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第4話 縁
09 正夢(あくむ)
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最初は早歩き、途中から駆け足で繁華街から離れた理世は、先程までの混雑と賑わいが嘘のように人通りも交通量も少ない道に出た。
──流石にここまで来れば大丈夫だよね?
一旦立ち止まって休憩しつつ、来た道を振り返って警戒する。それ程疲れてはいないが、パフェを食べたせいもあってか喉が渇いてしまった。
〝あとをつけられている〟
この一文だけで、尾けているのが何者なのかはすぐにわかった。
──鈴川さん……何で?
何故理世が来ている事がわかったのだろうか。まさか、街コンの日に浜下公園で遭遇したのも、偶然ではなかったのだろうか。
──まさか、流石にそれは考え過ぎだよね。
単に元々浜波市内在住か、あるいは以前から休日になると頻繁にあの周辺を訪れているのだろう。そして、運悪く再会してしまった自分は気に入られてしまったのだ。
──だとしても、後を尾けるのってどうなの!?
〝雑賀さんがあの男性に、しつこく付き纏われて逃げている夢でした〟
──まさか……高橋さんが見た夢の通りになってる……?
理世は助けを求めるようにスマホを見やった。メモアプリに憑依霊からの新しいメッセージは届いていない。
〝もう大丈夫かな?〟
返事は来ないかもしれないと思いながらも、理世は文字を打っていた。
〝この後どうすればいい?〟
色なき風がそよいだ。走って汗を掻いた体には心地好いが、渇いた喉は潤せない。
少し歩くと自販機が見付かったので、緑茶の三五〇ミリリットルのペットボトルを購入した。その場で三分の一程飲んでから、これといったあてもなく再び歩き出す。
──まだ戻らない方がいいよね。
適当にふらふらと歩き続けていると、更に閑静な裏通りまで来た。小型マンションやアパートが多く、店といえば個人の理髪店か材木屋くらいしか見当たらない。
空き地の前まで来ると立ち止まり、左手に持つスマホを確認した。憑依霊からの返事がないとわかるると、落胆に小さな溜め息が出た。
──もう……。
憑依霊に今まで何度も助けてもらっているのは事実だ。心から感謝しているし、なるべく文句は言いたくない。しかし、どうせなら最後まではっきり助言してほしいと思ってしまうのはワガママだろうか。
──そもそも、何でわたしに取り憑いたの?
右手のペットボトルを口まで持ってきた時、理世は後方から近付く足音に気付いて振り返った。同時に、足音の主は歩みを止めた。
「雑賀さん」
理世の手からペットボトルが滑り落ち、コンクリートとスニーカーの先を濡らした。
〝こんな感じ! 美味しかったよ〟
ファストフード店のカウンター席に座り、コーラとポテトで小腹を満たしていたナナノは、友人から届いたメッセージとパフェの写真に頬を緩めた。
──確かにこれは美味しそうだわ……ん?
写真の手前右側から手が伸びていて、親指と人差し指でジャック・オー・ランタン型の小さなクッキーを摘もうとしているように見える。
──ワオ。理世ってば、匂わせってやつ?
ナナノは写真をタップした。男っ気がなかった消極的な友人にも、とうとう自慢したくなるような相手が出来たのかもしれない。
──あ、あれ?
