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第17章 恋愛不毛症候群

No,207 猫に罪は無いけれど

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【これは30代前半のお話】

 それまで年上の人にご馳走されたりプレゼントされたりって事に無縁だった僕は、その対価として求められる自分への負荷に恐れおののいていた。

(タダより高い物は無いって言うけど、ああ確かに……お金を使わせるってこんなにも義務感を背負わされるものなんだ……)
──到底、結婚詐欺などには向かない性格だ。

(もっと図々しくなれたら楽なのに)
 自分の弱点を改めて自覚した。

「じゃ、出ようか」
「あ……はい……」

 ゆっくり時間を掛けたディナーを終えてホテルを出ると、既に外は暗くなっていた。

「僕の部屋に来てくれるね?」
「…………はい」
──断る事は出来なかった。


※──────────※


 ホテルの前でタクシーに乗って、早瀬さんの部屋までいくらも掛からなかった。

「ここだよ」
 ドアを開け、彼が一足先に入った途端の奇声だった。

「ただいま~♪パパですよ~っ♡淋しくなかったですか~♡」

(………………ええっ?!)

 玄関先にいたのは一匹の真白い猫だった。良く分からないけど長毛な洋種──。
 早瀬さんはそれを抱き上げると早口で言った。

「早く入ってドアを閉めて!
○○君が外に出ちゃったら大変だから!」

(え、○○君……?)

 僕は呆気に取られた。
 
 動物は好きだ。猫がいても構わない。百歩譲って赤ちゃん扱いするのもぎりで受容しよう。
 が、しかし、その名の○○君とは、当時一番人気のアイドルで、まだ10代の男の子の愛称だった。


(早瀬さん、親子ほど年が離れてるよね……)
 ひと回りどころか、ふた回り以上だ。


 ママから「若専」だとは聞いていたけど、「ショタ」とまでは聞いていない。
「百年の恋も覚める」と言う表現がある。
 僕は決して早瀬さんに恋していた訳ではないけれど「百年の気遣いも消え失せる」と言う表現ならぴったりだ。

 僕は高級ディナー1食分の対価は支払う覚悟で部屋まで同行した。
 だけど早瀬さんの愛猫に対する赤ちゃん言葉と、何よりその人気アイドルを意識しただろう名付けにはドン引きしてしまった。

 僕は事あるごとにジュンの事を思い出す。
 当時高校生だったジュンと関係を持っていた大勢の大人たち──そんな事が始まったのは中学生の頃からだったらしいけど、そんな大人にはなりたくないと、当時の僕は考えていたっけ。

 そしてまた僕は思ってしまう。
(この人なら、相手が中学生なら喜んで現金まで渡しちゃうのかな……)
 ブルルと、身の毛がよだった。

 知ってか知らずか、早瀬さんは愛猫○○君の自慢話に余念がない。いっそこのまま○○君の自慢話だけで朝を迎えれば幸いと思ったけれど、やっぱりそうは行かなかった。

 やるべき事はやらなければならない運びとなった。
 正直、僕のセンサーは反応が薄かったけれど、なにぶん高い食事を奢られた負い目から、彼を拒む事が出来なかった。

 僕は思いっ切り「でくのぼう」を演じた。これを業界では「マグロ」とも言う。
 要するに「いっそ嫌われて振られるのが一番楽だ!作戦」を発動したのだ。

 事済ませ、僕は帰り支度を始めた。
「あれ?明日は休みだろ?」
 って早瀬さん。僕は待ってましたと言い放った。

「あ、確かに会社は休みですが担当している案件の締切が迫っているんです。部下への手前も有りますから明日は休日出勤で追い込みですよ。もう、ある程度の責任を持たされる年齢ですから」

「え?理久君、いくつなの?」

「はい、40になります」
──嘘だ。逆サバを読んだ。

「ええっ?!話が違うな!」

「あれ?僕、嘘の年齢なんて言ってませんよ?年齢なんて、早瀬さんには初めて聞かれた気がするけど……」

「どうりで……ニュースや流行の話が妙に通じるなぁと思ったら……まさかの同年代か……」

「僕の年齢、どうして勘違いしていましたか?」

「……ああそうか、あの店のママか……それにしてもその見た目、化けもの?」

(化けものか何か知らんけど、多少若く見られるのは僕のせいじゃない)

 僕は呆然とする早瀬さんに大変丁寧な挨拶をして、そして静かに立ち去った。
 早瀬さんから引き留めの言葉は無かった。

 最寄りの駅に向かい歩く途中、ひと気のない路地の自販機で炭酸飲料を買った。
──思い切りうがいをして、道端に吐き捨てた。

 どんな関係にも
「相性は大切」と言う話だ。

 早瀬さんから二度目のデートの誘いは無かった──。


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