雪のソナチネ

歴野理久♂

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No,9 追憶---冬の日の別離

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「えっ、そんな!嘘だろ……?
嘘だろ母さん!!」
 僕は耳を疑った。
「そんか馬鹿な、陽ちゃんが事故に遭うなんて!そんな………」
 それは、中学に上がって最初の冬休みの事だった。札幌はその日も雪に包まれていた。

「陽ちゃん、おばあちゃんに会いに行くんだって、あんなに楽しみにしていたのに……」
 冬休みに入って間もなく、隣の一家は福岡に旅行していた。

『福岡には父さんの実家があるんだ。おばあちゃんに会うのは5年振りだよ♪』
 嬉しそうに、そう語った陽ちゃんの顔が目に浮かぶ──。

「母さん、それで……陽ちゃんは?」
 僕は恐る恐る事情を聞いた。
「え!おばさん達が亡くなった?!」

 その日、陽ちゃん達は空港からタクシーで福岡市内に向かっていた。そこに居眠り運転の大型トラックが真横から突っ込んで来たと言う事らしい。
 タクシーは横転し、後部座席の真ん中に座っていた陽ちゃんだけが奇跡的に命を繋いだ。だけど両側のご両親は──。
 陽ちゃんは病院に運び込まれ、3日も意識が無かったとのこと──そのままご両親のお葬式にも出られず──。

 札幌と福岡では距離が有り過ぎる。ご両親のお葬式は親戚の多い福岡で行われ、昨日になってようやく、陽ちゃんの伯父さんと言う人達がこの札幌に訪れた──この札幌の家を処分するため、何かと片付けが有るらしい。
 家具や荷物はどんどん処分され、隣の家は空き家になった。
 もちろん……陽ちゃんの大切なピアノも──。

 その親戚の人達は僕のうちにも挨拶に来てくれた。それで母さんも知ったのだ、この悲惨な出来事の全貌を──。

 僕はたまらず、福岡へ向かおうと決意した。僕だって誕生日がくれば13歳だ。福岡ぐらい一人で行ける。
 大怪我をして入院している陽ちゃんを、このまま放って置くなんて僕には出来ない。

 そして両親に相談すると、意外と僕の心情を分かってくれた。
 でもさすがに宿泊まで伴う外出を子供一人にさせる訳には行かないと、急遽母親が同行する事になったのだ。母親は母親で、やはり陽ちゃんの事が心配でならなかったらしい。
 僕は福岡行きを実行に移した。

(陽ちゃん、今行くからね……)

 福岡の空港に降り立つと、そのまま僕らは病院へと急いだ。

(陽ちゃん、一人ぼっちになってしまって、どんなに悲しんでいるだろう……)

 あの時の陽ちゃんの姿を、僕はどうしても忘れられない。病院のベッドに横たわった、傷だらけの陽ちゃんの姿を──。
 僕は驚愕に声も出せずに、ただ呆然と立ち尽くしてた。

「ユッキ……来てくれたんだね……」
「陽ちゃん……なんてこと……」
 耐え切れず僕は涙を流した。
 溢れる涙を止められなかった。
「ありがとう……嬉しいよ……」
「陽……ちゃん……」
 僕はベッドに歩み寄り、両手で陽ちゃんの右手を握った。
「痛くない?」
「平気だよ……」
 陽ちゃんの視線が定まらない。瞳がうつろに漂っている。
───泣いているのは、一方的に僕だけだった……。

 福岡での数日間──僕は何にも出来なかった。僕は毎日病院に通って、ただ陽ちゃんの側にいただけ──。
 僕たちは毎日黙りこくった。
 陽ちゃんは一度も笑わなかった。僕はただ、無意味に涙をすすり上げるだけだった。

(陽ちゃんごめん。僕は何にもしてあげられない……)

 そしてついに別れの日が来た。僕の涙は枯れ果てていた。
「陽ちゃん……僕は今日、札幌に帰るよ。早く元気になるように、札幌でずっと祈ってるから……」
「ありがとう」
 別れの言葉はそれ切りだった。二人ともそれ以上、言えなかった──。
 陽ちゃんの瞳が、うつろに乾いているのが辛かった。
 

「さよなら……」


 飛行機の時間に僕は追われた。
 そしてそれが──陽ちゃんに会った最後だった。





──陽ちゃんを福岡に残し、僕は仕方なく札幌へと戻った。そしてその日から、僕にはうつろな時間が待っていた。
 隣の家は空き家になった。何もかも全てが処分され、それからは雨戸も閉まりっぱなし──。

(陽ちゃん、まだ病院なのかな?リハビリしなけりゃ歩けないって、看護師さんが言っていた…)

 僕はいつも、陽ちゃんの事だけを考えた。 

(陽ちゃん、これからどうなるんだろ?このまま、僕たちは会えないの?)

 僕は毎日泣き暮らし、虚無と共に時間を過ごした。

 手紙を書いた。
 たくさん書いた。
──けれど返信は一通も無かった。
 分かってる。
 あんなに大怪我をしているんだから、手紙なんて書けやしない。ペンなんて持てるはずもない。
 でも、僕は手紙を書き続けた。そうするしか為す術が無かった。失った物の大きさに、僕は恐怖にも近い悲しみを知った。

(僕は、本当の気持ちを伝えていない……)

 大好きな幼馴染が、実はそれ以上の存在である事に気付かされたあの遠い日──。
 あの日以来、僕は自分の心に蓋をして、本当の気持ちをひた隠しにして、ずっと陽ちゃんと、波風を立てないように過ごしてきたのに──。

(こんな事なら、勇気を振りしぼって本当の気持ちを伝えておくべきだった)

 陽ちゃんと一緒の幸せな日々は、愛に怯える日々でもあった。

(僕の気持ちが知れてしまったら、きっと陽ちゃんに気持ち悪い思いをさせてしまう)

 友情が壊れるのを恐れていた。
 陽ちゃんに嫌われらのが怖かった。
 同性愛なんて、自分の恋なんて報われなくても良い。ただ、陽ちゃんの側にずっと一緒にいたかった──。

(愛しているんだ。でもそんな身勝手な事、もう言えない……)

 陽ちゃんの回復だけが僕の望みだった。それが叶うなら僕の気持ちなんてどうでもいい──。

 側に居ることも許されない。
 僕に出来る事は何も無い。

 あまりにも無惨な初恋の終焉。
 僕は自分の心を凍結させた。

(もう、決して誰も愛さない)

 春まだ遠い雪に埋もれて──
僕は13歳の誕生日を迎えた。


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