上 下
67 / 80
六粒目 幻灯蓮 ~『我が上の星は見えぬ』の巻~

その七 さよなら! いつかまた、会いたいと思えるその日まで……。

しおりを挟む
 二人は、花園を歩きながら話をしていた。

 ―― 天帝様は、おそらく、人間界に落ちた種核を探しに、庭番の天女を一人下天させるであろう。……、いくらおのれに責があるとはいえ、その天女の苦労は並大抵ではあるまい。可哀想だと思わぬか?
 ―― はい、確かに……気の毒なことではあります。
 ―― では、そなたも下天し、その天女を手伝ってやれ!

 そうか……、玄姫シュェンチェン様に命じられて、思阿さんは下天したのか。
 未熟なわたしを哀れんで、人間界での務めを手伝うために――。

 やがて、映し絵の場面が変わった。
 思阿さんの姿になった馮将軍が、玄姫様の宮殿の下天井のそばに立っていた。
 隣に立つ玄姫様が、厳しい顔で彼に命じた。

 ―― 良いか、けっしてそなたの正体を明かしてはならぬぞ。天女にとっては、償いであり修業なのだ。そなたを馮将軍と知って、頼ったり甘えたりされては、下天させた意味がなくなってしまうからな。
 ―― 承知しております。用心棒となって天女の身を守り、さっさと務めを果たせるよう、力を貸せばよいのでございますね?
 ―― そうだ。そなたは、旅の詩人・思阿となり、さりげなく天女に近づくのだ。そして、天女が心を許し、用心棒として受け入れられるよう努めよ。人間界は、心を惑わすものが多過ぎる。くれぐれも、酒には気をつけるのだぞ!
 ―― 御意の通りに!

 思阿さんが、ガオ家に現われたのは、偶然ではなかったのね。
 初めて思阿さんに会ったとき、どこかで会ったことがあるような気がしたのは、慣れ親しんだ天界の気配のようなものを、彼から感じとったからかもしれない。

 蘭花酒の件で、わたしの願い通りに力を貸してくれた思阿さんを、わたしは心から信用して、用心棒として雇うことにした。
 玄姫様と思阿さんの思惑通りに、わたしは動いていたのだ……。

 また、別の場面が映し出された。
 下天井から人間界へ降り立った思阿さんが、一人で道を歩いている。
 わたしが玄姫様から渡されたのと同じ地図を、顔をしかめて眺めていた。

 ―― 最初は、柳泉リィゥチュェンか……。それにしても、また、ずいぶんといろいろな場所に落としてくれたものだな! これは、とんでもない時間がかかりそうだぞ。粗忽で無邪気な天女殿をおだてて、種集めを急がせなくては……。
黄龍軍将軍が、戦いを放り出して、いつまでも暢気に、人間界で天女殿のお守りをしているわけにはいかないからな!

 稼ぎに出かけた姉さんを尋ねる旅だと言いながら、寄り道ばかりしているわたしに、何の文句も言わずついてきたのは、思阿さんもわたしの務めの中身をよく知っていたからだったのね。少しは、怪しむべきだったのかもしれない……。
 優しい言葉も態度も、みんな、わたしの気分をよくして務めに励ませるためだったんだ……。わたしから早く解放されて、天帝軍へ戻りたかったから……。

 わたしは、倒れている思阿さんに近づき、顔に張り付いてる蓮の葉を引きはがした。
 もう、十分だ。これ以上、思阿さんの本心を見せられたら、辛くて務めも果たせなくなってしまうかもしれない。
 わたしは、髪からかんざしを引き抜き、思阿さんの胸の上に置いた。

 蓮の花に、笑われているような気がした。
 思いが通じ合ったつもりになって、一人で舞い上がって、思阿さんには自分が必要だなんて思い込んで……、あなたったら、本当にお子ちゃまだわね、深緑シェンリュ

