上 下
56 / 80
五粒目 暴食根 ~『いつも月夜に米の飯』の巻~

その六 鍛練続行! 思阿さんは、何を考えているのでしょうか?

しおりを挟む
「思阿どのに、鐘陽チョンヤンにいる弟の息子の思然シランを名乗ってもらって、深緑どのはその許嫁ということにしましょう。わたしのところに仕事の手伝いに来ていることにすれば、里の者として『嫁運び競べ』に出られると思います。いかがでしょう?」
「そのような嘘が、まかりとおるものなのですか?」
「今日、懇意にしている行商人から聞いたのですが、どこの里でも似たようなことをしているようです。特別な税を課されたくなければ、どんじりにならないようにして、最後まで運ばねばなりませんからね。里とは別の場所で人を雇ったり、何の関わりもない男女を急遽許嫁に仕立て上げたり、なんとか切り抜けるために必死になっていると言っていました」

 「嫁運び競べ」というのは、元々はお祭りの余興で、それぞれの里で近々婚礼を挙げる男女を、みんなで祝ったり冷やかしたりする楽しい行事であったはずだ。
 それが、勝つために娘たちが食事を我慢することが当然となり、今年は課税を免れるために、里とは無縁の人間を雇って、偽りの許嫁を送り込むようなことになってしまっている。
 本当に、こんなことでいいのかしら?

「俺は、かまいませんよ! そもそも、深緑シェンリュさんを攫ったりしないで、最初から正直に打ち明けて、俺たちに代役を頼めば良かったんです。俺たちは、県城へ行くつもりだったのですから、頼まれれば引き受けないこともなかったんです。そうですよね、深緑さん?」
「えっ? え、ええ……」

 隣に来て話を聞いていた思阿さんが、わたしに代わって返事をしてしまった――。
 思阿さんたら、許嫁でもないわたしと「嫁運び競べ」に出ることには、迷いを感じないのかしら?

 確かに、わたしは、天空花園から落ちた種核を求めて、県城へ行くつもりだった。
 「嫁運び競べ」を引き受けて、馬車か馬でも用意してもらって県城へ行けるのなら、悪くない話だなと思う。それでも、どこか割り切れない気持ちはあるのだけれど――。

「それでは、頼みを聞いていただけるということで、準備を進めてもよろしいですな? もちろん、それなりのお礼は用意させていただきますよ」
「礼はいりません。それから、鍛練はこのまま続けることにします。できれば、娘さんたちにも鍛練に加わってもらいましょう。そして、滋養がある食事をとり、たっぷり体を動かして、よく眠るという生活を、『嫁運び競べ』の日まで続けてもらいます」
「は、はあ……そうですか。わかりました、思阿どのがおおせのとおりにいたします……」

 万松ワンソンたちの鍛練を仕切っているせいか、思阿さんは実に堂々としてきて、今まで以上に頼もしい感じになった。
 それとも、詩人になる前、こんな風にたくさんの人を指揮する仕事でもしていたことがあるのかしら?
 里正である云峰さんでさえも、気圧された様子でその後は黙ってしまった。

 その日の午後の鍛練から、娘たちも中庭に集められた。
 なぜか、妹丹メイダン若敏ルオミンまでもが、そこに加わっていた。
 云峰さんから、鍛練の成果が見られないときには、思阿さんとわたしを、自分の親戚ということにして「嫁運び競べ」に出すことが伝えられた。
 和やかな感じだったのは最初だけで、鍛練が始まるとみんな真剣な顔つきになった。

 娘たちは、小さな土袋を手に持って何度も上げ下げしたり、投げ合ったりしていた。
 仔空さんによると、これで、腕や指の力を鍛えられるということだった。
 腕や指の力か? 家事や手仕事をする上では、役立つかもしれないわね。

 こうして、みんなで鍛練に励む日々が続いた。
 毎回鍛練が終わると、わたしは、全員に快癒水を飲ませた。
 体の気の流れが整い、疲れがとれるだけでなく、体に力が溢れ、何事もあきらめずに最後まで取り組めますようにという願いを込めて……。

