57 / 80
五粒目 暴食根 ~『いつも月夜に米の飯』の巻~
その七 県城・巧琳にやってきました! でも、気になることが山積みです。
しおりを挟む
「どうした、深緑? おぬしには珍しく、なかなか寝付けないようじゃの?」
「だって、明日はいよいよ県城へ出発するんですよ! 『嫁運び競べ』にだって出なければならないし、気になることばかりでとても眠れません!」
おそらく、もう深更だろう。あたりは静まりかえっているが、わたしは眠れなくて、寝台の上で寝返りを打ってばかりいた。
その様子に気づいた夏先生が、枕元の虫籠の中から声をかけてくれた。
「隣の部屋に行って、思阿と話でもしてきたらどうだ?」
「思阿さんは、とっくに寝てますよ! 晩餐のあと、酒盛りが始まって、云峰さんが用意してくれた稀少な古酒を、本武さんと二人で、一瓶空けてしまったんですよ! いくら底知らずでも、今夜はさすがに酔いつぶれていますよ」
夏先生と話していたら、どんどん頭がさえてきて、余計に眠れなくなってきた。
とにかく目を閉じて、心を落ち着かせなくては。
でも、そうすると、昼間のことが、いろいろと思い出されて――。
思阿さんの広い背中の温もりとお日様のにおい、「元気いっぱいで可愛い」と言ってくれた爽やかな声、抱きついたわたしに向けられた優しい笑顔……。
だめだ、だめだ! 頭も顔もポーッとしてきて、ああ、どうしたらいいんだろう……。
◇ ◇ ◇
結局、ほとんど眠れないままに朝が来てしまい、快癒水を飲んで朝餉の席に着いた。
思阿さんに心配をかけるのが嫌で、お粥を二杯もおかわりした結果、乗り込んだ馬車の中で、隣に座った思阿さんに寄りかかって気持ちよく眠ってしまった……。
途中の大きな里で昼餉をとり、日没過ぎにようやく県城・巧琳へ到着した。
明日から「紫藤祭」が始まるとあって、県城の繁華街は大いに賑わっていた。
たくさんの灯籠が軒先や通りにつるされ、酒楼や妓楼には人々が押し寄せていた。
わたしたちは、毎年「嫁運び競べ」のために、云峰さんが部屋を押さえているという宿へ案内された。わたしたちのように、近くの里からやって来た人々が到着し、ここも混雑していた。
「宿は大変混んでおりますが、何とか三部屋用意してもらえました。云峰様とわたし、万松と思阿さん、そして、深緑さんと苹果で、一部屋ずつということでよろしいですか?」
云峰さんの侍者の伯虎さんが、ちょっと申し訳なさそうに言った。
万松と苹果は、二人で一緒に泊まれないので少し残念そうだったけれど、観光気分で浮かれている場合ではないぞ、と云峰さんに言われておとなしく従った。
◇ ◇ ◇
そして、翌朝。
紫藤祭は今日から始まるが、「嫁運び競べ」は、明日行われる。
わたしたちは、ほかの里の里正と会うという云峰さんを宿に残して、朝餉を食べがてら、会場を下見するために町へ繰り出した。役所の門前で待ち合わせ、「嫁運び競べ」の受け付けも済ませるつもりだ。
巧琳の庭園には、どこにも大きな紫藤の棚があり、甘い香りを漂わせていた。
観光に来たわけではないけれど、町の華やぎを目にすると、やはり気分はうきうきしてくる。
「嫁運び競べ」が行われる役所の前の広場に行くと、すでに、明日の競争のために泥沼や一本橋が渡された池などが作られていた。
敷き詰められた丸石の上を歩く場所や膝ぐらいの高さに積まれた丸太を越えていく場所もあり、ただ足が速いだけでは勝てないことがよくわかった。
どちらかというと、最後まで運びきれないように、わざと走りにくい場所をたくさん用意しているように思えた。いったい何をねらっているのかしら?!
