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二粒目 美貌蔓 ~『美人というのも皮一重』の巻~

その二 まさか、見抜かれてしまうとは……、さすがです!

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 わたしたちは、船着き場から少し歩いた所から、如賢ルーシァンさんが操る春霞楼の小舟に乗って運河を移動することになった。
 春霞楼は、おおぜいの人々が行き交う繁華街の一角にあった。
 運河がすぐそばを流れており、船で店に乗り付ける客もいるようだ。
 絢爛豪華な春霞楼の建物を横に見ながら、さらに小舟は先へと進む。
 
「こちらでございます。足元に気をつけてお降りください」

 小舟がたどり着いたのは、繁華街から少し離れた静かな住宅街だった。
 塀に囲まれた広大な敷地に、タイ家の宏壮なお邸は建っていた。
 専用の船着き場で小舟を降り、歩いてお邸の大きな門をくぐった。
 
 門の辺りを掃除していた少年が知らせに走り、わたしたちが玄関に着くと、揃いのお仕着せを身につけた侍女たちが盛大に出迎えてくれた。
 侍女たちにわたしたちを引き渡すと、如賢さんは、学亮シュウリャンさんにことわり、春霞楼へ戻っていった。

 通された客間の卓の上には、すでにもてなしの準備ができていて、わたしたちが席に着くや次々と点心が運び込まれてきた。
 わたしは、また、お腹が鳴りそうになって、下腹をギュッと両手で押さえた。

「わたしは、河の上流にある江静ジァンジン太学たいがくで学んでいます。月に一度、普斎プーザイに帰ってくるのですが、両親はそれを楽しみにしていて、いつもこのようにたくさんの好物を用意しておいてくれます。
一人ではとても食べきれないので、いつもは邸で働く者たちに食べてもらっているのですが、どうやら今日は、頼もしい胃袋をお持ちの方が助けてくださりそうですね」

 学亮さんはそう言うと、にっこり笑ってわたしの方を見た。
 わたしも、おなかを押さえながら、目を細めて上品に笑い返した。
 ご期待に応えられるように、せいぜい頑張りますわ!

 ◇ ◇ ◇

「ふうぅぅーっ! もう、お腹いっぱいです! とてもとーっても美味しいのですが、お茶も点心もこれ以上は無理でーす!」
「確かにな。この揚げ菓子もよくできているわい。深緑シェンリュ、おぬし、またしても良い逗留先を手に入れたな!」

 午餐も終わったので、わたしは、「少し食べ過ぎたので、お庭をお散歩させてください」と言って、一人で客間を出てきた。
 虫籠の蓋を開けて、袖に隠して持ち出した揚げ菓子をシャ先生に分けてあげた。
 小さな口をパクパクさせて、菓子を飲み込む夏先生も可愛い!
 蛙とはいえ、元は天人らしいから、菓子の味もわかるのね。

「しかしなあ……、おぬしも向こう見ずな奴よのう。先ほどは、思阿シアどのが手を出さなければ、あのならず者に殴られておったぞ!」
「へへへ……、絶対に思阿さんが助けてくれると信じていましたから、思い切って言っちゃいました!」
「まあ、いちおうそのために雇った用心棒ではあるからな――」
「うーん……、それだけではありません。そう――、上手く言えませんけれど、わたしが考えていることと同じことを、思阿さんも考えているんじゃないかなあって……、そう思ったので」
「ほうほう、そういうことか! なるほどなぁ……」

 夏先生は、「ケロプッ」と満足げな声を出して、虫籠の中へ引っ込んだ。
 庭の長椅子に腰掛けて、池に作られた噴き水の音を聞いていると、瞼が重くなってきた。
 この後は、また小舟に乗って、学亮さんのご両親が待っている春霞楼へ行くことになっている。
 ちょっとぐらいなら、お昼寝しても大丈夫かしら……、とっても気持ちがいいのですもの……。

「あっ、いたいた! あんなところで、しょうがないなぁ――」

 思阿さんの声がする。こちらに駆けてくる足音も聞こえる。

「深緑さん、起きてください! 如賢どのが戻ってきたので、出かけるそうですよ! 昼寝なんかしている場合ではありません!」

 揺り起こされて、仕方なく目を開けた。
 すぐ目の前に、思阿さんのあきれ顔があった。その後ろには、心配そうな学亮さんの顔――。
 子どもみたいに、両肩をつかまれ立たされて、背中に荷物を背負わされた。

「さあ、行きましょう! しゃんとしていないと、船端ふなばたから運河へ転げ落ちますよ!」

 思阿さんに手を引かれ、わたしは、船着き場へと連れて行かれた。
 あーあ、またまた、子ども扱いされている――。
 でも、何だか、とっても幸せな気分なのは……、なぜなのかしら?

