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第五章 終わりにしよう
03 死は眠りの兄弟
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懐中電灯を手放してしまったにも関わらず、麗美の目には、不思議と広場全体がよく見えていた。
中央には、黒い箱が一つ置かれている。その隣には蓋らしき物もある。あれが、かつて絵美子が〝あいつ〟を封印した西洋型の棺なのだろう。
麗美はそれらを、しゃくり上げながらただ見ているだけだった。どうすればいいのかわからない。どうすればいいのか考えたくもない。動揺と恐怖と混乱が、思考する気力を奪っていた。
「麗美さん」
広場の奥の方から友人の声がすると、麗美は体を大きくビクつかせた。
「麗美さん、遅いですよ」
「あ……ち、ちづ──」
「そんな所につっ立ってないで、やるべき事をやってくださいよ」
「……え……」
──やるべき、事……?
「もうわかっているでしょう。死は眠りの兄弟なんですから」
いつの間にか、千鶴が棺のすぐ近くに姿を現していた。両目は吊り上がり、ベリーショートヘアーは伸びて逆立ち、生き物のようにうねっている。
──ああ、そうだ。
麗美は力ない足取りで、広場の中心へと歩き出した。
──入らなきゃ、あの棺の中に。
自分は生きていてもしょうがない人間だ。
昔からいじめの対象にされやすかった。面と向かって悪口を言われ、笑われても言い返せないし、無視や露骨な意地悪をされてもはっきり抵抗出来ず、やめろとも言えない。そういう仕打ちに合って酷く心が傷付いたならば、一人で抱え込み、自室で涙を流した。
両親に相談した事はほとんどない。現在は単身赴任中で家を空けている父は元々完全に論外だったが、普段は気の合う母でさえ、あまり娘の気持ちをわかってはくれない。二人には、昭和から平成の中頃まで大人気だった根性論が染み付いてしまっている。
高校に入ってからは、心許せる三人の友人に恵まれた。毎日同じ事の繰り返しには飽き飽きしていたし、恋人がいる女子に嫉妬してもいたが、大きなストレスやトラブルもなく、何だかんだで順調だった……はずだった。
──でも、それはわたしの思い込みだったんだ。
皆、自分を嫌っていた。陰で馬鹿にして、嫌がって、悪口を言っていた。
──入らなきゃ、あの棺の中に。
それが、自分がやらなくてはならない事だ。どうしてすぐ気付かなかったのだろう。
空っぽの棺の前まで来て、千鶴の吊り上がった目と視線が合った瞬間、麗美はこの状況の異様さに気付きかけた。しかし、千鶴が無言で棺を指差し、麗美もつられてそちらに目をやった時には、もう忘れていた。
──眠らなきゃ。眠らなきゃ。
リュックを足元に置くと、棺に入り、仰向けになって両手を胸の上で組む。
──眠らなきゃ。永遠に。
千鶴が覗き込んでくる。
「おやすみ、朝比奈麗美。永遠に」
千鶴の両手が、喉元に伸びてくる。
「うん、永遠に」
麗美は目を閉じた。もう二度と開かなくていいんだよね、と思いながら。
「ねえ千鶴ちゃん、そろそろ教えて」
夕凪高校第一校舎前。
「麗美ちゃんが危険な目に遭うかもって、どういう意味なの?」
千鶴は亜衣の問いに答えず、ゆっくり歩みを進めながら、ぼんやりと校舎を見上げた。同時に視界に入った、どんよりとした曇り空に、じわじわと不安を掻き立てられる。
「わたしも早く知りたいよ」亜衣の隣の七海が続いた。「最初、何の冗談かと思ったけど……只事じゃないんだよね?」
千鶴はゆっくりと二人に視線を戻し、
「さて、どう説明したらいいのやら……自分から声掛けておいて、すみません」
千鶴から、亜衣と七海の二人に[MINE]のメッセージが届いたのは、一〇時を過ぎた頃だった。
〝おはようございます。今日、何か用事がありますか? もしなければ、学校まで来てください。麗美さんが危険な目に遭うかもしれないんです。詳細は向こうで話します〟
「麗美ちゃん、最近ちょっと変っていうか、妙なところがあったよね。ほら、モチヅキエミコの件。あれが関係してるの?」
「……そうです。ただし、絵美子が悪いわけではないんです」
「……え、っと……?」
「最近、学校内で色々なトラブルが起こりましたよね。というか、進行形で。麗美さんは、望月絵美子や数人の仲間たちと、その元凶と戦う事に決めたんです」
男子バスケット部員たちが、校庭の方から集団で走って来たので、三人は校舎側へと寄って避けた。亜衣と七海はポカンとしていたが、千鶴が黙り込んでしまうと、互いに顔を見合わせた。
「私は危険だからと呼ばれなかったんです」バスケット部員たちが去ってゆくと、千鶴は再び口を開いた。「心配しなくていいって言われました。でも、やっぱり心配で。麗美さんのために少しでも力になりたくて。だって、大切な友達ですから」
「それはわたしも同じだよ」
「うん、わたしも」
二人の力強い言葉に、千鶴はフッと微笑んだ。
「まだいまいちよくわかんないけど、麗美ちゃんは今、悪い奴の所に向かってるか、もう着いちゃったんだよね? わたしたちも行くよ。ねえ七海ちゃん」
「勿論!」
「有難うございます、二人共。心強いですよ」千鶴は本心から言った。
「で、場所は? この校舎の中なの?」
「いえ、多分ですが……入口は中庭に」
「入口?」
「行きましょう。向こうに行って、それからまた考えます」
千鶴が返事を待たずに再び歩き出すと、亜衣と七海も後を追った。
中央には、黒い箱が一つ置かれている。その隣には蓋らしき物もある。あれが、かつて絵美子が〝あいつ〟を封印した西洋型の棺なのだろう。
麗美はそれらを、しゃくり上げながらただ見ているだけだった。どうすればいいのかわからない。どうすればいいのか考えたくもない。動揺と恐怖と混乱が、思考する気力を奪っていた。
「麗美さん」
広場の奥の方から友人の声がすると、麗美は体を大きくビクつかせた。
「麗美さん、遅いですよ」
「あ……ち、ちづ──」
「そんな所につっ立ってないで、やるべき事をやってくださいよ」
「……え……」
──やるべき、事……?