わたしは、屋台へ食べ物を買いに行ってくれた思阿さんを待ちながら、一人で広場の隅の石段に腰掛けると、それとなく虫籠の中の夏先生に尋ねてみた。
「人を背負って走るのが、とても難しそうな場所ばかり作られているように思うのですけど――」
「県令殿は、誰にも最後まで運んで欲しくないのじゃろうな。全員が失敗して、全ての里に税を課せられたらいいと思っているのだろうさ!」
「だったら、『嫁運び競べ』に関係なく、税を課す命令を出せばいいじゃないですか?」
「それでは、里の者が不満をもつじゃろう? 祭りの余興の結果としてなら、なんとなく受け入れられるはずだと思っているのさ。悪い県令じゃな!」
そういうことか。新しい県令様は、全ての里に特別な税を課すために、「嫁運び競べ」を利用しようとしているのだ。一組も走りきれることがないように、できる限り難しくして――。
「でも、思阿さんは走りきりますよ! もちろん、理会たちの面倒も見ながらね!」
「たいした自信じゃな?」
「ええ。わたしだって、思阿さんに振り落とされないように必死でしがみついて、欲深な県令様をぎゃふんと言わせてやります!」
「フォッ、フォッ、フォッ……、意気軒昂なことじゃ。わしのことも途中で落とすなよ!」
「そっちは、お約束できません!」
夏先生とふざけながら笑っていたら、屋台で買った饅頭を持って、思阿さんが駆けてきた。
「何ですか、一人で笑ったりして……。さあ、お待ちかねの饅頭ですよ! 巧琳では、胡麻で作った餡を包むのが流行っているそうです。どうぞ、食べてみてください!」
「ありがとうございます! いただきます!」
思阿さんと並んで、温かい饅頭を頬張っている。
旅の間に何度もあったことだけど、今日は、それがとても幸せで楽しいことに思えた。
思阿さんが、くすくす笑いながらわたしの顔へ、人差し指を伸ばしてきた。
えっ?! な、何ですか?!
わたしの口元をかすめたその指先には、胡麻の餡がついていた。
そして、慌てるわたしの前で、彼はそれを何のためらいもなくなめてしまった……。
紫藤の花を揺らしながら吹く風も、名前も知らない小鳥の声も、この世界の何もかもが、わたしを祝福してくれている――。そんな気がした……。
気持ちはふわふわしていたが、務めを忘れてしまったわけではない。
わたしは、巧琳のどこかにある天から落ちた種を探し出し、天へ返さなければならないのだ。
できれば今日のうちに、何か手がかりを掴んでおきたいのだけど――。
ようやく役所の門が開き、「嫁運び競べ」に出る者の受付が始まった。
伯虎さんや万松、苹果と落ち合い、わたしたちも受付の列に並んだ。
列の前の方では、どう考えても十ぐらいにしか見えない女の子やひどく痩せたお婆さんを許嫁だと言って連れてきた男の人たちが、あきれ顔の役人たちに受け付けを断られていた。
「云峰さんが言っていたとおり、どこの里も必死のようですね。しかし、運ばれる方だって力がいります。子どもやお婆さんでは、とても務まらないと思いますが――」
思阿さんが、気の毒そうに言った。
男たちは、しつこく食い下がって、なんとしても「嫁運び競べ」に出たいと言い、「危ないから受け付けない」と主張する役人たちを困らせていた。
そのうち、女の子が激しく泣き出し、お婆さんは疲れてその場に座り込んだので、面倒になった役人たちは、まとめて別の場所に連れていってしまった。
ほかにも、曲芸の怪力男風の人物や体中が傷だらけの武芸者風の男など、明らかに雇われたと思われる人々がいたが、思阿さんとわたしも含め、男女で組んでさえいれば、こちらは特に言いがかりをつけられることはなかった。
役人たちは、どうせ誰も最後まで運べるわけはないと高をくくり、たいした審議もしないで受け付けているのかもしれない。
「では、無事に受け付けも済みましたので、この後は町を見物するなり、宿に戻って明日に備えるなり、それぞれゆっくり過ごしてください。少しですが、これは云峰様からです」
伯虎さんから、金子の入った布袋が、思阿さんと万松に渡された。
思阿さんとわたしは、役所の近くの玄姫廟へ祈願に行くことにした。
巧琳の玄姫廟も、金色の装飾が美しい、黒を基調とした立派な建物だった。
鎧姿の戦女神の像の前には、たくさんの蝋燭が供えられ、供物が置かれていた。
