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四粒目 結縁花 ~『恋は思案の外』の巻~

その二 謎の薔薇は、月季庭園に咲いているようです。行かねば!

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 凱利ワイリーは、思阿シアさんが環首刀を抜いたことによほど驚いたのか、正気に戻った後はすっかりおとなしくなって、男の人の説教を黙って聞いていた。
 男の人は、県城の名所の一つである月季庭園の園丁をしているそうで、張水昆チャンシュイクンと名乗った。

「月季庭園は、ケン国一の薔薇園でしてね。月季庭園を見るためだけに、鐘陽チョンヤンへお越しになる方もおられます。たくさんの園丁や職人が働いていまして、花を育てるだけでなく、香料や薔薇水なども作っているんですよ」

 しょげかえった凱利を、彼が下回りをしている明珠楼という妓楼へ帰らせ、思阿さんとわたしは、水昆さんの案内で、廟からほど近いという月季庭園へ向かった。
 月季庭園の薔薇の多くは、四季咲きという性質で、ほぼ一年中花をつけているそうだ。

「今は、一年で最も多くの花が咲く時期です。いいときに、いらっしゃいましたよ。香りも素晴らしいので、目でも鼻でも薔薇を楽しめますよ」

 水昆さんの言葉を裏付けるように、月季庭園の入り口に近づくと、門の奥から得も言われぬ甘い香りが漂ってきた。
 今を盛りと咲き誇る薔薇を見ようと集まってきた大勢の人々と一緒に、わたしたちも庭園の中へ入っていった。

 入り口近くは、観賞用の薔薇園になっていて、特にたくさんの人々で賑わっていた。
 淡い桃色から、紫に近い紅色まで、様々な色合いの薔薇が咲き競っていた。
 美しい花々に囲まれていると、不思議と体の中に気が満ちてくるように思えた。
 そうそう、ここを訪ねてきた一番の目的を忘れてはいけない。

「凱利が盗んだ、妙な噂があるという薔薇は、どこにあるのですか?」

 わたしが尋ねると、水昆さんは、さらに奥まったところに広がる、切り花や香料用の薔薇園へ私たちを連れて行った。
 入り口には小さな木戸があり、本当は園丁や職人しか入れない場所らしい。
 多少のやり過ぎはあったが、凱利を取り押さえ、盗まれた薔薇の枝を取り戻すのに力を貸したということで、思阿さんとわたしは、特別に案内してもらえることになったのだ。

「これです――。この薔薇の木ですよ、深緑シェンリュさん」

 庭仕事の道具小屋や井戸などがある、職人の作業場のようなところの脇に、その薔薇の木はひっそりと生えていた。
 四尺ほどの高さの木には、薔薇としては珍しい、白い花が咲いていた。
 分厚く重なった花弁の外側は、淡い緑色を帯びていた。
 乱暴に折り取られたような枝があり、凱利は、ここから花を盗んだのだと思われた。

「今は、白い花なんですが、自分が慕う人に思いを込めて手渡すと、相手の心に真実の愛が芽生え、花の色が鮮やかな赤色に変わるというのです。まあ、話に聞くだけで、わたしは見たわけではないのですが――」
「白い花が、赤色に変わるのですか?」

 水昆さんが聞いた話というのは、こんな話だ。

 ひと月ほど前のこと――。
 いつの間にかここに生えていた薔薇の木に、珍しい白花が咲いたので、ある職人が三枝ほど切り取り、ほかの薔薇と一緒に花屋へ卸した。
 花屋は、その薔薇を混ぜて花束をつくり、妓楼の玄関を飾るために明珠楼へ届けた。
 花が届いた場にたまたま居合わせた、明梓ミンジーという妓女が、白い薔薇をたいそう気に入り、花束から抜き取って自分の私室の花瓶に生けることにした。

 その日、明梓の客となったのが、県城の大きな織物問屋の若旦那だった。
 この若旦那に好意を寄せていた明梓は、花瓶から白い薔薇を抜き取り、思いを込めて若旦那に差し出した。
 若旦那が手にすると、薔薇の花は白から、血のような赤色に変わった。

 そして、若旦那は、突然、頬を染めながら、

「おまえのことを愛している!」

と言って、その場で明梓に求婚した。
 若旦那は、明日、必ず迎えに来ると明梓に約束し、薔薇を持って帰って行った。
 そこまでなら、妓楼でよくある、気まぐれな金持ち男に騙された妓女の話にしか聞こえない。