 わたしは、懐から天の柄杓を取り出した。
 大きく振って、伸びた柄杓のますに貯まった天水を、露茜池に注いだ。
 夜だというのに開花している株だけが、萌葱色の炎に包まれた。
 炎に包まれてもなお、蓮がわたしを笑っているように思えて、わたしは何度も柄杓を振るい、蓮の花一輪一輪に天水を振りかけた。

「怒りに身を任せてはいかん! おぬし自身が悪しき質を帯びてどうする?!」
「わかっておりますよ、老夏!」

 水底の地下茎が伸びるあたりに、怪しく光る種核を見つけた。
 わたしの迷いや憂いも、おまえが一緒に天へ持っていっておくれ!
 わたしは、柄杓を頭上に掲げ、種核を天へ返すため、祈りの言葉を唱えた。

「かい・ちょう・かん・ぎょう・ひつ・ほ・ひょう! 汝(なれ)、天の庭のものならば、天の庭へ!」

 澄み切った夜空には、いつもと同じ七つの星が浮かび上がった。
 その六番目の星、開陽がひときわ明るく輝くと、蓮の種核へ向かって、光の糸が伸ばされた。
 光の糸に導かれ,種核は開陽に向かって上昇を始めた。
 最後は開陽と一つになって、星の光に飲み込まれるようにして種核は消えた。

 霊力を使いすぎたのかもしれない。
 わたしは、立っていられなくなって、目を閉じ、その場に横たわった。

「深緑さん……、深緑さん……大丈夫ですか?!」

 思阿さんが、わたしの名を呼びながら近づいてくる……。
 嘘つきのくせに、そんなに優しい声で呼ばないでください……。

「思阿よ! 今は、だめだ……。深緑は、何もかも知ってしまったのだ……。おまけに、蓮の葉が見せる映し絵に惑わされて、おまえを信じられなくなっている……」
「あっ、あなたは、あの酒楼で会った――」
「おぬしは先に、都城へ行け! 最後の種核を求めて、深緑も必ず都城へ向かう。再び、思いが通じ合う日はきっと来る。その日まで、おぬしは少し離れて深緑を見守っておれ。わたしの名は、夏泰然シャタイラン。青蛙の姿で、深緑の随従をしている。心配はいらぬ、深緑のことはわたしに任せておけ!」
「わかりました……。俺は……、必ずまた、このかんざしを深緑さんの髪に挿してみせます! そのときまで、どうか、深緑さんのことを……、お願いします!」

 思阿さんの足音が、遠ざかっていく……。
 わたしを置いて、今度こそ思阿さんが行ってしまう……。

「さあ、深緑。宿坊へ戻って休もう! 今日は、特別にわたしが運んでやるぞ!」

 夏先生の声……、えっ、夏先生が、わたしを運ぶ? そんなことは……。
 思阿さんとは違う、力強いけれどしなやかな腕が、わたしを抱き上げた。
 心が安らぐ。この腕に守られていれば、きっと何の心配もいらない……。
 その温もりに身をゆだね、わたしはいつしか深い眠りに落ちていった。

 ◇ ◇ ◇

 その翌日――。

 玄姫廟の宿坊の中庭に、朝の光が穏やかに差していた。
 妙に早く目を覚ましてしまったわたしは、部屋へ続く石段に一人腰掛けていた。
 まだ半分夢の中にいるような、気だるく物憂い気分で、夕べのできごとを思い出していた。
 いつの間にか虫籠から顔を出した夏先生が、眩しそうに目を細めながら、わたしの顔をしみじみと見つめていた。

「老夏……、あなたは、どこまで知っていたんですか? 思阿さんのこと……」
「青蛙一匹の随従では心許ないと考えた御仁が、誰か頼りになりそうな人物をつけて寄越すだろうとは考えておった。ガオ家で初めて思阿を見たとき、『ああ、やはりな!』と思ったさ。馮将軍の顔は知っていたからな。とはいえ、あれが、どういうつもりでいるかまでは、なかなかわからなかったのう」
「どういうつもりって――、思阿さんは、面倒くさい天女のお守りを早く終わらせて、一日も早く天帝軍へ戻ろうと考えていたのでしょう?」
「最初はそうだったかもしれん。だがな、おぬしと一緒に旅をするうちに、あの酒と鍛練だけが楽しみだった朴念仁も、いろいろと考えるようになったようじゃぞ……」