拡大された写真に手は写っておらず、パフェな真ん中にぽつんとあるだけだ。
──見間違えた? でも今確かに……。
ナナノは首を捻った。今確かに、骨ばった大きな手が写っていたはずなのに。
「さっき偶然お見掛けしたんで、挨拶したいと思ったんですけど、雑賀さんが走り出して距離が開いちゃって。いやぁ良かった、追い付いて」
鈴川は理世から視線を逸らす事なく、にこやかに言った。
「雑賀さん、お茶大丈夫ですか? 拾いましょうか」
「来ないでください」
一歩踏み出しかけた鈴川を、理世は慌てて空いた手で制した。離れてはいるが、気を抜いていたら一気に詰められてしまってもおかしくはない距離だ。
「どうしました雑賀さん。具合悪いんですか?」
「……どうしましたって……」
「え?」
「わたしが嫌がっているの、わからないんですか!?」
理世は語気を強めた。今のところは、恐怖より怒りが優っている──走った時とは異なる汗を掌に掻いていても。
「嫌がっている……?」
鈴川は初めて聞いた単語だと言わんばかりに、鸚鵡返しに呟いた。
「鈴川さん……本当にわからないんですか?」
「……わかりません。やっぱり僕何かしましたか? でもこの間[MINE]では怒ってるわけじゃないって言ってましたよね?」
理世は軽い眩暈を覚えた。
「毎日メッセージを送らなくて結構ですと言ったのに、その次の日も送ってきましたよね……わたしに対する告白を」
「はい。でも返事の内容に違和感を覚えて──」
「ですから、違和感も何も、わたしお断りしましたよね」
「ええ、でもあれは絶対に本心じゃありませんよね」鈴川は自信たっぷりに言い切った。
「え……はい?」
「そんなつもりで[MINE]をしていたわけじゃないとか、僕の気持ちには応えられないって雑賀さんは言ってましたけど、すぐにわかりましたよ。やっぱり誰かに脅されているんでしょう、僕と交際なんかするなって。
雑賀さん、一体誰なんです? 誰があなたを脅し──」
「脅されてなんかいません! どうしてそうなるんですか!?」
「……そっか、考え過ぎだったか」鈴川は照れたように笑って頭を掻いた。「何だ、じゃあ自分に自信がないだけなんですね」
「……は?」
「雑賀さんは自分に自信がないから、誰かと付き合う事が不安なんでしょう。大丈夫ですよ、気楽にいきましょう。僕、こんな顔してますけど、周囲の人間には優しいってよく言われるんですよ」
理世は雷に打たれたような衝撃を受けた。ここまで話が通じない、自分にとってとことん都合の良い解釈しか出来ない人間が存在するとは! そして衝撃の次に押し寄せて来ているのは、恐怖の大波だ。
「良かった、やっと雑賀さんの気持ちを理解出来た。気付くのが遅くなってごめんなさい」
「……話にならない」
「え?」
「もう警察を呼びますから!」
単なる脅しではなかった。理世はスマホをロック画面に戻すと、下部にある緊急ボタンに指を伸ばした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!」
鈴川が近寄ろうとすると、理世は反射的に短い悲鳴を上げ、慌てて逃げ出した。走りながら助けを求めるべく第三者の姿を目で探すが、不気味な程誰の気配も感じられず、自動車が通る様子もない。
──浜波って都会じゃないの!?
「雑賀さあああん! 待ってくださあああい!」
咄嗟に小さなビルとビルの間の狭い路地に入った理世は、直後にその選択を誤った事に気付かされた。
──行き止まり……!
つま先で蹴飛ばされた空き缶が低く飛び、アスファルトにぶつかって虚しく音を立てる。
「雑賀さん……」
無意識か否か、鈴川は理世の退路を完全に塞ぐようにして立ち止まった。
「酷いですよ、警察呼ぶなんて……流石の僕でもそれはちょっと頭にきますし、傷付きますよ?」
鈴川がじりじりと近付くにつれ、理世はどんどん奥へと追い詰められてゆく。
「ほら雑賀さん、そんな所にいないで、こっちに来ましょうよ」
鈴川の顔には、長い間探し求めていた宝をようやく手に入れたかのような、恍惚と歓喜とが入り混じった、だらしない笑みが浮かんでいる。
「い……嫌……」
「喫茶店でも公園でも、落ち着いて座りながら、ゆっくり今後について話し合いましょう! ね!」
理世が行き止まりにぶつかると、鈴川の手が伸ばされた。
「嫌!!」
恐怖が限界を迎え、理世は叫んだ。
その直後、視界が一瞬で古い写真のようなセピア色になり、周囲の雑音が消えた。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐだけで解決すると思ってんのか、グズ女」
──!!
頭の中で憑依霊の男の呆れたような声が響くと、理世の心臓の鼓動が速まった。
──だって……じゃあどうすればいいの?
