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一粒目 溺酒蘭 ~『酒は愁いの玉箒』の巻~

余話・二話目 黄龍軍将軍・馮颯懍(フェンソンリェン)、女神・玄姫の下知に従う

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「でやああぁぁぁーっ!!」

 天帝黄龍軍の将軍・馮颯懍フェンソンリェンは、曲刀を一閃し、絡まる蔓を一気に薙ぎ払った。周りの兵士たちから、感嘆の声が上がる。

 普段は、魔軍と正面からぶつかり、霊力の限りを尽くして、人間界および天界を守っている天帝軍の猛者もさたちが、今日は、どこか緊張感のない顔で天空花園につどっていた。
 彼らの前に広がっているのは、花々が伸び放題暴れ放題となった一画だ。

「まったく……、こんなに荒れちまって、何があったんだ? 庭番がいるんだろ?!」
「その庭番の天女どもが、うっかり何かやらかしたんだろうさ!」
「天帝軍に草刈りをさせるなんて、いい度胸してるぜ、庭番どもは!」

 天空花園の仕事だということで、たっぷり花から気を取り込み疲れた体を癒やせると、喜び勇んで集まってきた兵士たちは、荒廃した花園の後始末を命じられ不満たらたらである。
 馮颯懍は、自ら曲刀を振るいながら、少し厳しい口調で兵士に言った。

「ごちゃごちゃ言っていないで、さっさと終わらせるんだ! 間もなく、玄姫シュェンチェン様が到着される。その前にきれいにしておけとのご命令だ!」
「ははっ!」

 兵士たちは、鋭い棘や葉に気をつけながら、刈り取った花々を集めて積み上げた。
 刈り取ったそばから、異臭が漂い始めており、一刻も早く燃やす必要があった。
 
「よし! 着火するぞ!」

 馮颯懍は、兵士たちを下がらせると、自分の両手をこすり合わせ、そこに息を吹きかけた。
 広げた手のひらから、積み上げた花々に火の粉が飛ぶ。
 萌葱色の炎を上げながら、刈り取られた花々は静かに燃え始めた。
 やがて、それらが燃え尽き、炎もすっかり消えた後には、何十もの小さな光る粒が残された。
 天界の草花の種核である。

 言葉にしがたい寂寥感を味わいながら、兵士たちが、種核が散らばる焼け跡を見つめていると、天馬のいななきが聞こえてきた。
 戦と兵法の女神であり、兵士たちのあるじである、玄姫が到着したのだった。
 玄姫は、後ろの鞍に天女を乗せていた。
 二人が天馬から降りて近づいてくると、兵士たちは一斉にひざまずいた。

「皆、ご苦労であった! 荒れた花々の始末は終わったようだな、颯懍!」
「はい! 棘や葉が思った以上に鋭利で、いささか手こずりましたが、何とか始末を終えましてございます」
「では、あとは林杏リンシンの仕事だ。林杏、種核に天水をかけて新たな力を与えてやってくれ!」
「仰せの通りに――」

 玄姫の後ろに控えていた庭番の天女・林杏は、背負ってきた柄杓を右手に掴むと、種核が転がる燃え尽きた花園に入っていった。
 林杏が舞うように柄杓を振ると、柄杓から溢れ出た天水が慈雨のように花園に降り注いだ。
 天水を浴びた種核は、金色にまばゆく輝いた。
 その輝きは、やがて花園全体に広がり、辺り一面が柔らかな黄金色の光に包まれた。

「これで良い。種核から新しい芽や根が伸び、ここもたちまち花々で覆われる。天帝様も安心されるだろう。林杏、ついでにこの一画以外の場所にも、天水をかけてまいれ!」
「はい、玄姫様! お任せくださいませ」

 林杏は、柄杓で天水を撒きながら、花々が咲き乱れる花園を奥へ奥へと進んでいった。
 兵士たちにも、玄姫から指示が飛び、兵舎へ戻る準備が始まった。
 馮颯懍も、自分の天馬を引いてきて帰り支度をしていたが、玄姫に呼び止められた。

「颯懍、そなたには、ちと尋ねたいことがある。一緒に、少し天空花園を散歩しよう」
「はい……」

 美しい戦女神いくさめがみと美丈夫と名高い黄龍軍の将軍が連れだって花畑を歩く様は、たいそう優美で、あたかも一幅の絵を見るようであった。
 しかし、実の所、馮颯懍は、いったい何を尋ねられるのかとびくびくしながら、玄姫の隣を歩いていたのである。
 そんな彼に、玄姫は、淡淡とした口調で問いかけた。