 あの映し絵には、続きがあったのかもしれない。
 でも、今のわたしはもう、どんな言葉もどんな場面も素直に受け止めることはできない。

 ―― 粗忽で無邪気な天女殿をおだてて、種集めを急がせなくては……。

 その言葉が、耳によみがえるたびに、楽しかったことや嬉しかったことが、つまらないことやくだらないことに書き換えられていく……。
 だから、しばらくは、思阿さんのことを考えたくない……。
 何も思い出したくない……。

「老夏! これから、貞海チェンハイ様を訪ねてみようと思います。わたしは、侍女として貞海様と一緒に都城へ行ってみます。そこで、最後の種核を探し出し、自分の務めを果たします」
「そうじゃな……。それでおぬしの気持ちが晴れるのなら、そうすればいい」

 そう言えば――。

「ねえ老夏、夕べ、わたしを宿坊まで運んでくれたのは、誰なんですか? 思阿さんと老夏が、何か話していたようでしたけど、その後のことははっきりしなくて……。あの場に、ほかに誰かいたようにも思えないのですけど……」

 「ケロロロ……」と一声鳴いて、夏先生は虫籠の奥へ引っ込んでしまった。
 夏先生も、何だか怪しい……。
 なにか、わたしに秘密にしていることがあるような気がするのだけど……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あやかし旅籠 ちょっぴり不思議なお宿の広報担当になりました

水縞しま
キャラ文芸
旧題:あやかし旅籠~にぎやか動画とほっこり山菜ごはん~ 第6回キャラ文芸大賞【奨励賞】作品です。 ◇◇◇◇ 廃墟系動画クリエーターとして生計を立てる私、御崎小夏(みさきこなつ)はある日、撮影で訪れた廃村でめずらしいものを見つける。つやつやとした草で編まれたそれは、強い力が宿る茅の輪だった。茅の輪に触れたことで、あやかしの姿が見えるようになってしまい……! 廃村で出会った糸引き女(おっとり美形男性)が営む旅籠屋は、どうやら経営が傾いているらしい。私は山菜料理をごちそうになったお礼も兼ねて、旅籠「紬屋」のCM制作を決意する。CMの効果はすぐにあらわれお客さんが来てくれたのだけど、客のひとりである三つ目小僧にねだられて、あやかし専門チャンネルを開設することに。 デパコスを愛するイマドキ女子の雪女、枕を返すことに執念を燃やす枕返し、お遍路さんスタイルの小豆婆。個性豊かなあやかしを撮影する日々は思いのほか楽しい。けれど、私には廃墟を撮影し続けている理由があって……。 愛が重い美形あやかし×少しクールなにんげん女子のお話。 ほっこりおいしい山菜レシピもあります。

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

鬼の頭領様の花嫁ごはん!

おうぎまちこ(あきたこまち)
キャラ文芸
キャラ文芸大会での応援、本当にありがとうございました。 2/1になってしまいましたが、なんとか完結させることが出来ました。 本当にありがとうございます(*'ω'*) あとで近況ボードにでも、鬼のまとめか何かを書こうかなと思います。  時は平安。貧乏ながらも幸せに生きていた菖蒲姫(あやめひめ)だったが、母が亡くなってしまい、屋敷を維持することが出来ずに出家することなった。  出家当日、鬼の頭領である鬼童丸(きどうまる)が現れ、彼女は大江山へと攫われてしまう。  人間と鬼の混血である彼は、あやめ姫を食べないと(色んな意味で)、生きることができない呪いにかかっているらしくて――?  訳アリの過去持ちで不憫だった人間の少女が、イケメン鬼の頭領に娶られた後、得意の料理を食べさせたり、相手に食べられたりしながら、心を通わせていく物語。 (優しい鬼の従者たちに囲まれた三食昼寝付き生活) ※キャラ文芸大賞用なので、アルファポリス様でのみ投稿中。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...