上 下
54 / 80
五粒目 暴食根 ~『いつも月夜に米の飯』の巻~

その四 鍛練好きな人が行う鍛練は、容赦ないに決まっています!

しおりを挟む
「ねぇ、老夏ラオシャは、どう思いますか?」
「どうって……、思阿シアのことか? あれは、面倒見がいいところがあるからな。自分から引き受けたからには、とことんやるじゃろう。愛しいおぬしを攫ったことへの恨みもあるし……ケケケ」
「違います! 百合根のことですよ! 我慢できないほど美味しくて、異常に食欲が湧いてくる百合根って、なんだか怪しくないですか?」
「天から落ちてきた種が、関わっているかもしれない――、と思っているのか?」
「ええ」

 松柏ソンバイの里は、百合根のせいで、このままでは、「嫁運び競べ」に誰も出られない状況になっている。
 そして、その結果、里全体に特別な税が課せられることになるかもしれないのだ。
 こんな風に、人を困らせ悩ませるのは、その百合根が悪い質を帯びているからではないかしら?
 
「気になるのなら、百合根に天水をかけてみてはどうじゃ? もし、天界から落ちた種核から育ったものであるなら、炎を上げて燃えるはずじゃ。そうじゃ、快癒水も使えるぞ! あの娘たちが、体に良くないもののせいで、本人の意に反してふくよかになったのなら、快癒水が体内の気を整えて、元に戻してくれるはずだからな」
「なるほど、両方とも試してみる価値はありそうですね――。ありがとうございます、老夏!」

 よし! これで、今夜はぐっすり眠れそうだわ!
 思阿さんがいる隣の部屋からは、さっきまで、なにやらゴソゴソと音がしていた。
 明日から始まる鍛練の準備をしているのかもしれない。
 思阿さんは、話を終えて家に帰る万松ワンソンたちに、明日から早起きをして、野良仕事に出る前にも鍛練をするとか言っていた。
 まあ、わたしには関係ないので、ゆっくり休ませてもらいますけど……。

 ◇ ◇ ◇

 ―― トントントン……、トントントン……。

 誰かが、わたしの部屋の扉を叩いている。まだ、外はほの暗いのだけど――。

深緑シェンリュさん、深緑さん、起きてください。そろそろ、鍛練を始める時刻です。薬水の準備をして、俺と一緒に来てください!」
「えっ?! シ、思阿さん?! あの、ちょ、ちょっと待ってください!」

 わたしは、枕元の虫籠から這い出して、ケフケフ笑っているシャ先生をじろりと睨みながら、急いで身支度を整えた。
 なんで、わたしが呼ばれるんだろう? わたしには、鍛練なんて必要ないのだけど――。

 夏先生を押し込んだ虫籠を腰につるし、快癒水の瓶が入った行李を背負い、わたしは細めに扉を開けた。
 思阿さんが、ようやく明るくなり始めた空を背に、清々しい顔で立っていた。
 姿絵にでもしたら、さぞや売れるだろうなあ――と思える、凜々しく美しい立ち姿だ。
 いやいや、見惚れている場合じゃない!
 こんな早朝から起こされて、黙って言いなりになるわけにはいかないんだから!

「思阿さん……、あのう、わたしには、別に鍛練の必要はないと思うのですが、どうして一緒に行かなくてはならないのですか?」
「ああ、朝早く起こして申し訳ありません。そのう……、俺の手伝いをしてもらいたいのです。朝は、連中に里の周りを走らせるつもりです。走り終わったら、少しだけ薬水を飲ませてやってください。鍛練で疲れて、野良仕事ができなくなるのは困るので」
「なんだ、そういうことですか……。でも、それなら、わたしは、鍛練が終わってから行けばいいですよね? だったら、もう少し眠って……」
「いや、走っているときに具合が悪くなる者がいるかもしれませんし、鍛練の様子を見ていて欲しいので一緒に来てください」
「……」

 もう、身支度も整えてしまったし、わたしがいなかったために、体調を崩した人の手当が遅れたと言われるのも癪なので、わたしは、眠い目をこすりながら思阿さんについて行った。
 二人で里の閭門に行くと、万松ワンソン理会リーフイ沙包シャアパオが、すでに待っていた。
 三人ともやる気十分で、黙々と肩を回したり、足を曲げたり伸ばしたりしていた。
 私たちの姿を見つけると、そろって元気に朝の挨拶をしてくれた。

「今朝は最初なので、里の周りを五周走ります。毎日、一周ずつ増やしていきますから、無理せず少しずつ体を慣らして、きちんと走りきれるようにしてください!」
「はい!!」

 思阿さんの合図で、三人が走り始めた。
 ちょっと体が重そうなので心配していたが、一周目はばらけることもなく三人一緒に戻ってきた。
 しかし、三周目になると沙包が遅れだし、四周目では万松の足が前に出なくなった。