「どうすればって? ……どいてろ」
一瞬頭に何かが触れたような感覚があったが、それが何なのかを理解する前に、理世の意識は遠のいていった。
──流石にここまで来れば大丈夫だよね?
一旦立ち止まって休憩しつつ、来た道を振り返って警戒する。それ程疲れてはいないが、パフェを食べたせいもあってか喉が渇いてしまった。
〝あとをつけられている〟
この一文だけで、尾けているのが何者なのかはすぐにわかった。
──鈴川さん……何で?
何故理世が来ている事がわかったのだろうか。まさか、街コンの日に浜下公園で遭遇したのも、偶然ではなかったのだろうか。
──まさか、流石にそれは考え過ぎだよね。
単に元々浜波市内在住か、あるいは以前から休日になると頻繁にあの周辺を訪れているのだろう。そして、運悪く再会してしまった自分は気に入られてしまったのだ。
──だとしても、後を尾けるのってどうなの!?
〝雑賀さんがあの男性に、しつこく付き纏われて逃げている夢でした〟
──まさか……高橋さんが見た夢の通りになってる……?
理世は助けを求めるようにスマホを見やった。メモアプリに憑依霊からの新しいメッセージは届いていない。
〝もう大丈夫かな?〟
返事は来ないかもしれないと思いながらも、理世は文字を打っていた。
〝この後どうすればいい?〟
色なき風がそよいだ。走って汗を掻いた体には心地好いが、渇いた喉は潤せない。
少し歩くと自販機が見付かったので、緑茶の三五〇ミリリットルのペットボトルを購入した。その場で三分の一程飲んでから、これといったあてもなく再び歩き出す。
──まだ戻らない方がいいよね。
適当にふらふらと歩き続けていると、更に閑静な裏通りまで来た。小型マンションやアパートが多く、店といえば個人の理髪店か材木屋くらいしか見当たらない。
空き地の前まで来ると立ち止まり、左手に持つスマホを確認した。憑依霊からの返事がないとわかるると、落胆に小さな溜め息が出た。
──もう……。
憑依霊に今まで何度も助けてもらっているのは事実だ。心から感謝しているし、なるべく文句は言いたくない。しかし、どうせなら最後まではっきり助言してほしいと思ってしまうのはワガママだろうか。
──そもそも、何でわたしに取り憑いたの?
右手のペットボトルを口まで持ってきた時、理世は後方から近付く足音に気付いて振り返った。同時に、足音の主は歩みを止めた。
「雑賀さん」
理世の手からペットボトルが滑り落ち、コンクリートとスニーカーの先を濡らした。
〝こんな感じ! 美味しかったよ〟
ファストフード店のカウンター席に座り、コーラとポテトで小腹を満たしていたナナノは、友人から届いたメッセージとパフェの写真に頬を緩めた。
──確かにこれは美味しそうだわ……ん?
写真の手前右側から手が伸びていて、親指と人差し指でジャック・オー・ランタン型の小さなクッキーを摘もうとしているように見える。
──ワオ。理世ってば、匂わせってやつ?
ナナノは写真をタップした。男っ気がなかった消極的な友人にも、とうとう自慢したくなるような相手が出来たのかもしれない。
──あ、あれ?