思阿さんは、今日も像の前にひれ伏し、熱心に祈りを捧げていた。
祈り終わった後も、女神像の貴石で作られた美しい瞳をじっと見つめ、何かを心に誓っているようだった。
廟の裏の庭園へ行ってみようと外に出たところ、門前の道に人が集まりだしていた。
たくさんの人々に囲まれて、何かが輿に載せられ、こちらに運ばれてくるようだ。
「おう、真珠藤の輿じゃ。これは運がいい。間近で見れば御利益があるぞ」
「真珠のように虹色に煌めく美しい花らしいな。肥やしとして、真珠を砕いて与えているという話もあるぞ」
「金がかかる花だよ。しかし、あの花のおかげで県令になれたとかで、新しい県令様は真珠藤を女神様のように信奉しているらしい」
人々のざわめきを感嘆に変えながら、輿に載せられた鉢植えの真珠色の藤は、華やかな香りを残し、わたしたちの目の前を通り過ぎていった。
わたしの腰に下げた虫籠が、気忙しげにコトコトと音を立てて揺れていた。
「だって、明日はいよいよ県城へ出発するんですよ! 『嫁運び競べ』にだって出なければならないし、気になることばかりでとても眠れません!」
おそらく、もう深更だろう。あたりは静まりかえっているが、わたしは眠れなくて、寝台の上で寝返りを打ってばかりいた。
その様子に気づいた夏先生が、枕元の虫籠の中から声をかけてくれた。
「隣の部屋に行って、思阿と話でもしてきたらどうだ?」
「思阿さんは、とっくに寝てますよ! 晩餐のあと、酒盛りが始まって、云峰さんが用意してくれた稀少な古酒を、本武さんと二人で、一瓶空けてしまったんですよ! いくら底知らずでも、今夜はさすがに酔いつぶれていますよ」
夏先生と話していたら、どんどん頭がさえてきて、余計に眠れなくなってきた。
とにかく目を閉じて、心を落ち着かせなくては。
でも、そうすると、昼間のことが、いろいろと思い出されて――。
思阿さんの広い背中の温もりとお日様のにおい、「元気いっぱいで可愛い」と言ってくれた爽やかな声、抱きついたわたしに向けられた優しい笑顔……。
だめだ、だめだ! 頭も顔もポーッとしてきて、ああ、どうしたらいいんだろう……。
◇ ◇ ◇
結局、ほとんど眠れないままに朝が来てしまい、快癒水を飲んで朝餉の席に着いた。
思阿さんに心配をかけるのが嫌で、お粥を二杯もおかわりした結果、乗り込んだ馬車の中で、隣に座った思阿さんに寄りかかって気持ちよく眠ってしまった……。
途中の大きな里で昼餉をとり、日没過ぎにようやく県城・巧琳へ到着した。
明日から「紫藤祭」が始まるとあって、県城の繁華街は大いに賑わっていた。
たくさんの灯籠が軒先や通りにつるされ、酒楼や妓楼には人々が押し寄せていた。
わたしたちは、毎年「嫁運び競べ」のために、云峰さんが部屋を押さえているという宿へ案内された。わたしたちのように、近くの里からやって来た人々が到着し、ここも混雑していた。
「宿は大変混んでおりますが、何とか三部屋用意してもらえました。云峰様とわたし、万松と思阿さん、そして、深緑さんと苹果で、一部屋ずつということでよろしいですか?」
云峰さんの侍者の伯虎さんが、ちょっと申し訳なさそうに言った。
万松と苹果は、二人で一緒に泊まれないので少し残念そうだったけれど、観光気分で浮かれている場合ではないぞ、と云峰さんに言われておとなしく従った。
◇ ◇ ◇
そして、翌朝。
紫藤祭は今日から始まるが、「嫁運び競べ」は、明日行われる。
わたしたちは、ほかの里の里正と会うという云峰さんを宿に残して、朝餉を食べがてら、会場を下見するために町へ繰り出した。役所の門前で待ち合わせ、「嫁運び競べ」の受け付けも済ませるつもりだ。
巧琳の庭園には、どこにも大きな紫藤の棚があり、甘い香りを漂わせていた。
観光に来たわけではないけれど、町の華やぎを目にすると、やはり気分はうきうきしてくる。
「嫁運び競べ」が行われる役所の前の広場に行くと、すでに、明日の競争のために泥沼や一本橋が渡された池などが作られていた。
敷き詰められた丸石の上を歩く場所や膝ぐらいの高さに積まれた丸太を越えていく場所もあり、ただ足が速いだけでは勝てないことがよくわかった。
どちらかというと、最後まで運びきれないように、わざと走りにくい場所をたくさん用意しているように思えた。いったい何をねらっているのかしら?!
