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第二章 学校の異変

02 体育館の怪①

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「ほんっと、月曜の時間割っておかしい! 嫌がらせだよ!」

 多くの人間にとって憂鬱な月曜日。
 霧雨の中、第一校舎の目と鼻の先にある体育館へ向かう途中、七海が口を尖らせた。

「ね! 初日から面倒」

「ええ、もう少し考えてほしかったですね」

「何でだろうね。せめて金曜日なら……いや、どの曜日でも嫌だな……」

 一緒に歩く亜衣、千鶴、そして麗美も賛同した。
 四人の不満は、二年四組全員の不満でもある。月曜日は一時間目が情報、二時間目が家庭科、三時間目が美術、そして四時間目が体育と、午前中は基本的に移動教室が続き、とにかく忙しない。

「だいたい、男子には更衣室がないってのもおかしな話だよ。こっちは家庭科室から戻って来たらすぐに出て行かなきゃならないし、忘れ物なんてしたら取りに戻りにくいし」

「わたし、前に聞いた事があるよ。もう何年も前に、一部生徒と保護者たちが男子更衣室を作ってくれって学校に訴えたんだけど、却下されたか後回しにされたかで、それっきりらしいよ」

「何それ、作ったら死んじゃう呪いにでもかかってるの……?」

 体育館二階のアリーナには、バドミントン用のネットが張られ、ラケットが収納されているラックやシャトルもあった。三時間目に別のクラスが使用し、そのまま残しておいたのだろう。

「えー、バドミントンか~」亜衣がガッカリしたような声を上げた。「まあ、バスケやバレーよりマシだけどさ~」

「そうだよ、バドミントンの方がマシだよ。試合はダブルスかな?」

「私はバスケが良かったなあ……」

 運動音痴で何をやっても下手な麗美は、そもそも体育そのものが死ぬ程大嫌いなので誰にも共感出来ず、黙っていた。


「麗美さんお疲れ様です」

 男女混合での試合を全て終え、壁にもたれて座っていた麗美の元に、ラケットを手にした千鶴がやって来て左隣に腰を下ろした。

「勝ちましたね、さっきの試合」

「あれは山田やまだ君のおかげだよ……わたしは全然貢献出来なかったから。サーブだってまともに入らないんだよ? 最後の試合以外はボロ負けだったし」

「私も似たようなものでしたよ。あ、七海さん」

 麗美と千鶴の一番近くで行われている試合では、七海と健斗のペアが、るりかと吉田よしだのペア相手にほぼ互角の戦いを繰り広げていた。

「七海ちゃん凄いね。吉田君と新田にったさんは運動神経かなりいいし、さっき別のペアとの戦いでも圧勝してたんだよ」

「七海さん、運動は苦手なんて言ってますけど、実際そんな事ないですよね」

「うん。ていうかこのクラスで一番悪いの、間違いなくわたしだよ……」

「ええ、そんな事……ないでしょう」

「今の間は? ねえ今の間は?」  

 二人は笑い合ったが、ふと千鶴が真顔に戻り、

「ところで麗美さん。亜衣さんから聞いたんですが、図書室で仲良くなった女子がいるとか」

「え? うん、まあ」

「どこのクラスの子なんですか?」

「……それが、はっきりわからないんだ」

 麗美は絵美子とのやり取りを簡潔に説明し、はぐらかされているような気がしてならないという心情を吐露した。

「うーん……?」千鶴は小首を傾げた。「ちょっと謎ですね」

「金曜日に図書室に行ってみたんだけど、会えなかったんだ。絵美子がどれくらいの頻度で図書室に来ているのかはわかんないけど、それ以外の場所では全然見掛けた事がなくって。次に会ったら、当てずっぽうで答えてみようと思ってるんだけど」

「亜衣さんが不思議がってたんですよ。望月もちづき絵美子なんて名前、聞いた事ないって。あ、私も知らないです」

 絵美子に対するある疑惑が、麗美の頭をもたげた。

「偽名……?」

 千鶴は目を丸くした。「まさか……そこまでしますかね」

「うん……だよね?」麗美は自嘲気味に小さく笑った。「いくら何でもそんな事まで──」

 ドンッ。

 突然、足音にしては大き過ぎる地響きがして、麗美と千鶴は顔を見合わせた。

 ドンッ。

「え……何だろ」

「何か大きな物を落としたか、遠慮なく床に置いたか……」千鶴はそう言いながら周囲を見回した。「違うみたいですね」

 ドンッ。

「まただ」

「地震……でもないですよね。こんな断続的で──」

 ドンッ。

「何か、怪獣か巨大ロボがゆっくり歩いているような?」

「その喩え、なかなかいいですね」

 ドンッ。

「あれ、気付いてるの私たちだけみたいですよ」

 千鶴の言う通り、試合中の生徒だけでなく、体育教師の甲斐かいや審判担当の生徒、そして麗美たちのように休憩中の生徒でさえも無反応だ。

 ドンッ。

「……何なんだろ」

「ここじゃなくて、一階か地下一階から響いてきているのかもしれません」

 夕凪ゆうなぎ高校の体育館は、地上二階、地下一階建てだ。麗美たちのいる二階のアリーナ以外は、一階が運動部部室棟とトイレ、地下一階が柔道場と剣道場になっている。

「何処かのクラスが地下を使ってるのかな」

「どうでしょう。私たちが来た時、他のクラスの生徒は見なかったような──」

 ドンッ。

「……ねえ千鶴ちゃん」麗美は立ち上がった。「ちょっと見に行ってみない?」

「えっ」

「だって──」

 ──だって、いつもと違うんだもん。

 二人しか気付いていない、謎の地響き。体育館での授業は一年時から何度も行われているが、こんな経験は初めてだし、聞いた事もなかった。

 ──だって、ワクワクするんだもん。

「──何か問題が起こってるかもしれないじゃん? お互いもう試合が終わったからフリーでしょ。確認したらすぐ戻って来ればいいんだし、先生に見付かって何か言われたら、トイレに行ってた、って……ね?」

 本心を口にするつもりはなかった。千鶴や他の生徒たちが体調不良を訴えた時に覚えた不謹慎な感情──静かな興奮──と同じものが、再び麗美の内側からじわじわと溢れ出してきたという事実に、後ろめたい気持ちがあったからだ。

「うーん……じゃあ、ちょっとだけ」千鶴もラケットを置くと立ち上がった。

「よし、じゃあ行こう」

 二人は何喰わぬ顔で、二箇所ある内近い方の階段の前まで移動した。授業中には閉めている事の多いドアは全開だった。

「……今だよ」

 口うるさい甲斐が背を向けた瞬間を見計らい、二人は足早に階段を下りていった。


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