上 下
5 / 5

⑤ 指輪が転がるその先に

しおりを挟む
「アナベラ! ここへ!」

 王子の呼びかけに応えるように、ローナは王子の元へ走り寄った。
 王子は、ローナを抱き寄せると、ホーデリーフェに向かって高らかに宣言した。

「我が婚約者、ホーデリーフェよ! わたしは、おまえとの婚約を解消する! ここにいるアナベラこそ、わたしの妻となる人だ! おまえの魔力が本物なら、彼女が条件を満たした人物であることがわかるだろう!」

 ホーデリーフェは、フードの陰から灰色の瞳を煌めかせ、ローナを値踏みした。

「むむむっ! この女、ピンク・ブロンドと青い瞳を武器に、数々の男に『真実の愛』を語らせ、婚約や結婚を解消させてきた悪女に間違いないようだ! よくぞ、魔物のような女を見つけてきたものだ! こんな女が本当にいたとはな!」

 悔しそうに歯噛みするホーデリーフェに向かって、ローナは叫んだ。

「森の魔女・ホーデリーフェ! 王子様は、わたくしのものですわ! 年老いて、暗く湿った森に隠れ住むおまえなんか、妃の器じゃありません!
髪も瞳も灰色のおまえは、王子様の隣に立っても陰のようにしか見えないわ!
わたくしのように、ピンク・ブロンドを風になびかせ、輝く青い瞳で王子様を見つめられる女こそ、妃として王子様の隣に立つべきなのです!
分不相応な望みは捨てて、灰色のぼろクズは、とっとと森へお帰り!!」

 ローナのピンク・ブロンドが、炎のように立ち上がって揺らめいた。
 青い瞳は、宝石のように輝き、ホーデリーフェの灰色の目を射た。
 右手の指輪の青い石から溢れ出た光は、呆然とするホーデリーフェを包みこむと、青い光の玉となってどこへともなく連れ去った。

「ローナさん!!」

 部屋に灯りが点り、明るさが戻ったとき、ローナに真っ先に駆け寄ったのは、代理人エージェントの青年だった。

「あ、あなたは、いったい何者なのですか? わたしが作った『姿変えの指輪』に、あんな力を与えてしまうなんて?! あれは、魔力以外のなにものでもありません!」

「わ、わたしには、何の力もありません。あなたがおっしゃるように、今日も自分の役割を一生懸命果たしただけです。今日が最後の仕事になるような気がしたので、王子様をお助けするだけでなく、少しでもあなたのお役に立ちたいと思ったのです。
ごめんなさい! わたしは、本職悪役ヒロインを務めながら、いつの間にかあなたに恋をしてしまっていたのですわ!」

 その言葉を聞いた青年は、ローナをひしと抱きしめた。

 彼の本当の名は、オーウェン・バーリス侯爵。魔道士侯爵と呼ばれた、エヴァン・バーリスの一人息子だった。
 魔力を神に返上した父に代わり、魔道士としてこの国を支えてきた人物だ。

 彼は彼で、ホーデリーフェと王子の結婚を阻もうと、『姿変えの指輪』を創りだし、本職悪役ヒロインを育て上げることに力を注いできたのだった。
 最初に指輪が見つけた女性は、あろうことか二度目の仕事で、婚約を破棄させた大金持ちの伯爵の子息と結ばれ、指輪も仕事も放り出してしまった。

 国中を旅して、ようやく指輪が見つけたのが、ローナだったのだ。
 ローナは、家のため、弟の将来のために、二年間ひたむきに仕事に励んだ。
 そして、どうにか、今日に間に合わせることができたのだった。

 彼女の仕事ぶりを近くで見守り、力を貸すうちに、オーウェンはいつしか、仕事が終わっても彼女を手放したくないと考え始めていた。
 彼もまた、ローナを愛しく思うようになっていたのだった。

「おい! オーウェン! 彼女は、わたしの『真実の愛』の相手だぞ! なぜ、おまえと抱き合っているんだ?!」

 ようやく事態を理解したデリック王子が、二人の所へ近づいてきた。

「王子! もう、大丈夫です! ホーデリーフェは、おそらく森へ封じ込められました。二度と出てくることはありますまい。万が一出てきても、わたしとローナで必ずやつの魔力を押さえこんでみせます!」

「ローナ? 何を言っているんだ?! 彼女は、アナベラだ! わたしが『真実の愛』を捧げる新たな婚約者だ! 早く彼女から離れろ、オーウェン!」

 ローナは、オーウェンの腕から抜け出すと、右手の指輪を左手で握り、ちから一杯叫んだ

「わたしは、悪役ヒロインなんかになりません!」

 ローナの指からするりと抜けた指輪は、左手からこぼれ落ち、広間の床を滑るように素早く転がっていった。
 人々は、目をこらしてその行方を追ったが、指輪は姿を消してしまった。

 栗色の髪の毛、榛色の瞳に戻ったローナを見て、王子は腰を抜かした。
 その王子を見下ろしながら、ローナは、本職悪役ヒロインではなく、家族思いの貧乏男爵家の令嬢として王子に言った。

「王子様、あなたが『真実の愛』を捧げようとした、ピンク・ブロンドの髪で青い瞳のアナベラは、もうここにはおりません。
ここにいるのは、栗色の髪で榛色の瞳のローナ・ゴールウェイです。
そして、わたしが求める『真実の愛』は、あなた様ではなく、オーウェン様のものなのです!」

「ローナ!」

 オーウェンは、再びローナのそばに寄ると、先ほどよりも力を込めて彼女を抱きしめた。
 ローナの体からあふれ出す、温かな魔力と愛を彼は確かに感じ取っていた。

 その様子を見て、王宮にいた人々は理解した。
 この国は、ピンク・ブロンドの髪と青い瞳を持つ本職悪役ヒロインと、王国を我が物にしようと企む伝説の森の魔女を失った。
 しかし、栗色の髪と榛色の瞳を持つ、心優しい新たな魔女を得たのだということを――。

 広間の片隅で、いまだに腰を抜かして惚けている王子が国王になったとしても、誠実に王家に尽くす魔道士侯爵と彼が真実の愛を捧げる魔女がいれば、この国は末永く安泰であろう――。
 安堵した人々は、広間の中央で抱擁する二人に、大きな祝福の拍手を送った。
 最も力強く手を叩いていたのが国王と王妃であったことは、言わでもの事である――。

 ―― お・し・ま・い ――
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...