「もうわかっているでしょう。死は眠りの兄弟なんですから」
いつの間にか、千鶴が棺のすぐ近くに姿を現していた。両目は吊り上がり、ベリーショートヘアーは伸びて逆立ち、生き物のようにうねっている。
──ああ、そうだ。
麗美は力ない足取りで、広場の中心へと歩き出した。
──入らなきゃ、あの棺の中に。
自分は生きていてもしょうがない人間だ。
昔からいじめの対象にされやすかった。面と向かって悪口を言われ、笑われても言い返せないし、無視や露骨な意地悪をされてもはっきり抵抗出来ず、やめろとも言えない。そういう仕打ちに合って酷く心が傷付いたならば、一人で抱え込み、自室で涙を流した。
両親に相談した事はほとんどない。現在は単身赴任中で家を空けている父は元々完全に論外だったが、普段は気の合う母でさえ、あまり娘の気持ちをわかってはくれない。二人には、昭和から平成の中頃まで大人気だった根性論が染み付いてしまっている。
高校に入ってからは、心許せる三人の友人に恵まれた。毎日同じ事の繰り返しには飽き飽きしていたし、恋人がいる女子に嫉妬してもいたが、大きなストレスやトラブルもなく、何だかんだで順調だった……はずだった。
──でも、それはわたしの思い込みだったんだ。
皆、自分を嫌っていた。陰で馬鹿にして、嫌がって、悪口を言っていた。
──入らなきゃ、あの棺の中に。
それが、自分がやらなくてはならない事だ。どうしてすぐ気付かなかったのだろう。
空っぽの棺の前まで来て、千鶴の吊り上がった目と視線が合った瞬間、麗美はこの状況の異様さに気付きかけた。しかし、千鶴が無言で棺を指差し、麗美もつられてそちらに目をやった時には、もう忘れていた。
──眠らなきゃ。眠らなきゃ。
リュックを足元に置くと、棺に入り、仰向けになって両手を胸の上で組む。
──眠らなきゃ。永遠に。
千鶴が覗き込んでくる。
「おやすみ、朝比奈麗美。永遠に」
千鶴の両手が、喉元に伸びてくる。
「うん、永遠に」
麗美は目を閉じた。もう二度と開かなくていいんだよね、と思いながら。
「ねえ千鶴ちゃん、そろそろ教えて」
夕凪高校第一校舎前。
「麗美ちゃんが危険な目に遭うかもって、どういう意味なの?」
千鶴は亜衣の問いに答えず、ゆっくり歩みを進めながら、ぼんやりと校舎を見上げた。同時に視界に入った、どんよりとした曇り空に、じわじわと不安を掻き立てられる。
「わたしも早く知りたいよ」亜衣の隣の七海が続いた。「最初、何の冗談かと思ったけど……只事じゃないんだよね?」
千鶴はゆっくりと二人に視線を戻し、
「さて、どう説明したらいいのやら……自分から声掛けておいて、すみません」
千鶴から、亜衣と七海の二人に[MINE]のメッセージが届いたのは、一〇時を過ぎた頃だった。
〝おはようございます。今日、何か用事がありますか? もしなければ、学校まで来てください。麗美さんが危険な目に遭うかもしれないんです。詳細は向こうで話します〟
「麗美ちゃん、最近ちょっと変っていうか、妙なところがあったよね。ほら、モチヅキエミコの件。あれが関係してるの?」
「……そうです。ただし、絵美子が悪いわけではないんです」
「……え、っと……?」
「最近、学校内で色々なトラブルが起こりましたよね。というか、進行形で。麗美さんは、望月絵美子や数人の仲間たちと、その元凶と戦う事に決めたんです」
男子バスケット部員たちが、校庭の方から集団で走って来たので、三人は校舎側へと寄って避けた。亜衣と七海はポカンとしていたが、千鶴が黙り込んでしまうと、互いに顔を見合わせた。
「私は危険だからと呼ばれなかったんです」バスケット部員たちが去ってゆくと、千鶴は再び口を開いた。「心配しなくていいって言われました。でも、やっぱり心配で。麗美さんのために少しでも力になりたくて。だって、大切な友達ですから」
「それはわたしも同じだよ」
「うん、わたしも」
二人の力強い言葉に、千鶴はフッと微笑んだ。
「まだいまいちよくわかんないけど、麗美ちゃんは今、悪い奴の所に向かってるか、もう着いちゃったんだよね? わたしたちも行くよ。ねえ七海ちゃん」
「勿論!」
「有難うございます、二人共。心強いですよ」千鶴は本心から言った。
「で、場所は? この校舎の中なの?」
「いえ、多分ですが……入口は中庭に」
「入口?」
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