わたしは、屋台へ食べ物を買いに行ってくれた思阿さんを待ちながら、一人で広場の隅の石段に腰掛けると、それとなく虫籠の中の夏先生に尋ねてみた。
「人を背負って走るのが、とても難しそうな場所ばかり作られているように思うのですけど――」
「県令殿は、誰にも最後まで運んで欲しくないのじゃろうな。全員が失敗して、全ての里に税を課せられたらいいと思っているのだろうさ!」
「だったら、『嫁運び競べ』に関係なく、税を課す命令を出せばいいじゃないですか?」
「それでは、里の者が不満をもつじゃろう? 祭りの余興の結果としてなら、なんとなく受け入れられるはずだと思っているのさ。悪い県令じゃな!」
そういうことか。新しい県令様は、全ての里に特別な税を課すために、「嫁運び競べ」を利用しようとしているのだ。一組も走りきれることがないように、できる限り難しくして――。
「でも、思阿さんは走りきりますよ! もちろん、理会たちの面倒も見ながらね!」
「たいした自信じゃな?」
「ええ。わたしだって、思阿さんに振り落とされないように必死でしがみついて、欲深な県令様をぎゃふんと言わせてやります!」
「フォッ、フォッ、フォッ……、意気軒昂なことじゃ。わしのことも途中で落とすなよ!」
「そっちは、お約束できません!」
夏先生とふざけながら笑っていたら、屋台で買った饅頭を持って、思阿さんが駆けてきた。
「何ですか、一人で笑ったりして……。さあ、お待ちかねの饅頭ですよ! 巧琳では、胡麻で作った餡を包むのが流行っているそうです。どうぞ、食べてみてください!」
「ありがとうございます! いただきます!」
思阿さんと並んで、温かい饅頭を頬張っている。
旅の間に何度もあったことだけど、今日は、それがとても幸せで楽しいことに思えた。
思阿さんが、くすくす笑いながらわたしの顔へ、人差し指を伸ばしてきた。
えっ?! な、何ですか?!
わたしの口元をかすめたその指先には、胡麻の餡がついていた。
そして、慌てるわたしの前で、彼はそれを何のためらいもなくなめてしまった……。
紫藤の花を揺らしながら吹く風も、名前も知らない小鳥の声も、この世界の何もかもが、わたしを祝福してくれている――。そんな気がした……。
気持ちはふわふわしていたが、務めを忘れてしまったわけではない。
わたしは、巧琳のどこかにある天から落ちた種を探し出し、天へ返さなければならないのだ。
できれば今日のうちに、何か手がかりを掴んでおきたいのだけど――。
ようやく役所の門が開き、「嫁運び競べ」に出る者の受付が始まった。
伯虎さんや万松、苹果と落ち合い、わたしたちも受付の列に並んだ。
列の前の方では、どう考えても十ぐらいにしか見えない女の子やひどく痩せたお婆さんを許嫁だと言って連れてきた男の人たちが、あきれ顔の役人たちに受け付けを断られていた。
「云峰さんが言っていたとおり、どこの里も必死のようですね。しかし、運ばれる方だって力がいります。子どもやお婆さんでは、とても務まらないと思いますが――」
思阿さんが、気の毒そうに言った。
男たちは、しつこく食い下がって、なんとしても「嫁運び競べ」に出たいと言い、「危ないから受け付けない」と主張する役人たちを困らせていた。
そのうち、女の子が激しく泣き出し、お婆さんは疲れてその場に座り込んだので、面倒になった役人たちは、まとめて別の場所に連れていってしまった。
ほかにも、曲芸の怪力男風の人物や体中が傷だらけの武芸者風の男など、明らかに雇われたと思われる人々がいたが、思阿さんとわたしも含め、男女で組んでさえいれば、こちらは特に言いがかりをつけられることはなかった。
役人たちは、どうせ誰も最後まで運べるわけはないと高をくくり、たいした審議もしないで受け付けているのかもしれない。
「では、無事に受け付けも済みましたので、この後は町を見物するなり、宿に戻って明日に備えるなり、それぞれゆっくり過ごしてください。少しですが、これは云峰様からです」
伯虎さんから、金子の入った布袋が、思阿さんと万松に渡された。
思阿さんとわたしは、役所の近くの玄姫廟へ祈願に行くことにした。
巧琳の玄姫廟も、金色の装飾が美しい、黒を基調とした立派な建物だった。
鎧姿の戦女神の像の前には、たくさんの蝋燭が供えられ、供物が置かれていた。
思阿さんは、今日も像の前にひれ伏し、熱心に祈りを捧げていた。
祈り終わった後も、女神像の貴石で作られた美しい瞳をじっと見つめ、何かを心に誓っているようだった。
廟の裏の庭園へ行ってみようと外に出たところ、門前の道に人が集まりだしていた。
たくさんの人々に囲まれて、何かが輿に載せられ、こちらに運ばれてくるようだ。
「おう、真珠藤の輿じゃ。これは運がいい。間近で見れば御利益があるぞ」
「真珠のように虹色に煌めく美しい花らしいな。肥やしとして、真珠を砕いて与えているという話もあるぞ」
「金がかかる花だよ。しかし、あの花のおかげで県令になれたとかで、新しい県令様は真珠藤を女神様のように信奉しているらしい」
人々のざわめきを感嘆に変えながら、輿に載せられた鉢植えの真珠色の藤は、華やかな香りを残し、わたしたちの目の前を通り過ぎていった。
わたしの腰に下げた虫籠が、気忙しげにコトコトと音を立てて揺れていた。
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる