上 下
32 / 80
三粒目 黄金李 ~『貪欲は必ず身を食う』の巻~

その三 頑張りましたよ! ……その結果、寝てしまいました!

しおりを挟む
 息せき切って、一人でルウ老師の家に駆けつけたのはいいが、考えてみたら老師はわたしのことなど全く知らないのであった。
 取り次ぎに出てきた書生風の取り澄ました少年は、「押し売りはお断りです!」と言って、わたしを睨み付けてきた。押し売り? まあ、そうかもしれませんが――。
 家の前で、どうしたものかと困っていたら、ようやく友德ヨウデ様がわたしに追いついた。

 友德様が少年に、わたしの薬水のことを説明し、やっと中へ入れてもらえた。
 取り次ぎの少年とともに、呂老師と思われるご老人が姿を現した。
 いや、髪や髭は確かに白く、ご老人とお呼びしても差し支えないと思われたが、体はいたって頑健そうでたくましく、いかつい顔つきのお方だった。

呂曙光ルウシュウグァンと申します。忠良ジョンリャンは、奥の部屋に寝かせてあります。あなたの薬水のお話、にわかには信じがたいものですが――。
何しろ酷い怪我ですので、苦しむ姿を見ているだけでも辛いものです。たとえ、痛み止め程度の薬であっても、是非飲ませてやりたいと思います。深緑シェンリュどの、お願いできますかな?」
「はい、どうぞ、わたしにお任せください!」
昭羽チャオユウ、ご案内しなさい」
「はい、老師!」

 少年――昭羽の後に続いて、わたしと友德様は奥の部屋へ入った。
 少し古ぼけた寝台に、忠良さんは寝かされていた。

 岩棚から落ちたそうだが、どれほどの高さだったのだろう? 大変な大怪我だ。
 頭や腕には布が巻かれており、右足は動かないように添え木が当てられていた。
 右足は、皮膚が裂け血にまみれ、醜く腫れ上がっている。
 一通りの手当てはされたようだが、忠良さんは、額に汗を浮かべ苦しそうに呻いていた。

 わたしは、快癒水を取り出し盃に注いだ。
 しかし、先ほどの静帆ジンファンさんと違って、大怪我をしている忠良さんを動かすのは危険だ。盃から直接快癒水を飲ませるのは難しいかもしれない。
 今日も、あの方法で飲ませるしかないかしら……。

 わたしは、快癒水を口に含み、忠良さんの顔に自分の顔を近づけた。
 もう少しで唇に唇が――というところで、グイッと後ろから肩を引かれた。

「あなたのような娘さんが、そこまですることはありません!」

 友德様はそう言うと、わたしの手から盃を取り上げ、残っていた薬水を自分の口に含んだ。
 そして、わたしと入れ替わるようにして忠良さんに近づき、口移しでそれを飲ませた。
 ま、まあ……、いいのですけど……。
 どうか、快癒水が効いてくれますように!
 わたしは、心の中で紅姫ホンチェン様に祈った。

「う、うう……、……あ、ああぁ……」

 忠良さんの体から力が抜け、呻き声が静かな溜息に変わった。
 きらきらした靄のようなものが、口からだけでなく体中の傷口と思われる場所から溢れ、忠良さんの全身を覆った。
 それは、天蚕の繭のように優しく光りながら、傷ついた体を幾重にも包んだ。

「こ、これは、いったい……」
「し、静かに! 昭羽、しっかり見ておくのだ。一つとして見逃してはならんぞ!」
「は、はい……」

 いつの間にか部屋に入って来ていた呂老師は、思わず声を上げた昭羽に、低く厳かな声で命じた。
 その間も忠良さんの変化は続き、半時もたつ頃にはほとんどの傷が消えていた。

 ◇ ◇ ◇

 わたしは、天空花園を見下ろす小高い丘の上にいる。
 あの人と二人、背中合わせで座っている。
 あの人の背中は広くて温かだから、遠慮無く体を預けられる。
 
 あの人が、涼やかな声で、わたしの好きな詩を詠んでいる。
 方岳という詩人の『春思』という詩だ。

 春風多可太忙生 長共花邊柳外行 與燕作泥蜂醸密 纔吹小雨又須晴

 ―― この詩に詠まれた忙しく動き回る春風は、まるで深緑のようだね!

