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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱
02 奥付
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「さようなら、もう二度と会う事はないでしょうね」
亜矢音は一度も振り返る事なくその場を立ち去った。
─完─
フリーマーケットの翌日。
理世は、出店者の老人に半ば無理矢理押し付けられた小説『生者の苦痛、死者の憂鬱』を、数時間掛けて読み終えた。
──まあ、そこそこ面白かったかな。
生まれ付き強力な霊能力を持つ大学生の主人公・深町亜矢音。艶のある黒髪を長く伸ばしている長身の美人だが、過去の出来事が原因で冷めた性格をしており、他人を寄せ付けない雰囲気のためいつも独りだった。そんな彼女が、様々な幽霊絡みの事件に巻き込まれたり、時に自ら足を突っ込んだりしながら少しずつ人間的に成長してゆく物語が、約三六〇ページに渡り描かれていた。
──けど……この本、ちょっと変だな。
理世は本の一番最後のページに改めて目をやった。本来ここには、タイトルや著者名、出版社、発行年月日などのあらゆる情報が記載されている、奥付があるはずだ。ところがこの本の場合は真っ白で一切何も書かれておらず、他のページや見返しを探しても見付からないのだ。
──奥付がない本なんて、普通ある?
せめて著者名だけでも知りたいと思い、スマホでタイトルを検索するも、全くヒットしなかった。
理世は本を置くと襖を半分開け、リビングを覗いた。
「お父さん、ちょっといい?」
「ん、何」
ソファに腰掛け、釣り雑誌を読んでいた父親が顔を上げた。
「自費出版の本って、ページの最後に奥付がなかったりする?」
「え? 何でまたそんな」
「いや、ちょっと気になって……」
「自費出版だろうと、販売されるものなら必ずあるはずだぞ」
「そっか……ありがと」
理世は勉強机まで戻り、再び本を手に取った。父親の話に間違いがなければ、この作品は販売するつもりで発行されたのではないのかもしれない。ソフトカバーが欠品していなければ、著者名くらいはわかっただろう。
──もしかして、売っていたあのおじいさんが自分で書いたのかな。
「理世ー、今時間あるー?」
リビングから母親が声を掛けてきた。
「ないわけじゃないけど、何?」
「悪いんだけど、〈ムーンドラッグ〉で食器用洗剤の詰め替え買って来てちょうだい」
「……急いでる?」
「夜までに。今日洗う分ギリギリよ」
「この間買わなかったっけ」
「お母さんもそう思ったんだけど、いくら探してもないのよ。そういうわけだから頼んでいい?」
この「頼んでいい?」を正しく訳すると「絶対に行きなさい、さもなくばガミガミ怒るわよ」となる事を、理世は充分理解していた。
「わかった、今行ってくるよ」
「悪いわね、頼んだわよ」
「うーっす……」
──そういえば、似たようなシーンがあったな。
『生者の苦痛、死者の憂鬱』の序盤、亜矢音は育ての母親に買い物を頼まれ近所のコンビニに向かう途中で、宙に浮く生首姿の男の霊に遭遇してしまった。
──そこは被りませんように……なんてね。
自宅から最寄り駅方面に徒歩約三分、全国チェーンドラッグストア〈ムーンドラッグ〉。
──あー、混んでる。
買い物カゴを商品でいっぱいにした客たちが、四台あるレジの全てに列を作っているのが店の外から見え、理世はげんなりした。
──一個買うだけなのになあ……。
自動ドアから店内に入ろうとした時、ショルダーバッグの中でスマホが震えて着信を告げた。ディスプレイに表示されたのは母親の名前だった。
「あ、理世? ごめん、洗剤あった! もう買っちゃった?」
「やっぱり! まだお店の前だよ。でもせっかくだし、買っとこっか?」
「うーん、お徳用特大サイズだから、当分平気かも……」
「ちょっ、何でそのサイズが見付からなかったの?」
「いやー、ほんとにね。ごめんごめん」
後ろから客が来たので、理世は一旦自動ドアから離れた。
「他に頼むものはないから、帰って来ていいわよ」
「あー、このまますぐ帰るのも何かつまんないから、駅前のコンビニでスイーツ買ってくよ」
「あら本当? お母さん和菓子系がいいなー。お父さーん、理世がスイーツ買って来てくれるって! 何がいい? ……焼きプリンだって!」
「誰も奢るなんて言ってないのに」
「昨日のお昼ご飯、美味しかったわよねえ?」
「へーい、行ってきまーす」
電話を切ると、理世は気を取り直して新たな目的地へと向かった。
亜矢音は一度も振り返る事なくその場を立ち去った。
─完─
フリーマーケットの翌日。
理世は、出店者の老人に半ば無理矢理押し付けられた小説『生者の苦痛、死者の憂鬱』を、数時間掛けて読み終えた。
──まあ、そこそこ面白かったかな。
生まれ付き強力な霊能力を持つ大学生の主人公・深町亜矢音。艶のある黒髪を長く伸ばしている長身の美人だが、過去の出来事が原因で冷めた性格をしており、他人を寄せ付けない雰囲気のためいつも独りだった。そんな彼女が、様々な幽霊絡みの事件に巻き込まれたり、時に自ら足を突っ込んだりしながら少しずつ人間的に成長してゆく物語が、約三六〇ページに渡り描かれていた。
──けど……この本、ちょっと変だな。
理世は本の一番最後のページに改めて目をやった。本来ここには、タイトルや著者名、出版社、発行年月日などのあらゆる情報が記載されている、奥付があるはずだ。ところがこの本の場合は真っ白で一切何も書かれておらず、他のページや見返しを探しても見付からないのだ。
──奥付がない本なんて、普通ある?
せめて著者名だけでも知りたいと思い、スマホでタイトルを検索するも、全くヒットしなかった。
理世は本を置くと襖を半分開け、リビングを覗いた。
「お父さん、ちょっといい?」
「ん、何」
ソファに腰掛け、釣り雑誌を読んでいた父親が顔を上げた。
「自費出版の本って、ページの最後に奥付がなかったりする?」
「え? 何でまたそんな」
「いや、ちょっと気になって……」
「自費出版だろうと、販売されるものなら必ずあるはずだぞ」
「そっか……ありがと」
理世は勉強机まで戻り、再び本を手に取った。父親の話に間違いがなければ、この作品は販売するつもりで発行されたのではないのかもしれない。ソフトカバーが欠品していなければ、著者名くらいはわかっただろう。
──もしかして、売っていたあのおじいさんが自分で書いたのかな。
「理世ー、今時間あるー?」
リビングから母親が声を掛けてきた。
「ないわけじゃないけど、何?」
「悪いんだけど、〈ムーンドラッグ〉で食器用洗剤の詰め替え買って来てちょうだい」
「……急いでる?」
「夜までに。今日洗う分ギリギリよ」
「この間買わなかったっけ」
「お母さんもそう思ったんだけど、いくら探してもないのよ。そういうわけだから頼んでいい?」
この「頼んでいい?」を正しく訳すると「絶対に行きなさい、さもなくばガミガミ怒るわよ」となる事を、理世は充分理解していた。
「わかった、今行ってくるよ」
「悪いわね、頼んだわよ」
「うーっす……」
──そういえば、似たようなシーンがあったな。
『生者の苦痛、死者の憂鬱』の序盤、亜矢音は育ての母親に買い物を頼まれ近所のコンビニに向かう途中で、宙に浮く生首姿の男の霊に遭遇してしまった。
──そこは被りませんように……なんてね。
自宅から最寄り駅方面に徒歩約三分、全国チェーンドラッグストア〈ムーンドラッグ〉。
──あー、混んでる。
買い物カゴを商品でいっぱいにした客たちが、四台あるレジの全てに列を作っているのが店の外から見え、理世はげんなりした。
──一個買うだけなのになあ……。
自動ドアから店内に入ろうとした時、ショルダーバッグの中でスマホが震えて着信を告げた。ディスプレイに表示されたのは母親の名前だった。
「あ、理世? ごめん、洗剤あった! もう買っちゃった?」
「やっぱり! まだお店の前だよ。でもせっかくだし、買っとこっか?」
「うーん、お徳用特大サイズだから、当分平気かも……」
「ちょっ、何でそのサイズが見付からなかったの?」
「いやー、ほんとにね。ごめんごめん」
後ろから客が来たので、理世は一旦自動ドアから離れた。
「他に頼むものはないから、帰って来ていいわよ」
「あー、このまますぐ帰るのも何かつまんないから、駅前のコンビニでスイーツ買ってくよ」
「あら本当? お母さん和菓子系がいいなー。お父さーん、理世がスイーツ買って来てくれるって! 何がいい? ……焼きプリンだって!」
「誰も奢るなんて言ってないのに」
「昨日のお昼ご飯、美味しかったわよねえ?」
「へーい、行ってきまーす」
電話を切ると、理世は気を取り直して新たな目的地へと向かった。
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