上 下
53 / 80
五粒目 暴食根 ~『いつも月夜に米の飯』の巻~

その三 「嫁運び競べ」が、そんなことになっていたとは!

しおりを挟む
 云峰ユンファンさんの家は、お邸といってもいいような立派なものだった。
 里正の家は、里の役所のような働きもあるので、大勢の人が集まれる広い部屋や、逗留できる客間がいくつかあるとのことだった。

「今夜は、こちらに泊めていただけるそうだし、運が悪いのかいいのかわかりませんね!」
「心地よさそうな寝台で寝られそうだからって、安心していてはだめですよ、深緑シェンリュさん! 大変な目に遭ったんですからね。俺は、三人がきちんと処罰されるまで、気を許すつもりはありません」
「まだ、怒っているんですか?」
「当たり前です!」

 思阿シアさんと客間で話していると、云峰さんの侍史の本武ベンウーさんが呼びに来て、わたしたちは大きな部屋へ案内された。

 わたしを攫った三人の若者、そして、その家族が部屋に集められていた。
 彼らの正面には、云峰さんが座っていて、わたしたちはその横に座るように言われた。

「深緑どのも思阿どのも、お疲れのところ申し訳ありません。しかし、こやつらの話に嘘がないか、お二人に聞いていただく必要がありますのでな、しばしの間お付き合いください」

 すっかり反省した様子で叩頭していた万松ワンソンが、わたしたちが部屋に来たことがわかって、慌てて顔を起こすと言った。

「云峰様! そちらのちんちく……じゃなくて、そちらの娘さんに、どうか、まず謝らせてください! 本当に、申し訳ありませんでした! 俺たち、その、あんたをどうこうするつもりはなくて――。ただ、『嫁運び競べ』に出て欲しかったんです。あんたみたいにちんちく……、じゃなくて、小さくて可愛らしい人を探していたんです。攫ったりして、本当にすみませんでした!」

 万松だけでなく、理会リーフイ沙包シャアパオ、そして、周りに座っている彼らの家族たちも、謝罪の言葉を口にしながら、必死で頭を床にこすりつけていた。
 云峰さんが、わたしの方を見たので、「もう許してあげてください」という意味でうなずいた。
 彼は、みんなの方へ向き直り、一つ咳払いをすると話を始めた。

「さて、では、早速だが、どうしたいきさつでこういうことになったのか、万松から話してもらおうか」
「はい。あ、あの、祭りも近づいてきたんで、今年の『嫁運び競べ』に誰が出るかを話し合っていたんです。今年中に婚礼を挙げるつもりでいる、俺たち三人のうちの誰かが出ることは決まっているんで――。三人の誰でも良かったんですが、その……、秋琴チウチン苹果ピングォも、妹の梅蓉メイロンもこんな有様なもんで……」

 そう言って、万松は家族たちの方を振り返った。
 何人か若い娘さんが混ざっているのだけれど、どのも、わたしと違ってとってもふくよかで丸みを帯びた体をしていた。
 みんなそれぞれ可愛いが、体の重さは、わたしの倍近くありそうだ。
 云峰さんが、娘たちを見回して、「うーん」とうなった。

「前々から、『嫁運び競べ』に出なければならないことは、皆わかっていたはずだ。男たちは体を鍛え、女たちは節制に努め、力を合わせて祭りに備えるのが里の習いだ。それが――、わたしが留守にしていた二十日ほどの間に、なぜ、このようなことになったのだ?! 祭りまでは、あと十日あまりなのだぞ!」

 娘たちが、シクシクと泣き始めた。
 もう、泣かなくていいのに! 娘たちがふくよかなのは、決して悪いことじゃないのだ。
 だって、それは、この里が豊かだという証拠だから――。
 穀物が十分に収穫できて、女たちや子どもたちも、しっかり食べることができているというのは素晴らしいことなのよ。そうはできない里だって少なくないことをわたしは知っている……。

「あの百合根のせいなんです!」

 一番、年嵩そうな雰囲気の娘が、泣くのをこらえながら、大きな声で叫んだ。

「百合根? 秋琴、何だそれは?」
「云峰様が、里を離れた翌日、物売りのお婆さんが、里に百合根を担いでやって来たのです。重いから早く売り切りたいので安くすると言われて、みんなでたくさん買ったのですが――」
「どうしたのだ? 腹を壊し……、いや、そういうことではないな……」
「そのまま炊いたり、潰して汁に混ぜたりしたのですが、とにかく甘くて美味しくて――。百合根には、滋養強壮の効果があるとかで、体調もよくなって食も進むようになりました。百合根を食べ続けていたところ、あれよあれよという間に、……このように肥えてしまいました!」

