食いする算段だったんじゃないの」

「確かにその牛肉ブフは美味しそうだけど……事実よ事実」

「今はもう消えてるんでしょ。また感じたら教えなさい。いきなり出て来ないで、何か合図しなさいよね」

 サムディは溜め息を吐くと、茶織の様子を窺いながらゆっくり椅子を引き、何も言われないとわかるとストンと腰を下ろした。

「まだ何か用? 肉なら絶対あげないから」

「レギュムもちゃんと取らなきゃダメよん」

「……野菜の事? 先に食べたわよ。それが言いたかっただけ?」

「いんや、もう一つ」

 テレビの向こうで、丼ものを口にしたリポーターが、わざとらしいくらいに絶賛している。

「ワシね、ここ数日の間に、何やら嫌ぁな力が徐々に大きくなってきているのをヒシヒシと感じてるのよ。うん」

「それって……ピエロ?」

「うん。しかし奴だけじゃない。色々と集まってきてる」

 茶織はテレビの電源を切った。

「良香はピエロに勧誘されて断ったって言ってたけど……誘いに乗った馬鹿共も少なからず存在するってわけ?」

「ま、そゆ事になるんじゃない? で、サオリに確認しておきたいんだけど」サムディは肘を突き、顔の前で手を組んだ。「ホントに道化師クラウンと戦う?」

「当たり前でしょ。何を今更」

「やめるなら今のうちだけどね」

「はあ? あんた──」

「きっと一筋縄じゃいかないよ? まあワシは強いから、サオリ一人くらいなら守ってあげられるけど、他の連中にまで気を使ってられないかもね。最悪の場合、見殺しにするかもしれない」

「彼らにも人外のパートナーがいるわ」

「じゃあ一般人は? 相当な数が遊びに来るんだよね。タロウってのが目的みたいだけど、無関係の人間が巻き添え食う事だって充分に考えられるでしょ」

「それは……」

 茶織は思わずサムディから目を逸らした。真っ黒いサングラスに遮られているはずなのに、鋭い視線を感じた。

「あの二人は納得しないでしょうけど……多少の犠牲は……やむを得ない、わよ」茶織の返答は歯切れの悪いものだったが、それを誤魔化すかのように強い口調で続けた。「ああ、それと、わたしはあんたに守ってもらうつもりはないから。自分の身は自分で、ね」

 ややあってからサムディは頷き、

「わかった。サオリの覚悟、ワシはしかと受け止めた」

 不真面目な男のいつになく真面目な様子に、茶織は戸惑い、そしてふいに思い出した。バロン・サムディが司るもの。生、性欲、そして──死。

「どう? 今のワシ、いつも以上にカッコ良かった?」

 サムディがいつもの調子でニカッと笑うと、茶織は内心安堵した。

「いつも以上にって? 言葉と頭がおかしいわよ」

「ぬなっ!?」

 改めて茶織はステーキを口に運んだ。「……だいぶ冷めちゃってるじゃないのよ」

「サオリのクールみたいに? ……冗談ですごめんなさい」


 二時〇五分。莉緒華は興奮で寝付けずにいた。
 警察による取り調べは、何だかんだで二時間以上掛かった。それが長時間なのか否かは莉緒華にはわからなかったが、その後出掛ける気は失せてしまったので、自宅に戻ると久し振りにテレビゲームに没頭し、一通り遊ぶと今度はスケッチブックを引っ張り出し、好きなキャラクターのフィギュアをスケッチした。
 大河内の無残な死は、警察から聞かされた時でさえいまいち実感が湧かなかったが、各テレビ局の報道番組やネットニュースで大きく取り上げられているのを目にするうちに、ようやく現実として受け止められるようになってきた。
 
 コン、コン、コン。

 あの夜と同じように部屋のドアがノックされると、莉緒華は布団を跳ね除け、ためらわずにドアを開けた。廊下は真っ暗だが、莉緒華のすぐ目の前のみ薄ぼんやりと明るくなっており、その中心に、予想通り訪問者が立っていた。

「そろそろ来るんじゃないかと思ってたの」莉緒華は弾んだ声で言った。「あなたの言葉は本当で、あなたの存在は本物だった。……これも、夢や幻じゃないわよね」

「ああ。現実さ」訪問者ピエロが答えた。

「お礼を言わなきゃね。あの生きる価値なんてない最低最悪なクソ女を殺してくれた事に」

 莉緒華が大河内の死に対して覚えた感情は、悲しみでも罪悪感でもなく、歓喜だった。

「おや、言ったろ。あの女には自分で自分を殺してもらった、と」

「そうだったわね」

 莉緒華が微笑むと、ピエロもニイッと笑った。不気味だとは感じなかった。

「でも、何の見返りも求めていないわけじゃないんでしょう」

「その通りさ」

「味方になってくれるんじゃないかとかって言ってたわね」

「ああ。是非ともボクに協力してもらいたい。今度の六堂大道芸で、とってもとっても楽しいお祭り騒ぎを計画しているんだけど、ちょっと人手不足でね」

「六堂大道芸ね……」莉緒華は相槌を打つと、ピエロに負けないくらいに唇を吊り上げて笑った。「で、わたしは何すればいいの?」
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