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第1章 少年理久・幼少の記憶

No,3 世の理不尽を知った②

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 後に成長した僕は「誘導尋問」に留まらず「冤罪」やら「自白の強要」などの言葉を知る事になるが、その度に思い出すのが、この幼稚園で受けた不適切な取り調べだ。

 本当に恐怖だった。こうして「罪人」は作り上げられる事もあるのだ。
 この経験がトラウマになったせいか、その後僕は重大事件の犯人が捕まった報道を見聞きする度、本当にこの人がやったのかな?と、一旦は疑ってしまう。

「〇〇ちゃんが嘘をついている可能性もありますよね?」とか
「誰か、僕が押しているところを見た人がいるんですか?」
──なんて、そんな生意気な事の言える子供ではなかった。
 ただただ恐怖で泣くしかなかった。

(お母さん、助けて!)

 僕はただひたすら、母の到着だけを待ち望んでいたのに──。


※──────────※


 程なく呼び出された母が駆け付けて来た。僕は母の顔を見て、安堵の思いで号泣した。

(やっと味方が来てくれた。これでもう安心!)
 と思ったのは間違いだった。
 母は僕の言う事など何も聞かず、いきなり僕を叱りつけた。そして先生に対し、最敬礼で僕の不始末を詫びている。


(え、お母さん……?)


 先生も鼻高々で母に言いたい事を言っているし、その大人達のやり取りの中で、僕に意見を求めてくれる人は誰もいなかった。
 耐えきれず、僕は母の袖を引っ張った。

「僕は押していないんだ」

 母は怒鳴った。
「嘘を言うんじゃないの!先生が、理久りくが押したって言ってるじゃないの!先生が間違ったことを言う筈がないでしょう!」
 母の動揺とは裏腹に、先生が余裕のしたり顔でたしなめに入った。
理久りく君、さっきこのくらいの力で押したって、先生の背中を押したじゃないの?あれは嘘だったの?」

 こうなるともう、幼い僕は泣くしかなかった。

 先生の「僕が女の子を押した」との決め付けから発展させた論理。
 そして母の「先生が間違った事を言う筈がない!」と言う、これもまた決め付け。
──僕の言う事なんて誰も信じてくれない。しかも母まで!


※──────────※


 幼稚園を出て即行、怪我した女の子の家へ連れて行かれた。
 玄関先に女の子の母親だけが迷惑そうに出て来たが、女の子は顔を見せなかった。
 母はそこでも最敬礼で謝罪している。僕も一緒に謝るしかなかった。

 ちなみにその後、その女の子は幼稚園で僕を見掛けるとササッと逃げてしまう。
 正直僕も謝る気はなくて、むしろ「あれは間違いだった」と言って欲しかったのだけれど、それもあの大騒ぎの後では困難だったのだろうな、と今なら思える。

 何が悔しかったって?
 もちろん何も話を聞いてくれず、僕より先生の方を信じる母に対して憤りを感じた。
 この出来事は何か事あるごとに思い出す。僕が母親に対して一線を引いた、トラウマとも言うべき大きな出来事なのだ。

 実はこの「滑り台事件」以外に、僕には幼稚園時代の思い出が全く無い。
 数々の行事も有った筈だし、一緒に遊んだ友達もいた筈だ。なのに結局、僕はなんにも覚えていない。
 おそらくこの一件の衝撃が強すぎて、他の記憶が飛んだのだ。これはやはり、この一件での傷心がかなり重症だった証しと思う。


 帰宅後。
 事の顛末を聞いた波奈はなが母に言った。

「お母さん、その話し変だと思わなかった?
理久りくが、女の子の背中を押したりするはずないじゃない!」


波奈はな!!)


 あきらめて、押さえていた感情がぐぐっと沸き起こり、僕は再び涙を流した。

波奈はな!ありがとう!分かってくれるのは波奈だけだ!)

 この事件は、実は母に幻滅しただけでなく、波奈はなへの心酔を決定付けたエピソードでもある。

(ありがとう、波奈はな。僕はずっと波奈について行くよ)


 波奈はヒーロー!


──あの時の気持ち、今思い出しても目が潤む。



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