上 下
70 / 80
七粒目 野茨闇 ~『落花流水の情』の巻~

その二 いよいよ秀女選抜です! 頑張ってくださいませ、貞海様!

しおりを挟む
 一週間は、あっという間だった――。

 「秀女選抜」には、十三歳から十六歳までの未婚の女子であれば、誰でも参加することができる。身分や職業、出生地などを問われることもない。
 もちろん、様々な選考試験によって、ふるい落とされていくわけだけど、とりあえず、年齢さえ条件に合っていれば参加を拒まれることはない。

 だから、この一週間のあいだにも、大勢の若い女が、国中から次々と榮陵ロンリンへ押し寄せてきていた。

 各地から未婚の美女・才女が多数集まるということで、選抜に漏れた女を目当てに、有名な妓楼の楼主や嫁を探している商家の若者など、男たちもたくさんやって来ていた。
 宿屋や廟の宿坊はもちろん、商家の別邸なども、泊まり客で溢れかえっていた。

 「秀女選抜」を明日に控え、今日の午後は、心慈シンチー様の案内で、榮陵の町を見に行った。
 トゥ家の本邸へお邪魔して、心慈様の夫である貞海チェンハイ様のお兄様にもお目にかかった。
 榮陵の町は、どこもかしこも、まるで祭りのような賑やかさだった。

 久しぶりに人混みへ出たせいか、とても疲れてしまった。
 別邸へ戻ってきたら、明日に備えて、なぜか涛越タオチャオさんやわたしまで、侍女たちに全身を磨き上げられ、余計に疲れが増した。

 灯りを消した部屋で、寝台に腰掛けてぼうっとしていると、虫籠から這い出たシャ先生が、声をかけてきた。

深緑シェンリュ、早く寝た方が良いぞ。明日は、『秀女選抜』じゃ。貞海チェンハイどのが、いくら立派に振る舞っても、となりで侍女のおぬしが居眠りをしていては台無しじゃからな!」
「わかっています。でも、この頃、眠るのが少し怖いのです。眠ると嫌な夢を見そうで――。目を覚ますと夢の中身は忘れてしまうのですけど、不安な気持ちだけは、いつまでも残っていて……」
「ふーむ……。それは、困ったのう……。仕方ない! わしが、良い夢を見せてやろう! よし! 深緑、手巾で目隠しをして寝台に横になれ!」
「えっ?」

 子守歌でも歌ってくれるのだろうか? 蛙の鳴き声で?
 よくわからなかったけれど、夏先生の言うことを聞き、手巾で目隠しをして寝台の上に寝転がった。
 すると、ほわっと夏草の香りが漂って、誰かの広い胸に抱き寄せられた。
 しなやかな手が、髪や背中を優しく撫でてくれた。

 ああ、これは、露茜池から宿坊まで、わたしを運んでくれた人の手だ――と思ったのだけど、もう、体のどこにも力が入らなくなって、わたしはそのまま眠ってしまった。

 ◇ ◇ ◇

 そして、わたしは、「秀女選抜」の日の朝を迎えた――。

 目覚めると、いつものように一人で寝台に横になっていた。
 枕元の虫籠の中では、静か夏先生が眠っている。
 昨夜のあれは、何だったのだろう? あれもまた、夢だったのかしら?

 ぐっすり眠ったせいか、とてもお腹がすいていて、朝餉のお粥をたっぷりいただいた。そのあと、餡入りの饅頭も二個いただいた……。あと、揚げ菓子も三つほど……。

 朝餉の後は、身支度だ。
 この一週間ですっかり着慣れた青竹色のお仕着せを身にまとい、髪はうなじで一纏めにして結った。別邸の侍女たちが、薄化粧も施してくれた。

 腰に組紐をまき、夏先生の入った虫籠を下げる。
 商売道具の薬水も置いていけないので、いつものように行李を布で包んで背負った。さすがに、旅で汚れた布だけは、心慈様が用意してくれた薄紅色のものに換えた。

 本邸から、貞海様を乗せる輿と、それを運ぶ男衆たちがやって来た。
 「秀女選抜」に参加する者共通の白い麻の衣装を身につけた貞海様は、心慈様に挨拶し、静々と輿に乗り込んだ。
 涛超さんとわたしは、輿に付き従う形で、碧巌城を目指して歩き出した。

 碧巌城へ続く道は、「秀女選抜」に参加する人々でたいへん混み合っていた。
 輿や馬車、牛車が列をなし、その間を縫うように、徒歩で向かう人々が進んでいく。
 当然、いざこざやもめ事が、いたるところで起きていた。

「もたもたするな! 馬車が通るんだ、輿は横によけろ!」
「どこの牛車だ?! 道の真ん中で、牛に粗相をさせやがったのは?!」
「混雑しているんだから、馬を走らせるな! 人なみの速さで歩かせろ!」