 そして、いよいよ明日は県城に出発するという日がきた――。

 夕方の鍛練で、これまでの仕上げとして、それぞれの許嫁を背負って走ってみようということになった。
 鍛練の成果か、はたまた快癒水の効果か、娘たちはいつの間にかすっきりとした体つきになり、男たちは見るからに逞しくなっていた。
 里の裏を出発して、里の周りを半周し、閭門まで走ることにした。

「深緑さん、今日は、走る前に薬水を飲ませてもらえますか? 最後まで許嫁と力を合わせて走りきれるように、祈りを込めて盃に注いでください!」
「ええ、任せてください!」

 わたしは、思阿さんの指示に従って、全員の成功を祈りながら快癒水を配った。
 そして、早めに仕事を切り上げ集まってくれた、大勢の里人の応援を受けながら、三組は思阿さんの合図で走り出した。
 走るというより早足で歩くと言ったほうがいいような動きだったが、三組とも、何だかとても楽しげで幸せそうだった。

 思阿さんとわたしは、裏木戸から里の中を抜けて、閭門へ先回りすることにした。
 木戸を抜けると、思阿さんがしゃがんで、わたしに背中を向けてきた。
 えっ? ど、どういうことですか?

「ほら、深緑さん、早く俺の背中に! 俺たちも、練習しておきましょう!」
「あっ、でも、そのまま走って行った方が――」
「いいから、急いでください! 先回りできなくなってしまいますよ!」

 仕方なく思阿さんの大きな背中にしがみつくと、彼は、すっと立ち上がり走り出した。
 お日様のにおいがする背中が心地よくて、誰も見ていないのをいいことに、わたしは、顔をこすりつけてしまった。このまま目を閉じたら、気持ちよく眠れそうな気さえする――。

「深緑さんは、本当に軽いなあ! 万松ワンソンたちが、茶館で目をつけたのもわかります」
「どうせ、わたしは、……ちんちくりんですよ!」
「アハハハ……俺は、そんなふうに思ったことはありません。確かに小ぶりだけど、いつも元気いっぱいで可愛らしいなと思っています!」
「……」

 元気いっぱいで可愛らしい……って言いました?
 また、いつものように、わたしをからかっているんですか?
 でも、耳の後ろの辺りを赤らめているのは、どうしてなのかしら?
 思阿さんたら、今、どんな顔をして走っているんですか?

「さあ、閭門に着きましたよ!」

 何もきけないうちに、閭門に着いてしまった……。
 思阿さんは、わたしを降ろすと門の前に立って、先頭で最後の角を曲がった理会リーフイ苹果ピングォに声援を送っている。
 もう、わたしのことなんて見ていない……。

 理会たちの後を追うように、万松や沙包シャーパオたちも角を曲がって姿を見せた。
 背負われた娘たちが、必死でしがみつきながら大きな声で励ましている。
 一番はじめに閭門にたどり着いたのは、理会たちだったが、ほかの二組もそれほど遅れずにやってきた。閭門に集まっていた里人から、大きな歓声と拍手が湧き起こった。
 満足した顔で閭門の横に座り込んだ三組に、わたしはもう一度快癒水を配った。

「皆さん、お疲れ様でした。よく、最後まで頑張り抜きました。これで、鍛練は終わりです。一つ、俺からお知らせがあります」

 思阿さんの言葉に、みんな立ち上がり、真顔になって耳を傾けた。
 本武ベンウーさんを伴って姿を見せた云峰さんも、思阿さんを黙って見つめていた。

「本武さんに尋ねたところ、『嫁運び競べ』には、一つの里から二組まで出ることができるとのことでした。準備が大変なので、一組しか出ないことが多いようですが、この里からも、かつて二組出た年があったそうです。
今日、一番早く走り終えた理会と苹果ピングォは、当然、今年の『嫁運び競べ』に出ることになります。二人には、最後まで運びきって欲しいと思います。だから、二人が無事に走りきるのを助けるために、云峰さんの親戚ということにしてもらって、俺と深緑さんも出ようと思います。
そういうことでいいでしょうか、云峰さん?」

 思阿さんが、笑顔になって云峰さんに呼びかけた。
 呼びかけられた云峰さんは、驚いた顔で口を開きかけ、本武さんと顔を見合わせた。

「『嫁運び競べ』は、これからも続くことでしょう。鍛練をしたことは、誰にとっても無駄にはなりません。万松や沙包は、自分たちがしたことを伝えて、次に出る者たちを鍛えることができます。きっと、この先もこの里の役に立つはずです」

 思阿さんが言うとおりね。
 あきらめたり投げ出したりしないで、だからといって我慢や苦労を強いられることもなく、里人が力を合わせて、これからも『嫁運び競べ』を続けていくことが大切なのだわ。
 だって、それは、本当は許嫁たちが絆を深め、みんなが二人を祝福するためのものなのだから――。

 思阿さん、ありがとう! 
 わたし、ようやく気持ちが晴れましたよ! 