「あと、一周ですよ! 三人とも頑張ってください!」

 わたしが声をかけると、万松も沙包も一瞬元気を取り戻したが、先頭の理会が走り終えても、なかなか二人は戻ってこなかった。
 最後は、迎えに行った思阿さんに追い立てられるようにして、二人とも息も絶え絶えで閭門にたどり着いた。
 わたしは、三人に少しずつ快癒水を飲ませて、閭門の脇で休ませた。

「本当に、『嫁運び競べ』の準備をしていたんですかね? 理会はともかく、ほかの二人はあまりに頼りない。このままでは、深緑さんを運ぶことさえ難しそうですよ」

 たしかに、思阿さんの言うとおりだ。
 自分の体を動かすことさえままならない人が、誰かを担いだり背負ったりして走るなんて、そんなことできるわけがない。
 元気を取り戻して、家に戻っていく三人を見ながら、わたしたちは大きな溜息をついた。

 ◇ ◇ ◇

「どうですかな、三人は? 見込みはありそうですか?」

 云峰さんの家で、思阿さんとわたしは、朝餉をいただくことになった。
 ご家族とは別の部屋が用意され、云峰さんと三人で卓を囲んでいる。
 今朝の鍛練のことをきかれて、思阿さんは返事に困っている。
 まだ、一日目だが、前途多難であることは明らかだったものね……。

「三人とも、決めた時刻に遅れずに集まっていましたし、最後まであきらめずに走りきりました。やる気はあるようでしたから、毎日まじめに鍛練を続ければ、『嫁運び競べ』に間に合うかもしれませんよ」
「そ、そうですか……」

 ムスッとして食事を続ける思阿さんではなく、わたしが答えたことで、云峰ユンファンさんは何となく状況を察したらしい。
 その後は、松柏ソンバイの里の歴史など、全く関係のない話をして朝餉を終えた。あーあ……。

 朝餉が済むと、思阿さんは、野良仕事の手伝いをしてくると言って、里の畑に向かった。
 わたしは、夏先生と話したことを試してみるために、娘たちが集まっている機織り小屋を訪ねることにした。

 機織り部屋がある家も多いそうだが、ここの小屋は、年配の者が作業を教えたり、女どうしで愚痴を言い合ったりするために、云峰さんが特別に用意した場所だということだ。

 機織り小屋は、云峰さんの家のすぐ向かいにあった。
 小屋と言っても立派なもので、秋琴チウチン苹果ピングォ梅蓉メイロンのほかにも、もう少し年下と思われる娘が二人ほど、機織りの準備をしに来ていた。
 わたしが、挨拶をして入っていくと、娘たちは作業の手を止め、一斉に挨拶を返してきた。

「深緑……さん、でしたよね? 昨日は、万松たちがご迷惑をかけて、本当にすみませんでした。今朝の鍛練には、遅れずに行ったと思うのですけど……。思阿さんから何か聞いてますか?」
「わたしも、鍛練の様子を見に行きました。三人とも、頑張っていましたよ!」
「まあ、良かった! ねえ、苹果、梅蓉、わたしたちも、明日は早起きして見に行かない?」
「いいわよ、秋琴! みんなで行って元気づけてやろうよ!」

 三人は、楽しそうに、明日の朝のことを話し始めた。
 彼女たちが見に来るとなれば、男たちも張り切ることだろう。
 明日の朝の鍛練は、いい結果が期待できるかもしれないと思って、ちょっとほっとしていたら、梅蓉が、いたずらっぽく笑って、驚くべきことをつぶやいた。

「深緑さん。本当はね、わたし、『嫁運び競べ』は、もうどうなってもいいと思ってるんです」

 その言葉を聞くと、「そうそう」と言ってほかの二人もうなずいた。

「わたしたち、『嫁運び競べ』に出なきゃならないからって、この半年ぐらい、食べたい物も食べずに、ずっと我慢して暮らしてきたんですよ。あの百合根を食べたとき、こんなに美味しい物があるのかって感激して、我慢をするのが馬鹿らしくなったんです。そのあとはもう、何を食べても美味しくて、嬉しくて……、うふふふふ、こうなっちゃいました!」

 三人は、愉快そうに笑いながら、お互いのぷっくりした頬や丸くたるんだ腹、はち切れんばかりの腕などを触っては、嬌声を上げていた。
 ええっ?! もしかして、あなたたち、百合根を利用して「嫁運び競べ」から逃げようとしてたの?!
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~

硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚 多くの人々があやかしの血を引く現代。 猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。 けれどある日、雅に縁談が舞い込む。 お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。 絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが…… 「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」 妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。 しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

処理中です...