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第五章 終わりにしよう

05 炎の決着①

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 鋭利な前脚の爪が麗美の腹を抉る寸前で、獣の動きが止まった。

「グ……ガッ!?」

 獣の人面から笑みが消え、苦痛と怒りと焦りが混じり合った、何とも醜い表情が浮かんだ。
 獣の動きを封じたのは、その異形に巻き付き、締め上げながら首筋に牙を立てている、全身が雪のようにまっ白な大蛇だった。
 ほとんど思考停止しかけていた麗美は、獣の苦痛の咆哮と叔母の声で我に返ると、悲鳴を上げて数歩後退し、バランスを崩して尻餅を突いた。

「麗美!」

 百合子が麗美の元へと駆け寄り、腕を掴んで引っ張り起こすと、大蛇と獣から距離を取った。

「このお馬鹿! 危ない事して!」

「お、叔母さん……あれ何よ!?」

「白い大蛇」

「それは見てわかる! 何でっ、き、急に──」

「絵美子よ」

 麗美は驚愕に目を見開いた。

「絵美子が変身したかと思ったら、次の瞬間には飛び付いてた」保も答えた。

 大蛇が更に強く締め上げ牙を押し込むと、苦しげな呻き声と共に、獣の体から力が抜けていった。麗美はその光景を、百合子の腕を両手で強く掴みながら──叔母が抗議の声を上げるまで無意識だった──呆然と見やっていた。
 やがて大蛇は獣を放すと、絵美子の姿に戻り、三人の元へと歩いて来た。力なく倒れ込んだ獣の体は黒に近い紫に変色し、無数の目玉は濁り、血の涙を流している。

「麗美。怪我はなさそうね」

「う、うん。あの……助けてくれて有難う」

「麗美もわたしを助けてくれようとしたのよね。良かったわ、無事で」

 微笑みかけてくる絵美子の表情は、蛇とは似ても似付かない。だからこそ麗美は戸惑い、そして畏怖の念すら覚えた。
 絵美子は百合子と保に向き直り、

「〝あいつ〟に出来るなら、わたしにも出来ないかなって考えていたの。ほら、幽霊になったわけだし、力も戻ってきたわけだし。でもまさか、本当に出来ちゃうとは思わなかったけれど」

「助かったが、正直かなり驚いたぞ」保は苦笑混じりに答えた。

「ごめんなさいね」

「あー……私たち、今回は全然役に立たなかったみたい?」百合子は少々気まずそうに言った。

「ううん、そんな事──」

 獣の唸り声に、四人はハッと振り返った。

「エ、ミコ……ヨ、ク……モ……!」

 獣は起き上がろうと四肢に力を入れ、もがいている。

「まあ、しぶといとは思っていたけれど──」

 獣の方へと足を踏み出しかけた絵美子を、保が手で制した。

「俺たちにも出番をくれよ。なあ星崎」

「だね」

 百合子と保は慎重に獣に近付くと、小さな弓を構えた。

「ていうか、これ本当に効くのか?」

「わかんない」

「エミ……ウ……ガアアッ!」獣が立ち上がりかけた。

「お、叔母さん保さん!」

 ほぼ同時に、矢が二本放たれた。一本は獣の人面の左頬に、もう一本は胴体の目玉の一つに突き刺さった。獣は苦痛の叫びを上げたが、怯む事なくしっかりと立ち上がり、射手の二人を憎悪に満ちた目で睨み付けた。

「や、やっぱ効いてねえみたいだぞ星崎!」

「あんたの相手はわたしよ」

 絵美子が再び大蛇へと姿を変え、獣と二人の間に割って入った。
 獣は咆哮で応えると、大蛇の横に素早く回り込み、前脚の爪で胴体を斬り付けた。鮮血が飛び散ると麗美が悲鳴を上げたが、大蛇は全く怯まなかった。

「この野郎っ!」

 百合子は再び弓を構えた。しかし、獣が激しく抵抗するため、なかなか狙いが定まらない。
 獣が大蛇に噛み付くと同時に、大蛇もまた獣を締め上げた。

「望月!」

 保が大蛇の元へ駆け寄ろうとした。その右手にはメリケンサックがはめられている。

「駄目」絵美子の声が、三人の頭に直接響いてきた。「来ちゃ駄目よ」

「また封印すんのか!?」

「いいえ。倒すわ。確実に」

 獣が悲鳴を上げ、体を捩った。紫に変色していた体からは血の気が失せ始め、血の涙を流していた無数の目玉のうち、いくつかは完全に真っ白くなっている。

「麗美、リュックの中の物を使って。何が入っているのかは知ってるわ」

 ──!!

 百合子と保が、同時に麗美へと振り向く。

 ──そんな。

 大蛇から再び鮮血が飛び散った。

 ──今を使ったら、絵美子まで……!

 姿を変え逃れようとする獣を、大蛇は更に強く締め上げる。

 ミシッ。ゴキッ。バキバキッ。

 嫌な音が一つする度に、獣は悲鳴を上げた。

「麗美」

「絵美子……ああ、それは──」

「早く!」

 麗美には、大蛇の恐ろしくも神秘的な顔に、絵美子の美しい微笑みが被って見えた。

「わたしは大丈夫だから」

 麗美は棺まで戻ると、足元のリュックを拾い上げた。

「何を持って来たの?」

 百合子の問いには答えず、麗美は無言で取り出した武器を見せた。

「麗美がそれを使ったら、皆で先に最初の地点まで戻って」

 百合子と保は絶句した。
 麗美が持っているのは、使い捨てライターとライターオイルだ。

「絵美子……本当に大丈夫なんだよね?」

 事態を察した獣が、改めて必死に抵抗を始めた。

「ええ、大丈夫」三人の頭の中に、優しい声色が響いた。「必ず後から行くわ」

 きっと嘘だと麗美は思った。他の二人も同感だろう。もっと他にいい案があるのではないだろうか。しかし、それが思い付く前に、獣が絵美子から逃れてしまうかもしれない。最悪なのは、先に彼女の方が力尽きてしまう事だ。

「……わかった」

 麗美は、ライターオイルを空の棺とその周辺にぶちまけた。

「ヨ、セ!」獣が弱々しく吠えた。「ヤメロ、アサヒ、ナ……レミ!」

「うるさい」麗美はライターの火を点けた。「いちいちフルネームで呼ぶな」

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