拡大された写真に手は写っておらず、パフェな真ん中にぽつんとあるだけだ。
──見間違えた? でも今確かに……。
ナナノは首を捻った。今確かに、骨ばった大きな手が写っていたはずなのに。
「さっき偶然お見掛けしたんで、挨拶したいと思ったんですけど、雑賀さんが走り出して距離が開いちゃって。いやぁ良かった、追い付いて」
鈴川は理世から視線を逸らす事なく、にこやかに言った。
「雑賀さん、お茶大丈夫ですか? 拾いましょうか」
「来ないでください」
一歩踏み出しかけた鈴川を、理世は慌てて空いた手で制した。離れてはいるが、気を抜いていたら一気に詰められてしまってもおかしくはない距離だ。
「どうしました雑賀さん。具合悪いんですか?」
「……どうしましたって……」
「え?」
「わたしが嫌がっているの、わからないんですか!?」
理世は語気を強めた。今のところは、恐怖より怒りが優っている──走った時とは異なる汗を掌に掻いていても。
「嫌がっている……?」
鈴川は初めて聞いた単語だと言わんばかりに、鸚鵡返しに呟いた。
「鈴川さん……本当にわからないんですか?」
「……わかりません。やっぱり僕何かしましたか? でもこの間[MINE]では怒ってるわけじゃないって言ってましたよね?」
理世は軽い眩暈を覚えた。
「毎日メッセージを送らなくて結構ですと言ったのに、その次の日も送ってきましたよね……わたしに対する告白を」
「はい。でも返事の内容に違和感を覚えて──」
「ですから、違和感も何も、わたしお断りしましたよね」
「ええ、でもあれは絶対に本心じゃありませんよね」鈴川は自信たっぷりに言い切った。
「え……はい?」
「そんなつもりで[MINE]をしていたわけじゃないとか、僕の気持ちには応えられないって雑賀さんは言ってましたけど、すぐにわかりましたよ。やっぱり誰かに脅されているんでしょう、僕と交際なんかするなって。
雑賀さん、一体誰なんです? 誰があなたを脅し──」
「脅されてなんかいません! どうしてそうなるんですか!?」
「……そっか、考え過ぎだったか」鈴川は照れたように笑って頭を掻いた。「何だ、じゃあ自分に自信がないだけなんですね」
「……は?」
「雑賀さんは自分に自信がないから、誰かと付き合う事が不安なんでしょう。大丈夫ですよ、気楽にいきましょう。僕、こんな顔してますけど、周囲の人間には優しいってよく言われるんですよ」
理世は雷に打たれたような衝撃を受けた。ここまで話が通じない、自分にとってとことん都合の良い解釈しか出来ない人間が存在するとは! そして衝撃の次に押し寄せて来ているのは、恐怖の大波だ。
「良かった、やっと雑賀さんの気持ちを理解出来た。気付くのが遅くなってごめんなさい」
「……話にならない」
「え?」
「もう警察を呼びますから!」
単なる脅しではなかった。理世はスマホをロック画面に戻すと、下部にある緊急ボタンに指を伸ばした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!」
鈴川が近寄ろうとすると、理世は反射的に短い悲鳴を上げ、慌てて逃げ出した。走りながら助けを求めるべく第三者の姿を目で探すが、不気味な程誰の気配も感じられず、自動車が通る様子もない。
──浜波って都会じゃないの!?
「雑賀さあああん! 待ってくださあああい!」
咄嗟に小さなビルとビルの間の狭い路地に入った理世は、直後にその選択を誤った事に気付かされた。
──行き止まり……!
つま先で蹴飛ばされた空き缶が低く飛び、アスファルトにぶつかって虚しく音を立てる。
「雑賀さん……」
無意識か否か、鈴川は理世の退路を完全に塞ぐようにして立ち止まった。
「酷いですよ、警察呼ぶなんて……流石の僕でもそれはちょっと頭にきますし、傷付きますよ?」
鈴川がじりじりと近付くにつれ、理世はどんどん奥へと追い詰められてゆく。
「ほら雑賀さん、そんな所にいないで、こっちに来ましょうよ」
鈴川の顔には、長い間探し求めていた宝をようやく手に入れたかのような、恍惚と歓喜とが入り混じった、だらしない笑みが浮かんでいる。
「い……嫌……」
「喫茶店でも公園でも、落ち着いて座りながら、ゆっくり今後について話し合いましょう! ね!」
理世が行き止まりにぶつかると、鈴川の手が伸ばされた。
「嫌!!」
恐怖が限界を迎え、理世は叫んだ。
その直後、視界が一瞬で古い写真のようなセピア色になり、周囲の雑音が消えた。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐだけで解決すると思ってんのか、グズ女」
──!!
頭の中で憑依霊の男の呆れたような声が響くと、理世の心臓の鼓動が速まった。
──だって……じゃあどうすればいいの?
「どうすればって? ……どいてろ」
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