 ところが、翌日の昼過ぎに、正式な使者が、支度金をたんまり抱えて織物問屋から明珠楼へやってきた。
 明梓を身請けして、若旦那の嫁に迎える話がまとまったという。

 それというのも、若旦那が持ち帰った血の色の薔薇を見て、店のご意見番であるご隠居様が、

「実は、先日、わたしの夢枕に白姫バイチェン様がお立ちになった。これと同じ色の薔薇を手にして微笑んでおられた。これはきっと人の縁を結ぶ花だから、これをくれた女を粗末に扱ってはいけないよ」

と言って、この結婚を独断で決めてしまったからだった。

 明珠楼は、この玉の輿話に、上を下への大騒ぎとなった。
 明梓に異論があるはずもなく、間もなくやってきた若旦那と一緒に店を去って行った。
 二人は半月後には仲の良い若夫婦として、織物問屋を切り盛りするようになった。店は、これまで以上に繁盛した。

「不思議な薔薇の花が縁で、妓女が玉の輿に乗るなんて、とてもいいお話じゃないですか!」

 わたしは、薔薇の色が変わるという不思議よりも、妓女に良縁をもたらしたことの方に興味をもった。
 天界で庭番をしていたわたしにとって、美しい花が、人と人を結びつけたというのは心を引かれる話だ。
 白姫様が仲立ちをしたのなら、二人は間違いなく幸福になれるはずだし。
 ところが、水昆さんは眉を落とし、わたしの言葉を否定した。

「身請けされ、思う相手と結ばれて、大店の嫁になった明梓にとっては、確かにいい話ですよ。しかし、この話を知ったほかの妓女たちは、大いに焦りだしました。
明梓は、特別優れた妓女というわけではなかったので、白い薔薇のおかげで運を掴んだのだと誰もが考えたんですよ。そんな不思議な話を信じるのもどうかと思いますが――。
結局、妓女たちは、こぞって白い薔薇を求めるようになり、花屋や薔薇園に妓楼の者たちが、次々と訪ねてくるようになりました」

 そりゃあ、妓女たちは誰しもみんな、明梓のように想う相手と結ばれることを願っている。
 それを叶える手段があるならば、何としても自分も手に入れようとするはずだ――。

「最初に明珠楼に届けた薔薇の残り二本は、次の日には全ての花が散っていたそうです。噂を信じたわけではありませんが、花を巡って妓女たちの諍いが起きても困りますので、もう白い薔薇を花屋に卸すことは辞めました。
それでも、どうしても薔薇が欲しい者が、人を使って、ここから花を盗み出そうとするようになったんです。凱利のように、自分が慕う妓女のために、自ら盗みに手を染める者も出てきました。困ったもんです」

 ここでも、人々は自分の欲に負け、花に惑わされている。
 この白い薔薇は、やはり、天からこぼれ落ちた種核から育った、「悪しきたち」をもつものなのかしら?

 弱り果てた様子で、大きな溜息を一つつくと、水昆さんがぼそっと言った。

「薔薇には可哀想ですが、花が咲いたら切り落とし、だれも手に入れられないようにする方がいいのでしょうね。凱利だって、また、忍び込まないとも限りませんから」

 虫籠の中で話を聞いているシャ先生は、どう考えているかしら?
 もしも、天空花園から落ちた種が関わっているのなら、花を切ったところで、この先も、まだまだ困ったことが起こりそうな気がするわ――。

「もし! 薬水売りさん! 紅姫廟ホンチェンびょうの前で、薬水を売っていた娘さん! あなた、そうですよね?」

 木戸の向こうから、わたしに声をかけてきた人がいた。
 ああ、先ほど頭痛を治して欲しいと、薬水を求めてきたご婦人だわ。
 快癒水が効いたのね!
 すっかり元気になったようで、腕を振り回しながらわたしを呼んでいる。

 わたしは、水昆さんにお礼を言って、思阿さんと一緒に木戸を出た。
 ご婦人が待ち構えていて、わたしたちに走り寄ってきた。

「良かった、見つけることができて――。紅姫廟の道士様から、こちらに行かれたと伺って探しに来たのです。薬水売りさん、それから、そちらの用心棒さんもご一緒に、どうかわたくしと来てください!」
「来てくださいって、どこへですか?」
「わたくしがお仕えする、お嬢様のところへですよ!」
「お嬢様?!」

 お嬢様って、いったい誰よ?! わたしと思阿さんは、思わず顔を見合わせて、二人揃って首を傾げた。
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