 よく見れば、娘たちだけでなく、親兄弟と思われる人たちも、ふくぶくしい感じの人ばかりだ。
 万松たちだって、体が大きいから目立たないが、それなりに肉のついた体をしている。

 どれほど美味しい百合根だったのだろう? そして、これほど、人の食欲をかき立て肥えさせてしまうとは、なんという薬効だろう!
 ああ、いろいろ想像していると、わたしのお腹が……。

 云峰さんは、なんだかちょっと力が抜けた感じで、彼らの話をまとめた。

「つ、つまりだな。わたしが留守にしていた間に、旨い百合根料理をしっかり食べ、体の調子も良くなった結果、とても、『嫁運び競べ』で競えぬほど、どの娘も肥えてしまった。それで、小柄で身軽そうな娘を探してきて、嫁役をさせようとしたということか?
しかし、攫うというのはやり過ぎだろう。そんなことまでして『嫁運び競べ』に出る必要はない。今年は、あきらめることにすれば良いではないか?」

 云峰さんの言葉に、その場にいた人々全員がざわついたので、記録をつけていた本武さんが筆を止めて、「静かに」と声をかけた。
 そして、本武さんはハッとした顔をすると、不手際を詫びて説明を始めた。

「旦那様、後ほどお伝えするつもりでおりましたが、実は、お留守の間に今年の『嫁運び競べ』について、県城の世話役から新たな通達があったのでございます」
「なに、新たな通達だと?」
「はい。例年は、優勝した男女に、婚礼の支度金や衣装が贈られ、里にも褒美が与えられておりました。今年は加えて、始めから勝負を捨てたり、途中で勝負から脱落したりした男女や最も遅かった男女の里へは、特別な税を課すという決まりができたのでございます」
「な、なんと、やる気がない里には、罰を与えるということか?!」
「ええ。何でも、新しい県令様が、いろいろな形で里どうしを競わせ、さらに生産をあげさせたいというお考えのようで、『嫁運び競べ』も、単なる祭りの余興ではすまさぬおつもりのようです」

 なるほどね! ということは、ほかの里でも、『嫁運び競べ』で勝つために、いろいろな方策を立てているのだろう。
 幾組もの男女の中から、試験をして選抜したり、組み合わせありきで、許嫁を決めさせたり、人攫いほどおかしなことではないにしても、あやしげなことを企てているかもしれない。
 まったく、罪作りなことを考え出したものね、新しい県令様は――。

「もしかすると、百合根売りの婆さんは、どこかの里の回し者だったのかもしれません。あの百合根を食べると、とんでもなく食が進み肥えることを承知の上で、この里へ売りに来たのかも……。俺たち、婆さんを気の毒がって、百合根を買い込みましたが、あの婆さんの奴、俺たちを肥えさせるために……くそ!」

 万松が悔しそうに呟いた。
 いやいや、何の証拠も無いのに、お婆さんをそんなふうに言ってはだめでしょう。そもそも、我慢が足りなかったあなたたちが悪いのよ!

 云峰さんは、事情がわかって、すっかり困った顔になってしまった。

「そうか――。優勝は難しいかもしれないが、なんとか準備を整えて、誰かが『嫁運び競べ』に出るしかないな。途中であきらめず、最後にならないように運びきればいいのだから、どうにかなるかもしれん。娘たちは食事に気をつけ、男たちは体を鍛え力をつけて――」 
「云峰様、無理でございます! ここ数日、必死で練習をしてきましたが、三人とも二十歩も走れず膝をついてしまいました。とても、最後まで運びきることなどできません。
ですから、ちんちく……じゃなくて、小さくて軽い娘をさがして、旅人が集まる船着き場まで出かけたのです。もう、それしかないと腹をくくって、屋台の女から買った眠り薬を使って攫ってきたのです!」

 ええっ?! お腹がいっぱいになって居眠りしてしまったと思っていたのに、眠り薬を使われていたの?!
 これは、まずい。わたしの隣にいる思阿さんが、いらいらし始めたわよ……。

 すると――、突然、思阿さんが立ち上がった。
 えっ? ちょ、ちょっと?! いったい、何を?!

「情けないことを言うものではありません! まだ、十日以上あるのにあきらめてどうするんですか?! ……わかりました! 明日から、俺が三人を鍛えます! これは、深緑さんにおかしなことをした罰ですからね。厳しくなることは覚悟してください! 必ず、『嫁運び競べ』に出られるように力をつけてもらいます!」

 思阿さんたら、そんな約束しちゃって、大丈夫なんですか?
 それより、万松や家族たちはもちろん、云峰さんまで、そんな尊敬の眼差しで思阿さんを見ないでください!
 加減を知らない人なんですからね! どうなっても、わたしは知りませんよ!
 わたしにできることは、へとへとになった男の人たちを、薬水で癒やすことぐらいですよ!
しおりを挟む

処理中です...