 あの人がそう言って、楽しそうに笑った。
 笑い声と一緒に、小刻みに背中が揺れる。
 だめですよ、そんなに揺らしたら! わたし、一生懸命がまんしているのに――。

 ―― グルギュルグル……ギュルウウウーンッ……。

 ◇ ◇ ◇

「深緑さん! 深緑さん!」
「目を覚ますよりも先に、腹の方が起きたようだ! 面白いだなあ!」

 ん? ええっと、友德様と……、老師の声……?
 あ、そうか……、わたしは、呂老師の家で、忠良さんに快癒水を飲ませて……。
 わたしは、ガバッと起き上がった。

「す、すみません! こ、こんなときに居眠りなんかしてしまって! あ、あの、忠良さんは、どうなりましたでしょうか?」

 長椅子に横たわっているわたしを見下ろしながら、二人は同時ににっこりと笑った。
 えっ? 何だか、笑顔がそっくりな気がするのですが……。

「すっかりよくなりましたよ。今は、昭羽が作った薄い粥を、美味しそうに食べています。それに、口に含んだだけのわたしの体にも薬効がありましたよ。荷車を引いたり、ここまで走ってきたりして感じていた疲れが、どういうわけか消えてしまいました」
「深緑さん、ありがとうございました。もう、忠良は大丈夫です。あなたこそ大丈夫ですか? 忠良の枕元で、突然倒れたのでびっくりしました。どうやら寝てしまったようなので、わたしと友德とで、ここへ運びました」
「ご迷惑をかけました。薬水の効果を、きちんと見届けないといけなかったのに――」

 呂老師は、しゅんとしてうつむいているわたしに顔を近づけると、そっと耳打ちした。

「わたしたちは、『奇跡』とでも呼ぶべきものを見せていただいた。友德とも話したのですが、これはあまり人に知らせない方がいいことなのかもしれません。医師が来ても、よく調べたらたいした怪我ではなかったので、すでに回復したと話して、帰ってもらうことにしようと思います。それで、よろしいですかな?」
「は、はい……」
「では、あなたにも、粥をさしあげましょう!」

 干し魚のだしが効いた、とてもおいしいお粥だった。
「まだありますよ!」と昭羽に言われて、おかわりまでしてしまった……。

 志勇ジヨンの小舟に乗る前に、船着き場の屋台で大好きな饅頭まんとうを買って食べたのだけど、荷車に揺られたり、この家へ全力で走って来たりしているうちに、再び空腹になっていたらしい。
 せっかく、快癒水の素晴らしい効能を披露したのに、お腹をすかして気を失うなんて、とんでもない失態だ。まあ、寝ている間に見た夢は、とても心が弾むものだった気がするけれど……。

「忠良は、運が良かったのです。たまたま、深緑さんが志勇の所にいらしたので――。金の李を手に入れようと岩棚に上り、これまでに命を失った者が一人、大怪我を負った者が二人おります。三人は、この里の者ではなかったのですが、岩棚に上ろうとしてちょっとした怪我をした者は、この里にも何人かおります。
最初にあれを手に入れた者が、たいそういい思いをしたので、どんなに注意をしても、危険を顧みず岩棚に上ろうとする者が絶えないのです。困ったことです」

 そう話すと友德様は、ちょっと悲しげな顔で、また大きな溜息をついた。
 金の李か――。どんなものなのかしら?
 わたしもそれを見たら誘惑に負けて、岩棚に上りたくなるのだろうか? まさかね!

「友德様、呂老師、あの……、わたしを……、金の李の木が見える所へ案内してもらえませんか?!」
「深緑さん?!」

 二人が、「何を言い出すんだこの娘は?!」と言いたそうな顔でわたしを見ていた。
 お金に目が眩んだわけじゃありません! わたしの使命に関係がありそうだからです!
 残念ながら、詳しいことは言えませんけれどね――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...