 貞海様を乗せた輿は、馬の嘶きや人々の怒号、牛車がきしむ音などが飛び交う中を、なんとか無事に碧巌城の門前までたどり着いた。
 涛超さんとわたしは、輿からはぐれないように、必死でここまでついてきた。

 ここで乗り物から降り、受け付けのために、城の入り口の一つである陽景門の前に並ばなければならない。
 初選、あるいは複選で選に漏れ、帰宅することになった場合に備え、乗り物は門の前の広場に待たせておくようだ。

「百七番、杜貞海と付き添いの侍女二名! 中へ入りなさい」

 受け付けに差し出した、簡単な申込状の確認が済み、貞海様の名前が呼ばれた。そして、番号が書かれた木札が渡された。
 門をくぐり、美しい庭園を抜けて、初選が行われる建物の前に進んだ。
 すでにたくさんの后妃候補者たちとその侍女や家族が集まっており、ここもまた大騒ぎだ。係の女官が、静かにするように声をかけている。

 候補者は、五名ずつ建物の中へ呼ばれ、初選が行われるようだ。
 侍女や家族は、試験の間は、建物の外で待つように言われている。
 貞海様の番がきて、ほかの四名の候補者と一緒に建物に入っていった。
 涛超さんが、「初選」について教えてくれた。

「初選ではね、容姿とか立ち居振る舞いなどを見るそうです。容姿と言っても、顔の善し悪しなどではなく、健康な体をしているかどうかということらしいですが――」
「じゃあ、わたしみたいなちんちくりんは、絶対に選ばれませんね?」
「まあ! 深緑さんは、全然ちんちくりんじゃありませんよ。ちょっと小柄ですけど、ぴちぴちしていて魅力的ですよ」
「あら、そうですか? エヘヘヘ……」
「ゲロロロ!」
「ほら、老夏ラオシャも、『そうだ!』と言ってくれているじゃないですか」

 いや、それは違うと思いますよ、涛超さん。
 「調子に乗るんじゃないぞ!」という意味の、「ゲロロロ!」なんですよね、老夏? まったく、いつも意地悪なんだから!

 涛超さんとたわいのないおしゃべりをしているうちに、貞海様たちが建物から出てきた。一瞬声がやみ、あたりに緊張が走る。
 貞海様は、何事もなかったような雰囲気だったが、がっくりとうなだれて、連れてきた侍女になぐさめられている少女もいた。

「あの子はね、歳を偽っていたのよ。生まれ年のことや両親の歳を聞かれるうちに、十二歳だということがわかってしまったの。少し、大柄だからごまかせると思ったようね」

 貞海様にそう言われると、確かに少し幼く見えるその少女は、侍女と一緒に庭園の方へ戻っていった。
 年齢の条件だけは厳しく守られて、公平さが保たれているということね。

「さあ、次は、いよいよ複選だわ! わたくしの見事な舞で、必ず女官たちの心を掴んでみせるわよ!」
綺珊チーシャン様! その意気でございますわ!」

 すぐ隣で、盛り上がっている一団は、涛超さんによると、榮陵の穀物商の娘の綺珊様とその侍女たちだということだ。
 綺珊様は、華やかな顔立ちと豊かな胸が目を引く、若さと瑞々しさに溢れた美女だ。
 彼女は、突然振り向くと、きらきらとした目で貞海様を見つめながら言った。

「杜家の貞海様ですわよね? わたくし、あなたには絶対に負けませんからね!」

 え、ええっ?! 宣戦布告?! 
 それを聞いた貞海様は、にっこり微笑み鷹揚にうなずいている。
 二人の間に、火花が散るのを見たような気がして、わたしは頭がくらくらした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

鬼の頭領様の花嫁ごはん!

おうぎまちこ(あきたこまち)
キャラ文芸
キャラ文芸大会での応援、本当にありがとうございました。 2/1になってしまいましたが、なんとか完結させることが出来ました。 本当にありがとうございます(*'ω'*) あとで近況ボードにでも、鬼のまとめか何かを書こうかなと思います。  時は平安。貧乏ながらも幸せに生きていた菖蒲姫(あやめひめ)だったが、母が亡くなってしまい、屋敷を維持することが出来ずに出家することなった。  出家当日、鬼の頭領である鬼童丸(きどうまる)が現れ、彼女は大江山へと攫われてしまう。  人間と鬼の混血である彼は、あやめ姫を食べないと(色んな意味で)、生きることができない呪いにかかっているらしくて――?  訳アリの過去持ちで不憫だった人間の少女が、イケメン鬼の頭領に娶られた後、得意の料理を食べさせたり、相手に食べられたりしながら、心を通わせていく物語。 (優しい鬼の従者たちに囲まれた三食昼寝付き生活) ※キャラ文芸大賞用なので、アルファポリス様でのみ投稿中。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...