「昨日は、激戦の末、魔軍を押し戻した青龍軍をねぎらうため、兵舎へ酒を届けるようそなたに頼んだが、兵士たちはどのような様子であった?」
「はい、皆、大変喜んでおりました。庭番の天女が、天空花園から花を生けに来たので、花々の気を存分に取り込みながら、ゆったりと酒を味わうことができたようでした」
「ふうむ……、それで、当然、そなたも相伴に預かったのであろうな?」
「あっ……、は、はあ……」

 馮颯懍は、無類の酒好きとして天帝軍では有名だ。おまけに「底知らず」である。
 ほかの兵士と違い、下天して人間界の様々な愉楽にふけるということもない。
 酒と鍛錬だけが楽しみのような、少々雅致がちに欠けた人物だ。

「これは、青龍軍のさる兵士から聞いた話であるが、花を生けに来ていた天女に、しつこく酒を勧めて引き留めた者がおったそうだ。天女も酒好きであったため喜んでそれに応じ、終いには、歌を歌い、舞を舞い、たいそう宴席を盛り上げてくれたとのことだった……」

 玄姫が、意味ありげな視線を颯懍に送ってよこした。
 「何もかも、承知しておるぞ!」と、言われているも同然だった。
 こういうときは素直に認め、ひたすら詫びるのが得策だ。

「も、申し訳ありません! 酒甕を兵舎に届け、皆に振る舞っているうちに、つい自分も一杯二杯と……。天女にも勧めたところ、いける口だったようで、あちらも一杯二杯と……」
「愚か者め!!」
「ははーっ!」

 玄姫から女神とは思えぬ低く太い声で叱責され、馮颯懍は縮こまった。

「そなたは覚えていないようだが、先ほどの林杏が昨日の天女だ。あれが、酒宴で浮かれ、すぐに天空花園に戻らなかったことも、花園が荒れる原因の一つとなったようだ。困ったことに、勝手気ままに育ったいくつかの花の種が、人間界に零れ落ちて悪さを始めている――」

 天空花園の後始末を命じられたことに文句など言っている場合ではなかったのだ。
 馮颯懍自身も、気づかぬうちに天空花園の荒廃に深く関わっていたのだった。

「天帝様は、おそらく、人間界に落ちた種核を探しに、庭番の天女を一人下天させるであろう。悪しきたちを露わにして、好き勝手に育った種核を回収するのは、なかなかの難事となるだろうな。いくらおのれに責があるとはいえ、その天女の苦労は並大抵ではあるまい。可哀想だと思わぬか?」
「はい、確かに……気の毒なことではあります」
「そうであろう? では、そなたも下天し、その天女を助けてやれ!」
「えっ!!!」

 馮颯懍が、うつむいていた顔を思わず上げると、目の前に面白そうに微笑む玄姫の顔があった。

「そなたは兵舎には戻らず、わたしの宮殿で待っておれ。わたしは、天空花園の始末が終わったことを、林杏と一緒に紫微宮へ報告に行ってくる。おそらく、そこで天帝様の裁定を伺うことができるであろう。わたしが戻ったら、そなたは天女を追ってすぐに下天するのだ! よいな?」
「は、はい……。しかし、わたくしが留守の間、黄龍軍の方は――」
「ハハハハハ! 人間界の一年は、天界の一日だ! そなたが、十日ぐらい留守にしても、黄龍軍に支障はない!」

 玄姫は指笛を吹き、自分の天馬を呼び寄せた。
 
「ではな、颯懍。覚悟を決めて、待っておるのだぞ!」
「御意のとおり……」

 高らかに笑いながら、玄姫は馬上の人となった。
 天空花園の最奥部で天水を撒いている林杏を見つけると、そちらに天馬を向かわせた。

(十日ぐらいだって?! ――人間界では十年じゃないか?! そんなに長い間、天女に付き従わなくちゃならないのか?! 黄龍軍将軍のこの俺が?! 冗談じゃないぞ!!)

 心弾ませる花の香が漂う天空花園に、一人残された馮颯懍は、主からの思いもよらぬ命に言葉を失い立ち尽くしていた。

◇ ◇ ◇

 そして、今――。

 颯懍の前で、船縁にもたれかかりながら、当の天女が、うとうととまどろんでいた。
 何か食べ物の夢でもみているのだろうか? ときどき、にっこりと微笑む――。

(無邪気なものだな……。だが、この天女、真摯に務めを果たそうとしていることは確かだ。なかなか見所がある者なのかもしれぬ……)

 彼が、そんなことを考えながら見つめていることなど一切気づかぬ様子で、天女は居眠りを続けていた。
 突然、小ぶりな唇が、ほんの少し動いて何かつぶやいた。

思阿シア……さん……」

 そう聞こえた気がして、颯懍は、慌てて深緑シェンリュの顔から目を逸らした。
 予期せぬ胸の高なりに戸惑いながら、彼は、ゆっくりと彼女に背を向けた。
 爽やかな川風が、わずかに上気した彼の頬を優しく撫でて吹き過ぎていった。
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