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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱

04 呪い

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 悲鳴を上げる事もなければその場で気絶する事もなく──正確には出来ず──理世は宙に浮かぶ男の生首に見入っていた。

「アヤネ」

 生首は不気味な笑みを浮かべたまま、同じ名前を呼び続ける。

「アヤネ。アヤネ。ア、ヤ、ネ」

「あ……あのっ」理世は吐き気を堪えながら小さな声で言った。「わたし、アヤネさんじゃないです」

 生首から表情が消えた。

「人違いです。ですから……やめてください」

 生首の顔が醜く歪み、半開きの口から犬のような唸り声を発した。

 ──そ、そんな怒られたって……!

 強張る体を何とか動かして数歩後ずさり、横断歩道へと振り向いた理世の目の前を、大型トラックや軽自動車が走り去ってゆく。

 ──さっき渡っておけば良かった!

 生首が徐々に唸り声を大きくしながら近付いてくる。
 
「えーと、えーと……っ、無理!!」

 理世は北方向へ全力で駆け出した。先に進むにつれて上り坂になるが、途中で左に曲がって更に上ると介護施設があり、その脇道の階段を下りてゆけば自宅近くの歩道へと出る。かなり遠回りだが、信号が青に変わる前に生首に襲撃されるよりはずっとマシだ。

 ──どうしよう……本当に小説と似たような事が起こっちゃった!

 深町亜矢音の場合、生首に付き纏われても無視し続け、コンビニで買い物を終えると近くの人気ひとけのない場所に上手く誘導し、浄霊していた。理世にはそんな能力はないし、この周辺に神社や寺などもない。
 途中で振り返ると、生首は横断歩道の前に浮いたまま、他の通行人たちの顔を覗き込んでいた。

 ──とりあえず助かった……?

 左に曲がり、数歩進んだところで理世は一旦立ち止まった。乱れた呼吸を整えたながら『生者の苦痛、死者の憂鬱』の内容を思い返す。

 ──あの本の内容と似た現象が起こるようになっているのなら……。

 第二章は、生首との遭遇の数日後。アヤネは大学構内で、ワンピース姿の女の生霊が男子学生たちに嫌がらせをしている事に気付いた。
 大事故が起こる前に食い止めるべく戦い、約一週間後に何とか浄霊したが、途中で亜矢音自身も危うく大怪我を追わされそうになった。

 ──嫌だ。

 第三章では、ひょんな事から見知らぬ小学生たちに懐かれ、コックリさんに取り憑かれた彼らの同級生を救ってほしいと懇願された。
 一度は突き放そうとしたものの結局見捨てられず、自分が取り憑かれかけるなど悪戦苦闘の末、コックリさんのフリをしていた低級霊を追い払った。

 ──これも嫌だ。

 最後の第四章では、旅行先でうっかり最凶心霊スポットに足を踏み入れてしまう。
 動画の撮影及びネット投稿目当てでやって来た高校生グループや、アヤネと同じく霊能力持ちの青年・冬四郎とうしろうらと協力しつつ脱出を試みるが、一人また一人と姿を消してゆき、ついにアヤネは独りぼっちになり、亡霊たちに追い詰められる。
 幸いにも全員脱出出来たが、高校生の一人はショックで気が狂ってしまった。そしていい雰囲気になったトウシロウとは最終的には破局して、物語は完結した。

 ──ぜ、全部嫌だ!! 

 しかし、このままでは数日後に大学構内で女の生霊の存在と彼女の悪事に嫌でも気付き、理世の性格的に、放っておくわけにはいかなくなるだろう。そして無事に解決しても、後日新しい恐怖が待ち受けているのだ。
 理世はショルダーバッグからスマホを取り出し、メモアプリを開いた。自分に取り憑く正体不明の男の霊が、偽イワザワさんの時のようにアドバイスをくれるのではないかと期待して。

「ねえ憑依霊さん……どうすればいいかな?」

 その場でしばらく待ってみたが、何の変化も起こらなかった。疲れてはいるが息は整ったので、諦めて歩き出す。

 ──あの本をどうにかしよう。

『生者の苦痛、死者の憂鬱』には、恐らく呪いがかかっているのだろう。あるいは、本が呪いそのものか。手元になければ、物語と似た経験をせずに済むのではないだろうか。

 ──破り捨てるか、燃やしちゃう?

 この世から存在を消してしまうのが一番だという気がした。しかし、もしも間違った方法だったら取り返しがつかなくなる。

 ──あのおじいさんは?

 本を半ば無理矢理押し付けてきた出店者の老人。彼は呪いの事を知っていたのだろう。再会出来れば問い質したうえで返品したいところだが、フリーマーケットの開催は昨日のみだ。

 ──でも、近所に住んでてよく散歩に来るかもしれないし……望みはゼロじゃないよね?

 もう少しで坂が終わるというところで、何気なく来た道を振り返った理世は、思わず小さな悲鳴を上げた。あの生首が、ゆっくりではあるがこちらに向かって来ていた。生首は理世と目が合うと不気味な笑みを浮かべ、口を動かした──〝ア、ヤ、ネ〟。

「だから違うってば!」

 疲れも忘れ、理世は再び全力で駆け出していた。
 


 ── 会える可能性は低いけど……何も行動しないよりマシだよね、うん。

 生首から逃げ帰った理世は、休む間もなく『生者の苦痛、死者の憂鬱』を持って再び自宅を出ると、幸いにも再遭遇する事なく春田交通公園までやって来た。昨日のイベント程ではないが、自転車を走らせる小学生たちや、散歩している親子連れが多い。
 園内を奥へと進みながら、あの老人がいた桜の木々の方を目で探す。四、五歳くらいの男児が一人で飛び跳ねて遊んでいたが、ベビーカーを押した母親に呼ばれると走り去って行った。

 ──やっぱりいない、か……。

 理世はブルーシートが敷かれていた辺りまで来ると足を止め、手にしている本に目を落とした。一瞬、この場に捨てていこうかという考えが頭をよぎったが、自分の代わりに別の人間が呪いを受けてしまうのは避けたかった。

 ──どうしよう。

 このまま何も出来ずに帰り、途中であの生首に遭遇したら? 今日は何とかなっても、明日は? 明後日、明々後日、更にその先は?

「あーもう本当にどうしよう!?」

 思わず口から泣き言が漏れると、涙まで溢れ出しそうになった。憑依霊からの手助けはない。親友や両親を巻き込むわけにもいかない。

 ──わたし……一人じゃ何も出来ないんだ……。

「おや、昨日の嬢ちゃんじゃないか」

 自己嫌悪に駆られて肩を落としていた理世を我に返らせたのは、あの老人の声だった。

 
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