 ◇ ◇ ◇

 夕暮れが近づいて、運河も混雑してきていた。
 妓楼や酒楼へ向かう客を乗せた船や荷物を運ぶ船が、せわしなく行き交っている。
 如賢さんは、巧みにを操りながら小舟を進めていく。
 繁華街の建物には灯りが点され、昼間とはまた違った妖しい雰囲気が漂っていた。

 春霞楼も軒先や入り口にぶら下げた提灯が、辺りを鮮やかに照らし酔客を誘っていた。
 店の船着き場で小舟を下りると、裏口が開いていて、奥向きの侍女らしき人物が、わたしたちを待っていた。

「旦那様も奥様も、首を長くしてお待ちです。どうぞ、こちらへ」

 侍女に案内されたのは、妓楼とは別の離れのような建物で、庭を囲むようにして建てられていた。楼主たちの私邸であると同時に、特別な客をもてなすための場所でもあるようだ。
 
「旦那様、奥様、お客様と坊ちゃまが、お着きになりました!」
「おう、待ちかねたぞ! 早く中へ!」

 中にいた侍女が扉を開け、わたしたちは室内へ招かれた。

 学亮さんの父親である楼主は、口元に黒々とした髭を蓄えた恰幅のいい男で、いかにも遣り手の商売人という感じだった。
 夫人の方は、ほっそりとした清楚な美女で、貴族の娘かと思わせる品があった。
 お二人は、代わる代わる学亮さんを抱きしめ、久しぶりの対面を喜んでいた。
 親子の交歓が終わると、お二人はわたしたちの方へ向き直って言った。
 
「わたしは、春霞楼の楼主をしております、戴洪亮タイホンリャンと申します。こちらは、妻の麗敏リミンでございます。今日は、我が愛する息子・学亮を危難からお救いいただいたとのこと、誠にありがとうございました」
「深緑さん、思阿さん、話は如賢から聞きました。このたびの件、心より感謝申し上げます。是非、我が家にご逗留ください。そして、『河東の華』と呼ばれる、普斎の町を心ゆくまでお楽しみくださいませ」

 思阿さんとわたしは礼を述べ、お言葉に従い、しばらく逗留させていただくことを伝えた。
 わたしたちをじっと見つめていた洪亮様は、ふむふむとうなずきながら言った。

「失礼ですが、深緑どのは、どこぞで舞いを習われたことがあるのではありませんか?」
「えっ?」
「いや、こういう商売をしておりますとな、女人の首や手足のちょっとした動きから、舞いの技量や素養を見抜けるようになるのでございますよ。いかがでございます?」
「は、はい、姉から、多少の手ほどきを受けたことはございますが――」
「やはり、そうでありましたか!」

 わたしは、庭番の天女だから、歌舞を披露する必要はないのだけど、歌舞が好きな蘭玲ランリン姉様に、「天女たる者、たしなみが必要ですよ」と言われて仕込まれた。
 こんな場所でそれを見抜かれるなんて、洪亮様というお方、ただ者ではないわね!

「それから、そちらの用心棒、思阿どの。あなたは、うちの如賢といい勝負ができそうだ。如賢は、私兵あがりの剛の者ですが、三本打ち合えば二対一であなたが勝つかも知れませんな。今の仕事が終わったら、是非うちの店に来ていただきたいものです。給金は相談に乗りますぞ!」

 うわっ、こっちもしっかり見抜かれちゃってる!
 思阿さんが、ひどく困った顔をしている……。
 えっ、まさか、今すぐ職を変えてもいいかなーって、迷っていたりして?!
 確かに腕は立ちますけど、底知らずですから、妓楼で雇うのはどうなんでしょうねぇ……って、洪亮様に教えてあげたほうがいいかしら?

 ―― ガタガタ、タン……!

 卓につこうとしたところで、外から人声と物音が聞こえてきた。
 扉を開けた侍女が、外の人物と何やら話している。
 やがて、侍女が振り向いて言った。

「旦那様! 店の方がちょっと困ったことになっているそうでございます。お顔をお出しいただけないかということですが――」

 えっ? 困ったこと?! 何だか嫌な予感が……。
 わたしの気持ちを察したように、虫籠から「ゲロン」と小さな溜息が聞こえてきた。
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