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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱
05 異なる展開①
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「……あ……」
理世が顔を上げると、五メートル程前方に、いつの間にかあの老人が桜の木を背にして立っていた。服装は昨日と全く同じようだ──靴を履いていない点も含めて。
「どうしたね」
「あ、あの!」理世は本を差し出した。「これ、返品させていただきます!」
老人は意味ありげにニヤリと笑った。理世は、やはり本の呪いを知っていたのだと確信すると同時に、一筋縄ではいかなそうだと悟った。
「……わたしは、アヤネじゃありません。アヤネじゃないし、アヤネみたいな霊能力もないから、幽霊を浄化したり追い払ったり出来ません。本当に困ってます」
理世は一旦言葉を切り、老人の様子を窺った。先程と変わらず、意地の悪い小馬鹿にしたような笑みを浮かべているのを目にすると、だんだん腹が立ってきた。
「この本はいりません。お返しします。今すぐ呪いを解いてください!」
老人の半開きになった唇から、理世が耳にした事もないような奇妙な声が漏れた。
──笑い声……?
「『その本はあんたを必要としている』……何度も言わせるな。あんたにとって不要だろうが困っていようが関係ないんだよ」
「そんな──」
「黙れ」
理世はたじろいだ。老人の目はまるで別人のように吊り上がり、少ない髪は逆立っている。
「何の力も持たぬ矮小な人間如きが生意気に楯突くな」
「……そ、その言い方だと、あなたまるで人間じゃな──」
「開け」
きゃあきゃあとはしゃぐ子供たちの声や雑談する母親たちの笑い声、やかましいくらいに鳴り響く自転車のベルでさえも、理世の耳には届かなくなっていた。
「本を開け」
自分の意思とは関係なく、理世は老人に言われた通りにした。
「じゃあねー理世ちゃん」
「うん、また明日ね!」
一日の授業が終わり、同じ学科の友人と校舎の前で別れると、理世は正門とは逆方向へ歩き出した。
校舎と第一グラウンドの間を通り、研究棟を過ぎて左に曲がり、十数メートル進んで突き当たりを右へ。その先にあるのは野外ステージと、それを挟むように建つ、AからCまでのサークル棟だ。
──あれ、わたしこれから何しに行くんだっけ?
理世はサークルに入っていない。入学後に見学してみたが、特に興味を惹かれるものはなかったからだ。
──まあいっか。……うん、いいんだよね?
野外ステージ周辺では、近いうちに何かイベントでも行うのか、複数の学生たちが大小様々な道具や段ボール箱などを持ちながら、慌ただしく動き回っている。
──あれ、これってもしかして……。
学生たちをぼんやり見やっているうちに、理世は徐々に思い出してきた。
──そうだ、このシーンは……!
「邪魔しに来たんだ?」
耳元で声がして、理世は飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。
すぐ後ろには、色褪せたミントグリーンのワンピースを着た、ボサボサ髪の女が裸足で立っていた。『生者の苦痛、死者の憂鬱』第二章で、アヤネの通う大学で男子学生たちに嫌がらせをしていた生霊と、特徴が一致する。
「私の邪魔しに来たんだぁ?」
女は首を傾げ、ニタリと笑った。
「ち、違──」
「邪魔しに来たんだなぁあああ!?」
女は理世の首を両手で掴むと、力強く締め上げた。
理世は悲鳴を上げたが、周囲の学生たちは誰も反応せず、変わらず自分の仕事に集中している。女の手を引き剥がそうにも、ビクともしない。
「邪魔しに来たんだなぁああああああああ──」
精一杯の抵抗虚しく、理世の意識は遠のいていった──……
「お願いです」
はたと気付くと、理世は何処かの住宅街の歩道に立っていた。
──あ、あれ?
首に手をやる。痛みや苦しさはないが、まだ女の手の感触が残っている。
──死ぬかと思った……。
「あの、おねえさん?」
驚いて振り返ると、小学校五、六年生くらいの少年少女が二人ずつ。
「え……?」
「ミキナちゃんを助けてください」
四人の中で一番背の高い眼鏡を掛けた少女が、緊張した面持ちで言った。
「えと……助ける、って……?」
「だからぁ、コックリさんだって」
垂れ目の少年が怒ったように答えた。
「タヤマはこの間、二組の女子たちとコックリさんやって、それから変なんだ。取り憑かれちゃったんだよ、絶対!」
「コックリさん……」
理世は確信した。多少の違いはあれど、自分は今、あの不気味な老人の不思議な力によって、アヤネと同じ経験をさせられているのだ。
眼鏡の少女はエリナで、垂れ目の少年はマコト。二人の後ろにいるツインテールの少女はイロハで、右目の下に泣きぼくろのある少年がテツヒコだ。タヤマミキナも含め、彼らは『生者の苦痛、死者の憂鬱』第三章の主要登場人物たちだ。
「幽霊倒せるんでしょ? タヤマを助けて!」
「助けてください!」
「助けて!」
「お願いします!」
詰め寄る四人の懇願の眼差しに耐え切れず、理世は罪悪感を覚えながらもかぶりを振った。
「あのね、皆は何か勘違いしてるみたいだけど、わたしにそういう力はないの。助けてあげたい気持ちは山々だけど、どうする事も──」
四人の視線が、自分の後方へと移った事に気付いた理世は振り向いた。十数メートル離れた電柱の陰から、リュックを背負ったショートカットの少女が、無表情でこちらを覗いている。
「あの子がミキナだよ」イロハのか細い声から、ジワジワと不安が伝わってくる。「最近本当に変なの」
──だ、だからそんな事言われても……!
どうする事も出来ない。そもそもこれは現実ではない。このままでは、次はコックリさんのフリをしている低級霊に苦しめられてしまう。
──何とか元に戻る方法を考えなきゃ。
これが夢ならば、強制的に目を覚ます方法を知っている──もっとも、先日初めて失敗したので自信はなくなってしまったが。しかしそもそも、今の状況は夢とはまた別物のような気がした。
──!
ミキナが電柱の陰からのっそりと出て来ると、理世は反射的に一歩後ずさった。チラリと後ろを振り向くと、いつの間にか四人は消えていた。
「ちょっ、嘘……」
ミキナは猫背で突っ立ったまま、無表情だが妙に鋭い目付きで、睨むように理世を見据えている。
──何で? 展開が全然違う!
本来の物語では、四人はその場に残っていた。アヤネは特に何をしたわけでもなく、ミキナは一人走り去って行った。後日アヤネは偶然再会したエリナから、不登校になったというミキナの自宅の住所を知らされ、とある市営住宅へと一人で赴く。
「ミキナ、ちゃん?」理世は恐る恐る声を掛けた。「大丈夫……?」
ミキナは答えず、こちらに向かってゆっくり歩き出した。
「……ミキナちゃん?」
ミキナが口を開き、とても女子小学生とは思えない異様な声色で、異様な言葉を発した。それは明らかに人間の言語ではなく、憎悪と怒気に満ちていた。
──あ、ヤバいやつだ。
ミキナがもう一度言葉を発すると、理世は踵を返して駆け出した。
──何かわたし、最近逃げてばっかりじゃない……?
何処からか聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声や、車の走る音を頼りにしながら道なりに進んでいくと、やがて市営住宅が建ち並ぶ一角に辿り着いた。五階建てで、AからGまで七棟ある。全体的に不穏な空気が漂っているように感じられるのは、曇り空のせいだろうか。
──このアパート……ひょっとしてミキナちゃんの……。
「理世ちゃん」
ふいに名前を呼ばれた。理世から一番近いD棟の一番右端の階段前に、見知らぬ女性が一人。
「こっちよ、理世ちゃん」
戸惑いながらも、理世は近付いた。女性は四〇代くらいで、痩せていて血色が悪く、何故か喪服の着物姿だ。
──この人は……誰?
「待ってたわよ、理世ちゃん。ほら、うちはここの四階だから」
女性は、不自然なまでににこやかな表情と猫撫で声だ。
「あ、あの──」
「うちの子ってば、理世ちゃんが来るのをずーっと楽しみにしていたのよ」
理世は、女性の顔立ちがミキナに似ている事に気付いたが、直後に左手を掴まれてしまった。
「離して!」
振り解こうにも引き剥がそうにも、血色不良の手はビクともしない。
「離して! 誰か! 誰かぁ!!」
「黙れ」喪服の女が発したのは、あの老人の声だった。「お前に逃げ場などないぞ、雑賀理世」
理世は引っ張られるようにして、喪服の女とアパートの階段を上っていった。
──おかしいよ……どんどん展開が変わっていってる!
喪服の女は406号室の前で止まると、乱暴にドアを開けた。押し込まれるようにして中に入った理世の鼻を突いたのは、強いカビの臭いだった。
「ね、ねえ、あなたは一体何が目的なの!?」
喪服の女は答えず、理世を一番手前の部屋の中に突き飛ばすと、ピシャリと襖を閉めてしまった。
「ううっ……」
畳の上に転んだ理世がゆっくり上体を起こし、打ち付けた体の痛みに顔をしかめていると、背後から視線を感じた。
嫌な予感がしながらも、理世はゆっくり振り向いた。
押入れの襖が三分の一程開いていた。上段には積み重なった布団と毛布が見える。そして下段には、ミキナの無表情。
理世が悲鳴を上げるよりも先に、ミキナはあの憎悪と怒気に満ちた声を発し、押入れから這い出て来た。その右手には、出刃包丁が握られている。
慌てて立ち上がろうとした理世は、足をもつれさせて尻餅を突いた。
「こ、こんなの知らないよ!」理世はパニックを起こし、甲高い声で泣き言を言った。「何で!? こんな展開なかったのに!! どうしてなの!?」
ミキナは出刃包丁を振り上げた──……
理世が顔を上げると、五メートル程前方に、いつの間にかあの老人が桜の木を背にして立っていた。服装は昨日と全く同じようだ──靴を履いていない点も含めて。
「どうしたね」
「あ、あの!」理世は本を差し出した。「これ、返品させていただきます!」
老人は意味ありげにニヤリと笑った。理世は、やはり本の呪いを知っていたのだと確信すると同時に、一筋縄ではいかなそうだと悟った。
「……わたしは、アヤネじゃありません。アヤネじゃないし、アヤネみたいな霊能力もないから、幽霊を浄化したり追い払ったり出来ません。本当に困ってます」
理世は一旦言葉を切り、老人の様子を窺った。先程と変わらず、意地の悪い小馬鹿にしたような笑みを浮かべているのを目にすると、だんだん腹が立ってきた。
「この本はいりません。お返しします。今すぐ呪いを解いてください!」
老人の半開きになった唇から、理世が耳にした事もないような奇妙な声が漏れた。
──笑い声……?
「『その本はあんたを必要としている』……何度も言わせるな。あんたにとって不要だろうが困っていようが関係ないんだよ」
「そんな──」
「黙れ」
理世はたじろいだ。老人の目はまるで別人のように吊り上がり、少ない髪は逆立っている。
「何の力も持たぬ矮小な人間如きが生意気に楯突くな」
「……そ、その言い方だと、あなたまるで人間じゃな──」
「開け」
きゃあきゃあとはしゃぐ子供たちの声や雑談する母親たちの笑い声、やかましいくらいに鳴り響く自転車のベルでさえも、理世の耳には届かなくなっていた。
「本を開け」
自分の意思とは関係なく、理世は老人に言われた通りにした。
「じゃあねー理世ちゃん」
「うん、また明日ね!」
一日の授業が終わり、同じ学科の友人と校舎の前で別れると、理世は正門とは逆方向へ歩き出した。
校舎と第一グラウンドの間を通り、研究棟を過ぎて左に曲がり、十数メートル進んで突き当たりを右へ。その先にあるのは野外ステージと、それを挟むように建つ、AからCまでのサークル棟だ。
──あれ、わたしこれから何しに行くんだっけ?
理世はサークルに入っていない。入学後に見学してみたが、特に興味を惹かれるものはなかったからだ。
──まあいっか。……うん、いいんだよね?
野外ステージ周辺では、近いうちに何かイベントでも行うのか、複数の学生たちが大小様々な道具や段ボール箱などを持ちながら、慌ただしく動き回っている。
──あれ、これってもしかして……。
学生たちをぼんやり見やっているうちに、理世は徐々に思い出してきた。
──そうだ、このシーンは……!
「邪魔しに来たんだ?」
耳元で声がして、理世は飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。
すぐ後ろには、色褪せたミントグリーンのワンピースを着た、ボサボサ髪の女が裸足で立っていた。『生者の苦痛、死者の憂鬱』第二章で、アヤネの通う大学で男子学生たちに嫌がらせをしていた生霊と、特徴が一致する。
「私の邪魔しに来たんだぁ?」
女は首を傾げ、ニタリと笑った。
「ち、違──」
「邪魔しに来たんだなぁあああ!?」
女は理世の首を両手で掴むと、力強く締め上げた。
理世は悲鳴を上げたが、周囲の学生たちは誰も反応せず、変わらず自分の仕事に集中している。女の手を引き剥がそうにも、ビクともしない。
「邪魔しに来たんだなぁああああああああ──」
精一杯の抵抗虚しく、理世の意識は遠のいていった──……
「お願いです」
はたと気付くと、理世は何処かの住宅街の歩道に立っていた。
──あ、あれ?
首に手をやる。痛みや苦しさはないが、まだ女の手の感触が残っている。
──死ぬかと思った……。
「あの、おねえさん?」
驚いて振り返ると、小学校五、六年生くらいの少年少女が二人ずつ。
「え……?」
「ミキナちゃんを助けてください」
四人の中で一番背の高い眼鏡を掛けた少女が、緊張した面持ちで言った。
「えと……助ける、って……?」
「だからぁ、コックリさんだって」
垂れ目の少年が怒ったように答えた。
「タヤマはこの間、二組の女子たちとコックリさんやって、それから変なんだ。取り憑かれちゃったんだよ、絶対!」
「コックリさん……」
理世は確信した。多少の違いはあれど、自分は今、あの不気味な老人の不思議な力によって、アヤネと同じ経験をさせられているのだ。
眼鏡の少女はエリナで、垂れ目の少年はマコト。二人の後ろにいるツインテールの少女はイロハで、右目の下に泣きぼくろのある少年がテツヒコだ。タヤマミキナも含め、彼らは『生者の苦痛、死者の憂鬱』第三章の主要登場人物たちだ。
「幽霊倒せるんでしょ? タヤマを助けて!」
「助けてください!」
「助けて!」
「お願いします!」
詰め寄る四人の懇願の眼差しに耐え切れず、理世は罪悪感を覚えながらもかぶりを振った。
「あのね、皆は何か勘違いしてるみたいだけど、わたしにそういう力はないの。助けてあげたい気持ちは山々だけど、どうする事も──」
四人の視線が、自分の後方へと移った事に気付いた理世は振り向いた。十数メートル離れた電柱の陰から、リュックを背負ったショートカットの少女が、無表情でこちらを覗いている。
「あの子がミキナだよ」イロハのか細い声から、ジワジワと不安が伝わってくる。「最近本当に変なの」
──だ、だからそんな事言われても……!
どうする事も出来ない。そもそもこれは現実ではない。このままでは、次はコックリさんのフリをしている低級霊に苦しめられてしまう。
──何とか元に戻る方法を考えなきゃ。
これが夢ならば、強制的に目を覚ます方法を知っている──もっとも、先日初めて失敗したので自信はなくなってしまったが。しかしそもそも、今の状況は夢とはまた別物のような気がした。
──!
ミキナが電柱の陰からのっそりと出て来ると、理世は反射的に一歩後ずさった。チラリと後ろを振り向くと、いつの間にか四人は消えていた。
「ちょっ、嘘……」
ミキナは猫背で突っ立ったまま、無表情だが妙に鋭い目付きで、睨むように理世を見据えている。
──何で? 展開が全然違う!
本来の物語では、四人はその場に残っていた。アヤネは特に何をしたわけでもなく、ミキナは一人走り去って行った。後日アヤネは偶然再会したエリナから、不登校になったというミキナの自宅の住所を知らされ、とある市営住宅へと一人で赴く。
「ミキナ、ちゃん?」理世は恐る恐る声を掛けた。「大丈夫……?」
ミキナは答えず、こちらに向かってゆっくり歩き出した。
「……ミキナちゃん?」
ミキナが口を開き、とても女子小学生とは思えない異様な声色で、異様な言葉を発した。それは明らかに人間の言語ではなく、憎悪と怒気に満ちていた。
──あ、ヤバいやつだ。
ミキナがもう一度言葉を発すると、理世は踵を返して駆け出した。
──何かわたし、最近逃げてばっかりじゃない……?
何処からか聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声や、車の走る音を頼りにしながら道なりに進んでいくと、やがて市営住宅が建ち並ぶ一角に辿り着いた。五階建てで、AからGまで七棟ある。全体的に不穏な空気が漂っているように感じられるのは、曇り空のせいだろうか。
──このアパート……ひょっとしてミキナちゃんの……。
「理世ちゃん」
ふいに名前を呼ばれた。理世から一番近いD棟の一番右端の階段前に、見知らぬ女性が一人。
「こっちよ、理世ちゃん」
戸惑いながらも、理世は近付いた。女性は四〇代くらいで、痩せていて血色が悪く、何故か喪服の着物姿だ。
──この人は……誰?
「待ってたわよ、理世ちゃん。ほら、うちはここの四階だから」
女性は、不自然なまでににこやかな表情と猫撫で声だ。
「あ、あの──」
「うちの子ってば、理世ちゃんが来るのをずーっと楽しみにしていたのよ」
理世は、女性の顔立ちがミキナに似ている事に気付いたが、直後に左手を掴まれてしまった。
「離して!」
振り解こうにも引き剥がそうにも、血色不良の手はビクともしない。
「離して! 誰か! 誰かぁ!!」
「黙れ」喪服の女が発したのは、あの老人の声だった。「お前に逃げ場などないぞ、雑賀理世」
理世は引っ張られるようにして、喪服の女とアパートの階段を上っていった。
──おかしいよ……どんどん展開が変わっていってる!
喪服の女は406号室の前で止まると、乱暴にドアを開けた。押し込まれるようにして中に入った理世の鼻を突いたのは、強いカビの臭いだった。
「ね、ねえ、あなたは一体何が目的なの!?」
喪服の女は答えず、理世を一番手前の部屋の中に突き飛ばすと、ピシャリと襖を閉めてしまった。
「ううっ……」
畳の上に転んだ理世がゆっくり上体を起こし、打ち付けた体の痛みに顔をしかめていると、背後から視線を感じた。
嫌な予感がしながらも、理世はゆっくり振り向いた。
押入れの襖が三分の一程開いていた。上段には積み重なった布団と毛布が見える。そして下段には、ミキナの無表情。
理世が悲鳴を上げるよりも先に、ミキナはあの憎悪と怒気に満ちた声を発し、押入れから這い出て来た。その右手には、出刃包丁が握られている。
慌てて立ち上がろうとした理世は、足をもつれさせて尻餅を突いた。
「こ、こんなの知らないよ!」理世はパニックを起こし、甲高い声で泣き言を言った。「何で!? こんな展開なかったのに!! どうしてなの!?」
ミキナは出刃包丁を振り上げた──……
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