 万松や沙包、そして、秋琴チウチン梅蓉メイロンが、理会と苹果を囲んで喜び合っていた。ほかの里人たちも寄ってきて、六人を讃えていた。
 わたしは、思阿さんの周りに集まってきた云峰さんや娘たちをかき分けて、彼の一番近くへ駆け寄ると、思い切り抱きついた――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

義理の妹が妊娠し私の婚約は破棄されました。

五月ふう
恋愛
「お兄ちゃんの子供を妊娠しちゃったんだ。」義理の妹ウルノは、そう言ってにっこり笑った。それが私とザックが結婚してから、ほんとの一ヶ月後のことだった。「だから、お義姉さんには、いなくなって欲しいんだ。」

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

【完結済み】当主代理ですが、実父に会った記憶がありません。

BBやっこ
恋愛
貴族の家に生まれたからには、その責務を全うしなければならない。そう子供心に誓ったセリュートは、実の父が戻らない中“当主代理”として仕事をしていた。6歳にやれることなど微々たるものだったが、会ったことのない実父より、家の者を護りたいという気持ちで仕事に臨む。せめて、当主が戻るまで。 そうして何年も誤魔化して過ごしたが、自分の成長に変化をせざるおえなくなっていく。 1〜5 赤子から幼少 6、7 成長し、貴族の義務としての結婚を意識。 8〜10 貴族の子息として認識され 11〜14 真実がバレるのは時間の問題。 あとがき 強かに成長し、セリとしての生活を望むも セリュートであることも捨てられない。 当主不在のままでは、家は断絶。使用人たちもバラバラになる。 当主を探して欲しいと『竜の翼』に依頼を出したいが? 穏やかで、好意を向けられる冒険者たちとの生活。 セリとして生きられる道はあるのか? <注意>幼い頃から話が始まるので、10歳ごろまで愛情を求めない感じで。 恋愛要素は11〜の登場人物からの予定です。 「もう貴族の子息としていらないみたいだ」疲れ切った子供が、ある冒険者と出会うまで。 ※『番と言われましたが…』のセリュート、ロード他『竜の翼』が後半で出てきます。 平行世界として読んでいただけると良いかもと思い、不遇なセリュートの成長を書いていきます。 『[R18] オレ達と番の女は、巣篭もりで愛欲に溺れる。』短編完結済み 『番と言われましたが、冒険者として精進してます。』 完結済み 『[R18]運命の相手とベッドの上で体を重ねる』 完結 『俺たちと番の女のハネムーン[R18]』 ぼちぼち投稿中

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

私、幸せじゃないから離婚しまーす。…え? 本当の娘だと思っているから我慢して? お義母さま、ボケたのですか? 私たち元から他人です!

天田れおぽん
恋愛
ある日、ふと幸せじゃないと気付いてしまったメリー・トレンドア伯爵夫人は、実家であるコンサバティ侯爵家に侍女キャメロンを連れて帰ってしまう。 焦った夫は実家に迎えに行くが、事情を知った両親に追い返されて離婚が成立してしまう。 一方、コンサバティ侯爵家を継ぐ予定であった弟夫婦は、メリーの扱いを間違えて追い出されてしまう。 コンサバティ侯爵家を継ぐことになったメリーを元夫と弟夫婦が結託して邪魔しようとするも、侍女キャメロンが立ちふさがる。 メリーを守ろうとしたキャメロンは呪いが解けてTS。 男になったキャメロンとメリーは結婚してコンサバティ侯爵家を継ぐことになる。 トレンドア伯爵家は爵位を取り上げられて破滅。 弟夫婦はコンサバティ侯爵家を追放されてしまう。 ※変な話です。(笑)

処理中です...